映画の見方がわかる本: 2001年宇宙の旅から未知との遭遇まで (映画秘宝COLLECTION 22)
- 洋泉社 (2002年8月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (253ページ)
- / ISBN・EAN: 9784896916607
感想・レビュー・書評
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以下引用。(途中)
そんなシュレイダーは『暗殺者の日記』を読んで感銘を受けた。それは、ドストエフスキーが自意識過剰ゆえに世間を避けて自室に引きこもった男を描いた『地下室生活者の手記』を読んだときと同じものだった。それから十日間で、シュレイダーは一気に『タクシードライバー』のシナリオを書き上げた。
シュレイダーはシナリオを『愛のメモリー』(七六年)で組んだブライアン・デ・パルマ監督に渡したが、デ・パルマはマーティン・スコセッシを推薦した。スコセッシは『タクシードライバー』に熱狂した。また、デ・パルマとスコセッシの親友ロバート・デ・ニーロが、何が何でもトラヴィスを演じたいと申し出た。(p.173)
全編をトラヴィスの視線だけで統一している『タクシードライバー』のなかで、このシーンともう一つだけがトラヴィスの見た映像ではない。もう一つは、ベツィがパランタインの選挙事務所に入り、ボーイフレンドのトム(アルバート・ブルックス)と会話するシーンだ。ベッツィにはトムがいる。アイリスにもスポーツがいる。そんな幸福から閉めだされている一人ぼっちのトラヴィス。(p.182)
『ゴッドファーザー』(七二年)で着弾効果を変革した特殊メイクの虚証ディック・スミスがその天才的テクニックを駆使した血みどろの銃撃戦だ。(p.184)
スポーツはシュレイダーのシナリオでは黒人になっていた。実際、街娼は黒人も白人も、黒人のヒモ(Pimp)が仕切っていたからだ。
七〇年代初めはブラック・パワーの時代だった。ソウル・ミュージックとブラックスプロイテーション映画が白人をも魅了した。リズム感、ファッション・センス、陽気さ、そして巨大なペニス。黒人男性は最もセクシーな存在とされた。内気でダサくて青白いトラヴィスのような白人は「すべての女を黒人に盗られてしまう」という脅迫観念に襲われた。「クロンボに女を寝取られた」と言ったスコセッシのように。(p.184)
トラヴィスは時代遅れのカウボーイだ。六〇年代終わりの公民権運動で少数民族の地位が大きく向上すると、黒人やインディアンを土人扱いする冒険活劇や西部劇は作られなくなった。公民権運動とともに女性の地位向上運動、いわゆるウーマン・リブも起こった。女性はベツィのように職場に進出し、ピル(経口避妊薬)の解禁で主体的にセックスを楽しむようになった。アイリスは古臭い女性観を押しつけるトラヴィスにウンザリして「ウーマン・リブって知ってる」と聞くが、トラヴィスには何のことかわからない。また、六〇年代に反戦運動をしていた学生たちは、ヒッピーを卒業してヤッピー(リッチなホワイト・カラー)に成長しつつあった。ベッツィのボーイフレンドのトムはヤッピーの典型、しかもユダヤ系である。
黒人、インディアン、ユダヤ系、女性、インテリ学生……みんな偉くなって楽しそうだ。取り残されたのはオレだけだ! トラヴィスのウェスタン・ブーツが象徴するのは白人ブルーカラーの屈辱とノスタルジアだ。彼らは西部劇を愛し、カントリー&ウェスタンを聴く。マッチョな白人男がヒーローだった時代を懐かしんで。(p.186)
ジョージ・ルーカスの妻マーシアの手で編集された『タクシードライバー』の初号試写を観て、コロムビア映画の首脳スタンリー・ジャッフィは腰を抜かした。「狂っている」
彼はスコセッシを呼びつけると、クライマックスの銃撃戦を編集し直すよう命じた。
「このままでは成人指定になってしまう。それにトラヴィスが胃の薬をコップの水に溶かすクローズアップはいらん。薬のコマーシャルじゃないんだぞ」
スコセッシは激昂した。
「あれはゴダールの『彼女について渡しが知っている二、三の事柄』(六六年)へのオマージュだ!」
「ゴダールなんて知ったことか!」
怒りに顔面蒼白のスコセッシは自宅に帰ると親友のデ・パルマとスティーヴン・スピルバーグ、それにジョン・ミリアスを電話で呼び出した。「き、緊急事態だ!」
スピルバーグたちが部屋に飛び込むと、砕けたガラスの破片が散乱する床で、スコセッシが泣き叫んでいた。彼はミリアスに言った。
「銃を貸してくれ! コロムビアの野郎どもを撃ち殺してやるんだ! 殺してやる! 殺してやる!」
結局、銃撃シーンの現像を荒らして、血が生々しく見えないように退職させることで『タクシードライバー』は成人指定を免れた。しかし相変わらずこの映画を嫌っていたコロムビアは、七六年二月、小規模の劇場で投げやりに公開した。(pp.187-188)
公開当時、『タクシードライバー』はベトナム後遺症を扱った映画だとされたが、トラヴィスを帰還兵に設定したのは銃撃戦にリアリティを持たせるためでしかない(ブレマーは銃撃がヘタクソだった)。実はベトナムは重要ではない。冒頭の面接でトラヴィスが元海兵隊員だと知った面接官が「オレもそうだ」と気にも留めない場面からそれは明らかだ。
ヴェトナム戦争とは無関係にトラヴィスのような男は存在する。一九三八九年、岡山県で起こった津山三十人殺し事件はその典型だ、過剰な自意識ゆえに人を遠ざけた男が「今に見ておれ」と大量虐殺を起こした。はるか江戸時代には、遊女に冷たくされた孤独な男が遊郭で人を切りまくった「吉原百人斬り」事件がある。最近では、バスをジャックしたネット中毒の少年、歌舞伎町の裏ビデオ屋爆破を企んだ引きこもり少年がトラヴィスの仲間だろう。(pp.188-189)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
(チラ見!)
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タイトルにある映画の見方というよりは、映画が作られていく過程をレビューしながら、その作品がなぜ重要なのか、という点について説明している本。取り上げられている作品は誰でも知っているような有名作だが、その成り立ちはあずかり知らぬことばかり。監督の生き様と作品がオーバーラップしていく様はとにかく見事。その中でも特にロッキーの項は白眉。
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僕自身は「すべての作品に誤読はない」と思っているので本書の冒頭で「製作過程を辿らないと、勝手な思い込みや誤読に陥る危険がある」との一文には衝撃を受けました。取り上げられている作品はどれも超有名なものばかりなのでおいてけぼりはありません。ちなみに最近、著者がTwitterで来年あたりに本書の改訂版を出したいとおっしゃってました。
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解説にじめじめともったいぶったところがなくて実に爽快にばさばさと進んでいく。むしろ速すぎて追いつけないくらい。
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ずっと前から気になっていて、やっと手にとって読んだ本で、面白かったです。
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とても素晴らしい解説本だった。
映画の時代背景、込められたメッセージとその切実さが読んでいて、同時に映画を思い出し、再び感動してしまうという映画と読書の組み合わさったような体験をすることができた。
特に面白かったのは「2001年宇宙の旅」と「猿の惑星」、「タクシードライバー」、そして「ロッキー」。
うろ覚えだった映画もたくさんあり、また見なければならないなと思わせられた。
70年代に始まった映画の「革命」は80年代にはマーケティングを駆使した「製品」となってしまったと本書では書かれている。70年代の「革命」の中で様々な作品が、当時の価値観に対する抵抗を試みた。その切実な、激しいメッセージが作品の端々に宿っているのだと知ることができた。そのテーマは様々で、人種差別問題、戦争と平和、正義、自由、平等などである。そして、それらは人間は進化しているのかという疑問につながり、進歩しない人類の愚かさまで含んだ人間という存在について踏み込んだ話にまで映画を通じて語っている。
そして、人類全体の普遍的な話にまでいった後に「タクシードライバー」では、孤独な人間の、人間個人が抱えうる深い絶望の話になるが、「ロッキー」では、そこから見えるわずかな希望をつかみ取る話にもっていっている。
この本を読んでから、そうした映画の歴史を踏まえ、そこに込められた切実なメッセージを今まで以上に受け取ることができるようになった。
もう読んでいない状態には戻れなくなってしまった。
もう映画を積極的に見るしかなくなってしまった。
もう映画を一つの作品として込められたメッセージを読み取ろうとする観客になってしまった。
町山智浩の映画に対する愛情にやられてしまった。
本当に素晴らしい本です。 -
取材や資料を元にした解説本。取り上げられている作品はどれも名前ぐらいは聞いたことのあるだろう名作ばかり。
製作過程上のハプニングやちりばめられた小ネタやパロディだけでなく、映画が作られた時代がどういう時代で、監督がどういう人物でどういう経験をしてきたのかというところにまで調べている。
映画を見てから解説を読むことで、あのシーンのあの表情はこういうことを考えていたのか、という新たな気づきがある。