お言葉ですが… 別巻 3

著者 :
  • 連合出版
3.54
  • (3)
  • (5)
  • (2)
  • (2)
  • (1)
本棚登録 : 54
感想 : 8
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (271ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784897722528

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  •  「週刊文春」で連載されていた著者の「お言葉ですが…」シリーズ。別巻の3巻である本書は、著者があちこちで書いた文章の集成です。

     中国文学者で、言葉について造詣が深い著者。しかも間違いには歯に衣着せず、舌鋒鋭く批判する著者。そんな著者が漢字検定の問題をやってみたというのだから、もうワクワクしながら読みました!(笑)
    《 「アヤシゲな」というのは、金がもうかりすぎて不可解な支出をしたから、というのではない。人の「漢字能力」を検定してやろうというのが、正常な感覚から見るとアヤシゲだからである。無論「検定」していただこうというほうもかなりアヤシゲである。》(10頁)
     いや、もうこれ、検定ビジネス全般に対する批判ですよね(笑)。昨今、趣味についての検定が色々華々しいですが、実用を前提とする能力の検定を趣味的に受けるのならともかく、純粋な趣味のことについて、わざわざその習熟程度を他人に検定してもらおうというのは、言われてみれば妙な話です。
     でも、純粋な趣味事について検定を受けるのは、それこそ「趣味の世界なんだから放っといてくれ」って話になるのでしょうか。そうすると、語学検定などと比較したとき、漢字検定の胡散臭さが否応なしに浮かび上がってきます。

     そもそも、漢字の問題で正解が一つしか無いというのも妙な話です。2級までは略字(常用漢字表体字)でなければ正答とみなされないのですが、著者の『漢字と日本人』などを読み、略字という奴がいかにいい加減かを知ってしまうと、略字を正解とすること自体が馬鹿馬鹿しく感じてしまいます。
     具体例は本文中に掲げてあるものをお読みいただくとして、要するに漢検とは以下のようなものだということです。
    《 二級までは、「解答には、常用漢字の旧字体や表外漢字および常用漢字音訓表以外の読みを使ってはいけない」というワクをはめてあるから、教科書なり学習参考書なりを見て適当なところをひっこぬいて、「次の漢字をひらがなで記せ」とか「次のカタカナ部分を漢字に直せ」とか問題にすればよい。
     準一級、一級となると、急に右のワクがはずれる。そうすると、問題の作り手の教養のなさ、常識のなさ、つまりは程度の低さが露呈する。漢和辞典や漢字漢文の本から、なるべくむずかしげな、自分にもわからない字やことばを拾って問題にするのだろうが、その問題がまったく無系統で断片的である。字やことばの持つ雰囲気、気分、使いどころなどを知らないから、奇妙キテレツな文章ができる。》(25ページ以下)
     今までは漢検の準一級・一級は趣味の世界だと思っていましたが、これだと間違いや怪しい知識を植え付けられるので、無益どころか有害ということになりそうです。それ以前に欠陥商品というべきかもしれません。

     白川静と藤堂明保の「論争」について書かれた文章も面白かったです。白川静を高く評価する声が聞かれる一方で、トンデモ扱いする声もあり、門外漢としては何とも判断のしようがなかったのですが、この文章を読んで状況がよくわかりました(藤堂先生の方に説得力を感じました)。

     「時と暦と広辞苑」という文章は、太陽暦(グレゴリオ暦)と満年齢換算しか知らず、それ以外について考えたこともない、という方に一読をオススメします。自分たちが当然だと思っていることを相対化し、足下から揺さぶってくれます。現代の常識そのものを疑えとまでは言いません。が、過去・歴史について考察するときに現代の物差し・価値観をあてがってしまう愚について、もう少し我々は自覚的になるべきだと思います。

     掘り出し物的に面白かったのが「声で読むのと目で読むのと」。
     「昔の人は音読していた」的な極論に対するダメ出しも面白いのですが、予想外な「へぇ!」をもらえたのが、黙読と視読の違いです。
     速読について知識がある人ならご存じでしょう。黙読とは「声を出さない音読」で、意識の中で音読しています。それに対し視読とは、文字から意味だけを読み取る読み方です。本をパラパラとめくったり、コンピュータで流れゆく文字を見たりして黙読の習慣を外す、というトレーニングがあるのですが、視読の感覚というのが今イチわかりませんでした。
     が、本書の例で「なるほど!」と目から鱗が落ちました。視読の例として挙げられていたのが数式です。
     y=ax+b や (a+b)^2=a^2+2ab+b^2 などは、計算したり問題を解くとき、一々黙読しませんよね? 数式は解くという目的が明確にあるので慣れると一々黙読したりしません。確かに数式は「視読」してるんですよね。こんなところで速読のヒントが得られるとは!(笑)

     さて、ここで問題です。『南総里見八犬伝』の作者は誰でしょう?
     私も含め「滝沢馬琴」と答えた人、それ、間違いです。間違いが広まって慣用化してきている滝沢馬琴ですが、正しくは「曲亭馬琴」です。
     馬琴の本名は「瀧澤興邦(たきざわおきくに。後に解(とく)と改めた)」です。ここで、馬琴という名前が鴎外や漱石のように、名のみのペンネームと考えた人がいるらしく、明治以降「滝沢馬琴」の名が流布したようです。しかし、例えば桂米朝(本名:中川清)を「中川米朝」、桂枝雀(本名:前田達)を「前田枝雀」とは言いませんよね? 馬琴の名は「曲亭」とセットで用いるものです。滝沢馬琴という名もそれなりに人口に膾炙し、市民権を得てきているようですが、やっぱりこういう事情を知ってしまうと気持ち悪くて使えません。
     …と得意げに書きましたが、本書で勉強させていただきました。

     今回も著者に色々教えてもらえました。『本が好き、悪口言うのはもっと好き』の解説で呉智房さんも言ってましたが、ものを教えてくれる人がいるというのは本当にありがたいことです。

  • 副題が「漢字検定のアホらしさ」なので漢字検定にまつわるテーマの本なのかと思って借りてみたら、単に様々な媒体に発表したエッセイを纏めたエッセイ集で、「漢字検定のアホらしさ」というのはそのうちの一遍のタイトル、というだけだった。
    表題作となった「漢字検定のアホらしさ」というエッセイにこんな一節がある。

    --- 引用ここから(p.13) ---
    英語検定試験というものがあるそうだ。ぼくは受けたことも問題を見たこともないからいっこうにその内容は知らないが、思うにかならずや、聞く、話す、読む、書く、の四つの方面についてその能力をためすものであるにちがいない。実用的意義は十分にあるだろう。そして、日本人であって英語ができるのも一種の学術だとすれば、学術的意義もあるだろう。
    --- 引用ここまで ---

    呆れたことにこの著者は、英語検定試験について「受けたことも問題を見たこともないからいっこうにその内容は知らない」と言いつつ、「実用的意義は十分にあるだろう」と断じている。この文章の後に「ところがこの漢字検定ときては、」と漢字検定に対する批判が続くのだが、何の根拠もなく自分の印象だけで英語検定試験を実用的意義があると断じているのを見た後では、漢字検定に対する批判もどの程度根拠があって言っていることなのか、全く眉唾にしか思えなくなってしまう。ましてや、このような根拠不明の論の進め方をしている一遍を本の表題作して冒頭に持ってくるなど、いったいこの本の編集者はどのようなセンスをしているのだろう。

  • 確かに漢検は変だ。

  • 久々に読めて嬉しい!文春連載は終わってるので、他の媒体に載ったものを集めてある。いつもながら「へぇ〜」「なるほど〜」を連発しながら読む。

    タイトルになってる「漢字検定のアホらしさ」が出色。あの出題文はちょっとどうなのかと前から思ってたけど、高島先生がずばり指摘して下さって、あ〜すっきりした!他には一高の寮歌に関するところが面白かった。「たて万国の労働者〜」が一高寮歌の替え歌だったとは!!

    出版社が連合出版に代わったので(文春とはどんなトラブルがあったんだろうか?)もう文庫にはならないんだろうな。しばらく待ってたのだがもう我慢できないので別巻1から買うことにした。ちょっと高いけど(泣)。

  • 漢字検定については、確かに日常使うわけでもない言葉を、文脈も考えないで作られた例題で試験されたところでなんぼのもんじゃいというところはあるけれど、漢字の意味を考えながら覚えていくのは楽しいのよ。
    でも勉強としては、1級や2級じゃなくてもっと下の、偏やつくり、書き順なんかをきっちり覚えなければならない3級以下の方が実用的であると思いますが。

    和辻哲郎が森鷗外の『伊沢蘭軒』を読んで、「骨董を掘り出すに比した」と評したことに鷗外が大人げなくも反論をしたのだそうだ。
    しかし若き哲学者和辻哲郎の主張は、現在にも通用するものだと思う。

    “古事記から日本人の生活の規範を探し出さうとする人々よ。古代日本に大きい価値のひそんでゐることは、何人も疑ひはしない。しかし現在の具体的な生の内に活きてゐる古代日本を明かにするのでなくては、文化に対して何の意義があるだらう。古事記から得た抽象的な概念で、逆に現在の生活を規律しやうとする者は、民族の虚栄と物質的膨張欲とに阿諛し得ても、将来の文化に対しては唯害悪を残すに過ぎまい。”

    滝沢馬琴はなぜおかしいのか。
    滝沢=本名、馬琴=戯作者名曲亭馬琴の名の部分
    山東京伝のことを岩瀬京伝というだろうか。
    十返舎一九を重田一九と、式亭三馬を菊地三馬というだろうか。
    なぜ馬琴だけ滝沢馬琴という表記が広まったのか。

    とか。

    三国志は白話(話し言葉で書かれた文章)小説であるのにもかかわらず、基本の文章は文言(中国古来の記録用の文体)であること。
    唯一、張飛のセリフだけが「白話」なので、かしこまった文章の中に、江戸っ子のセリフが混じっているような感じであること。

    とか。

    いろいろ興味深く読んだけど、一番気になったのは『警世通言』の中の一篇。「杜十娘怒沈百宝箱」のヒロイン杜十娘。
    中国の文学作品にあらわれる最もすばらしい女性だそうです。

  •  著者の高島俊男は昭和十二年生れの元漢文教師で中国文学者。ここ数年私淑していて,彼の著書はほぼ欠かさず読んでいる。去年新刊が出ていたのに気づいて読んだが,やっぱりよかった。漢字検定のあきれる無意味さを指摘,酷評していて大変に溜飲が下がる。
     著者は週刊文春に十年あまりコラム『お言葉ですが…』を持っていて,漢字や言葉,文人たちについてのエッセイを書いていた。中国文学への造詣はとても深い。三國志や水滸伝についても信頼に足る本を出していてお薦め。

  • 漢字検定や言葉についてちょっと盛り上がっていたら課長が貸してくれました。
    文春のエッセイがずっと続いていたのかと思いきや(だってそのエッセイシリーズの冠つけてるし)、中身は全然違ういろんな所で発表した(してないのもある)エッセイ群でした。
    よく見れば出版社も違うし。なんか姑息(笑)
    後半は結構長めの漢文についての話が多くてちょっと骨が折れました。

    装幀・装画 / 藤枝 リュウジ
    初出 / 『文藝春秋』2008年4月、2009年4月。『ユリイカ』2010年1月。毎日新聞1998年4月〜1999年2月。産経新聞2001年4月〜8月。他。掲載誌不明多数。書き下ろし4本。

全8件中 1 - 8件を表示

著者プロフィール

高島 俊男(たかしま・としお):1937年生れ、兵庫県相生市出身。東京大学大学院修了。中国文学専攻。『本が好き、悪口言うのはもっと好き』で第11回講談社エッセイ賞受賞。長年にわたり「週刊文春」で「お言葉ですが…」を連載。主な著書に『中国の大盗賊・完全版』『漢字雑談』『漢字と日本語』(講談社現代新書)、『お言葉ですが…』シリーズ(文春文庫、連合出版)、『水滸伝の世界』『三国志きらめく群像』『漱石の夏やすみ』『水滸伝と日本人』『しくじった皇帝たち』(ちくま文庫)等がある。2021年、没。

「2023年 『「最後の」お言葉ですが・・・』 で使われていた紹介文から引用しています。」

高島俊男の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
高島 俊男
三浦 しをん
高島 俊男
米澤 穂信
高島 俊男
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×