親愛なるキティーたちへ

著者 :
  • リトル・モア
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本棚登録 : 212
感想 : 11
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  • Amazon.co.jp ・本 (245ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784898153123

作品紹介・あらすじ

ひとりひとりが、その人生の選択の余地を、握っている。-ユダヤ人の少女、アンネ・フランク13歳。私の父、小林司16歳。戦争という同時代を生きた二人の日記に導かれ、ドイツ、ポーランド、オランダへ。死から生へと向かう、命の感触をもとめた17日間の旅。

感想・レビュー・書評

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  • 「これから生まれ来るキティーたちに向けて」


     この本は旅をする。2009年の東京から、1945年を経て、1929年のフランクフルトと弘前へと。その旅の途中で訪れる場所と時間は、さまざまに交錯しながら、現在のわたしたちへと繋がっている。
     アーティストである小林エリカの最新刊『親愛なるキティーたちへ』(リトルモア)は、幼い頃から『アンネの日記』を愛読していた作者が、2009年に父・小林司の80才の誕生日に訪れた実家の書庫で、65年前に父がつけていた日記を発見するところから始まる。そこには作者自身も知らない父親の姿、若き日の小林司がいた。
     精神科医でもあり作家・翻訳家でもあった小林司と、アンネ・フランク。父親とアンネがともに1929年の生まれであったことに気づいた小林エリカは、異なる場所で同じ時間を生き、自らの記録を付け続けていたふたりを重ね合わせた。そしてこのふたりの日記に、もうひとつの日記を付け加えることを考える。

    アンネはユダヤ人の少女だった。私の父は日本人の少年だった。  かつて、ユダヤ人たちを虐殺したナチス・ドイツと日本は同盟関係にあった。歴史的な事実を考えると、戦争の中で、彼女は死に追いやられ、彼は間接的に彼女を死に追いやったということになる。  それと同時に、彼女は私が心から尊敬し夢中になったアンネ・フランクであり、彼は愛する私の父小林司だった。(25頁)
     彼女は父の日記とともに、アンネ・フランクの人生をたどる旅に出た————その旅の間に彼女自身が記すことになる白い日記帳を携えて。本書『親愛なるキティーたちへ』は、アンネ・フランクの死と生をたどる記録であり、戦中・戦後に青春時代を過ごした父の姿を探す作業でもあり、そして小林エリカ自身がみずからの生の意味を確認する手記である。と同時に本書は、いかに個人が————読者を含むひとりひとりが————過去と現在を結び、未来への礎としての役割を担っているかを力強く物語る。「異なる時間、異なる場所で、私たちの人生の中の、ある一日は過ぎていく」(112頁)。
     
     小林の旅は、2009年3月30日に始まり、4月15日に終わる。この間に彼女はアンネ・フランクの人生を、死から生へとたどっている。すなわち、アンネの終焉の地であるベルゲン・ベルゼン強制収容所から、アウシュヴィッツ強制収容所、ベステルボルグ強制収容所、アムステルダムの《隠れ家》、フランクフルトのガングホーファー・シュトラーセ24番地、そしてアンネの生まれた場所マールバッハ通り307番地へと。小林がたどった道は逃れようのない死の瞬間から、無限の可能性を秘めた時間へと遡る旅だった。
     ベルゲン・ベルゼン強制収容所を訪れたあと、近くにあるツェレの町に戻ったときのことを、小林はこう記している。

     

    まだ旅は始まったばかりだというのに、はやくも憂鬱。
     コーヒーを甘くして飲む。歯ぎしりしながらパンを囓る。ひたすら飲んで食べる。
     石畳の広場の明るい日差しの中を大勢の人たちが行き過ぎてゆく。
     一体全体、その時代に生きていた人たちは、こんなにも無残に人が殺されてゆくのを、いったい、どうして平気で見過ごすことなんてできたのだろう。けれどどうして、そんな事態を誰一人止めることができなかったのだろう。そこに生きていた人々は野蛮人ではない。学校へ行って、本だって呼んでいた。
     わたしは憤りながら、クリームスープをスプーンですくう。
     学校へ行って、本を読むと、野蛮なんてめではないほど野蛮に、そして残忍で無関心になるのか?
     しかし、今を生きる私は、それと全く同じ問いを後に投げかけられることになるのだろうか?
     この時代に生きていた人たちは、こんなにも無残に人が殺されてゆくのを、いったい、どうして平気で見過ごすことなんてできたのだろう。
     けれどどうして、いま私たちはたったいま起きている事態を、誰一人止めることができないのだろう。(50-51頁)
    小林はこの記述の直後に、1944年7月15日に書かれたアンネ・フランクの日記を紹介している。そこにはこう記されている。

    じっさい自分でも不思議なのは、わたしがいまだに理想のすべてを捨て去ってはいないという事実です。だって、どれもあまりに現実ばなれしていて、とうてい実現しそうもないと思われるからです。にもかかわらず、わたしはそれを捨てきれずにいます。なぜならいまでも信じているからです————たとえいやなことばかりでも、人間の本性はやっぱり善なのだということを。(53頁)
    そして、1945年8月15日の小林司の日記が続く。

    朝九時頃から仕事があった。十二時十五分前重要なる放送があるといふので全員朝礼の位置に集合。時報の後放送有り。・・・想像通り露国の戦線の大詔が下つたのだらうと思って頑張るぞ!と手を握りしめた。處が「戦局我に利あらず」とか「勝算既に難し」とか云ふ言語が聞こえた。・・・音が聞こえないと同時に気が遠くなる様な気がして思はずフラフラと二三歩よろめいた。血液が頭から無くなって行くような気がする。茫然自失とはこの様な事を云ふのだらう。(54頁)
     三人の声が同時に響くとき、本作は単なるアンネをたどる単なる旅行記というだけでも、父親を理解しようとする娘の個人史というだけでもなく、小林の戦争に対する確固たる姿勢を表明した作品であることに、読者は気づくだろう。先に引用した小林の問いかけは、2001年の同時多発テロの直後に起こったアフガニスタンの空爆をきっかけに始められた彼女の反戦プロジェクト「空爆の日に会いましょう」を想起させる。空爆が行われた日は自宅に戻らず東京で「難民」として友人・知人宅に避難するという生活を133日間にわたって行った小林は、その生活の様子を『空爆の日に会いましょう』(マガジンハウス 2002年)にまとめている。彼女のその行動の原点に、アンネ・フランクと小林司がいたのだと、本書を読んで思い至った。

     死から生へ、終戦から開戦へ、時間を逆にたどる小林の旅は、より多くあった可能性へと時間を戻す旅でもある。それは、戦争を止められたかも知れない、あるいは生き延びることができたかもしれない時間へと遡ることでもある。もちろん、すでに過去は決定されてしまっており、それを変えることはできない。しかし本書を読みながら小林の旅に同行している気分になる読者は(というかわたしは)、小林に案内されながら、悲劇が起こる前へとタイムスリップしているかのような錯覚に陥るのである。ベルゲン・ベルゼン、アウシュヴィッツ、ベステルボルグを順に訪れたあと、「強制収容所はもうおしまい。足取りはほんの少しだけ軽くなる」という小林の言葉が印象的である。
     小林はアンネの死ではなくむしろその誕生に、アンネが生まれてきたことそれ自体に、意味を見出している。それはすなわち、父の人生に意味を見つけることでもあり、そして15才で亡くなったアンネの年を越えて生きる自分の生に意味を見つけることでもあると思う。あるいはすでに生まれた、そしてこれから生まれてくるはずの全ての命の意味を。

     本書刊行に先立ち、今年の4月14日から26日まで渋谷のロゴスギャラリーで「親愛なるキティーたちへ」展が開催された。そこでは、小林エリカが旅行中に描いたスケッチがアンネの日記と小林司の日記のテクストとともに展示されており、異なる時間と空間が接続される場所となっていた。そのスケッチ作品が本書にも収録されており、写真よりもはっきりと小林が何を見て何を感じたのかが、伝わってくるものだった。「親愛なるキティーたちへ」————複数形のキティーとは、小林にとってのアンネ・フランクであり、小林司である。またこの呼びかけは、これから彼女のキティーになるべく人々への呼びかけであり、これから生まれ来るキティーたちに向けられていたのだと、わたしには思われるのである。

  • なんとなくタイトルは目にしたことがあった本でしたが、作者が出演していたEテレの対談番組を見たことが手に取るきっかけになりました。

    自分が子供の頃アンネ・フランクの日記を読んで強烈な印象を持ったこと、その強烈な印象を与えた彼女と自分の祖父が同年齢であったこと、さらにアンネ・フランクが日記を書いていたほぼ同時期の祖父の日記を見つけたことが作者をアンネの軌跡をたどる欧州旅行に向かわせる。二人の日記と同じ季節の数十年後に、自身もその日記を記しながら。3者の日記が交差してとてもユニークな時間感覚でした。

    私ももちろん子供の頃、アンネ・フランクの日記を読んだのですが、一読したのみで終わっていて、今に至るまで再読することもなく、ただ「ユダヤ人のかわいそうな女の子の日記」としか認識していなかったので、何箇所も移動しさせられてから亡くなったとか、父親の職業だとか、付帯情報的なものは一切知りませんでした。
    、興味あるからその本を読むと言ったような主体的かつ直接的な行動ではなく、間接的に事実に触れて非恣意的に何かの知識を得る方法が何事に対してもいつも心地よく感じるので、今回もその方法で少しアンネ・フランクについて知れたことが良かったと思う。正直、今も彼女自身にすごく関心を持ち始めたといったことはないのですが・・・

    訪れる場所が収容所であることから、当然市内から離れた交通の便がいいとは言えないところに行く道中のあれやこれやや、知人や知人のつてで今で言う所の民泊カウチサーファーしたり、ホステル泊まったりするのが、旅が大好きな自分的には旅情を誘い、その観点からも楽しめました。

  • 同じ年に産まれた作者のお父さんの日記と
    アンネの日記と私を繋ぐ記録。
    作者がアンネを巡る旅をする。 
    作者の思春期の時代もでてきたりと、 
    時代が色々変わるのに全然ごちゃごちゃ感もなく 
    一緒に旅してる気分になる。
    楽しい旅ではないけれど、 
    アンネがいた場所の雰囲気とか描写が 
    悲しくて美しい。 

  • 小林エリカさんが「私の一冊」という文章で「アンネの日記」を推していた。その中で、お父様がアンネと同じ歳で、やはり日記を書いていて、 お父様の日記を読みながらアンネの足跡を辿る旅をしてこの本を書いた、とあったので読みたくなった。
    ほぼ10年前、東京を出発して、アンネが亡くなったアウシュビッツから隠れ家のあったアムステルダム、生まれたフランクフルト、とたどっていく。
    アンネの道行きは過酷で本当に切ないが、ぐいぐい読ませる。
    中東戦争とか、私は無知だなぁ。
    でも、知って良かった。
    小林エリカさんのお父様は、シャーロッキアンで有名な小林司さんだった。

  • 著者の方、パルコのCMで見たことのあるイラストを描いている人だったんですね。史実を父、アンネ両面から追っていて貴重な試み・記録だと思う。一般市民の生死が関わった第二次世界対戦が舞台なので、深く沈みこみながら読んだ。でも食べることが好きなようで、本人の旅中の食事について細かく書かれていて、気分転換に楽しみながら読めた。

  • 11.

  • 915.6
    父と同じ年に生まれたアンネ・フランクを巡る旅

  • 2013.8.19読了。

    何とも言えない。この余韻に浸りたい。
    「アンネの日記」を読んだのは、あれこれ十数年前。読み返そう。

  • 著者が、アンネと父の日記と共に、アンネを辿る旅にでる。

    小林さんの情景描写が好き。

    THE歴史小説よりもときにぐっとくるフレーズが印象的。
    戦争についてもっと詳しく学び、もう一度読み返したい。

    ※ずっと訪れてみたかった、京都一乗寺にある恵文社で購入した本。

  • 光り、食べもの、花、お喋り、戦争。私に結びつけられている全てのものへ。

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著者プロフィール

小林 エリカ(こばやし・えりか):目に見えない物、時間や歴史、家族や記憶、場所の痕跡から着想を得た作品を手掛ける。著書は小説『トリニティ・トリニティ・トリニティ』『マダム・キュリーと朝食を』(共に集英社)、『最後の挨拶 His Last Bow』(講談社)、コミックに“放射能”の歴史を辿る『光の子ども 1-3』(リトル・モア)、絵本に『わたしは しなない おんなのこ』(岩崎書店)他。私的なナラティブと社会のリアリティーの狭間を追体験するようなインスタレーション作品も国内外で発表し、主な展覧会は個展「野鳥の森 1F」(Yutaka Kikutake Gallery) 、「りんご前線 ? Hirosaki Encounters」(弘前れんが倉庫美術館)、「話しているのは誰? 現代美術に潜む文学」(国立新美術館)他。近年は、音楽家の寺尾紗穂とかつての歌を甦らせる音楽朗読劇シリーズ「女の子たち風船爆弾をつくる Girls, Making Paper Balloon Bombs」の脚本も手がけている。

「2024年 『彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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