日本人はなぜ終戦の日付をまちがえたのか: 8月15日と9月2日の間のはかりしれない断層

著者 :
  • MOKU出版
3.92
  • (3)
  • (5)
  • (4)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 28
感想 : 9
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (218ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784900682535

作品紹介・あらすじ

1945年9月2日、日本は降伏した。そして、国の隅々まで高度の規律を保ち、降伏条件を遂行した。だが日本人自身は、敗戦によって茫然自失に陥り、自尊心まで灰燼に帰したと錯覚してしまった…。戦時国際法の第一人者が読み解く「降伏」「戦争」「国際社会の現実」。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 8月15日に日本が無条件降伏して戦争が終わったというのは、二つの点で誤解がある。
    一つは、日本軍は無条件降伏したが、国家としての日本はポツダム宣言という条件を受諾しての降伏である。
    もう一つは、降伏したのは9月2日である。
    第二次大戦が終わった日付は8月15日ではない。9月2日に『日本軍』と『大日本帝国』が降伏して終結した。
    軍の降伏としては、日本軍は無条件に降伏している。降伏文書にも明記されている。軍の降伏だから軍の代表が調印している
    国家としての降伏としては、ポツダム宣言の条件を受諾しての『降伏』であり、決して『無条件降伏』では無い。国家の降伏分として政府代表が軍の代表とは別途調印している。
    『国家の降伏』も国際法上の『契約』であり、だからこそ敗戦国だけで無く勝った側も調印している。決して、勝者による専横を許すものでは無い。
    ただし、米国(国務省)は契約の枠を超えたことを占領下でやりたがっていたのは事実であり、当初はそれに細かく異議を唱えていた外務省(だからこそ、米軍が当初提示した直接軍政やら、軍票やらの要求は撤回させている)がいつの間にか異議を唱えず、契約に認められた以上のことをさせたのも事実。
    なお、ドイツは国家が崩壊したと連合国側が判断したため、軍の無条件降伏のみで国家の降伏は連合国側に認められなかった。よって、戦後の東西ドイツは国家としての連続性を有さず、一括の平和条約を締結できなかったので個別に賠償請求に応じるしか無かった。日本がドイツの戦後処理を真似をする必要は無いし、そもそも一括の平和条約を締結できなかったドイツは日本のような戦後処理が法的に出来なかった。
    更に、米国の休戦協定に政治条項を盛り込みたがる方が特異である。

  • 僕たちは8月15日を「終戦記念日」と習った。しかし、この本の著者は「降伏文書」に署名して発効された9月2日だという。8月15日は、天皇が無条件降伏という契約に応じる意思表示をしたにすぎない。そう言われてみれば、欧米では何事でも契約することにより正式な取引が成立する。
    さらに、日本は無条件で降伏したわけではなかった。つまり、降伏文書に書かれた範囲で降伏したのである。書かれていないことは国際法で判断すべき事項だった。
    そうなると、8月15日は「負けましたという意思表示をしただけの日になる」ううん、「敗戦を認めた日」にでもなるか。将棋では、負けましたという意思表示をした時点で負けが確立するが、国と国との争いでは負けましたという表示だけでは負けが確定しないのだ。
    マッカーサーの占領政策で始まって、米国は無条件降伏なので何をしてもよいという態度に出たので、日本政府は最初は契約違反だと抗議していたらしい。知らなかった。今まで、米国は規律正しく統治していたのだと思っていたのに。

  • ・1945/8/14 にポツダム宣言の受諾を通告し、9/2 に降伏文書に署名発効した。つまり、9/2 に降伏が成立したにも関わらず、日本人の大多数が 8/15 を終戦日と誤解したこと。
    ・それにより、空白の 18 日間が生じたこと。
    ・日本国軍隊は無条件降伏したが、日本国の国家統治権限は、連合国最高司令官の制限の下に置かれるが、決して無条件ではないこと。
    ・ポツダム宣言でも、日本の国家としての無条件降伏は求められておらず、米国国務省もそう認識していたこと。
    ・降伏当初、マッカーサー司令部の降伏条件違反に日本政府は強硬に異議申立をしたが、その後腰砕けとなり、その転換の時点と理由は不明であること。
    ・ドイツの場合は、軍隊は無条件降伏したが、国家は降伏する認められず一方的に制服され、戦前戦後で国家の継続性がない。
    ・米国は、自らを正義とし、無条件降伏による戦争終結を求める習性である。
    ・戦争をしない「つもり」の国家は、独善的な思い込みに過ぎない。
    ・平和国家を目指すならば、長期には戦争より合理的かつ実効的な国際紛争解決手段を考案する必要がある。
    ・短期には、武力紛争が起きた時に国家として平和の回復に積極的に協力すべきである。
    ・その役割を担い得るのは中立国しかあり得ない。
    ・国際社会は、日本を平和国家とも中立国ともみなしていない。
    ・中立国には領域侵犯が起きたら実力をもって排除する義務を負う。
    ・非武装中立国とは、丸い四角と言うと同様の論理的矛盾である。

    という主張。

  •  国際法に基づく降伏が無条件であったのかどうかの相違、そして本来の終戦日が9月2日ポツダム宣言受諾日であるという事の事実。

     この2点がいつまでたってもこの国を本当の戦後に歩ませない訳であり日本人としては歴史的事実としてこの点を学びなおさなければいけない。

     大切なのは戦争内容がどうこうではなく、その当時になぜそのような状況に陥ったのかではないかだろう。




     1945年9月2日  軍隊としての無条件降伏を受諾
             国家としては条件付き降伏
     敗戦国それぞれがそれぞれの終戦を迎えそれらがすべて同じ終わり方ではないという認識。

     日本 国家として降伏 米国の間接軍政のもとで自主的に降伏を遂行
     ドイツ 国家として征服 直接軍政のもと国家の継続性を失う
     イタリア 国家として休戦するが国民社会としては崩壊

     
     ソ連も中国も賠償請求権を放棄 
     日華平和条約 日中共同声明 日ソ共同声明

     スイス 重武装中立国の意味

     
     東郷いせ 『昭和史が面白い』

  • 昨日今日と部屋の掃除に結構な時間を費やしたのだけど、その際、本棚の奥からこちらの未読本が出て来、先ほど読了。
    終戦記念日にこれを読んだのは大変な意味があった。
    我々はあまりに多くの基本的なことを知らない。私も知らなかった。
    ・「降伏」とは何か?
    ・我が国の降伏とドイツ、イタリアのそれとは同じか?異なるのか?
    ・そもそも「戦争」とは何か?
    等々
    ちなみに8月15日という日は、米国にとってはほとんど意味が無い日だ。日本との終戦の日でも何でもない。
    (今日(8月15日)を日本が「終戦を記念する日」とするのは勝手だろうが、国際的には日本と米国あるいは連合国側との「終戦」の日ではない)
    えっ!?と思われた方にはぜひ一読をお勧めしたいが、どうやら絶版らしい。惜しい。なかなかの力作なのだが…

    なお、日本の降伏の状況(国際法的な意味において)とドイツ、イタリアのそれらとは全く異なるということを本書で初めて正確に(国際法的な違いをという意味で)知った。

  • 日本の法律的・国際的終戦の日は9月2日!この事実を無視して、日本が一方的にポツダム宣言を受け入れるとした日が日本では終戦記念日となっている。このことがいろんなところで支障をきたしている原因となっている!

  • 終戦の日とされている「1945年8月15日」は、終戦の日ではない。
    日本は国家として無条件降伏はしていない。

    終戦(降伏)したのはミズーリ号上で降伏文書を調印した
    「1945年9月2日」、
    「1945年8月15日」はただ単に降伏の申し出をした日。
    (よって、「1945年8月15日」から「1945年9月2日」に
    ソ連が千島列島などを占拠したのは合法となる。)

    軍事的には無条件降伏したが、国家としては無条件降伏ではない
    (だからこそ天皇制が現在まで維持されている)。

    このことを、「征服」され、降伏すら許されず、
    国家としての存在がなくなったナチスドイツとの対比
    (だから日本と違い、平和条約で賠償責任の一括処理ができなかった)や、
    歴史的な分析を、
    元大使である著者が、国際法の観点から分析しています。

  • ゼミで学んだ本。ここにある事実が、すべての事実ではない。

    それでもなお、夏には読み直すべき一冊。絶版ガ、悔やまれる。

  • 日本人として読まなくてはいけない本。
    が・・・絶版らしい。

全9件中 1 - 9件を表示

著者プロフィール

元外交官、評論家。1928年(昭和3年)横浜市に生まれる。
仙台陸軍幼年学校卒業後、陸軍予科士官学校入学。この年に終戦を迎える。
54年東京大学文学部仏文科を卒業後、外務省入省。
スペイン、ベトナム、OECD、ペルー、イタリアに在勤。
国連局社会課長、中南米第一課長、中南米参事官、
内閣官房インドシナ難民対策連絡調整会議事務局長、
在サン・パウロ総領事、駐ホンジュラス大使、駐コロンビア大使、駐チリ大使を歴任し、
92年に退官。
その後、浜松大学国際経済学部教授、2003年退職。国家基本問題研究所客員研究員。
主な著者に、『オルテガ』『アメリゴ・ヴェスプッチ』(以上、中公新書)、
『国家権力の解剖』(総合法令)、『黄昏のスペイン帝国』(中央公論新社)、
『国民のための戦争と平和の法』(小室直樹氏との共著、総合法令出版)、
『国際連合という神話』(PHP新書)などがある。

「2021年 『国防と国際法』 で使われていた紹介文から引用しています。」

色摩力夫の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×