- Amazon.co.jp ・本 (257ページ)
- / ISBN・EAN: 9784894347182
感想・レビュー・書評
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パムク氏の『雪』を、以前読んだことがあったが、途中で挫折してしまった。それ以来、パムク氏の作品は遠慮していたのだが、先日市内の図書館に行くと200ページ余りの読みやすいボリュームのパムク氏の作品があるのを見つけた。実際に手に取ってみると、文章も読みやすい。それで借りてきたのが、この作品だった。
17世紀に、オスマン帝国で『師』と言われる男の奴隷となった西洋人の物語である。西洋と東洋、他者と自己、愛と憎しみなど様々なテーマをはらむ小説であるけど、単純に異国の地で奴隷としながら生涯を送った男の話としても、面白い。物語の中の物語という構成をとっているメタ小説でもあり、自分好みの小説でもある。一読してすぐに読み直したいと思わせた小説であった。ラストの客人が見た窓の外の風景がなんであったのか、私も物語の中の客人のようにページをめくったのである。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
17世紀の地中海、イタリア人の「わたし」はオスマン・トルコの海軍の捕虜にされてイスタンブルに連行され、自分とうり二つの外見を持つ「師」と呼ばれる学者の奴隷となることから始まる奇妙な、というよりほとんど奇矯な分身もの。周囲を「愚か者」と呼んではばからない「師」は(その名に反して)「わたし」から西欧の科学や思想の深奥を吸収しようとし、「わたし」は当初は望郷の念にかられながら、後には師に対する優越感や共依存の中で相手に自分について書くことを使嗾し、そのうちに二人の自我は溶解し、次第に入れ替わってゆく。新兵器とともに皇帝の遠征に随行し、地元のキリスト教徒やイスラム教徒に犯した罪について片端から審問してゆく「師」の姿は、グロテスクで印象深い。
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邦訳は2009年だが、オルハン・パムクの出世作と言われる古い作品。
主人公はヴェネチア生まれの人。17世紀のオスマン帝国で捕虜となる。このあたりの歴史を知らないので、物語に入っていきづらいのは否めないが、トルコ人の学者との奇妙な交流は、マジック・リアリズム的であり、面白い。 -
17世紀、オスマン帝国に捕らえられ、奴隷となったヴェネツィア人の「わたし」が、自分とそっくりな「師」と呼ばれる学者に奴隷として買い取られ、奇妙な共同生活を始める。
皇帝に献ずる様々な機械や兵器の発明と、物語の著述に打ち込む彼らは、一心同体の存在に。
やがて「自分は何か?」という哲学的な疑問にぶち当たった二人は、自己の素性や罪を著述し、相手を理解し合いながら、互いの自我が入り乱れる。
二人の葛藤や憧憬は、そのまま西洋と東洋の衝突でもある。
そのせいかこの二人、仲がいいんだか?悪いんだか?w
皇帝メフメト4世や、歴史に名高い「第二次ウィーン包囲の失敗」などの史実も織り込まれており、宰相だけでなく筆頭占星官の役割の大きさも描かれています。
2006年度のノーベル文学賞受賞者、オルハン・パムクの名を決定的に高めた出世作。
ただし作者の他の作品に較べると、トルコ人の文化や生活様式の描写が少ないです。
ニン、トン♪ -
なんとも不思議な読み心地。
17世紀後半のオスマン帝国を舞台に、海賊に捉えられ奴隷となったヴェネツィア人の「わたし」と、その主であるトルコ人学者(師と呼ばれている)との相克を描いた小説なのだが、読者である私たちには、予めこの物語の成り立ちが知らされている。物語のなかで起こったとされている出来事が史実とは一致しないことも。こうした知識によって、読み終わった後も「わたし」について、彼の語ったとされる物語について、いつまでも思いを巡らせるはめになる。
枠内の物語についていえば、師に対し憎しみや優越感を感じていた「わたし」がやがては「師」のように感じ考えるようになりたいと望み、それとともにまるで自己が失われたかのように、師と自分が同化していくように感じる気持ちの揺れが、濃密に、幻想的な筆致で描かれている。
題名となった白い城は、物語終盤でほんの数行で描き出されるだけなのだけれども、仰ぎ見ることはできても決して到達することはできないものとして描き出されている。純白の旗が翻り、鳥が舞う、光り輝く城のイメージは鮮烈で美しい。
鮮烈といえば、師の人物像もまた同様である。
癇症で移り気。強烈な知識欲をもち、現状に留まることを潔しとしない。常にここよりどこかを捜し求め、頭の中にはいつも新しいアイディアがうずまいている。現状に満足し向上心や向学心に欠ける周囲の人々(つまりは自分以外)を“愚か者”と断じてはばからず、その舌鋒の鋭さは皇帝にすら向けられる(もちろん内々にだが)。乱暴な言い方をすれば、非常に西洋的な気質を備えた人物なのである。
一方の「わたし」はといえば、かつてはそのような気風を持ち合わせていたかもしれないが、奴隷となった後は、変化を厭い現状に満足する“臆病”で受動的な人間として描かれる。
お互いになりかわったとしたら何をしたいかという問いに、師の方はいとも易々とヴェネチアでの自分の姿を思い描いてみせたのに対し、「わたし」の方は何一つ思い浮かべることができなかったというエピソードにも二人の相違が際立つ。
二人の入れ替わりに関しては、顎鬚はどうしたのだ、宗教的折り合いはどうつけたのだ、と疑問に思わないでもないのだが。
“なぜ、わたしはわたしなのだろうか”という師や皇帝の問いに、わたしはわたしであるから・・・と心のうちでひっそりつぶやいていた「わたし」。
ラストの印象的なシーンは、人は人になりすますことはできても、なりかわることはできないのだ、ということを静かに告げているように思える。
Beyaz Kale by Orhan Pamuk -
パムクらしいテーマです。「紅」と比べると物語の広がりが乏しいし、せっかく歴史を扱ってるのにそのあたりの楽しみというか、歴史ものでないと出せない世界観が少なく、歴史がシチュエーション程度ですまされているのが残念です。
が、あくまでそれは「私の名は紅」とくらべてのこと。
ある意味、もっともパムクらしい小説かもしれません。 -
独特の語り口と世界。淡々として饒舌、哲学的で、奴隷のわたしと師と皇帝との関係がとても興味深い。単純に西と東とは言えないが、文明、文化のせめぎ合いのようなものも息苦しいほどである。そして、全体に美しい。白い城は何の象徴だったんだろうと考えさせられた。
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パムク氏の小説は、きれいで迫力もあって、ファンなのですが、日本語が難しいように思った。英語でも読んでみたい。