百年の愚行 ONE HUNDRED YEARS OF IDIOCY [普及版]
- Think the Earthプロジェクト (2002年4月22日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784901818001
感想・レビュー・書評
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自然環境破壊
戦争
便利と引き換えに失ったものは大きい -
20世紀世界史を写真と共に振り返る一冊。
科学技術の進歩は確かですが、人類は緩やかに衰退しているのではないかと恐怖しました。
かつて21世紀の未来科学に夢を見て期待した世代も、科学だけでは解決できない宿題が山積していることに気付き始めています。
21世紀(2001-2014年)の写真集「続・百年の愚行」に続きます。 -
深く深く考えることが出来る本。
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烏兎の庭 第四部 書評 3.3.13
http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto04/diary/d1303.html#0303 -
20世紀を象徴する人間の愚行の数々を、並べる写真集。
21世紀に入って10年たった今だからこそ、手にとってみました。
戦争、環境破壊、貧困の放置・・・結果のみ見れば、確かに「愚行」なんだけれど、愚行を直接deliverした人々は、多くの場合写真に写っている対象に対して、直接にその「愚行」を意図してはいなかったと思う。
何か違うことを頭に描きながら(それは大義であったり、利益だったり、信念だったり責任だったり、単なる慣習だったりするんだろう)、それぞれの行為を意味づける理由を胸に、実行してきた。
映された「結果」から時間軸をさかのぼって、結果を「招いた」人のそういった感情の欠落、無自覚さ、鈍感さを察して、グロテスクに感じるのだと思うんです。
と同時に、そのパラレルの平面に、私自身がいることもまた察して、グロテスクだと思うんです。
精神的にも肉体的にも時間的にも、「現場」は遠い。でも、仮に今数メートル先が「現場」になっていたとしても、今の私は気付くのか?加担してても無自覚だと思います、だって現に今この瞬間がそうだから。
ふと、T.S.Elliotの以下の言葉を思い出しました。
Half of the harm that is done in this world is due to people who want to feel important. They don't mean to do harm. But the harm does not interest them.
写真を通して想像されるもの・・・自分自身の立ち位置から、現場までを繋ぐ糸があるのかどうかということを、立ち止まって考えること。
その解釈作業のために、写真は今も意味を持つのだと思う。
そういう意味では、こういった写真は、人の思考のために材料化された、演出の象徴でしかないんだろうけど。
この本を読んだから、環境運動に従事しようとは思わない。明日からの生活、何か変わるかと言われれば、正直変わらないと思います。
でも、自分の仕事や日々の暮らしという単位ではなく、もっと広く、長いスパンで立ち位置を捉えるきっかけにはなるかと。
この本を本棚に置き、21世紀の半ばに差し掛かった頃、また開いてみたい。
原発事故、北朝鮮やアフリカの飢餓、少しさかのぼれば9,11のテロ、メキシコ湾の原油流出・・・今世紀入ってからも、人が他者(人間以外の生物も含め)に対して犯す行いは多く、それらに関する映像は、前世紀より確実に私たちの目を慣れさせてる。
あと40年。私はどれだけのことを、自覚的に捉えていけるんだろう。 -
以前から読んでみたいと思っていたが、今日たまたま書店で目に入ったので読んでみた。
読んでみて、まず「もっと早く読んでおくべきだった!」と思った。
「愚か」ということは、一体どういうことなんだろうか。
思慮のない行い?
今さえ良ければ、自分さえ良ければという思考に基づいた行い?
自己満足的な欲望に基づく行い?
他人を傷つける行い?
何かをひどく犠牲にする行い?
傲慢な行い?
ではどうして人間は「愚か」な行動をしてしまうのだろう。
取りあえずいま楽をしたいから?
ちゃんと考えようとしないから?
足ることを知らないから?
想像力が足りないから?
知恵が足りないから?
謙虚さが足りないから?
自分さえ良ければいいと思うから?
どうしてそういうことになるのか。
忙しいから?
欲望に突き動かされてるから?
人間という種の欠陥?
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この100年がことさらに深刻だったのか、昔から人間は愚行を繰り返してきたのか。
僕たちは常に深刻なことを考えて生きているわけではないけれども、
実際の世界では、こういうことも起こっていることを、頭のどこかで認識していたい。
その上で、笑ったり、泣いたり、何かを作ったりしていたい。
しかし人類にも救いがあると僕は思う。
それはこうやって自分たちを批判的に見る目を持っていることだ。
もし自分たちをまったく疑うこともなく、万能だと思い、正義だと思い、突き進んでいたなら、
人類は既に生存していなかったかもしれない。
ギリギリでなんとか自制心がある。
そして反省もする。(忘れもする)
自分たちを批判的に見る目をもっている。
そこが人類の救いだと思うし、だからこういう本も出版される。
ただ僕は思うのだが、こういう本を作るのならその対極として
『100年の善行』という本もあっていいのではないだろうか。
人間だって、さすがに愚かなことばかりをしているのではないだろう。
愚行に比べると善行は少ないかもしれないが、その両方を合わせて見ていかなければ、
人類の本当の姿は見えてこない。 -
【さきこ投稿 2023.3.20】
閲覧注意*本書の写真等にショックを受ける可能性があります。
池澤 夏樹、アッバス・キアロスタミ 他(2002)
『百年の愚行 ONE HUNDRED YEARS OF IDIOCY』 Think the Earthプロジェクト
「東京の桜開花なぜ早い、今年も全国トップ予想―気温上昇だけでは説明つかず」という記事がある。
「気象庁によると、日本の平均気温はこの100年で1・28度上がったが、東京都心では3・3度も上昇した。統計では、東京の開花日が最も早かった年は記録が残る1953年以降で6回あるが、うち4回が2000年以降に集中する。都市化による気温上昇で開花が早まったという見方だ。
平均気温の上昇幅は名古屋、横浜、大阪でも2・5度以上で、30年前に比べるとこうした都市での桜の開花の平年値も早まっている。
ただし、東京のこの間の3月の平均気温は9・4度。鹿児島(12・8度)や高知(11・2度)よりも低く、気温の上昇だけでは説明がつかない部分も残る。
一般社団法人・日本樹木医会理事の小林明さんは「樹齢や気温の上昇が開花を早める要素になるのは確かだが、開花時期には冬の冷え込みも影響する。東京の開花がこれほど早い理由は、慎重に分析する必要がある」と話している。」
読売新聞オンラインより抜粋
家の近くの池では60年ほど前はスケートができたそう。今は薄氷も張らない。
人口減少に向かっているのに、東京では高層マンションが建設し続けられている。
自然は変わっていく。そして人間は思考をなかなか変えられない?
この本は20世紀に人間が、地球と人間にしてきた数々の事実の写真が100点収められている。どれも胸が締め付けられる。そして目を背けてきた痛みに触れる。
一枚一枚ページをめくり、「どうしてこんなことをするのか」と当事者でない私は呆然とするけれど、いざそこに追い込まれた当事者は、目が当てられないことまでしてしまう、止められない狂気。
それは、生きていくためにすること。お金のためにすること。名誉のためにすること。どれも終わったときに、「間違った」と思ったとしても、歴史は残る。
今年も桜は美しく咲いて、冬の寒さに耐えた人をほころばせてくれる。
その花の陰に今この時も、苦しみながら生きる命がある。命とは、人、動物、植物、空気も水も、地球も全て。
22世紀にまた、21世紀を振り返り「百年の愚行」が発行されることを防ぐにはあと77年ある。
そのために何ができるかと問う。
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この本は新潟にある旅館「里山十帖」のラウンジで手に取り、くつろぎにいく旅館にこのような本があるということに、私は衝撃を受けた。タイトルに吸い込まれるように本を広げ、全頁を凝視してわかったことは、この内容を受け取るには、心に隙間ができたときしかないのだと。
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写真により感情を呼び出し、そこに浮かぶ自らの言葉を確かめる読書。写真集、エッセイ。アイロニー、リアル。
ー不寛容、無知、愚かさゆえに熱心にいがみあう敵同士が、実は必然的に似たもの同士であることを僕たちは既に知っている。地球の回転を止めてくれ、俺は降りたいんだと叫びたくなることがままある。それでも僕同様、この世に生まれてきた不都合に全力で対処しようと努力している人々に同情を寄せないわけにはいかない。もしかしたらいつの日か、みんなが愛し合うようになるかもしれないのだ!
アッバス・キアロスミタ
米国資本のユニオンカーバイト社ボパール農薬工場から猛毒のMIC(インソチアン酸メチル)ガスが漏出。1万6千人が死亡する史上最大の化学工場事故。
チェルノブイリの原子炉は160トンの放射能を待機中に放出。事故作業に当たった作業員など5万5千人以上が死亡。その内40%が精神的障害による自殺。
クローン羊第一号のドリー。壱岐の漁民が天敵であるイルカを大量撲殺。動物実験で並べられたウサギの頭。銅山の廃石で汚染された赤い池。
・・最も衝撃を受けた写真は人間の死体だった。
これが百年の愚行の真因と言わんばかりに、ブッダのことばを引く。悪魔パーピマンが言った。
「子のあるものは子について喜び、また牛のあるものは牛について喜ぶ。人間の執着するものは喜びである」ブッダは返す。「子のあるものは子について憂い、また牛のあるものは牛について憂う。実に人間の憂いは執着するもとのものである。執着するもとのものがない人は、憂うることがない」 -
消費を消費する。
アッバス・キアロスタミのエッセイが載っているという理由で購入。彼のエッセイ以外も強烈で興味深い内容だった。決して面白いと言える本(写真集)ではないが、21世紀を生きる我々は必ず読んだ方が良いと感じた。
もう21世紀も5分の1が終わったのか。