明治維新という過ち―日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト

著者 :
  • 毎日ワンズ
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  • Amazon.co.jp ・本 (319ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784901622820

作品紹介・あらすじ

いまも続く長州薩摩社会。偽りに満ちた「近代日本」誕生の歴史。

感想・レビュー・書評

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  • 視点をかえて見る幕末・明治維新。
    なるほど、これは読んでみて良かった。
    ただ、前半三分の一ほどで感じた内容が全てで残念ながら後半は蛇足の感を否めなかった。

  • 「勝者史観」
    政体の変革時には、新政体の正当性を示すために、前政体の否定、破壊を伴う。
    信長による寺社への弾圧と室町幕府の破壊しかり、秀吉による信長遺児たちへの行為しかり、家康による豊臣家滅亡しかりである。
    それを大事の前の小事ととらえるか、それとも重大な問題ととらえ、忌むべきものと考えるか。
    司馬さんが常々言っていた「明治維新から日露戦争までは良かった。昭和に入ってから魔法にかかったようにダメだった」は、所詮は結果論であり、歴史の連続性を無視しているように感じていたが、本書を読んで、それが長州の狂気に端を発して、正に歴史的に連続している事を知って、完全に腑に落ちた。

  • 勝てば官軍
    社会の安寧を維持するため、人間社会が紡いできた各種規範。
    大人の世界の話である。
    そんな大人の規範の重みを理解できないというか、無知というか、どうしようもないはねっ返り。
    塩野七生さんのベネティア共和国1千年の歴史の終焉を思った。
    コルシカ島生まれの田舎者は、ベネティア共和国がとってきた外交政策の意味が理解できなかったとしている。

    長州のはねっ返り、組織としての統率が無きに等しい奇兵隊。
    西郷の憂鬱。
    きちんとした事実資料に基づく明治維新という過ち。
    その引き継がれた資質は安倍政権にも影響が?

  • 確かネットで流れてきて興味を持ったのが初め。
    祖先が山川捨松であることも、現首相が山口県出身なのも、おおいにこの本を読むきっかけとなった。
    レビューを読んだ時は「そんなワンピースみたいな話があるわけない」と思いつつも既に読む腹は決まっていたので購入し読み始めた。
    数ページ読み進めると、著者がこれまでどれだけのデータを集めてきたか、どれだけ文献を読み込んだかがありありとわかった。
    『歴史とは血の通った人間が作り上げてきたものである(大意)』
    という著者の主張には大きく首肯する。
    (時折著者の政治的スタンスを押し付けてくるのが煩わしいが。)
    著者の頭の中には人物が存在し、それが勝手に動くのだろう。
    「◯◯はこのような人物であったからこう考えた可能性が高い」
    と言った文言が散見される。
    その著者の情熱に唸るわけだが、それよりも驚いたのが、『正史』を紐解いていっても、『学校で習う明治維新』は不可思議なことばかりであるということである。
    不可思議というか整合性が取れない。
    尊王攘夷の流れから、徳川家が潰れ、朝廷に政権が渡ったのになぜ西欧化を目指したのか。
    この観点からでもどんだけでも突っ込みどころがある明治維新。
    今まで疑問も抱かずによくここまで来たものだ。と思う。
    著者の意見を鵜呑みにするわけではないけれど、正史を疑ってかかることも非常に重要だと感じた。
    理解しきれていないところもあるのでもう一度読み直したい。

  • 幕末に関していろいろ本を読み始めてから(特に初歩的な本が多かったのですが)感じていたさまざまな疑問が半分ぐらい氷解しました。
    そして、「歴史って(勝者によって)こうして作られるのか~」ということもわかりました。
    「吉田松陰ってすごい人」っていうのは後世で薩長が自分たちを正当化した歴史のために祭り上げられたとか、
    奇兵隊はならず者の集まりとか、しかも高杉晋作ははならず者の親玉とか・・・なんとなく感じていたことを半ばボロクソに近いぐらいの書き方でした。これ大丈夫かしら?と本気で心配します。
    攘夷を唱えながら御所を襲撃するという論理思考はわけわからん、という意見には賛成。

    ただ、薩長が仕切ったせいで太平洋戦争の悲劇が起こったというのは言い過ぎというか飛躍しているような気がします。これについてはここに至る思考プロセスをもうちょっと詳しく書いてほしいですが別著にしたほうがいいんでしょうねきっと。

    これ登録の際に知ったのですが、「明治維新の過ち」会津版というのも出ているのですね。そっちも読んでみたいです。

  • 歴史は勝者にとって都合よく書き換えられている、という良い事例だと思った。歴史上の人物は美化されることが多い。それにしても、今まで聞いてきたことと違いが大きい。官軍教育とはこれほどのものだったのか。龍馬が好きなのか、竜馬が好きなのか。フィクションとして歴史上の人物を見た方が、楽しめる。今まで読み聞きしたこと、この本で読んだことを含めて、そのまま信じることは危険だと覚えておかなければいけない。

    知らなかった観点
    志士と呼ばれている人物たちは暗殺者集団
    松下村塾を開いたのは玉木文之進
    山縣有朋が吉田松陰を神格化した
    明治維新という言葉は、その当時にはなく御一新と言われていた。昭和になってから、明治維新と呼ばれるようになった。
    尊王攘夷をスローガンとしていた薩長軍よりも幕府側の方が尊皇度合いは高かった
    鳥羽伏見の戦いの時点では、西軍は官軍として認識されていなかった
    三せる営業が日本の企業社会にあった(どの業界にもなのか?)
    明治新政府の長州人たちの腐敗が許せなかったから、西南の役につながった
    滑腔式vs施条式、前装式vs後装式
     戊辰戦争は、刀と銃の戦いだと思っていたよ
    西本願寺は長州藩に近かった
    藩という言葉は、版籍奉還の時に作られた言葉。2年ぐらいしか使われなかった。
    豊臣の時代から、西の毛利と島津は警戒されていた

  • レビューを見すぎると、「こういう本か…」と半分読んだ気になるのか、気になりながらなかなか手に取ることがなく、刊行からだいぶ経ってやっと読むことができた。前半部でちょくちょく旧民主党への批判的なくだりがあるのと、学生運動のエピソードなどから察して、政治的スタンスが微妙かなぁと思ったけど、結局グイグイ引き込まれて、遅読の私にしてはずいぶん早く読み切った。維新の裏面、残酷な事実に息が詰まる思いがした。知らないことがこんなにもあるのかと。二本松少年隊は知らなかったし、会津戦争もこれほどまで悲惨なものだったとは。斗南(地名すら知らなかった)の苦難も同様です。「明治維新」はリアルタイムではなく当時は「御一新」、「藩」という言葉も「廃藩置県」の前後数年使われたというのも意外だった。奇兵隊がこんなに野蛮だったというのも…。無論、これを現代の山口県人と当てはめて考えてはいけない。ただ、著者も書いているように、会津の悲劇と福島第一原発事故をどうしても重ねてしまう。中央政府のしわ寄せはなぜ東北、福島にこういくのか…。読み終えて、著者に政治的スタンスを云々するのは適当でないと思った。左派右派ともに、“明治維新“を一度きちんと総括すべきというのは異論の余地がない。

  • ここまで書いちゃっていいの?面白い!

  • 学術的な事実のうち、作者の考えに沿った事実を集めればこうなる。決して間違いではないが、導かれる結論ば極端と言える。志士の本当のパーソナリティ、特性・個性などどうでも良いであろうし、正直よくわからない、が正解のようにも思えるが。

  • エッセイとまでは言わないが、
    史料以外の筆者の意見や考察も多分に入っている点は注意が必要。
    ただこれまで盲目的に薩長の作り上げた歴史が信じられている訳で
    これくらい激しい意見表明があっても良いとは思う。

    確かに最初に薩長が企てた『明治維新』は失敗しているのだし、
    偽勅の件なども書かず幕府サイドが時代遅れで何も考えていなかったように
    教科書などに書かれていて、それを未だ鵜呑みにしている人も多いのは
    由々しき事態である。
    赤報隊なども1、2行しか書かれていなかったと記憶している。
    キリシタン弾圧についても、酷い弾圧があったという書き方しかしていなかったろう。

    よく外国の人からすると、窓に鉄格子も無い民家や
    ATM、自販機が置いてある日本が信じられない治安の良さに
    感じると言われるが、
    御所の塀が低いことにも同じことが言える。
    防犯意識が低いのではなく、
    本来日本人ならば、御所に弓を引く行為など発想すらしえなかったのだ。

    英国公使館焼き打ち事件も、よくよく資料を読むと実は
    まだ誰も住んでいない館に真夜中に忍び込んで爆弾を置いて逃げただけなので
    だいぶ印象が変わってくる。
    これは池田屋事件についても同様で、長州が企てていたことを知れば
    血相を変えて拷問をしてでも古高から情報を聞きたがった理由がわかるし
    命の危険がある中どこかもわからず京の町を虱潰しに
    探すしか無かった新選組のことを思うとどれほどの緊張感であったろうと思う。

    多分、幕府と朝廷が対立しており、将軍派か天皇派かという争いだった
    と勘違いしている人は、一定数未だにおられるだろう。
    『現在も続いている「官軍教育」』という言葉は大袈裟でもなんでもないし、
    「司馬史観」は予てから疑問であったので
    原田氏がはっきりいってくれたことで気持ちがすっきりしたところもある。
    司馬氏の作品は好きなものも多いが、
    読んで見れば「明治維新」至上主義者であることはすぐにわかる。
    「明治維新」至上主義に基づいて、新選組など好きではないと思いながら書かれた燃えよ剣が
    新選組ファンのバイブルとして持ち上げられているのを見ると、
    これを読んで純粋に楽しめるなど、本当に新選組のファンなのかと正直思ってしまう。
    作品を読んだことがない方でも、歴史を勉強されている方であれば、
    司馬氏は勝海舟好きで桜田門外の変も評価していると聞けば
    察するものがあるのではあるまいか。
    『明治以降の近代化という名の社会システムと価値観が明らかに行き詰まりを迎えているこの時代に、この近代化をもたらしたことになっている「明治維新」と呼ばれる動乱の時代を、無条件に美化したり、肯定することは許されないのだ。』
    『政治家たちは、「維新」という言葉が包含する、論理を否定する暴力的な意味を知って使っているのかといえば、さすがにそうではあるまい。単なる無知の為せるところであろう。』
    という言葉に共感する。

    戊辰戦争は避けられた内訌であると自分も思う。
    山内昌之氏
    「歴史とは、現実の果てしない積み重ねをどう解釈するかであって、
    人間がひとつの理念で均質に作り上げるものではない」
    作家中村彰氏
    「(水戸学は)理念が展開していくのが歴史だと決めつけているから、
    そこから外れる要素が出てくると、歴史そのものを修正しようとする。
    そこで観念的な精神の高揚が生まれ、
    天誅という名のテロリズムへ走ることにつながる」
    という言葉も印象に残る。
    もし『江戸幕府が、慶喜が想定したようなイギリス型公議政体を創り上げ、
    小栗上野介が実施しようとした郡県制を採り、
    優秀な官僚がそれぞれの分を果たしていけば』
    確かにスイスや北欧諸国のような国に日本がなっていた可能性は
    あると自分も思う。
    せめて蝦夷が共和国として残っていれば希望があったのではないか。
    バラエティ番組が勝手な放送内容を作成し
    市が理由と放送の内容を知って驚いて抗議したものの
    制作会社は「もう収録も終わっていて再編集できない」として拒否した
    というのも流石マスコミとは言え、随分酷いエピソードだ。
    テレビ番組の嘘を、自分で調べることなく鵜呑みにしてしまう人は
    少なからずいただろう。
    明治元年に会津藩領内すべての郷村の百姓たちが
    松平容保父子の助命嘆願書を提出したというエピソードは凄い。
    名主たちが東京まで来て差し出し、その旅費などは町方が負担したという。
    如何に容保父子が愛されていたことか。
    石筵の話、確かに検索してみると『理由も無く焼いた』
    『会津藩は領民に恨まれていた』という記述がちらほら見つかった。
    長州・萩市側が「もう百二十年も経ったので」と言うのは
    傍から見ていて疑問である。許されて然るべき謝罪をしたのか。
    その上での120年なのかというのもポイントだと思う。
    どんな犯罪も、加害者側は被害者側の人生を滅茶苦茶にした自覚がなく
    適当な謝罪で許されて当たり前だと思っているものだ。
    多分長州側では自分たちが会津で本当は何をしたか
    知らない人も多いのだろう。
    徳川家は絶対君主ではなく、大名連合を牛耳っていただけ
    という感覚も無いと思われる。
    明治の欧化主義は今日まで続いている。
    日々しんどいと感じることの元を調べると大抵が明治以降の欧米化に端を発する。
    ジョルジュ・フェルディナン・ビゴーの名前を知らなくても、
    風刺画は教科書などで見たことがある人が多いだろう。
    日本に憧れて来日までした人が、日本政府に嫌気がさして離れていく。
    『私たちは、勘違いをしていないか。
    「新時代」「近代」と、時代が下ることがより「正義」に近づくことだと錯覚していないか。「近代」と「西欧文明」を、自分たちの「幸せ観」に照らして正しく位置づけているか。そして、「近代」は「近世」=江戸時代より文明度の高い時代だと誤解していないか。』
    これは本質をついた指摘だと思う。
    『そもそもこの物差しが狂っていることに、いい加減に気づくべきであろう。』という言葉に全面的に同意する。

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著者プロフィール

原田伊織(はらだ・いおり)
作家。京都伏見生まれ。大阪外国語大学卒。2005年私小説『夏が逝く瞬間(とき)』(河出書房新社)で作家デビュー。『明治維新という過ち』(毎日ワンズ)が歴史書としては異例の大ヒット作となり、出版界に明治維新ブームの火をつけた。「明治維新三部作」として、『明治維新という過ち』『列強の侵略を防いだ幕臣たち』『虚像の西郷隆盛 虚構の明治150年』(共に講談社文庫)がある。その他の著書に『官賊に恭順せず 新撰組土方歳三という生き方』(KADOKAWA)、『明治維新 司馬史観という過ち』(悟空出版)、『消された「徳川近代」明治日本の欺瞞』(小学館)、『日本人が知らされてこなかった江戸』『知ってはいけない明治維新の真実』(共にSB新書)など。雑誌「時空旅人」に『語り継がれなかった徳川近代』を連載中。

「2021年 『昭和という過ち』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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