自閉症裁判―レッサーパンダ帽男の「罪と罰」

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著者 : 佐藤幹夫
  • 洋泉社 (2005年3月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (318ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784896918984

自閉症裁判―レッサーパンダ帽男の「罪と罰」の感想・レビュー・書評

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  • 何かしら犯罪を犯して服役している受刑者のうち、知的障害を持った受刑者は少なからずいるのだという話は、今までに読んできた類似した本のいくつものなかで言われていたことだ。
    それは決して、知的障害や発達障害があることが即犯罪を犯すことにつながるのではなく、リスク要因になりやすい、ということだ。それはそういった人びとの障害の特性たるゆえんであると言える。

    本書のなかで幾度も取り上げられる被告人質問の回答の仕方に始まり、彼の行動特性や過去の所業など、どれをとっても明らかに発達障害の特徴を示していることがよくわかる。
    裁判での発達障害の特性を理解しない紋切り型のやり取りに、もどかしさを感じないではいられなかった。

    著者も言うように、決して障害があるから刑を軽くしてくれ、とかそういうことではなく、現実として、こういう司法の場が弱者に非常に不利であること、現実社会での社会的保障が不十分なために、服役して社会に戻ってきてもまた同じような間違いを犯してしまいがちであること、真に罪の償いをさせるためには自分の犯した罪の意味と重さをしっかり受け止めさせるべきであるのに、今の日本の社会にその機能がないために、単に「切り捨て」「厳罰」に処して良しとしてしまう、それでは再犯防止、同様の悲劇を繰り返さないための方策にはまったくならないということ。
    これらのことを、警察や裁判所も含め、社会全体で何か手を打たなければ、また同じような悲劇が起こり得る。

  • 2005年刊。浅草女子短大生殺人事件(いわゆるレッサーパンダ帽事件)は自閉症者の刑事裁判として一部で注目された事件。本件は、福祉が届かず、学校教育からもはみ出し、刑事手続においても、その障害特性の理解を得られないまま、十分な審理を尽くしたか疑問を残しつつ控訴取下げで実刑判決が確定した。その実像を、障害者の視点、被害者の視点を併せ、公判手続の進展に即してルポする。個人的には著者一の書と見ている。捜査機関の取調で任意性のある供述は不可能なのに、その点は公判手続でも十分検討されたとはいえないように感じている。
    逆に本書からは、乳児・幼児期の療育・教育こそが重要であること、福祉的な継続的支援の必要性を看取できる。事件発生を皆無とすることは至難であるが、福祉的な支援があれば、その発生頻度は相当程度減少できるのではないか。

  • 本書は障害と刑罰についての公正さについての問題提起がされている。「自閉症」という障害がある中で、本書のような事件が起きたとき、取り調べの現場では何が起きているのか。オブラートに包んだ表現で記されてはいるが、そこに公正さがあったのかどうについて、公判の内容や「自閉症」という障害特性を踏まえた上で疑問を投げかけている。そして、障害について無理解なままの取り調べがどういったものであるか、人権侵害であると捉えられてもおかしくないのではないかと感じた。
    更に、公判の場でも被告人の世界観とその他検察、裁判官の世界観のずれが感じられた。唯一被告人の世界観に寄り添っているのは弁護人であった。しかし、判決は検察側のストリーを全面的に認めるような内容になってしまった。量刑の問題ではなく、判決理由についての問題提起がされている。
    つまり、「自閉症」という障害自体をどう捉えるのか。これに対して、判決は健常者と変わらない動機付け、つまり被告人の世界観ではなく、裁判官、検察の世界観に基づいた判決を下している。被告人の世界観に基づいた判決の上での量刑ではない点に大きな問題がある。
    また、検察の世界感自体に疑問を呈している。ストーリに無理矢理に当てはめる調書の取り方を是をした判決になってしまった。「疑わしきは被告人の利益に」がまかり通らない日本の司法のあり方に読んでいて疑問を抱かざるをえなかった。
    このような痛ましい事件が起こらない為には、
    孤立→犯罪→有罪判決→出所→孤立→再犯、、、、この負のスパイラルを断ち切る支援ができるかどうかにかかっているのではないかと切に感じた。
    そのためにも作者は、知的ハンデや発達障害のある容疑者に対して、
    ○取り調べの可視化
    ○取り調べ段階に置いて弁護士または福祉関係者の立ち会い
    ○出所後の福祉支援を制度化すること
    そのうちのどれかひとつでも果たされるなら事態は変わるだろうと記している。

    加害者、被害者、両側への丁寧な取材を通して描かれているのはまぎれもなくそれぞれの立ち位置での現実だった。

  • だいたい権威に弱い私は、ノンフィクションライターとかフリージャーナリストとかの書いたものより、大学教授が書いたものを信頼する傾向があります。今回めずらしくジャーナリストと呼ばれる人が書いたものを読みました。(ただし図書館で注文してですが。けっこう高い本で読んでみたいけど手元に置いておくほどではというものについては、図書館になくても、どんどん注文しましょう。)それは新聞書評で見つけて、興味深く思ったからです。読んでみるとやはり、余分な記述が多く、なかなか本題に入らない(本題をオブラートで包んでいるよう)ので少しイライラしました。けれども、犯人であるところの男の生い立ち、家族のことなどよく分かりました。何度も犯罪を繰り返していながら、どうして人一人が犠牲になるまで周りが動かなかったのか。社会の仕組み自体の問題も感じます。同時に被害者の立場に立って、その家族の気持ちなどを読むにつけ、どうして被害者がさらに(マスコミなどによる)被害を受けるなどという理不尽なことが起こり得るのかと憤りを感じます。著者は長年自閉症の子どもたちと接する仕事をされていました。自閉症の人たちのことを分かってもらおうと取材を始めたのだと思いますが、被害者家族と会ううちに、自分自身の立場が揺らいできているようすがありありと伝わってきます。本事件は大量殺人ではありませんが、その犯人の異様な姿が話題にのぼったため、記憶に残っている方も多いかも知れません。マスコミは当初大きく騒ぎ立てましたが、犯人が障害者であるということが分かると突然報道しなくなったのだそうです。マスコミ自体の問題点についても考えさせられます。

  • タイトルからは責任能力の問題を扱っているかとも思われたが、障害福祉に関する話題が中心。
    レッサーパンダ事件を題材に、高機能自閉症者が疎外されずに生きられる地域社会のありようや、不幸にして犯罪の加害者となってしまった場合の裁判や刑罰のありようについて述べられる。証言や調書の信憑性といったテクニカルな内容への言及も多く、福祉に対する関心がないと読むのはちょっとしんどい。

    ちなみに責任能力については弁護側も検察側も全く異論はなかったという。が、弁護側の高岡鑑定は(犯行時の責任能力についてはともかく)被告が障害を抱えて生育してきた環境、訴訟能力(通常の裁判でなく、いわば「通訳」が必要な状態ではないか)などを全般に考慮すべきという情状鑑定の立場をとっているようだ。

  •  浅草で、レッサーパンダ帽の男が、通りがかった19歳の女性を刺して死亡させた事件。犯人逮捕のセンセーショナルな報道の陰で、男が知的障害者(自閉症)であることは封殺されていた。

     公判ではうつむいたまま沈黙し、裁判官とのコミュニケーションさえスムーズにとれない男は、逮捕直後の取り調べでは「訊かれたことには、なんでもすらすらと答えた」ことになっていた。裁判では、男の障害についてはなにひとつ考慮されないまま、無期懲役が言い渡された。

     著者は公判だけではなく、被害者・加害者の周辺にまで取材し、事件を立体的な構図で描いている。とくに、この本で初めて知った加害者の壮絶な家庭環境には絶句。これほどの背景が「報道されなかった」ことに、驚きを禁じえないと同時に、恐ろしさまで感じる。そうまでして、犯人は「更正不可能な凶悪犯」でなければならなかった。

     著者自身がとまどい、悩みながら、「知的障害者による犯罪」というタブーに分け入っている。安易に用意した結論に結びつけた裁判結果とは対照的に、ひとつひとつていねいに事件の背景に迫る足取りが、この本の魅力をつくっている。

  • 障碍と裁判。減刑を求めるのでもなければ責任能力の有無を争っているのではない,自閉症の者が自閉症として罪に向き合いそして裁かれる,その難しさ。
    大石弁護士の「報告」における“<第四五回公判・論告求刑の予定が延期となった>日本の刑事事件は「疑わしきは被告人の利益に」という原則をあまりにも重んじていないことをあらためて実感しました。検察も裁判所も確実に,単純に,社会防衛,秩序維持,危険排除,変人隔離,を基調としています - P.286 第六章 裁判(七)より”ここはすごい重要なところです。
    よく,加害者が重んじられて,被害者は軽んじられている!という声を聞くが,どちらがどうではなく,どちらも重要なのだ。そして,刑が確定すると人権が著しく制約されるのだから,加害者に慎重になるのもこれは当然のことだろう。これを許すと言うことは,いずれ自分が不利益を被りかねないということを表している。
    “この判決の意味はなにか。被告を「社会から永久に排除せよ」ということに尽きる。判決をもし社会が支持するのであれば,もう二度と「ノーマライゼーション」などという言葉は口にしないほうがいいと思う。 - P.288 第六章 裁判(七)より”同じく大石弁護士の話したところだ。罪は罪として償うのは当然として,なぜそのような事件が起こったのかを社会は全くフォーカスを当てようとしない,先の危険排除を行って,ではどれくらいの人をどれだけ隔離すればいいというのか,いずれは恐ろしい社会となるだろう。この裁判はそう社会に問いかけたものであったと思う。

  • 2013年5月2日

    装丁・カバー写真/間村俊一

  • 真実を解き明かす事や被告に自分のした事を理解させ反省させるために、障害を踏まえた裁判を望んでるのに、責任能力や減刑で争ってるとしか受け取ってもらえないもどかしさ。被告よりもう少し重度の自閉症が身内にいるから、著者や弁護側の言い分もよくわかる。限られたページ数で伝えたいことをまとめなければいけない事情もあったみたい。でも、被告の身勝手な部分(同級生の女性に一方的な手紙を送り続け、結婚したいとも言っている とか)については詳しく触れられてなくて、自分の中での答えが出し辛い。もっといろんな面での事実を知りたいと思った。

  • 誰か一人が最悪の一手を打った訳では無いが、その渦は大きく大きく成長し、多くの人を巻き込んだ。その一人、加害者の妹さんの最後に涙。

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