読む経緯:志村さん宅遺品に蔵書あり。エジソン機について記述があるか確認。
600ページを超える伝記物であるためなかなか全てをくまなく読むことは難しいので、謄写版関係に絞り読み進める。
こういう時にキーワード索引があるのは大変助かる。
日本の謄写版の元となったA・Bディックに関しての記述は非常に少ない。ただ、他の共同ビジネスを行っていた人物よりも信頼は得ていたようで、電針式の「エレクトリックペン」「ファイルプレート式」の特許は販売した先から買い戻してまで、ディックに謄写版絡みの販売譲渡させている。
ファイルプレート式の既述はこの本には全くなかったのだが、エレクトリックペンも然り、謄写版絡みの発明はエジソンの完全オリジナルではない。
エレクトリックペンに関しては25年来の付き合いがあったチャールズ・バチェラーの功績が大きい。バチェラーによるスケッチも残っている。しかし、エジソンとなっているのはバチェラーがかなりエジソンを立てる人物であったことが記載されている。(A・Bディック社史によると)同様の理由で、A・B・ディックも自身でファイルプレート法を発見していたが、エジソンから承諾会得し、さらにエジソンのミメオグラフとすることで自身の立場をとっていた可能性が高い。
ちょうど堀井がシカゴ万博へ赴いた1892年前後はエジソンは電流戦争然り、蓄音機戦争然り、息子たちの問題などと常に争っていた。
近年堀井家資料で発見された手紙関連絡みで見ておきたい人物としてJ・V・ミラーである。公開資料では秘書となっているが、それ以上の情報として、2番目の妻マイナの弟である。トム・ジュニアやウィリアムレスリーといった子供達とは年はそう変わらないのであるが、幼い頃から非常に可愛がっていた記述があり、非常に優秀であった人物であった。