この厄介な国、中国 (WAC BUNKO)

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著者 : 岡田英弘
  • ワック (2008年5月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (253ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784898315835

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この厄介な国、中国 (WAC BUNKO)の感想・レビュー・書評

  • 中国出張に行く前に読み、なかなか勉強になった。
    同じアジア人だけど、あまりにも異なる価値観。
    世界のどの国も日本のように、領土民族が一種類の国はない。
    みんな同じアジア人に見える中国さえも。
    それを理解して日本人はアジア人と付き合っていかなければならない。

  • 中国という広大な地域の統治の歴史を中国に住む人間の性格を元に分析している。中国の歴史と日本、諸外国との関わりなどにも話題が及び、この本から関連諸国への興味が広がる。

  • 中国史研究者による、中国人観(※反中ではない)

    ・「指桑罵槐」中国人は直接的に反撃されないように、直接的に攻撃もしない。
    ・弱みをつくることを極端に厭い、本心をぼかす。
    ・漢文は官用の書き言葉であり、話し言葉とは無縁。古典の再編集に終始し創造性はない。


    どうやら学際的な裏付けがあるわけではなく、著者のエッセイ的な書き振り。読み物としては面白かった。

  • タイトルだけ見ると内容を勘違いしそうですが、歴史学的見地から中国を分析しています。

    中国には「指桑罵槐(しそうばかい)」ということわざがあるそうです。「桑の木を指して槐(えんじゅ)を罵る」、本当の怒りの矛先とは別の物を攻撃するという意味だそうです。このことわざだけでも現在の中国を理解することに役立つと思います。

    中国人の行動原理「指桑罵槐」には「バルネラビリティ(脆弱性)の原理」により他人に弱味を見せてはいけないというタブーが働いていると説いています。この原理がなぜ生まれたのかを歴史学的に理由を明らかにしています。

    古代から本来の国家として中国が存在したことはなく、交易を中心とした流通システムで結びついた商業都市連合が国となり、王とはマーケットの支配者であったということです。数千年もの間、この様な状態が続き、広大な土地には個人だけが存在しており、自分だけが頼りという徹底した個人主義が根付いたそうです。

    また、特に印象に残ったのは中国では古代から共通言語が存在していないことです。漢文と現代中国語は全く違うものだという事にも驚きました。正確な公文書の作成に漢文は利用されてきたそうです。新しい出来事や変化を表現出来ない漢文という手段しかなかったことから情緒や感情を伝える手段がなかったのです。

    「時として言葉により、感情表現が制限されるのではないか」という言語学者の話を聞いたことがありますが、感情表現できない言語体系という世界は想像できないものです。

    さらに欧米の歴史から最強の国家システムである国民国家(ネーションステート)への変遷の試みについて最終章で一気にまとめられています。

    現在の中国も国民国家の樹立には至っておらず、民族や歴史、言葉も違う広大な国を統治するシステムは脈々と続いてきた「皇帝システム」でしかないと結論付けています。


    日本人が中国人を理解出来ない、理解したつもりで勝手に不快に思っている理由の一端をしることが出来ました。

  • 題名だけ読むとありがちな反中本に思えますが、著者は中国に造詣の深い(そして独自の歴史観で知られる)歴史学者で、その深い洞察には何度も唸らされました。
    先頃の尖閣問題などでの中国人のジコチューという言葉で済ませるにはあまりにも不可解な行動の裏に潜む行動原理がようやく分かった気がします。
    特に力を入れて解説しているのが、日本人が親しんできた儒教の思想と今の中国には何の関係もないということと、中国が国民意識の薄い多民族を「中国」という糊で辛うじてくっつけているだけであり、国内においても互いに不信感を抱きつつ生活しているということです。
    本書はステレオタイプな誤った中国観について再考するきっかけになる本だと思います。

  • 結局のところ、中嶋嶺雄に代表される国際関係論という学問は尖閣諸島問題を含む隣国中国に対する外交政策や政治的決断の場面において相手を理解するという肝心の一点を全く突破することができず、歴史学こそがその的確な理解に到達しうる学問であることを恐ろしいほどに示している一冊。

    著者の自信は次の一節において明らかだ。

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    自分で言うのもおこがましいが、こと漢籍の読書量に関しては、現在の東洋史学界において、私は誰にも引けを取らないと自負している。
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    現在まで連綿と中国人の行動を制御している二つの原理、漢文から見えてくる中国における言語の欠損とその影響、儒教と道教の目的と起源、客家などの秘密結社の社会的役割と現代中国政治との関連、国民国家の起源と中国の統治システムなど、我々が隣国として知っておくべき目から鱗のテーマ群の数々。

    特に言語的欠損が直截的に世界観の欠損を中国人のメンタリティにもたらしているという指摘は、言語学や哲学的にも興味深い問題だ。道教については鈴木大拙に当たりたくなるし、国民国家の形成については他の専門家の書籍にも発展的に取り組みたくなる。そうした次のステップへ知的好奇心を誘うという、読書の本来的な役割も十全に果たしている。

    お薦め。

  • 中国に三年半滞在していた時は、中国人のイメージと現実とのギャップに日々閉口していたものだった。
    その際に漠然と感じていた疑問が解き明かされ、理解が深まった気がする。
    漢詩を読める中国人が少ないとはその通りで、私も挑戦してみたが読めなかった。現代中国語の知識では漢詩が読めないのだ。
    日本の流行歌は一番→二番→三番と詞の内容が深まっていくのに対し、中国での流行歌のほとんどは、一番の歌詞を延々と繰り返すのみなのは何故か?という疑問も幾許か解消できた。
    しかしながら、実際の中国人と接する機会の無い大多数の日本人は本書を読んでも実感が湧かないんじゃないかな?と思うに至り、日本の将来に不安を覚えるのであった。
    現実の中国、中国人の理解に必読の書。

  • 書いてある内容はどうやら間違ってないし、それなりの責任感も感じるから、いわゆるトンデモ本の部類ではない。だが、それにしても説明が雑。全体を通して、広大な国土と多様性を持つ中国を、自分の限られた見分(しかも、大陸ではなくて台湾での体験とか)で断じられている箇所が一再ならず現れて、食傷する。

    例えば、本書で挙げられているお酒の飲み方について。私は中国大陸で8年滞在しましたが、飲み方は十人十色。当たり前だけど日本人みたいに飲むひとだって、控えめに楽しむひとだっている。鄧小平がやり手だ云々のくだりに関しても、典拠を示されない限り、憶測でものを言っているように聞こえる。

    また、「漢族という民族は存在しない」、という主張に対してだが、反対する気はないが、そんなこと言ったら「日本人」や「フランス人」などあらゆる民族に対してあてはまること。こういう箇所でも、奇を衒っているのではないかと邪推してしまう。漢族に対してもっと正しく理解したい読者は、労を惜しまず『歴史からみる中国』吉澤誠一郎編、(放送大学出版)や講談社の中国の歴史シリーズなどより専門的な本を繙くべき。

    従って、誠実に読み進めようとする読者(僭越にも、私がその一人に含まれる、と仮定すれば、だが)に対しては、自説の普遍性や、論理展開における因果関係が十分に検証されていないという意味で、この人は本当に学者なんだろうか、という根本的な疑いを抱かせてしまう。さらに言えば、タイトルも、世に蔓延る独断や偏見を助長するようであまり頂けない。
    もちろん、勉強になった事柄もあったし、さらに百歩譲って、筆者は、「真の知識人たる者、自らのそれを含めたあらゆる言説を、悠々と踏み越えていくべきで、自分はひとつの踏み石を供するに過ぎない」という、傲然とした孤高の知的倫理感に立って本書を書いているのかもしれない(……まぁ、勘ぐり過ぎは無限の註釈に陥るだけなので、このくらいにしよう)。

    何にしても、本書を読む際には、ここに書いてあることで満足してしまうような自足を戒め、「あくまでも2000年代の日本で書かれたひとつの言説」として突き放した視点と、より本格的な論考を渉猟する探究心が求められると思う。

  • 3/28 指桑罵槐。中国人は漢文が読めない。

  • 国が違えば、文化が違う。
    そういうことは、分かり切ったことであるが、
    やはり中国は、ちょっと「異質」なのかもしれない。

    「決して本心を明らかにしない中国人」
    「中国は、わからない」から出発。

    指桑罵槐 「桑をさして、槐をののしる。」
    ある相手を攻撃しているように見せかけて、
    実は別のところにいる人を批判している。
      
    よく話題となる歴史教科書問題は、一体何が問題か?

    すべからく、政治は、権力闘争である。
    宗男からはじまる辻元事件は、まさにそのことをあらわしている。
    中国においても同じようなことが、日常不断に進行している。
    このことが、よくわからない決着をつけるのは、
    情報公開の不徹底にある。

    「パルネラビリティの原理」
    他人からつけ込まれる前に、他人につけ込め。

    「自分の住んでいる家を一歩出れば、
    まわりにいる人間はすべて敵である。」

    「中国人の場合は、1割が白、1割が黒、
    あとの8割は灰色なのです。」

  • 国民国家への可能性について知りたくて読書。

    興味深く面白く一氣に読める。中国の歴史、文化を熟知した鋭い視点が日本人に中国観の見直しを迫る。

    多くの日本人は中国を理解していない。甘い幻想の延長で眺めている。だから現状、ニュースで報じれる中国の現実に強烈なギャップを感じ、失望し、嫌悪していると述べている。かく言う私も大連へ来るまでは中国についての知識などなく、著者の指摘するような幻想を抱いていた1人である。一度、幻想をリセットし、現実の中国を見て知って対応することを今日本は求められていると思う。色眼鏡なしに。

    望む望まない、好む好まないに限らず中国は隣国であり、今後も関わらざるを得ない存在である。だからこそもっと日本人はファンターを抜け出して、中国を知る必要がありそうだ。良い点、悪い点も含めて中国から学ぶことも多いはずである。

    本書の初版発行が2001年のため実際に住んでいる現在との違和感を感じる部分もある。同時にそれだけ、中国は歴史上経験がないほど急速急激に激変している途中なのだと思う。だから、これからどうなるか全く見えないのも事実といえる。

    儒教も漢族とともに2世紀に消滅し、その後の儒教は道教ベースである。
    国民国家を目指し国家を意識したのは辛亥革命以降。
    中国語の歴史も日本人が一般的に認識しているよりもずっと短い。
    清朝は連邦国家のような体制だった。

    大前研一さんが著書で主張するように中国はマクロ的に中華連邦を目指すという指摘は著者の歴史を研究した上での中国国家論と近いように感じる。

    指桑罵槐(しそうばかい)を知れば、中国外交や愛国教育を理解する手がかりとなるように思える。

    良くも悪くも中国のたくましさとしたたかさ、悲哀の歴史を学ぶことができる良書といえる。

    読書時間:約1時間10分

    本書はお借りしています。有り難うございます。

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