兵士と軍夫の日清戦争

著者 :
  • 有志舎
3.50
  • (0)
  • (1)
  • (1)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 9
感想 : 2
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (230ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784903426020

作品紹介・あらすじ

日清戦争の戦場には、兵士だけでなく、補給・輸送を担う民間人軍夫の姿が大量に見られた。彼らはどのような思いで近代日本最初の対外戦争を戦い、そこで何に直面したのか。戦地から日本へ届いた兵士や軍夫の手紙から戦場の風景を再構成し、「戦争を体験すること」の意味を問い直す。兵士たちの肉声が、この戦争の本当の姿を描き出す。
日清戦争の戦場には、兵士だけでなく、補給・輸送を担う民間人軍夫の姿が大量に見られた。彼らはどのような思いで近代日本最初の対外戦争を戦い、そこで何に直面したのか。戦地から日本へ届いた兵士や軍夫の手紙から戦場の風景を再構成し、「戦争を体験すること」の意味を問い直す。兵士たちの肉声が、この戦争の本当の姿を描き出す。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 当時の仙台の新聞に掲載された戦場からの手紙から読み解く、日清戦争。時代の空気感が伝わってきて興味深い。
    遠い親戚が従軍していた、第三師団関連のこういう本が読みたいなぁ。当時の縮刷版でも漁れば、そういう記事が見つかるかしら??

  • おもに新聞を素材に、日清戦争において東北から戦地に赴いた兵士・軍夫の戦争体験を叙述。軍夫は非戦闘員でありながら、元藩士であったり侠客であったりしたため帯刀していることがあり、これが国際法上問題になるとして広島で師団当局から刀を取り上げられた、という話が興味深かった。(ただし、台湾出兵のときには、現地のゲリラ戦術に対抗する意味合いもあって軍夫は再び武装するのだが)

    日清戦争はさかんに「文明」と「野蛮」の戦争である、と喧伝されていた。この構図が作為的なものであるということは言うまでもないのだけど、それを指摘して指弾するだけではあまり生産的とはいえない。逆に、「ほら、日本だって文明的じゃないでしょ」と逆に言うことも、前言の裏返しにすぎなくて、あまり意味がない。

    大切なのは、本書のように、「文明」と「野蛮」が実際に歴史のなかに喧伝されたのとまさに同時期に、その「文明」観が作為的なものであったということを示す材料が歴史のなかからくみ取られたということなんじゃないだろうか。

    自分たちが「文明」的である、という振る舞いや言説の裏側には、多くの場合「そうではないこと」を含んでいる。そもそも自分たちが「文明」的であるならば、自分たちを「文明」的である、と自分で言うこともないのである。

全2件中 1 - 2件を表示

著者プロフィール

1950年 鳥取県生まれ 大阪大学大学院文学研究科博士後期課程修了 博士(文学) 現在,専修大学法学部教授[専門]日本近代史,メディア史[学会・社会活動]東アジア近代史学会事務局長。
[著書・論文]『兵士と軍夫の日清戦争』有志舎,2006。『近代日本の対外宣伝』研文出版,1994。『日清戦争の社会史』(共編)フォーラムA,1994。

「2009年 『人は何を旅してきたか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

大谷正の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×