改訂 昔話とは何か

著者 :
  • 小澤昔ばなし研究所
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感想 : 6
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  • Amazon.co.jp ・本 (270ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784902875287

感想・レビュー・書評

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  • 日本の例やドイツの例が出てきますが、そこには共通部分と民族性の違いが見られます。言葉の使い方自体も昔話の特徴があり、翻訳物の昔話というのは、実は魅力のほとんどが失われているのかも、とも感じました。三、七、十二といった、昔話に定番な数。末っ子など、一番立場が弱いモノが成功すること。
    昔話の記号化からその意味を読み解いていく試みは、一見無粋なようにも見えますが、印刷や照明といった技術で、昔話の価値が相対的に低下しているであろう今、私たちは伝承の途中にいるのであって、終点ではない、という言葉に重みがあり。

  • NDC: 388

  • オザケン(といっても私はよく知らないけど、歌をうたってる人?文章も書いてる?)の「うさぎ!」という話を読んでみたくて、「うさぎ!」が連載されていた季刊誌『子どもと昔話』を順に借りている(残念ながら近所の図書館には第1~3回を掲載した号がなく、私は第4回から読んでいる)。「うさぎ!」も読むが、他のページもおもしろくて、再話された昔話とか、昔話についてのQ&Aとか、小澤俊夫の主義主張とか、ほとんど全部読んでは返して、また次の号を借りている。「うさぎ!」は既に連載が終わっているそうで、Wikipediaによると、「現在行なわれている全国ツアーにて、連載の全18話を収録した本3冊のボックスセットを販売中」らしいのだが、図書館ではこういうモノは読めそうにないのと、この雑誌のその他の部分もかなりおもしろいので、一冊ずつ借りてゆっくり読んでいる。

    初めて読んだときの「うさぎ!」の印象は、エンデの『モモ』っぽいな、というものだった。灰色、というのも出てくるし。

    小澤俊夫はオザケンの父だそうで、『子どもと昔話』を借りて読んでいるとき、たまたま図書館の面陳でこの本が出ていて、あ、昔話の人やと思って借りてきた。

    先に雑誌『子どもと昔話』のなかで、小澤俊夫のいう「昔話」を少しはかじっていたので、その昔話論がきっちりまとめられた感じで(これは1983年に出た本の改訂版)、へえ~~~と思ったり、そういう話があるのかと思ったり、奥付のところでは「口承文芸学者」という肩書きが書いてあるのだが、「口承文芸」たしかに口伝えの話やもんなあと思ったり。

    そしてちょうど並行して読んでいた萱野さんの『アイヌ歳時記』で、萱野さんが、こういう場面でうたう歌だとか、こんなときに唱える文句だとか、なんでここまでよくおぼえてるんかなあと思っていたが、それは、まさに口伝えで、祖母から、あるいはアイヌの村びとから聞いてきたことだからかなと、小澤「昔話論」を読んでいて思った。

    福島で、1978~80年頃、明治生まれの幕田仁さんというおじいさん(当時78歳)に言い伝えや昔話、伝説を聞かせてもらったときのことを小澤が驚きをもって書いている。

    幕田さんがひとつ語り終わるごとに、小澤は「誰から聞いたんですか」とたずねた。ほとんどは「ずんつぁま(じいさま)だね」と幕田さんは答えられたそうだ。ずんつぁまから、幕田さんはどう話を聞いたか。

    「四つ五つから、せいぜい八つくらいまで」、たくさんのきょうだいやいとこたちの中で、仁さんだけが話を聞くのが好きで、ずんつぁまに、いろりで、あるいは寝床で話を聞かせてもらっていたという。

    夜になると、仁さんがずんつぁまに「ゆんべの続き、ねえかや?」「ざっとむかし、聞かせてけろ!」と言ったりしてせがんだそうだ。こんな風に、ずんつぁまから聞いた話をしていると、ずんつぁまのことを思いだすでしょう?と小澤がたずねると、仁さんは笑みをたたえ、そうだなと言われたという。

    驚くのは、仁さんが、子どもや孫に「むかしの話」を一度も聞かせたことがないと言い、つまりは、ずんつぁまから話を聞いたあと、全く語ることもなく70年たって、小澤たちにせがまれて、思い出して語れることだ。

    小澤はこのことを知りたくて、いろいろと考え、こう書いている。

    ▼…昔話の研究者たちの報告には、かならずといってよいほど、いい語り手はすぐれた記憶力の持ち主だと書いてある。それはたしかなことであろう。しかし、それだけで、数十年も忘れていた「むかし」を思いだせるものだろうか。
     仁さんは、私の「こんな話すると、ずんつぁまのこと思いだすでしょう?」という問いに、「うん、思いだすな」といっておられた。私は、仁さんが、ひとつ語りおえると、手を頭にやってじっと考えこんだり、両手をあわせるようにして考えこんでいる姿を見ながら、確信した。
    「このおじいさんは、昔話を思いだすとき、そのテキストを思いだしているのではなくて、語ってくれたずんつぁまを思いだしているのだ。ずんつぁまのまるくなった背中、その声、声の調子、いろりの火、まきのもえるにおい、すりきれた畳のへり、あたりの暗さ、たばこのやにのにおい、木綿のふとんの肌ざわり、そんな全部を思いだしているに違いない」(p.250)

    …仁さんはこんな話をすると、ずんつぁまのことを思いだすといわれた。…私は…仁さんが「むかし」を思いだすときいは、「ずんつぁま」を含めた全体を思いだしていると思うのである。
     「ずんつぁま」と、彼を含めたそのときの全体、それはべつの言葉でいえば、仁さんが話を聞いた「場」といえる。その「場」が大切なのである。
     人が昔話を聞いたことを、自分の人生のひとこまとして思いだすときには、語ってくれた身近な人への懐かしい思い出を中心にして、語ってくれた「場」を思いだすものだと思う。(p.252)

    だからこそ、仁さんは昔のはなしを70年たっても語れるのだろう。

    昔話、イコール童話、イコール教訓的お話という誤解がある、との指摘も、へえええと思った。エエ子になれとか、こうすべき、こう生きるべきというような狭いものではなく、昔話はもっと広い人間観や世界観、自然観がしみこんだものだ、人びとの間で口伝えされてきた昔ばなしは、そういう人間観や世界観をごくひかえめに表現する、と小澤はいう。それは、すなおな心で聴き、あるいはくりかえし聴くなかで、伝わる人には伝わるものだったのかなあと思う。

    萱野さんが、『知的〈手仕事〉の達人たち』の話のなかで、「アイヌ語だけは、いつ頃誰から聞いたか、状況がぴたりとわかる」と言っていたのも、その「場」を思いだすものだったからかなあと思った。

  • 2009/8/27図書館で借りる
    2009/8/31返却

  • 物語の成り立ちに興味のある人には、すごく面白く読める本。

    改訂版の前のものが絶版になって、今回の発行に至ったようだが、これが絶版なんてもったいない!
    私は図書館で借りたのですが、改めて買います。手元に置いておく価値のある本です。

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著者プロフィール

1930 年生まれ。口承文芸学者。
筑波大学名誉教授。小澤昔ばなし研究所所長。
日本や世界の昔話の研究を続け、1992 年から全国各地で「昔ばなし大学」を開講、
昔話の魅力を広く伝え、語りの普及に努める。

「2022年 『昔話の扉をひらこう』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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