計算不可能性を設計する: ITア-キテクトの未来への挑戦 (That’s Japan)
- ウェイツ (2007年4月14日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (295ページ)
- / ISBN・EAN: 9784901391801
感想・レビュー・書評
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高橋潤二郎先生の話し(視野・視座・視点)がちょこっと出てくる。
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[ 内容 ]
現代に生きる我々の生活はITのおかげで随分と便利になった。
それはもう、人間が考えることを必要としないほどまでに進歩しようとしている。
そしてついには、人間の最後の砦でもあり人間の人間たる存在の証しともいえる予測不可能で計算不可能な心の動きや感動までも、気づかぬまま制御されつつある。
我々は完璧なまでに設計されたそんな「心地よい」生活や社会の中に安心して身を委ねていいのだろうか。
生活や社会を設計しているITアーキテクトの資質に左右される時代が、確実に近づきつつある。
であるからこそ、設計者に求められる資質が問われる。
であるからこそ、設計者が寄り添う理念がいかなるものかが問われる。
設計者の資質とは、役割とは、限界とは!?
先鋭の社会学者と気鋭のITアーキテクトのコラボレーションによって初めて可能になった大胆な問題提起と提案。
日本のITは確実に新段階に入った!
[ 目次 ]
コンピュテーションにおける人間の必要性(社会に役立たないITは評価ゼロ;現実社会の現場発で将来を設計する;コンピュテーションにとって人間が必要とされる意味;アーキテクトの選択肢と寄り添うベースをどこに置くか;コンピュテーションはいまどの位置にあるか ほか)
コンピュテーションによる社会システムの再構築(社会システムのコンピュテーション化は二〇二〇年前後;近代社会の正統性を危機に陥れるコンピュテーションの進化;「人間」と「人間でないもの」の線引きが問題になる時代;コンピュテーション上に「知」を実現するということ;人間という「種」は常に変化する多様性や可能性を持つ ほか)
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ] -
社会学者と天才アーキテクトの大学教授の対談で内容はかなり抽象度高く難解だ。
よくこんな抽象的かつ難解な言葉で対談が成り立つのが不思議である。
スマートでクレバーの2人だが、アーキテクトは現場に根差せと言っていて本質は地に足がついている。
地に足がついていても、恐らく視点が物凄く高いのだろう。
計算不可能性とは不完全性定理などではない。具体的な例えでは、AMAZONでのサービス提供は計算可能で本屋は計算不可能らしい。
言いたいことはわかった気がするが一言では言えない。
このままだと計算可能な社会になってしまうので、そうではない社会にするために計算不可能性を設計するアーキテクトを育成しなければいけないと言っている。
建築家は狭義のアーキテクトで広義のアーキテクトにはITアーキテクトが含まれるというのが社会学者の見方のようだ。
そしてどちらも社会的な視座がなければいけない。
後2,3回読み返さないと正しく理解できないかもしれない。 -
恐ろしく抽象度の高い議論。あまりこういった議論に慣れて無い人は、火傷するので気をつけたほうがいいかもw
しかし、その抽象度の高さゆえに議論の中身に一切古さを感じさせない。十分に今でも楽しめる内容になってます。 -
社会を設計するという言葉づかいには、少しどきどきさせられるところがある。漠然とではあるが、非エリート主義的教育のなかで育てられてきたせいもある。
社会学者で自称ソーシアルデザイナーの宮台真司とコンピュータ学者でITアーキテクトの神成淳司の新しいエリートであるソーシアル(IT)アーキテクトをめぐる対談だ。
グーグルによって加速的に計算可能性=退屈さに吹き寄せられていく時代の風景とひりひりするような新しいエリート主義というものの必然を感じさせる面白い対談だ。
《宮台;昔はレポートを書く時にも、電車を乗り継いで古書を入手し、貸し出し限界の五冊を図書館の机に積み上げ、一所懸命メモを取りながら、読書しました。いまはグーグルでささっと検索して、ささっとコピペすれば、レポート一丁上がり、レポートを書きやすくなりましたが、執筆を通じた自己陶冶は難しくなりました。/映画も同じです。昔はTSUTAYAのようなビデオやDVDのアーカイブスはありませんでした。観たら記憶しなければなりません。記憶には主観的な歪みがツキモノです。「これがゴダールのだ、鈴木清順的だ」と思っていても主観的に歪んでいる。でも映画をつくる側に回る場合、この主観的な歪みこそが作家性をかたちづくるのです。/映画コンペの審査員をやっていて思います。アーカイブスのアクセシビリティが上がり、ノンリニア編集のコストが下がった結果、ウェルメイドな作品は確実に増えました。巷ではそれを「底上げ化」と呼んでいます。私はその呼び方を拒否しています。誰にでもつくれるコピペ作品が増えたことが果たして「底上げ」でしょうか。 》
工学系エンジニアは、創造のフロンティアとしての音楽や映画、活字領域が終わったのであり、新しいフロンティアがあるのではないかと主張するのに対して宮台は、どこにそんなフロンティアがあるのかと問い返す。
《宮台;論理としては新たな創造のフロンティアがあり得ても、現実には新たな「焼き畑」の余地は目に見えて狭くなり、日常は既視感に満ちたツマラナイものになりつつあります。》
計算可能性の結果、日本中の都市の中心には似たような複合開発が並び、郊外都市にはショッピングモールとシネコンが続々と建築された。テレビ番組は、バラエティとクイズ番組だらけになる。
そういった行き止まりをこえるには、社会構成及びその根幹に存在するITアーキテクトの中に、計算不可能性を内蔵するようなアーキテクチャーを組み込むことが必要という問題意識が、ソシアルデザイナー宮台にはある。その計算不可能性が、世の中がシステム化する中で、失われつつある生活世界の回復につながるという実践意識を隠さない。
《宮台;私はソーシャルデザイナーとして<生活世界>の再帰的な復活を企図します。(略)再帰的とは、無自覚な選択前提をも自覚するという意味です。<システム>から見て、計算不可能な<生活世界>をシステム理論家として設計しようとしています。/ヴァナキュラーなもの、不均質なもの、入れ替え不能なもの、計算不能なもの、コミットに値するものの、再帰的な護持です。そうした<生活世界>の再帰的構築のためにー<システム>側から<システム>の補完物として設計するためにー従来<システム>化の先兵だったコンピューティング・テクノロジーを使いたいのです。》
宮台はこういった実践を可能にする人材として神成のような社会科学的見識を持ち合わせたITアーキテクトに対する期待感を隠さない。それほどまでに、そういった人材は稀少だ。神成がオープンムーブメントの「万人参加幻想」(宮台)を否定する部分も興味深い。
《神成;オープンソースコミュニティも、当然ながら、情報社会のこれからの方向性に関するビジョンを持っています。ただ、私の誤解でなければ、このビジョンは、情報がフラットで、公平性と公共性を追求したものであり、私にとっては感動が薄く物足りないものである気がします。宮台さんの言葉を借りて「左翼的」と言いたくなる場合もあります。》
民主的であることとエリート主義的であること、民主的であることが、本来目指していたプラスの帰結を生み出さない可能性があること、エリート主義的であることが、結果万人の効用を高める可能性のあること。こういった原因と結果の間のノンリニアな関係性が存在するからこそ、社会科学、社会哲学的見識が必要とされるのだ。
賛成するにせよ反対するにせよ、なかなかエキサイティングな問題提起だった。 -
能力の高い2人が話すだけで、こんなに面白いのか。
神成さんに関しては、寡聞ながらこの書籍で初めて知ったが、この人の頭のよさには脱帽した。宮台さんもアーキテクチャに関しては専門分野ではないにもかかわらず、社会学的な視座からまともな話を展開していて、頭いいぜこいつ、という印象。
1.5次現実のくだりには啓蒙された。1次現実をよりよくするため(そして2次現実へのコミットを防ぐため)の、アーキテクチャを存在させるというコンセプトは頭の隅で考え続けよう。
「便利をもとめても、現在の延長線上でしかない」という旨の発言は、常々思っていたことなので、深く同意した。 -
計算不可能な出来事にこそ感動する僕たちは、隅々までシステム化された未来社会で如何に存在としての生の充実を獲得しえるのか……みたいなお話。理系の知識が無い自分には少し想像しにくい世界に感じたのでその点が微妙。
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宮台先生が、最近の本で繰り返し主張する概念が、ITアーキテクトの現場での具体例を参照して議論されているので、宮台本が今までよくわらないまま終わってしまった人にでも、理解しやすいと思います。
内容は
0、宮台先生と神成さんの対談を通して、
?コンピュータは人間のどういった部分を補う存在であるべきか。
?コンピュータと人間の共生、人間が追求する人間らしさって何?
?理論上のコンピューティング、社会学は、社会を構築しうる存在なのか?
?社会の仕組みを作る人材を育成するために必要なこと
?タイトル通り 計算不可能性を設計するとは。
宮台先生の本は、自分が普段言葉にはできないけど、なんとなく気がついていることを明文化してくれて、いい!
なので、コンピュータと人間学や、あるべき社会システム論とかに興味がない人でも、日々もやもやしている思いを晴らしたい!って気持ちがあるなら是非読んでみるべきだと思います。
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神成さんは、慶應SFCの一期生で、石井威望先生に師事されていた方です。