本は読めないものだから心配するな

  • 167人登録
  • 4.00評価
    • (15)
    • (7)
    • (6)
    • (3)
    • (1)
  • 20レビュー
著者 : 管啓次郎
  • 左右社 (2009年10月20日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (268ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784903500188

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
村上 春樹
村上 春樹
村上 春樹
川上 未映子
J.L. ボルヘ...
ロベルト ボラー...
ヴィクトール・E...
ポール・オースタ...
ウラジーミル ナ...
サン=テグジュペ...
有効な右矢印 無効な右矢印

本は読めないものだから心配するなの感想・レビュー・書評

  • テーマがどれも気になる作家の一人。詩的でありながら硬派な文体がすごくかっこいい!あまりにわかりやすくては感動がないし、あまりに難しくては挫折する。わかるようなわからないような、手が届くか届かないかくらいの本がいちばん面白いし、読書体験としても有意義である。この本はドンピシャそのライン上にある。ひとまず図書館で借りてみたけど、これは買うに値する本。

  • 自分の名の「文」という字があちこちにあるのに気づいた初めは、電柱だった。子どもの頃住んでいた団地のすぐ前は学校で、そこいらの電柱にはスクールゾーンを示す緑に白抜きの「文」がいくつもあった。そんな「文」のことを、管啓次郎の『本は読めないものだから心配するな』を読んでいて思い出したりした。

    この本には、文字、文章、文学といった言葉も出てくるのだが、「文」もあちこちに顔を出す。「文の道は錯綜し、からみあい、無限につづき、それは誰がどこまで歩いていってもいい。」こんな一文を読むと、私の行く先は、ごちゃごちゃと入り組んでいるような気分にもなるし、「われわれの心は、否応なく文によって作られている」などは、まるで私がヨソさまの心にこんにちはと入りこんでいる気がしてくるのだった。

    ▼心がどのような言語で語られるどのような文によって育てられるかは個々の人の自伝に属することだが、その心の自伝は別にいずれかの国語、いずれかの文学に忠誠を誓う必要はまったくない。文字という徴が描き出す文という紋様の非人間的な自由さは、そんな境界をまったく意に介さず、誰にとっても接近可能なものとして、そこに与えられている。(pp.226-227)

    延長もして、期限ぎりぎりまで、ゆっくり、ゆっくりと楽しんだ本。なぜかこの本は、まったくイッキ読みができず、ゆるゆる~と時間がながれた。また、しばらくしたら借りてきて、このゆるゆる時間をすごしたいナーと思う本。

    ▼目で見る風景は、切り取られたその一部ではあっても、持ち帰ることができる。耳で聴く音も、洗練された録音機器によって、身近に留めておくことができる。だが旅の「その場性」を担うもっとも重要な感覚は、じつは視覚でも聴覚でもないだろうと、いつからか思うようになった。
     「私」がある時そこにいることをもっとも直接的に教えてくれるのは、触覚だ。全身の肌が感じる空気の、温度、湿度、動き。この全面的な包囲は、どんなかたちでも置き換えることができないし、媒体に記録することもできない。だから「風が吹く、ゆえに、われあり」。(pp.146-147)

    こんなところを読んで、錯覚にもだまされにくい「触覚」という感覚のことを思う。

    ▼理解とはつねに自分勝手な暴力で、こうしてみるとそれはもともとたしかにあった現実の、影絵芝居の、影絵芝居の、影絵芝居のようなものになってしまう。そしてまた、人はそれを気まぐれか必要に応じて再話する。(p.133)

    こんなところを読んで、張領太さんと話した「わからなさを大切にしたい」のことを思い出す。

    ▼「本」はすでにあまりに硬く制度化されているようにも思えてきた。本のかたちをとれば、書店で売られたり、図書館に並べられたり、個人の部屋の中でも、本棚に立てられたり、机に積まれたり。モノとしてのそれなりの「お行儀」が決まってくる。もちろん流通や収蔵のための便利さを考えれば、本という形態は圧倒的にすぐれている、ぼくは本が大好きだ。でも本におさまらないもの、ずっとプリミティヴなもの、何かの芽生えみたいなものには、「らくがき」以外の存在の仕方がないものがたくさんあるようにも思う。「らくがき」だけが救う表現、命。(p.165)

    本は私もスキだけれど、もやもやと、わやわやとしたもの、どうやっても本というかたちにはおさまらないものってあるよなーと思う。

    ▼5月5日(土) 連休って何。「木」のかたわらに人がたたずむのが「休」だとして、「本」のかたわらに人が立ちつくすのが「体」だというだから漢字はおもしろい。やることが多くてあまりのんびりはできないが、せめてもの休みを求めて、本をもって川原にゆき、体はニンベンを下に、しばし寝そべる。(p.136)

    私もこの本を読みなが... 続きを読む

  • もう一度読み直す必要ありかも。。。

  • 読むことは簡単にはやめられないということ。図書館で借りて読んだが、購買に値する保存型書物。

  • 今すぐ読めなくても、手元に置いておいて、気が向いたときに、ぱっとてきとうに開いて読みたい、そんな本!

  • 「本に「冊」という単位はない。これを読書の原則の第一条とする。本は物質的に完結したふりをしているが、だまされるな。ぼくらが読みうるものはテクストだけであり、テクストとは一定の流れであり、流れからは泡が現れては消え、さまざまな夾雑物が沈んでゆく。本を読んで忘れるのはあたりまえなのだ。本とはいわばテクストの流れがぶつかる岩や石か砂か樹の枝や落ち葉や草の岸辺だ。流れは方向を変え、かすかに新たな成分を得る。問題なのはそのような複数のテクスチャアルな流れの合成であるきみ自身の生が、どんな反響を発し、どこにむかうかということにつきる。読むことと書くことと生きることはひとつ。それが読書の実用論だ。」

    「読書の<内容>が水だとすれば、ひとつの脳=ダムにあまり多くの水を溜めていいことなんて、ない。水はよどみ、やがてダムは決壊する。...(略)...水はどんどん海という共有場にむかって流れてゆけばいい。あるいは蒸発し、雲になればいい。流量を誇ったり人のそれと比べたりするのはまったくばかばかしい。」(p. 262 あとがき より)

    図書館モニター ジロ

  • 『その「何か」が何なのかは、わからない。それはたぶん事後的にふりかえったときにしか、わからないものなのだろう。わからないなりに、その何かへの期待があるからこそ、本を読む』-『本は読めないものだから心配するな』

    ひょっとすると、この引用した文章を読むこと、それがこの本を手に取ったことの全ての意味なのかも知れない、と思うのである。誰かにそう言われたからといって、100%の証明がなされたわけでも、何がどう変わる訳でもないけれど、ああやっぱりそうなのか、と思ってみることで自分の気持ちの整理がなされたようになって、人心地つくような気になるのは悪い感覚ではない。たとえそれが甘えた論理であるとわかってはいても。

    それならばそれ以上読む必要もないようなものなのだけれども、根っからの貧乏性ゆえ頁を繰る。すると読書の海の途方もない広さに眩暈がし始め、再び心細い気持ちとなる。なのに、本を読み、そしてこんな文章を書きつけている。何故なのかは、自分でもわからないけれども。

    『知らないことについて話すということは、われわれの社会の流行なのか、悪癖なのか。強いられているのか。避けられないのか。必要なのか』-『「隣のアボリジニ」の隣へ』

  • 個人的には、「シッダールタ」以来、文章を読んでいるだけで満たされていく感覚のある、贅沢な読書をさせてもらった気がした。

    目次や章立てもなく、ただひたすらに思いついたこと(?)が綴られている感じで、文章が高尚で少し読みづらいものもあるけれど、内容が多岐に渡り様々な世界を旅しているような感覚になる。

    そして高い知性を持ちながらも時折、
    「ああ、またこんなに買っちゃって。読む時間もないのに。書店にいるときは、たぶんちょっと頭がおかしくなっている。」
    とか
    「~という高名な先生も自分が読んだ本のことをすっかり忘れていたことに愕然とした、という話を聞いて安心した」
    とか、ユーモラスな一面を見せられると、なんとなく共感して、勇気付けられる。

    生涯を通じて心から読書を楽しもう、という気持ちにさせてくれる本だと思った。

  • 2010年6月8日購入

  • まず、本のデザインが良い。ついつい手に取りたくなる感じ。

    内容は短編集であり、通勤時間等の隙間時間を見つけては手軽に読める。文章は深く、示唆に富んでおり、読み応え十分。
    本との付き合い方がまた見直され、読書がますます楽しくなってくる。

    (2010.6.1 読了)

  • 読書とは一種の時間の循環装置だともいえるだろう。それは過去の0ために現在を投資し、未来へと関係づけるための行為だ。
    本に冊という単位はない。本は物質的に完結したふりをしているが、だまされるな。ぼくらが読み得るものはテクストだけ。
    本は天下の回りもの。
    読書のための時間が限られている人ほど、詩を読めばいい。
    読書はもっぱらチャンスミーティング(偶然の出会い)であって、そこに発見の歓びも衝撃も脅えも、感動もあった。
    教養はどこにも見当たらない。教養には実態がないからだ。
    100冊の本を一度ずつ読むのは評論家の読み方。作家は10冊の本をどれも10回読む。

  • 題名、キャッチ―だなぁ

  • 書評集なんですが、目次なし、切れ目なしという構成。パラパラめくっている分には、読みにくそうに思うんですが、豈図らんや! 波間に揺られているような素敵な気分で、目の前の風景がどんどん変わってゆきます。

    宮本常一の旅、浮谷東次郎、畠山直哉、田村隆一、工藤庸子、レヴィ=ストロース、多和田葉子、ルクレジオ、テキサス、アリゾナ、ホノルル、ブラジル、ニュージーランド・・・
    去年の旅の間に持ってゆければ良かったのに、と心底思いました。メキシコでこんな本を読めたらどんなに良かっただろう。

    半ば夢見るようなココチヨイ読後感を保証できます!

  • 文芸2010年春号より

  • ええ、心配はしてないんですけど…ときどきふっと気になることも(笑)。

全20件中 1 - 20件を表示

本は読めないものだから心配するなを本棚に「いま読んでる」で登録しているひと

本は読めないものだから心配するなを本棚に「積読」で登録しているひと

本は読めないものだから心配するなの作品紹介

ヒトの滅びに先行して、文の滅びが待っているーー旅の途上で、満天の星の下で、本を語り、世界に通じるためのレッスンを語るエッセイ集。

本は読めないものだから心配するなの単行本(ソフトカバー)

ツイートする