- Amazon.co.jp ・本 (230ページ)
- / ISBN・EAN: 9784903426020
作品紹介・あらすじ
日清戦争の戦場には、兵士だけでなく、補給・輸送を担う民間人軍夫の姿が大量に見られた。彼らはどのような思いで近代日本最初の対外戦争を戦い、そこで何に直面したのか。戦地から日本へ届いた兵士や軍夫の手紙から戦場の風景を再構成し、「戦争を体験すること」の意味を問い直す。兵士たちの肉声が、この戦争の本当の姿を描き出す。
日清戦争の戦場には、兵士だけでなく、補給・輸送を担う民間人軍夫の姿が大量に見られた。彼らはどのような思いで近代日本最初の対外戦争を戦い、そこで何に直面したのか。戦地から日本へ届いた兵士や軍夫の手紙から戦場の風景を再構成し、「戦争を体験すること」の意味を問い直す。兵士たちの肉声が、この戦争の本当の姿を描き出す。
感想・レビュー・書評
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おもに新聞を素材に、日清戦争において東北から戦地に赴いた兵士・軍夫の戦争体験を叙述。軍夫は非戦闘員でありながら、元藩士であったり侠客であったりしたため帯刀していることがあり、これが国際法上問題になるとして広島で師団当局から刀を取り上げられた、という話が興味深かった。(ただし、台湾出兵のときには、現地のゲリラ戦術に対抗する意味合いもあって軍夫は再び武装するのだが)
日清戦争はさかんに「文明」と「野蛮」の戦争である、と喧伝されていた。この構図が作為的なものであるということは言うまでもないのだけど、それを指摘して指弾するだけではあまり生産的とはいえない。逆に、「ほら、日本だって文明的じゃないでしょ」と逆に言うことも、前言の裏返しにすぎなくて、あまり意味がない。
大切なのは、本書のように、「文明」と「野蛮」が実際に歴史のなかに喧伝されたのとまさに同時期に、その「文明」観が作為的なものであったということを示す材料が歴史のなかからくみ取られたということなんじゃないだろうか。
自分たちが「文明」的である、という振る舞いや言説の裏側には、多くの場合「そうではないこと」を含んでいる。そもそも自分たちが「文明」的であるならば、自分たちを「文明」的である、と自分で言うこともないのである。