ルシファー・エフェクト ふつうの人が悪魔に変わるとき

  • 海と月社
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  • Amazon.co.jp ・本 (808ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784903212463

作品紹介・あらすじ

考案者が初めて明かす「スタンフォード監獄実験」の全貌と悪をめぐる心理学実験の数々、アブグレイブ刑務所虐待の真相。人間の知られざる「悪」の本性とは?戦争、テロ、虐殺、施設・家庭での虐待、いじめ、差別、企業の不正…人を悪に走らせる「元凶」を暴く衝撃の書。

感想・レビュー・書評

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  • “スタンフォード監獄実験”という実験をご存じだろうか。今初めて知ったという方は、監獄実験という言葉の響きから、不気味、もしくは怖そう、という印象を持った方もいるかもしれない。確かにこの実験は恐ろしい。なぜならこの実験は人間の悪の部分を明らかにしたからだ。

    筆者がこの実験を知ったのは10年ほど前のことだ。フジテレビ系列で2015年現在も放送されているテレビ番組『奇跡体験!アンビリバボー』の中で特集されていたのである。

    スタンフォード監獄実験とはスタンフォード大学の地下に作られた模擬監獄を舞台にふつうの大学生である被験者を囚人役と看守役に分け2週間過ごしてもらい、役割や状況が人にどんな変化を及ぼすかを調べるために行われた実験である。

    しかし、実験は6日間で中止されてしまう。その間に囚人役の学生4人が極度のストレス反応を示し実験から離脱、さらに看守が役にのめり込み始め暴走を始めたからだ(参加者は全員実験終了後、そうした混乱状態から回復した)。番組は環境によって人間は悪になりうるとまとめられて終了した。

    ちょうど厨二病を発症し始めた時期に、こうした番組を見たからだろうか。「人間って何なんだろう」そんな思いと一緒にこの番組の記憶は自分の頭に刻み込まれ、それは今も残っている。そして番組から10年後のある日、本屋で私はスタンフォード監獄実験の発案者である著者の書いたこの本を見つけたのである。

    この本は序章と、本論の全16章で構成されている。ページの多くがスタンフォード監獄実験に割かれており、実験の始まった日曜日から実験中止となる金曜日までの実験の様子が時系列に沿ったかたちで描かれ、実験の考察がなされた後、様々な悪をめぐる心理学の実験の紹介、そしてイラクのアブグレイブ刑務所問題について書かれる(アブグレイブ刑務所については後述)。

    本国アメリカでの出版は2007年で邦訳されたのは2015年。著者はスタンフォード監獄実験の発案者で同大学の心理学名誉教授であるフィリップ・ジンバルドーだ。

    この本で印象に残るのは詳細な監獄実験の様子だ。監獄実験に参加した学生は最初は24人(後に囚人役で2人追加される)だった。彼らは実験の参加によるアルバイト料目的でやってきたのだが、著者は100人近くの応募者の中から、逮捕歴などのあるものを除き、その後、著者の助手2人が一時間かけて心理査定とインタビューを行い最終的に“ふつう”の学生24人に絞り込んだ。さらに看守役と囚人役の振り分けも無作為に行われた。

    重要なのは、看守役も囚人役もいずれもふつうの大学生で、またそれぞれの立場は最初の振り分け次第ではいくらでも逆転することはありえた、ということである。

    著者は看守役の学生たちに、本当の刑務所であるよう演出するためこれが研究や実験であることは決して口にしないように、と厳命しまた、法と秩序を守る、囚人に対して暴力を振るわない、脱走を許さない、囚人は無力という共通理解をつくる、といったことを看守役に守るよう伝えた。また看守たちには制服のほか、一様のサングラスを与えられた。

    実験が始まり、初めはふざけた様子の囚人たちも、囚人服を着せられ足にカギ付きの鎖をつけられ、髪を剃る代わりにナイロンで作られた帽子を頭にかぶせられ、囚人番号でしかよばれなくなると、徐々に自分たちの役割を理解し始め重い空気になっていく。

    囚人たちを苦しめたのは看守による点呼だ。毎日、看守のシフトの交代ごとに行われた点呼はたった9人の囚人に対し、1時間以上行われることもしばしばだった。囚人たちはそれに逆らうことも許されず延々と看守の難癖につきあわされ、自身の番号をひたすら繰り返す。

    囚人たちの反抗も行われたものの、看守役は権力をもってこれを押さえつけ、結局実験開始後36時間で精神に不安定な兆候が見られた一人が離脱、実験4日目には看守に反抗した囚人が懲罰部屋に閉じ込められた後、看守が他の囚人たちに八一九(反抗した囚人の番号)を責めるよう命令し、他の囚人から責められた八一九はヒステリーを起こし帰宅を余儀なくされる。

    こうした状況下だが、囚人たちは実験を辞めようとはしなかった。実験4日目にもし今すぐ自由になれるならアルバイト料はもらわなくても構わないか、という質問に対しほとんどの囚人はイエスと答えのだが、だれもそれに続いて誰も「だから実験を辞めます」とは言いださなかった。もはや囚人たちは自分たちに決定権はない、と思い込んでいたのである。

    そして実験5日目。さらに二人が離脱し実験の中止が決定される。その日の深夜の点呼の際出された命令があまりにも異常なので、本文から引用する。

    「ようし、聞いてくれ。おまえたちは三人は雌のラクダだ。こっちへ来て四つんばいになれ」。三人が指示に従った。上っ張り一枚をはおっているだけで下着をつけていないので、裸の尻がむき出しになる。喜びを隠しきれないヘルマンが命令を続けた。「さて、おまえたち二人は雄のラクダだぞ。雌の後ろ側に立って交尾(ヘンプ)しろ!」
    “交尾”(ヘンプ)と“背中のこぶ”(ヘンプ)の駄洒落をバーダンが面白がって笑った。拒絶できない囚人たちは、身体こそ接触させないものの、後ろから突き上げるような動きをして交尾をまねる。やがて囚人たちは監房に戻され、一方の看守たちは、今晩の仕事をじゅうぶんやり終えたとばかり、満足げに控え室へ戻った。
    本書p287より引用 ※( )は著者による補足

     この頃には囚人役が看守役に殴りかかるなどの暴力事件や、看守が囚人に懲罰として腕立て伏せを行わせるとき、看守が腕立て伏せをしている囚人の背中を足で押さえつけるなどといった行為が見られるようになっていた。わずか数日で“ふつう”の大学生たちは実験ということを忘れ、自身の役割と監獄というシステムに飲み込まれてしまったのである。

     著者はこうした状況になるまで実験を中止する判断を下せなかったことを悔いており、実験の責任者である自分までもが状況に飲み込まれていた、と本の中でも釈明している。

     この本の中で次に多くページが割かれているのがアブグレイブ刑務所についてだ。アブグレイブ刑務所はイラクにあった刑務所で、イラク戦争前までは政治犯の収監に使われ、イラク戦争後は、アメリカ軍による捕虜収容所として使われていた。しかし2004年に、米軍関係者による捕虜への虐待や拷問が明らかとなり、刑務所は閉鎖された。

     捕虜虐待の様子を写した写真が何枚かこの本には収録されているが、本当に見るに堪えない。そしてそれらの写真で何より異常なのは、虐待されている捕虜とともに笑顔で写真に写る看守(米軍兵士)の姿である。不祥事発覚後の裁判では、一部の看守たちに対し処罰が下された。

     著者は被告となった看守の鑑定人となり裁判でも証言することになるのだが、その過程で、問題は看守個人だけではなく、刑務所をめぐるシステム全体であったことに気づき始める。

     たとえば刑務所はイラクでも治安の悪い地域にあり、武装勢力による攻撃がしょっちゅうあったことや12時間ぶっ通しの勤務を40日間連続で行わされたこと、さらには看守に対して事前の研修がなく、現場に入ってからも上官の指示はほとんどなかった。
    さらに言葉の通じない囚人たちの暴動が相次ぎ、有力な情報を引き出すよう看守たちにはプレッシャーもかけられた(ちなみにアブグレイブ刑務所に収監されていたほとんどの囚人は後に武装勢力やテロリストなどとは無関係とされた)。

     そして著者は経験不足な若者をこうした環境に置いた軍の責任、管理を徹底しなかった上官、果ては当時のアメリカ大統領、ジョージ・ブッシュにまでこの罪の責任を求めていく。

     こうした人を悪に走らせる理由は何なのだろうか。著者はいくつかの心理学の理論と、過去に行われた様々な実験から考察する。いくつか紹介しよう。

     たとえば非人間化がある。非人間化は自分とは違う感情、思考、価値観、目的を有しているとみなした相手にされ、相手に人間的特性(感情や知性があること)があるということを意識から消し残酷な行為をしてしまう。上記した二つの例からは相手は囚人という意識に加え、アブグレイブでは言葉が通じない、という状況が余計に非人間化に拍車をかけた。

     また人には服従心理があるとされる。心理学者スタンレー・ミルグラムは実験からそうした人間の傾向を明らかにした。そうした心理を人間が持つ理由として、人間はヒエラルキーの中で生活する社会的な生き物で、また組織に入って生活することは自らの生存可能性を高めることにもつながるからだ、としている。

     認知的不協和という現象もある。これは人が自分の信念と違う行為や役割を演じるよう期待、もしくは強制されたとき、心理的ストレスを低減させるため、行動を変えるか、もしくは内面や考え方を変えようとすることだ。

    例えば、相手は犯罪者なのだから、ひどく扱われてもしょうがないと相手にラベリングを貼ったり、自分は正義のためにおこなっている、と自分の行為を正当化することもあるだろう。

    これは何も上記したような特殊な状況下だけに当てはまらない。学校でのいじめ、企業の隠ぺい、人種差別……、あらゆる悪行で人は自分の行為を正当化しようとする。

    他にもたくさんの心理学的考察が加えられていてすべては紹介できないが、もし本書を読んでもらえれば、そうした心理学的働きは決して自分とは無関係でないという事実に行き着くはずだ。そして著者はシステムによって人は悪になりうる、と警告するのである。

     ここまで紹介してきたように、この本の内容はなかなかヘビーだ。詳細な実験の記録は確かに面白い。著者自身が飲み込まれてしまったと語るだけあって、大学生たちが囚人、看守という役割に飲み込まれ、さらに監獄という大きなシステムに飲み込まれていく姿は読みごたえがある。

    しかし、そこで気づかされるのは人間の弱さだ。環境やシステムによって人間は悪になりうる。この世には善なんてないのではないか、そんな気分にすらなってしまうかもしれない。そして後半のアブグレイブ刑務所の様子は、そんな思いに拍車をかけるかもしれない。

     しかし著者は絶望していない。第16章で著者は人間の善の面に光を当てようとする。例えば前述した認知的不協和だがこれをプラスに作用させる提案をする。

     認知的不協和は自分の信念と行為や役割が一致しないと、それを一致させようとして起こる。ならば、例えば人に良い行いを期待すればいいのではないか、とする。例えばあなたは献血をする立派な人だ、と周りが期待したとする。すると人はその認知的不協和から逃れるため、本当に献血に行くかもしれない。そして献血をしていくうちに、自分の行いを正当化し周りの期待がなくても献血にいくかもしれない。

     著者は英雄を例に挙げて私たちを勇気づける。理解できない悪が実は私たちとそう変わらないならば、理解できない英雄も私たちとそう変わらないのだ。「英雄とはふつうとは異なる人だけでなく。非凡なことをした凡人もいる」と。

     著者は15章かけて語ってきた人間の心理的な弱さを利用することで、世界を良いふうに変えるためのヒントをくれる。まるで出来のいいミステリー小説かのように、それまで語られてきた人間の弱さを伏線として、最後に読者が抱いた人間に対する絶望をひっくり返すのである。黒で覆われたオセロの盤をたった数手で白に変えていくかのような、そんな爽快感すら感じさせる幕切れだ。

     著者は悪に組み込まれないための心構えとして10段階の対処法を紹介する。間違いを認めて決して正当化しない、自分の行為に責任を持つ、いずれも当たり前のことだが、それこそが環境やシステムという悪に対抗する基本的なことなのである。なぜならシステムを作ったのは権力かもしれないが、それを実行するのはそのシステム内の現場の人間だからだ。システム内の人間が実行しなければ悪が行使されるはずはない。

     私たちにとってもっとも大事なことはこうした環境やシステムの力を理解し、それに付け込まれる人間の心理の弱さを理解することだろう。すると今まで見えてこなかった風景が見えてくるだろう。そしてその風景は世界を善に変えるための道につながるはずだ。この本はそうした世界への案内書になってくれるに違いない。

    大学の同人誌に書いた書評のデータが出てきたので、こっちにも転載。改めて読み直して感想書きたいけど、ページ数が……

    でも、今でもこの本の理論が共有されれば、世界は少しでも良い方向に変わるという思いは、残っています。

  • 2015年74冊目。

    学生に看守・囚人役を演じさせる模擬監獄実験「スタンフォード監獄実験」。
    当初2週間続行するつもりであったこの実験は、「役割」を超えて彼らが本物の看守・囚人になり、恐るべき虐待が始まったことで6日間で中止された。

    本書はこの実験の発案者であった心理学者のフィリップ・ジンバルドー教授が実験内容を詳細にまとめあげ、イラクのアブグレイブ収容所で起きたアメリカ兵によるイラク人捕虜への虐待事件を中心とした人間悪との共通性を暴く。

    本書の主張は、残虐な悪行に手をかけてしまうのは、「気質的に問題のある一部の個体」ではなく、「どこにでもいる普通の人間」であるということ。
    カギは「個人の気質」にではなく、彼らをそのような行為に傾けさせる背景にある「状況」、そしてそれらの状況を生み出している「システム」にこそあると著者は主張している。
    「一部の腐ったリンゴ」が問題なのではなく、「腐った樽」が問題なのであり、「腐った樽の製造工場」が問題なのであると。
    そのことは、スタンフォード監獄実験やアブグレイブ刑務所の事例のみに留まらない。
    本書で紹介される人間悪を観察した数々の実験によって、条件の設定によって「プチナチス」はどこにでも生まれうることが分かる。

    ハンナ・アーレントは『イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』で、「ユダヤ人問題の最終的解決(ホロコースト)」において主導的な役割を演じたアドルフ・アイヒマンが「いかに凡庸な人間だったか」を説いている。
    人は「自分にできること」を見つめると同時に、「自分が陥りうること」にも謙虚に向き合わなければならないと強く感じる。
    「自分だけはそんな風になるはずはない」と思う人ほど、それがいかに脆く崩れ得るかをこの本を通じて自覚する必要があるだろう。

    逆に、「凡人も英雄になり得る」という希望も最終章で提示される。
    しかし、これに関する研究はまだ進んでいるとは言い難いし、挙がる事例はどうしても「特別な人間による行為」と思われがちなものが多い。
    本書が提示した「悪の陳腐さ」から目を背けないことと同時に、「善良の陳腐さについての報告」を重ねていくことが今後の大きな課題であり希望であるはずだ。

  • 1971年に行われ、現在もあらゆる所で参照され続ける「スタンフォード監獄実験」の全貌を責任者自らが初めて体系的にまとめたもの。紙上で実験を忠実に再現させるべく経緯を物語風に綴っているため、とてもスリリング。1人の従順すぎる囚人が持ち込んだ強い価値観が、看守との衝突を生んだり、看守同士の主導権争いが始まったり、囚人・看守間で即興の取り決めが形成されたりと目まぐるしい。とりわけ点呼の意味合いが変質していく様は興味深く、囚人に自分たちの番号をなじませる場がやがて、看守が権限全般を囚人たちに見せつける場に変わる。

    全貌がわかればわかるほど、不思議な実験である。これを考案し、状況の力に対して警戒心を持っているはずの思いやりある教師が、離脱する学生の個人的な性向のみにとらわれ、冷酷な刑務所責任者に変わっていく過程。すでに状況に飲み込まれ暴走していた実験を、予定の半分で急遽終わらせたのは、自分の恋人である同僚教師の涙だったという事実。”不的確””失敗”と謗られてもしかたがないはずが、社会心理学を代表する唯一無二の実験と呼ばれるようになる。

    この実験の教訓は、「状況こそが重要」であり、その色褪せない価値は「人間性の急変」にあると総括し、読者に「何らかの激しい圧力を受けた状況で、自分がどうふるまうかを、どこまで確信できるだろうか?」と問う。さらに著者は、様々な行為に影を落とし、個人の抵抗をも封じ込めかねない状況やシステムではあるが、それらを生み出すのも人間であり、変えていけるのもやはり我々人間なのだと展望も示している。

    "人間性の暗黒面を探る旅"という本書は確かに相当なボリュームだが、研究者向けの実験報告というよりは、広く一般読者に向けて書かれているので大変読みやすい。著者はよほどサービス精神が旺盛なのか、語り足りない点をWebサイトの方でさらに補足している。判型はちょうど『21世紀の資本』と同じだが、文字が比較的大きくありがたい。あまり聞き慣れない出版社だが応援したくなる。訳文も、誤字脱字なく自然な訳文に仕上げられている。

    実験では看守役に欠員が出なかったため補充はなかったが、朝・昼・晩で組み合わせを変えてみなかったのは残念だ。看守同士も誰とパートナーを組むかで微妙に性格は変わってくるため、必ずしも「良心的」と評価された看守が他でもそうとは限らないだろう。また後年、看守役だったヘルマンが当時を振り返ってかなり客観的なコメントをしていて、「自分でもある種の人間性の実験を行っていた」と語っているが、注目すべき発言だと思った。

    前半の読みどころに、看守役が「悪の創造性」を発揮し始めるシーンがあり興味深い。すでに初日から、ルーティンに膿み、退屈しのぎにあれこれと底意地の悪い指示を考えだし、支配をエスカレートさせていく、創造的なリーダー。学校の現場でも、いじめられっ子に最初に象徴的なアダ名をつけ、様々ないじめの方法を考えつく子と、太鼓持ちで尻馬に乗って囃し立てる子、傍観者のように率先していじめないが決して助けようとはしない子たちを同列に処するのは、対策として効果的ではないなと感じた。

  • ごく普通の人々を、刑務所さながらの施設で看取と囚人の役割に分けたら何が起こるのか。
    スタンフォード監獄実験を企画した心理学教授の筆者が、その実験結果から得られた教訓から、人間の悪が際立つとき、その背後にどういった心理的メカニズムが存在するのか、イラクでのアメリカ軍による囚人虐待などを題材に、教えてくれる。

    普段、何か犯罪が起こったとき、犯人の家庭の状況などを考慮するとしても、その気質がどれだけ異常であるのかという点に、我々の関心は捉われがちである。
    本書を読むと、その認識が一変する。
    確かに、ヒトラー的な指導者には、そうした気質的な問題があるのかもしれないが、その配下としてとんでもない行為を行う人々には、驚くほど普通の人が多いらしい。
    いや、むしろ、家族や友人との関係、社会への参加態度などは、普通より望ましい人が多いとのこと。
    ではなぜ、そのような普通の市民が、凄惨な行為に加担してしまうのか。
    それが、本書で繰り返し言及されている、「システム」、そしてそれが作り出す、「状況」の力である。
    具体的なシステムの特徴としては、個人が責任を負うことを求められないような、「匿名化」、システムの構成員以外を「非人間化」するような扇動が挙げられる。
    このような状況では、人間の、往々にして権力に盲従しやすいという性質もあいまって、個人はいともあっさりと悪魔に変わってしまう。

    イラクのアブグレイブ刑務所では、日々、身元が分からないスーツ姿のアメリカ人が、入れ替わり立ち代り出入りし、捕虜から「情報」を引き出すために拷問を行っていた。
    それを監視する規則も取り組みを存在せず、それを上官に訴えても黙殺される。
    そして、ブッシュ政権の、自国がテロリストから攻撃されるという見えない恐怖に端を発した、ジュネーヴ条約を無視した捕虜の 非人間化による、非人道的な権威。
    おまけに、収容人数に対して兵士の数が全然足りず、ひどい衛生状態で、おまけに、日々砲弾が撃ち込まれて死傷者が出る。
    前半のスタンフォード監獄実験については、実験という日常生活の延長において、1週間あまりでも普通の人間が悪魔に変わってしまうという怖さはあったが、所詮は実験であった。
    アブグレイブの例は、システムと状況の力を軽視すると、凄惨な結果を招くということを、生々しく理解できた。
    戦争というのは極端な例ではあるが、組織の運営を考えるとき、人間を悪に変えるような状況を生むようなシステムにしないよう、細心の注意を払う必要があると感じた。
    また、その意味では、個人に過剰な悪のレッテルを貼るのも、極力控えるべきだ。

    こういう話を読むと、「自分は大丈夫」と思ってしまうのが、人間というもの。
    しかし、自分に対する評価には、常にバイアスがかかることは忘れてはならない。
    我々は誰しも、こういった状況に飲み込まれる危険があるのだ。
    それを防ぐために何ができるのか。
    まずは、やはり匿名化、非人間化の罠にはまらないこと。
    そのためには、常に自分の責任を自覚して行動し、どんな人間でも自分と対等であると認識すること。
    そして、それを妨げる権威には決して盲従しないこと。
    また、現在の状況のみに過剰にフォーカスを当てるだけでなく、過去自分がどういう人間であり、未来もずっと続いていくという事実に思いを巡らすことだ。
    実際に、例えば戦争状態になったら、想像を絶する難しさなのだと思うが、心に留めておきたい。

    700ページくらいあり、かなり冗長な印象もあったが、悪とは何なのかというありふれた問題の核心を教えてもらえ、とても重要な本だと感じた。
    日々生活する上で、誰もが知っておくべき内容だ。

  • この本は主に有名なスタンフォード監獄実験のレポートがメイン、そして、そのケーススタディともいえるアルグレイブ刑務所の事件の話、そして少しだけそれらに対して、我々は何をできるのか?という論です。
    スタンフォード監獄実験は内容は省略しますが、本としてはこの部分が生々しくて読んでて辛いです。ミルグラムの服従の心理はもっと実験レポートって感じですし、重苦しさよりむしろ、ミルグラムの実験計画の素晴らしさを感じますが、こちらはともかく重苦しい。

    よくフィクションで人の心を揺さぶるということがありますが、あれは筆が立つからだと思ってます。つまり、書き手の腕。一方この手の本は書き手の腕で説得力を持たせるのでなく、書いてあること自体が説得力を持っていると思います。

    また、そこらアルグレイブの件もつらいっすよね。ただ、今日の読書会でも批判がありましたが、最後の章はイマイチ。未来への提言というにしては雑だし、かと言っててもないし。

    それにしても、夜と霧なんかもですが心を揺さぶる本は読んでよかったー、とおもいますよねー。ほんとに。

  • 有名な(悪名高い)スタンフォード監獄実験の全貌とアブグレイブ刑務所の虐待問題をメインにした本。

    なんと800ページを超える大著。だけど、内容はストーリー的なので、わりと読みやすく、3日間くらいで読めたかな?

    ミルグラムのアイヒマン実験と同様に、普通の人がわりと簡単に残虐行為をやってしまうという結果なんだけど、アイヒマン実験が権威からの命令によって人が残酷になるという話しだったのに対して、こちらは刑務所というシステム、役割が残虐性を生み出すという話し。

    70年代の初めに行われたスタンフォード監獄実験の内容とアブグレイブ刑務所で起きたことの類似性は驚くべきものがあって、人間の性の悲しさを感じてしまう。

    ホロコーストに関する本とか、こうした心理学の本を読むと、もはや性善説的な人間観を維持するのは困難になりますね。

    でも、人間って、性悪というか、利己的な面だけでできているわけでもなく、システムとか、役割、状況のなかで、条件が整えば、利他的なことも自然にやれるような存在なんですね。

    もちろん、環境、システムに影響されるだけでなく、そうした状況にもかかわらず英雄的な行動を選択する人々、それも普通の人もいることも示されていて、そこに希望がある。

    おそらくは、人間は遺伝子的に、性善説的な要素と性悪説的な要素を両方もっていて、それは両方が進化のプロセスのなかで必要であったからなんだろうと思う。

    利他的な側面は、たぶん社会的な動物として、周りの人々と協働しながら、働いたり、お互いをケアし合ったりする必要性から有用で、利己的、残虐性は、自分の属する集団を他の集団から守るために有用だったんだろうと思う。

    そして、一旦、なんらかの条件が整って、残虐なことをしてもいいスイッチが入ると、簡単に残虐行為をやってしまうというふうになっているんだろうなと思った。

  • 2020/5/5 読了
    腐ったリンゴが悪の行為をするのではない、リンゴが入った樽が腐っていれば、リンゴが腐ってしまう。システム、状況が腐っていれば、普通の人、いい人でも悪に染まってしまう。
    自分は虐待、拷問などからは程遠いと思っていたけれど、本書で出てくる、普通の人、いい人が自分に思えて来てしまい、恐ろしくなった。
    この本はひたすら、、重い。支えていた左手が痛い。

  • スタンフォード監獄実験に関しては事前の知識で少し盛ってしまっていた感があって、死人が出るレベルの凄惨な実験だったと勘違いしていた。本当に凄惨なのはアブグレイブ刑務所でした。事実は小説より奇なりとはこのこと。

  • 授業で監獄実験が取り扱われたため読了。807ページとかなり分厚く読むのに時間がかかるがその分読み応えがあり、ジンバルドー達の行った他の実験や実際に起きた捕虜虐待事件の分析といった興味深い内容が多くとても面白かった。

    この本を読んで人は性善説や性悪説といった生まれつきに善悪のどちらかであるといったような議論が度々行われるが私はそのどちらでもなく、透明な布のようなものではないかと改めて感じた。

  • [鹿大図書館・冊子体所蔵はコチラ]
    https://catalog.lib.kagoshima-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BB19314694

    [鹿大図書館学生選書ツアーコメント]
    あなたは悪事に手を染めない自信はありますか?
    ー スタンフォード監獄実験をリアルに再現した一冊 ー

    本書はスタンフォード監獄実験を皮切りに、数々の悪に関する実験、アブグレイブ刑務所の虐待事件について詳細に述べられ、普通の人間が悪を許容し、自ら参加するようになる原因を探ってゆく本となっております。
    タイトルにある「ルシファー」は堕落した天使の名前ですが、この天使と同様に、たとえ普通の人であっても、人間は誰しも悪に手を染める可能性を秘めております。その一方で、人間は悪の誘惑を断ち抗うことができる可能性も秘めているのです。
    本書を読めば、過去の人間によって行われた残虐行為も英雄行為も、とても他人事の
    ようには思えなくなります。

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著者プロフィール

スタンフォード大学心理学名誉教授。エール大学、ニューヨーク大学、コロンビア大学でも教鞭をとる。米国心理学会会長、スタンフォード対テロリズム総合政策教育研究センター所長を歴任。『ルシファー・エフェクト』(2015年、海と月社、ウィリアム・ジェイムズ・ブック賞)、『迷いの晴れる時間術』(2009年、ポプラ社)などがある。

「2017年 『男子劣化社会』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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