無痛文明論

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  • Amazon.co.jp ・本 (451ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784901510189

作品紹介・あらすじ

快を求め、苦しみを避ける方向へと突き進む現代文明。その流れのなかに、われわれはどうしようもなく飲み込まれ、快と引き替えに「生きる意味」を見失う・・・。
 現代文明と人間の欲望を、とことんまで突き詰めて描いた著者の代表作。

感想・レビュー・書評

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  • かなりの大部である。でも一気に読める。ページ数/文字数の割にはさほど多くのことを言っているわけではない。「無痛文明」に対する筆者の思索の流れがそのまま文章化されているというか。たとえばICU治療や完璧な治水。そういった人間を「無痛化」する文明を批判し、その無痛文明の克服と解体を呼びかける。そしてどのように克服/解体ができるか、筆者自ら考え続ける。一部、最近よく言われていてる「身体感覚の取り戻し」に通じる部分もあるが、そこに着地するわけではない。ただ無痛文明と闘うだけでダメだ。闘う自分に陶酔したり、闘いや克服が定常化したりすると、もうそれは無痛文明の罠に陥っている。じゃあどうすれば…?思考のループである。正直言って読んでいて苦しい。著者は生命倫理などの本を多く書いているようで、これも哲学書なんだろうけどあまり読んだことのないタイプの本だなあ。雑誌「仏教」の連載をまとめたものらしい。「仏教」ってのも馴染みのない雑誌だなあ。私なぞは、映画「マトリックス」でいうと、そのままサヤのなかですやすやと中流サラリーマン生活の夢を見ながら発電していたいタイプ(ネオ、よけいなことしやがって…)なので、もう闘い以前にダメダメな無痛化人間である。

  • 森岡さんの本です。物体的な重量としても内容としても重たい本でした。「こんな本を書いてしまって森岡さんはひどく消耗したはずだ。大丈夫なのか?」と本気で心配した人もいたと聞きます。大丈夫、講演会も興味深かったし、サイトも更新されてるし、お元気そうです。
    すごく硬派な現代文明論です。現代社会が抱えている問題を対症療法的に一刀両断したりちぎっては投げちぎっては投げするような本ではありません。現代文明の問題を鋭くえぐることは自分自身をえぐることであり、自分自身もその問題を引き受けて解くことと密接な関係にあると考える立場にいる著者は、問題を提出するだけでおしまいにするようなことはありません。自分自身を安全な立場におかない、そのような文明論であり、哲学書です。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/719374

  •  これからの世界を考える上でこれまでの世界とは何だったのかという観点でみると面白い。
     痛みを避けることにより弊害を受けていいるのだがそれ自体にも気づかない。そんな「無痛文明」から決して逃れられない作者が放つ魂の叫びみたいな本。
     現在は変わりつつあるような気もするが世界を「近代の科学」で語り尽くせるという認識に立っているとこの考えに陥るような気がする。「災害」は人類が抑え込める的な記載があるのだが、そもそもその時点で事実誤認があると思う。それ故の「無痛文明」なのだが。

  • 現代文明は、人びとの「身体の欲望」を満たすことで、みずからの身を切り裂かれるような痛切な痛みによる自己解体を通して「生命のよろこび」を実現しようとする動きを「目隠し」してしまっていると著者は批判します。そのうえで、現代における文明が人びとを巻き込みつつ展開している「無痛奔流」から脱却するための困難な戦いへと読者をみちびいていこうとします。

    フーコーの「生権力」批判に通じるようなテーマを中心的にあつかっていますが、レヴィナスやドゥルーズ=ガタリ、ニーチェの問題にも通じるような洞察が随所に示されており、しかも著者自身のことばでわかりやすく、情熱的に語っているところに本書の特徴があります。

    ただ、「身体の欲望」と「生命のよろこび」を対置し、あるいは「深層アイデンティティ」と「私が私であるための中心軸」を区別する議論の枠組みに、疎外論的な構図から脱却しきれていないような印象を受けてしまいます。むろん著者は、ロマン主義的な自然賛美の立場とみずからの「生命学」の立場を明確に区別しています。とはいうものの、あらかじめこうした対概念が区別されたうえで、両者を混同させてしまうような無痛文明の巧妙な装置が現に自己のうちにも働いていることを指摘し、だからこそ無痛奔流の流れに巻き込まれつつそれに抵抗するような戦いが必要だと訴えるという、疎外論に典型的なしかたで議論が展開されていることは否定できないように思います。

    端的にいえば、まだ絶望が足りないのではないかという疑問を、どうしても拭うことができずにいます。

  • ぐいぐい引き込まれる。
    今まででいちばん付箋を貼った数が多い本

  • 「苦しみとつらさのない文明は、人類の理想のように見える。しかし、苦しみを遠ざける仕組みが張りめぐらされ、快に満ちあふれた社会のなかで、人々はかえってよろこびを見失い、生きる意味を忘却してしまうのではないだろうか」。抽象論も多いけど、内容は熱く、厚い。

  •  宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』で印象的、というか、とても嫌な感じがしたのは、冒頭で千尋の両親が豚になってしまうところである。主人公の千尋に感情移入する前に、多少ともその両親に同一化して見ていた評者は、自分が豚にされるような気がした。
     本書も似たような衝撃から始まる。人類とは「自己家畜化」した種だという主張である。これは著者の主張ではなく、動物学者小原秀雄氏からの引用である。すなわち、「人工環境」「食料の供給」「自然の脅威からの保護」「繁殖の管理」「品種改良」「身体の形の変化」といった家畜の特徴が全て人間に当てはまるのだという。そこに著者は「死のコントロール」「自発的束縛」を付け加える。こうした人類のありさまを著者はとらえ返し、「苦しみとつらさのない文明は、人類の理想のように見える。しかし、苦しみを遠ざける仕組みが張りめぐらされ、快に満ちあふれた社会の中で、人々はかえってよろこびを見失い、生きる意味を忘却してしまうのではないだろうか」と説き起こす。そうした現在の、そしてこれから進んでいくであろう文明のあり方を「無痛文明」と称しているのだ。

     著者の主張は、ある意味、簡単である。苦痛を避け快を求める「身体の欲望」が「無痛文明」を作り出し「生命のよろこび」を奪っている。「身体の欲望」と戦い、「無痛文明」を否定して、「生命のよろこび」を取り戻さねばならない。著者は本書を1冊費やして、いかに「無痛文明」がわれわれの気づかないところで進行しつつあるか、そこから抜け出すにはどうしたらいいのかを詳細に検証していく。
     「身体の欲望」と「生命のよろこび」の違いはちょっとわかりにくいが、「身体の欲望」とは、人間が持つひとまとまりの根源的な欲望で、次の5つの側面で考えられる。1 快を求め苦痛を避ける、2 現状維持と安定を図る、3 すきあらば拡大増殖する、4 他人を犠牲にする、5 人生・生命・自然を管理する。これに対して「生命のよろこび」とは、「自分の内側から、古い殻を突き破って、いままで知らなかった新しい自分がありありと生まれ出てくるときにおとずれる、『ああ、生きていてよかった』というよろこびの感覚であり、自分はこんな風に生まれ変わることができるのだということを知ったときにおとずれる、すがすがしく風通しのよいよろこびの感覚である」と説明される。
     「生命のよろこび」とはある種の「創造性」のようなもので、われわれを縛り上げる「身体の欲望」を解除して、「生命のよろこび」へと開かれていくようにしようという方向性は精神分析の目指すところとかなり重なるようにも思われる。
     著者の森岡氏はひとまず哲学者という肩書きだが、自身では「生命学」を唱っている。評者が『無痛文明論』なる書名をみてまず連想したのは、痛みが排除された社会の中で、自ら痛みを求めるリストカッティングなどの自傷行為であった。本書では直接そうした観点が扱われているわけではないが、苦痛を除去しようとする医学の営みは無痛文明の推進勢力に位置づけられる。ラディカルな問題提起には違いない。

     しかしながら、「身体の欲望」から「生命のよろこび」へという道徳臭さにはいささか鼻白む。評者の小学校の時の校長は、遠足で疲れたあとに食べるおにぎりのうまさはほかでは味わえないと、おかずを持っていくことを禁じた。ごもっともなのだが、そんな風にいつでも艱難汝を玉にすでなければいけないのだろうかと、ナマケモノの評者は思うのである。

  • 朝の礼拝で紹介された本です。

    【紙の本】金城学院大学図書館の検索はこちら↓
    https://opc.kinjo-u.ac.jp/

  • 著者は意図をもって愛する人を無痛化させ自分がその痛みを背負うという喜びをまだ知らないのかもしれない。

    私の敬愛する神(キリストさん)は、人間はただ楽しく踊り、美味しく食べてさえいれば良いのです、というような意味のことをおっしゃっている。
    私の敬愛する小田島なんとかさんは、イスラム国に関する記事で、平和ボケした先進国の人はただ平和にボケていれば良いのです、的なことをおっしゃった。
    私の敬愛するロズウェルという米TVドラマには「僕も一緒に共有したいんだ、君は何か悩みを隠しているんだろ?」と毎日熱心に問い詰められ、つい面倒になって自分が宇宙人であることを暴露した妻が「化け物!」と言って逃げ出した夫の記憶を消して翌日からまた同じ質問をされ続けるという回があった。これは夫が妻にベタ惚れして妻がそれに応える形の結婚(確かそのせいで妻は自分の星に帰るのを諦めた)という曰く付きだった。

    人間には越えられない壁、耐えらえない現実というものがある。願いと現実は決して連動しないし、強さ、弱さもそれぞれである。だが、それらが形作る運命がこの世界の存在理由ではなかったろうか。
    無痛化させた者の分の痛みを、彼らを愛するより強い別の人間が背負うという仕組みが、しばしば先に挙げた聖書やドラマのテーマとなるのは、今はまだおぼろげだが、いつか全ての人が必ずたどり着く、そうでしかあり得ない美しい真理を私たちがすでに知っているからではないだろうか。

    子育ての時に私たちが、彼らに経験を与えるべきでない時、与えるべき時のコントロールを繰り返しながら導くことに悲しみは見当たらないはずである。あるいは経験を与えるべきでない時が永遠のように続いたとしても、私たちがなすべきことに変わりはないはずである。

    時という概念が見せる相対性とパラメータの変化がこの世界を世界たらしめる。
    このできごとを著者はまだ「経験」していないのではないだろうか。

    著者の苦しみが神の孤独を解し、無痛文明を全肯定できるまでに転轍することを願っている。

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著者プロフィール

1958年高知県生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士後期課程単位取得退学。大阪府立大学にて、博士(人間科学)。東京大学、国際日本文化研究センター、大阪府立大学現代システム科学域を経て、早稲田大学人間科学部教授。哲学、倫理学、生命学を中心に、学術書からエッセイまで幅広い執筆活動を行なう。著書に、『生命学に何ができるか――脳死・フェミニズム・優生思想』(勁草書房)、『増補決定版 脳死の人』『完全版 宗教なき時代を生きるために』(法藏館)、『無痛文明論』(トランスビュー)、『決定版 感じない男』『自分と向き合う「知」の方法』(ちくま文庫)、『生命観を問いなおす――エコロジーから脳死まで』(ちくま新書)、『草食系男子の恋愛学』(MF文庫ダ・ヴィンチ)、『33個めの石――傷ついた現代のための哲学』(角川文庫)、『生者と死者をつなぐ――鎮魂と再生のための哲学』(春秋社)、『まんが 哲学入門――生きるって何だろう?』(講談社現代新書)、『生まれてこないほうが良かったのか?』(筑摩選書)ほか多数。

「2022年 『人生相談を哲学する』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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