- Amazon.co.jp ・本 (456ページ)
- / ISBN・EAN: 9784894348554
作品紹介・あらすじ
福澤諭吉‐丸山眞男らの近代日本理解を批判。通説を覆す気鋭の問題作!徳川期は旧弊なる儒教社会であり、明治はそこから脱皮し西洋化する-という通説は誤りである!明治以降、国民が、実は虚妄であるところの"主体化"によって"序列化"し、天皇中心の思想的枠組みを構築する論理を明快に暴き出す野心作である。
感想・レビュー・書評
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朝鮮哲学の立場から見た日本の近代化を語ったもので、非常に貴重なものといえる。読んでいて、朝鮮贔屓という印象を少々感じたのだが、最後の部分ではそれを否定していて、朝鮮の意識が人間の自然な在り方に対して阻害する要因となっていることを指摘している。
私としては、日本は朱子学の影響を免れてよかったと思っているのであるが、どうだろうか?詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
【簡易目次】
目次 [001-006]
凡例 [008]
第1章 朱子学化する日本近代 009
第2章 儒教的〈主体〉の諸問題 043
第3章 朱子学の論理的始源 063
第4章 朱子学的思惟〉における〈主体〉の内在的階層性 091
第5章 〈主体〉と〈ネットワーク〉の相克 115
第6章 〈こころ〉と〈ニヒリズム〉 153
第7章 〈主体〉、〈ネットワーク〉、〈こころ〉、〈ニヒリズム〉 185
第8章 国体論、主体、霊魂 221
第9章 明治の「天皇づくり」と〈朱子学的思惟〉――元田永孚の思想 251
第10章 福澤諭吉における朱子学的半身 273
第11章 〈逆説の思想史〉が隠蔽したもの――丸山眞男における朱子学的半身 291
第12章 「主体的な韓国人」の創造――洌巖・朴鍾鴻の思想 317
第13章 司馬遼太郎の近代観と朝鮮観――朱子学理解をめぐって 349
第14章 白馬の天皇のあいまいな顔――儒教・カリスマ・近代 371
第15章 おわりに――日本近代とは何だったか 393
注 [413-442]
あとがき(二〇一二年四月 京都にて 小倉紀蔵) [443-447] -
(※未読&私的メモ)
2012/7/22、東京新聞9面より。「西洋化という通説を否定」との見出し。
多少タイトルに誇張が見られるものの、意外性のある視座は一見の価値ありとのこと。
また、加地伸行『儒教とは何か』(本棚登録済み)との合わせ読みも勧められていた。