わたしの名は紅

  • 藤原書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (628ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784894344099

作品紹介・あらすじ

黄昏のオスマン・トルコ帝国にしのび寄る、ヨーロッパ文明のコスモロジー。東西文明が交錯する都市イスタンブルで展開する細密画師たちの苦悩と葛藤を描く。歴史ミステリー小説、遂に上陸。国際IMPACダブリン文学賞、フランスの最優秀海外文学賞、イタリアのグリンザーネ・カヴール市外国語文学賞等を受賞。

感想・レビュー・書評

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  • ●各々の章が、別々の人間の一人称で書かれたトルコ歴史ミステリ。のはずですがしかし。

    ●オスマントルコ帝国の時代。
    とある細密画師が殺された。
    彼はなぜ殺されたのか。殺した犯人は誰か。
    ・・・と言った部分は、実はあまり重要ではなく、ストーリーを中心に引っ張っていくのは、夫がペルシア戦に出征したまま帰らない美しい寡婦シェキュレと、十二年前彼女に振られたことが原因でイスタンブルを離れ各地を転々としていた書記のカラの、うるわしい恋模様、っつーよりむしろ下世話な昼メロ系駆け引きバトル。え?(´Д`;) 以降キャラ説明(※ネタバレ有)。 

    カラ:シェキュレの父親で、殺された細密画師を使って秘密の写本を作っていたエニシテの命により、探偵役を務めることになるメイン人物。だが本人は、犯人探しよりも、彼女のことが気になって気になって仕方ないと言う(笑) いちおうハンサムなはずなのに、なんなんだこの横溢するこの情けなさ感はっ。

    シェキュレ:行方不明の夫との間にはまだ小さな男の子が二人あり、その後もしばらくは婚家で暮らしていたけれど、夫の弟のハッサンの夜這い未遂事件のため、実家に出戻り生活中。
    じゃあ、ハッサンを嫌っているのかと言うとそうでもないと言う。はい? 

    ハッサン:血の気が多くてヤバい感じの横恋慕男。しかし、カラとシェキュレの間“も”小間物売りを抱き込んで、二人の手紙を読むのはいいんだけど、手紙を破棄するでもなく積極的にジャマするでもなく、自分の手紙を追加して彼女に送るだけ、って貴様やる気あんのか〜!?

    ●・・・そんなバカな登場人物たちですが、やはりひどいのはシェキュレ(24歳)。彼女は、自分が美人でモテモテ☆ なことをとてもよく自覚しています。
    ハッサンに言い寄られてウンザリしたとは言え、今でも彼からの手紙は受け取り、ちょっと気分も良かったりして、モテ状態を快調に満喫。さすが美人。ま、最終的には、子供たちと彼女を守ってくれる男を選択すべく、実に冷静に計算して行動するんですけどね。
    なんってしたたかなんだ! 感心することうけあい。しかし、読んでていちばんほっとするのは、小間物売りのエステルの一人称語り部分。
    彼女の下世話さと能天気さと明るさが唯一と言っていいくらいの救い。
    あー、いい人じゃないけどいい人だー(笑)

    ●各々の文章に、いちいち物語がこめられているので、読むのに予想以上に時間がかかりました。
    私は、時間がない時やとにかく先が知りたい時は、読まなくても困らない修飾的な文章を読み飛ばしてストーリーだけを追うんですが、今回は、ちょっと難しかったと言うことで。
    それこそ細密画の様に精緻な文章と構造とはこの物語。おお、まとまった。←そうか・・・?

  • トルコのノーベル文学賞受賞作家、オルハン・パムクの初邦訳小説。
    オスマン・トルコにもイスラームにも細密画にも馴染みはなかったのだけれど、自分の知らない世界について描かれた小説を読むのは、いつもわくわくする。
    読者である私たちに向けて、主要な登場人物たちが語りかける形で物語は進んでいく。語り口そのものは平易なのだけれど、作中で展開される芸術論、文化論、細密画の歴史的変遷等々、その濃密さは時として息苦しくなるほど。ところどころに挿まれる、コーヒーハウスの咄し家が犬、木、金貨、死、悪魔などに成り代わって語る章が、その諧謔味のある語り口と、当時台頭してきた原理主義のホジャ(師)に対する痛烈な揶揄とで、その息苦しさをふっと軽くしてくれるような、効果的なアクセントになっていたように思う。
    この咄し家がとりあげた題材が、エニシテが秘密裡に描かせていた絵と一致していること、内部事情に通じた者にしか知り得ないような内容が語られていることに、おやっと思わされるのだが、小説終盤でその謎も明かされ、なるほどと納得。
    細密画師たちがスルタン付きの工房の職人であり、時の権力争いに翻弄され続けたこと、閉ざされた職人世界における師弟関係・弟子同志の特殊な関係性なども印象深かったけれど、エニシテが語る、西洋的手法で描かれた肖像画を初めて眼にした時の驚愕や憧憬、スルタンに献上された写本や絵、そして細密画師の辿る運命に対する絶望ぶりが一番胸に迫った。

    ――Benim Adim Kirmizi by Orhan Pamuk

  • 本当はハヤカワ新訳版で読みたかったのだが、図書館にあったこっちを読んでみた。

    スゲーしんどかったってのが第一印象。読み応えありすぎ、小説でここまでの歯ごたえは数年来ではないだろうか。
    とにかく濃密なのである。イスラム世界を題材にした細密画ってのがこの小説の重要な舞台かつ設定にあるんだが、文章で細密画を表現すると確かにこうなるよなぁって細かさっぷり。目も集中力も限界が来て、途中で読み飛ばしたくなるんだが、読み飛ばすとせっかく構成されてきた精緻な世界が瓦解しそうで、また数ぺージ戻って読み直して…

    隙間時間も駆使して一所懸命読んで1日100Pが精いっぱい。ほぼ1週間の濃密だったこと。こってりと脂ったイスラム世界を堪能しました。ミステリーであり恋愛小説であり中近東史であり芸術小説である本書。じっくりゆっくり読書の濃密な世界を味わいたい人は手に取る価値あり。トルコに行ったことのある人行ってみたい人は是非とも!

    正直言うと俺には少し濃密すぎた。読み終わった時も小説の世界に浸ったというより、最後のページまで読み終えた達成感に満足を覚えてしまい、それは読書じゃなく、苦行の域に属するもので…。

    心と時間の余裕、何よりもイスラム細密画の世界にとっぷり1カ月くらいかかって浸ってやろうってな気持ち、これらが足りない俺には。この本の神髄は理解しきれていないのかもなぁ…。残念なのは小説ではなく、読書スキルの追いつけなかった俺である。

  • 『わたしの名は紅』って題名に「ゴレンジャーかい」とつっこみたくなった。章が変わるたびに、話者が交代し、話者の一人称視点で物語が語り継がれてゆく。表題の「紅」というのは、色の赤のことである。主題を担っている細密画に使われる塗料の色であることはもちろん、血の色でもあり、その他諸々のこの世にあるすべての赤を代表している。色が語り手?といいたい気持ちは分かる。しかし、色だけではない。金貨も犬も語り手になるし、悪魔だって一章を担当している。だいたい、死んでゆく人物が、今まさに死につつある状態を実況中継する。いわば何でもあり、なのだ。

    かといって、これは寓話ではない。殺人者を追うミステリだし、子連れの寡婦をめぐる三角関係を描いた恋愛小説でもある。いやそれ以上に、ほとんど変化というものを知らなかったトルコの細密画というジャンルが、遠近法や肖像画という未知の技法や主題を有する西洋絵画と出会うことで起きたアイデンティティ・クライシスについての葛藤を、細密画師の口を借りて元画家志望の作家が詳細に論じた美術批評でもある。さらには、隣接する諸国家との絶えざる争いにより、最も強大な時には遠くヨーロッパまで版図を広げていったトルコという国の戦乱の歴史の概説であり、『千夜一夜物語』をなぞるように入れ子状に配された、細密画の挿絵の素材となる美男美女の悲恋やスルタンと寵姫の愛の物語でもある。

    すっきりと、こんな小説と言い切ることが難しいのにはわけがある。ミステリを例に取れば、通常、視点は探偵側にある。読者は、視点人物である探偵の視点にそって語られる物語を読むことで、探偵側に感情移入しつつ物語の中に入ってゆく。近代絵画を例にとるなら、フーコーが『言葉と物』の冒頭、ベラスケスの『ラス・メニーナス』を引いて論じているように、その絵が誰の目から見られたものなのかが問われなければならない。なぜなら、神が死んで以来、世界は人間の目で捉えられるものとしてわれわれの前に存在しているからだ。

    イスラム教を奉じる16世紀のトルコでは、世界はアラーの目から見たように描かれねばならなかった。当時のトルコ人にとって、西洋絵画が発見した遠近法は、いわば犬の目の位置に視点を置いた画法であり、到底受け入れることのできない不遜な画法とされていた。そのトルコにあって、ヴェネツィアで肖像画を見てきた高官エニシテにスルタンがひそかに命じ、新たな技法を駆使した細密画を描かせていることが、宗教的な過激派の間で問題になっていた。実際にその絵画制作に携わる細密画師が絵師仲間に不安を打ち明けたことが殺人を引き起こす発端となったのだ。

    宗教的な異端審問に発する殺人事件を扱ったミステリとしては、ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』が有名だ。山間の修道院を舞台に、フランシスコ派の修道士とその弟子が連続殺人事件の謎を解くように、パムクの小説では、王宮の奥深くにある収蔵庫に籠もって、古写本の山のなかから手がかりとなる馬の絵を探すのは、細密画の名人オスマンと義父エニシテを殺されたカラの二人。トルコの細密画が、蒙古やペルシアの影響を受けながら今に至る変遷を様々な資料を挙げながら解説を加えるオスマンの話は、名人によるトルコ細密画史ともいうべきもので、圧巻である。

    一方で、十二年前に結婚を申し込んで断られ、諸国を放浪し、様々な仕事に従事しながらもイスタンブルに戻ったカラと、エニシテの一人娘シェキュレとの結婚にいたるまでの経緯を描くサイド・ストーリーの方は、露骨な性愛描写を避けることなく、とことん通俗的に描かれる。というのも、章が変わるたびに視点が転換されることで、女の利己的な思惑がさらされてしまい、恋する男の視点から描かれる美しい恋人の像は、二人の子を持つ母の立場で結婚相手を誰にしようかと考える女の打算や二人の男から求愛されることへの快感をそのまま見せることにより、相対化される。

    しかも、その間に、事件の犯人と疑われる秘密の細密画を描く絵師三人それぞれの細密画に対する考え方が、三つの挿話という形式で語られる。実は犯人は「人殺しと呼ぶだろう、俺のことを」というタイトルを冠した章において、何度も殺人のあらましについて語っている。読者は、名を明かしていない細密画師である犯人を、それぞれの考え方や論じ方を手がかりに、探しあてなければならない。これは、そういう論理パズルの側面も持つミステリなのだ。

    それだけではない。手がかりとなる絵に描かれた馬だけでなく、犬やら死やら悪魔まで、一章を任された話者の御託に読者はつきあわねばならない。なぜなら、この小説自体が一枚の絵の中に人物だけでなく動物や小鳥、天使といった画像を稠密に配した細密画をなぞっているからだ。一人の人物の視点から世界を透視してゆくような、近代西欧的理知による見通しのいいパースペクティブを、この小説は付与されていない。近代西欧の発見による人間を主とするイデオロギーが主流になる以前のトルコを舞台にとるかぎり、それは当然のことである、と作者は考えたのだろう。アラーの前においては、馬も犬も人間も悪魔も何のかわりもない。すべては相対化されてしまう。

    ふつうだったら主人公であるはずのカラをふくめて主たる登場人物に精彩がなく、かえってシェキュレと義弟ハッサン、カラの仲を取り持つ小間物屋の太ったユダヤ女エステルの方が生き生きと描かれているのは、彼女だけがイスラム世界から自由に生きているからかもしれない。少なくとも、作者はそう感じているだろうことは、読んでいてはっきり伝わってくる。このユダヤ女は、細密画の窮屈な世界にちんまりとおさまるには近代人的過ぎる。

    オルハン・パムクを日本に紹介するに当たって訳者の果たした役割の大きさは評価されるべきだろう。ただし、読んでいる途中でくびをかしげたところは少なくない。おそらく原文に忠実な訳を意識されたのだろうが、日本語として読み辛い。幸い今は他の出版社から新訳が出ている。これから読む読者は、そちらを選択することも可能である。

  • 16世紀末、オスマン・トルコ帝国の、スルタンの細密画工房に使える絵師たちを描くこの小説は、それ自体まさに細密画のような、絢爛で奥行き豊かな歴史ミステリーだ。
    目次を眺めるだけで、もうわくわくしてくる。”優美さん”、”蝶”、”オリーヴ”、”コウノトリ”と呼ばれる絵師たち、彼らの忠誠を要求する名人オスマンと、ヨーロッパ絵画へ誘うエニシテという対象的な「父親」たち、「探偵」を演じるカラと、彼を翻弄する美女シェキュレ、狂言回しエステル、さらには、犬や木や馬、悪魔など、絵に登場するさまざまなものたちまで、多様な声たちが重層的に物語を織り成していく。
    殺人事件と油断のならない恋をめぐるエンターテイメントであると同時に、人間を中心に置くヨーロッパのスタイルに脅威をおぼえつつ惹かれる絵師たちそれぞれの語りを通じて、世界を表現する芸術の営みとは何か、美のために生涯をささげる献身と、それにつりあわない評価について、異なる思索がはりめぐらされる。優れた絵を眺める眼が感じる喜びのように、物語をたどる愉しさを心ゆくまで味わうことのできる贅沢な小説だ。

  • 16世紀末のトルコを舞台とした細密画家の小説。ミステリや恋愛の要素もあるが、やはりこの小説は「芸術小説」とでも呼ぶのがふさわしい。膨大な細密画に関する知識がちりばめられ、それを軸に構成された小説は、重厚な作品世界を構成している。小説作法としても、非常に多くの人の視点へとコロコロと変わって語られるのもユニーク。
    だが、この小説の最も優れている点は、なによりも「死」の描写だと思う。エニシテの死の場面はそれだけでも一読の価値あり!もちろん俺は死んだことはないが、この場面を読んで「ああ、死ぬ時ってきっとこうなんだろうな」と感じた。作者の想像力に感嘆する。

  • 2021.07.02 図書館

  • 一つには絞れない様々なテーマがこの作品を形作っているのだと思うが、私には特に「抗えないものに飲み込まれるとき、人はどう思いどう動くのか」ということを考えさせられた。

    ベオグラードの人民博物館を訪れた際、正教会の伝統的なイコン美術が時代が下るにつれて西洋の新古典的な絵画スタイルに侵食されていくのを見て物悲しい気持ちになったことを思い出した。

    イコン職人たちも黙って自分の立場を明け渡したわけではないだろう。そこにあったであろう葛藤や怒り、無力感、そんなものを考えさせられてしまった。

  • 読了した自分をホメてあげたい。部厚がその「障害」であったワケではない(その理由は他のヒトの評にも散見されるもの)。殺人の動機に関わる部分(というか関わるさま)にエーコ『薔薇の名前』が連想された。語り手(語り口)がめまぐるしく代わって魅力ある物語世界(世界観)の拡がりやその多彩が想像されるのでその、そのうち新訳版で再読したい。
    同著者の旧訳『雪』も読了まで難儀したが、訳者の異なる『白い城』では稀有の豊潤な物語を堪能(耽溺)できた。

  • 2006年にノーベル文学賞を受賞したトルコ人の作家の代表作。
    「世界32言語に訳されたベストセラーで、著者の最高傑作」と帯にある。

    舞台は16世紀のイスタンブール。細密画師の殺人事件をめぐる歴史ミステリーである。解説の焼き直しになるけど、この小説の魅力は、第1にミステリとしておもしろい。「犯人は誰か」という興味で最後まで飽きない。第2に16世紀のイスタンブールの人々や社会が描かれ興味深い。日本では戦国時代だったんだとか思うと、当たり前だけど全然違っていて、新鮮である。第3に恋愛小説としてのおもしろさ。私は恋愛ものは苦手なのだけど、最後の部分に結構心が動いた。第4に、人々の芸術観が迫力をもって描かれるところである。作者が画家を目指していたこともあり、薄っぺらい芸術論ではない。

    形式も変わっている。59の章は一つ一つ語り手が変わっていく。例えば1章は「わたしは屍」、31章は「わたしの名は紅」という風に。31章の語り手は「色」である。

    この小説で作者はノーベル賞を受賞したと言われている。ミステリーとしても読めて、しかもまぎれもなく重厚な文学。正直疲れたけど、良かった。

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著者プロフィール

オルハン・パムク(Orhan Pamuk, 1952-)1952年イスタンブール生。3年間のニューヨーク滞在を除いてイスタンブールに住む。処女作『ジェヴデット氏と息子たち』(1982)でトルコで最も権威のあるオルハン・ケマル小説賞を受賞。以後,『静かな家』(1983)『白い城』(1985,邦訳藤原書店)『黒い本』(1990,本書)『新しい人生』(1994,邦訳藤原書店)等の話題作を発表し,国内外で高い評価を獲得する。1998年刊の『わたしの名は紅(あか)』(邦訳藤原書店)は,国際IMPACダブリン文学賞,フランスの最優秀海外文学賞,イタリアのグリンザーネ・カヴール市外国語文学賞等を受賞,世界32か国で版権が取得され,すでに23か国で出版された。2002年刊の『雪』(邦訳藤原書店)は「9.11」事件後のイスラームをめぐる状況を予見した作品として世界的ベストセラーとなっている。また,自身の記憶と歴史とを織り合わせて描いた2003年刊『イスタンブール』(邦訳藤原書店)は都市論としても文学作品としても高い評価を得ている。2006年度ノーベル文学賞受賞。ノーベル文学賞としては何十年ぶりかという

「2016年 『黒い本』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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