境界の町で

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著者 : 岡映里
  • リトル・モア (2014年4月19日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (234ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784898153864

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境界の町での感想・レビュー・書評

  • 他人事でない、客観視していない
    (少なくともそれを狙っていない)
    原発のドキュメンタリー

    空き巣なんてない、
    そんな風に日本人を美化した報道があったけれど
    実際は荒らされまくっていた・・・
    やっぱり、というか。。。

    けれど、そんなことよりも
    自分の日常が汚染と切り離せない人たちがいて、
    むしろ汚染された環境が日常という現状を読んで
    考えれば容易にわかることなのに、
    考えていない、考えようとしない自分を
    突きつけられた感じ。
    苦しくなる。

    原発事故は終わったとか、
    原発を再稼働するとか、
    どうしてそんなことが言えるのだろう?!

  • 2011年3月、東日本大震災と続く福島第一原子力発電所の爆発事故に見舞われた日本には「頑張ろう」「絆」といった言葉と対のように「不謹慎」の3文字が吹き荒れた。不謹慎=慎みに欠けていること、ふまじめ。では、当時求められていた慎みや真面目さとは一体なんだったのだろう。
    今思い返せば、それはもしかしたら「見たくない、考えたくない現実を無理矢理直視させられることに対する恐怖から目を逸らす“暗黙の協定”を守ること」だったのではないか、という気がする。岡映里氏の、ニュートラルにそこにある現実を抉っていく文章を読みながら、その思いを強くした。
    急速に拡散する放射能に対する本能的な恐怖と、その恐怖を克服せんが為の理性や知見とが激しくぶつかり合い侃々諤々の議論と罵詈雑言が飛び交う中央やネット界隈。一方で現地には、よそ者のどんな言葉をも無化する圧倒的な現実があるという当たり前の事実とのあまりの乖離に、岡氏は均衡を崩していく。
    背中に大きく猥語を落書きした防護服を着てふざけ合いながら1Fに向かう若者たち。自宅を根こそぎ流されながら土地に残り彼ら作業員を束ねる元やくざ。町会議員として踏みとどまり救援物資や遺体を黙々と運ぶその父。高齢の母を動かせないと避難区域に頑として根を下ろす町会議員と昔なじみの女性。
    彼らから大切なものを奪った震災は、同時に絶えて久しかった絆を呼び戻す契機ともなる。彼らの分厚い「生」が中央の薄っぺらい「不謹慎コード」をこともなげに粉砕する。「よそ者」の忸怩を抱きしめながら彼らとともに過ごす岡氏は、雑音を無化して進む彼らの圧倒的な強靭さをただ記し、伝えてくれた。

  •  2011年3月11日を週刊誌記者として迎えた「私」が、最初は「興味本位」の取材で入った楢葉、飯舘、大熊のそれぞれの場所で出会った人々に心を奪われて行く様子、そして、にもかかわらずいつかここを立ち去っていく〈よそ者〉であるという自覚に襲われて引き裂かれていくありようが綴られる。
     ガラス細工のような脆さを抱えたテクストだが、ガラス細工であるだけに繊細で、「私」の目に映った浜通りの人びとの肖像は鮮やかだ。原発事故以後の浜通りを地域の外部から訪れ、繰り返し話を聞いていくと、感応する力が強いひとであればあるほど、心をうち砕かれるような感覚に襲われてしまうのは私にも理解ができる。だからひとは、「福島」と「浜通り」を語りたくなるし、何度も何度も訪れたくもなる。思いが強すぎて、過剰な行動に奔ってしまうひとが出て来るのも理解ができる。
     テクストの最後で「私」は、自分は福島に依存しているのではないか、と自問する。だが、そこで終わらせてしまっては、けっきょくこのテクストが「自分探し」の枠内の話にしかならなくなってしまう。なぜ他ならぬ「福島」だったのか、「浜通り」だったのか。そこまで突っ込んで問える言葉が、ここには確かに刻まれていたはずなのに。

  • あっと言う間に読んでしまった。
    味わいながら読めば良いのに、俺はやはり下品だ。

    それは俺が何かに飢えているからかもしれないし、著者の丁寧で素直な語り口がそうさせるのかもしれない。

    こんな本が読みたかった。

  • 原発の取材を先陣を切って行った週刊誌の女性記者。
    いつのまにか、仕事の熱意からなのか、個人的な思いからなのか、福島を訪れる動機が分からなくなる。

    福島に住む人の感覚と、東京に住む人の感覚は全く異なる。その両者のあいだを行ったり来たりするなかで、同じ日本にいるはずなのに、どこか決定的に違う世界にいるようなそんな感覚に巻き込まれる。
    そうした両者の思いを一人の人間が受け止めることは難しい。次第に、著者の意識が壊れていく過程も、とてもリアルに伝わってくる。

  • ノンフィクションなのに小説のような。「福島県民」「原発推進派」「脱原発派」のような大枠ではなく、その土地で生きてきた一人一人の生活歴を聞く事で、単純には語れない事があるなと。分かりやすさに陥らないための一冊。

  • 半径20Km圏内のこと。
    こんなにリアルで身近な日常を描いてくれた、撮ってくれた筆者の方に感謝です。
    忘れちゃいけない。

  • 週刊誌記者の著者が震災直後、福島に派遣されたのを機に福島通いをはじめ、深入りしすぎたため、双極性障害を煩ってしまうという話が人物別のエピソードとして語られる。2012年12月の衆院選までが本編で、その後のことはエピローグに記されている、という大きな流れがあるものの、ところどころ、出来事が起こった後から始まってたりするので、そのたびに戻って読みかえす必要があり、すんなりとは読めなかったが、そうした技法ゆえなのか、彼女が見た風景が普遍的なものとして自分の中に立ち上がってくるような気がした。著者本人や取材されている人たちのプライバシーを吐露してしまうカタルシスも静かにだけどこの作品には存在している。その点からしてもこれは私小説と言える作品かも。取って出しではない、練りに練られて書かれた、味わい深い作品。僕もこのような作品を書けるようになりたい。

  • 名作です
    4.9点

  • <閲覧スタッフより>
    3.11の取材を機に福島県浜通り、検問のある町へ。原発労働者や寝たきりの母の介護のため警戒区域に住み続ける女性・・・様々な事情でそこに生きる人々の声をそのまま紙面に起こした一冊です。

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    所在記号:543.5||オカ
    資料番号:10225387
    --------------------------------------

  • 筆者の、全く飾らない素直な言葉に、好感が持てた。
    福島にすむ人たちや、原発作業員の人たちの生の声が書かれてある。
    東日本大震災から、3年半がたち、もう、あの日の事が過去のことになっているのだと、この本を読んで強く感じた。
    だからこそ、多くの人に読んでほしい内容だと思う。

  • 福島原発の事故後の強制退去の圏内にいる人たち、入る人たちの話。

  • 震災のときに自分を大切にしてくれるひとも大切にしたいひともいないということに気づいてしまった女性が居場所探しに行ったお話。

    未曾有の事態ってひとに忙しさとか都会だとなんだかんだ寄る場所とか、時間を潰す何かを見つけ易いから普段気づかないふりをしていたさみしさを突きつけるんだ。

    さみしいからきっとフラットに被災地のひとを見ることができて。そんな彼女だから本来大変とされる被災地のひとたちが逆に手を差し伸べてしまう。だからそこが彼女の居場所になっていく。

    そういう意味でひとが描かれていてこういう立ち位置であの場所のことを記したひとはいないんだろう。

    でもあたしはだめだった。それは自分もそうだからなんだろう。すごく傷ついたことがあるひとはその痛みを知ってる分優しい。

    だからほんとは使命感とか同情とか言いながらやってきた自分が癒されていく。
    それは果たしていいのかって海南島に行き始めてからずっと考えてるから。

  • 記者あるいはひとりの人間が被災地とどう向き合うか、あるいは向き合わないのか、その心の振れが描かれていた

  • 震災を普遍的に捉えず、あくまで個人に拘る事で、福島原発の崩壊の様がより際立って、この本の中にある。写真もたくさんあって、これも強く訴えるものがあった。

  • なかなか強烈な本ではある。帰りの新幹線で一気に読んでしまった。こういううつ的な気分に共鳴するのは性格的なものなのかもしれないが。

  • 震災後、数々のテレビや雑誌の特集記事を目にすることでなんとなく知ったような気分になり、年月が経つたび、その記憶は表層にもなくなりかけている自分に最近気がついた。そんな中、この本を読み、本当にいろんなことを知らなすぎた自分に恥ずかしくなった。岡さんの生の感情とリアルな写真の数々に、全く違った観点から、震災も含めて生きることについて、人間関係についてじっくりと考え直す機会となった。素晴らしいルポルタージュだった。高校生とか若い人にこの本ぜひ読んで欲しいな。

  • 「小説」ではないだろう。個人的な記録、だと思う。
    被災地とそうでない地との境界、そして自分と他者との境界、についての。

    エピローグの中に
    「私ほど事故後の双葉郡を見てきた人間はいない。私はそう自負していた。
    そんな私の心を挫いたのは、ある難病を抱えた若い女性作家が私に言った言葉だ。
    『自分が今まで福島県のことを書かなかったのは、福島を消費したくなかったからです』
    彼女は福島県双葉郡の出身だ。
    私はこの言葉にやられた。」
    とあるが、福島のことを書くことが、「福島を消費」することとは思わない。
    思わないが、書くことを「消費」と言うならば、むしろ消費してくれと思う。
    まして「私ほど事故後の双葉郡を見てきた人間はいない」とまで自負するのならのであればなおのこと、書きたいと思ったことを書けるだけ書いてくれたらいいと思う。
    しょせんよそ者だという卑下は無意味ではないか。よそ者だろうが、その地の人を唸らせ共感させてくれるほどのものを書いてくれればいい。ただそれだけのことだと思う。

    福島の出身だろうとその時福島に住んでいようと、全てを見ることは出来ない。その場にいて見た人が、見たことを、見て思ったことを書いてくたらいいと思う。
    全てが記録だから。
    文学に、文章に出来るのは、記録すること。記録することで、忘れさせないこと。それだけだから。
    忘れられること、消費すらされない場所や事柄になること、そのことをこそ恐れる。

  • 一人称で書かれているが故に、非常に切実さが伝わる内容。

  • 非常に読みやすい…が、一気に読み終えられるかと言えばそうでは無い。背景に漂う何かに、心臓を軽く締め付けられているかのような、そんな気配を感じながら、途中途中で息継ぎをしつつ読み進める…。そして、その読後感はひと言「ひどく疲れた」。目の前に貼り付けられた私小説という名の現実に、窒息するかと思う程に…。
    これはいつまでも手元に残しておきたい一冊です。

  • プロローグを読んでいたら、胸の内にあらわれた黒い空洞。それはずっとあったのに、見ることを避けて過ごしてきただけだったのかもしれない。思いと言葉を繋げられず、ただ歩き回ることしかできなかった夜を思い出した。(←半分読了時の感想) (全編読了後の感想→)過去と現実と追憶と書籍の間に自分がいるような感覚。読み終えて、予感が確信に変わりました。同じ時代を生きる作家の作品を読むこと・読めることの醍醐味。心も体もたかぶっています。言葉が瓦礫になり、言葉を失った著者が、おそらく命がけで紡ぎだした言葉。その言葉と同等か、それ以上に見る者を捕らえて離さない多くの写真。尋常でない私小説に出逢えたことに、感謝、感謝。

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境界の町での作品紹介

2011‐2014福島県浜通り、検問のある町。たしかな描写で、風景が、土地が、人間が、立ち上がる。岡映里、衝撃のデビュー作。

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