アシュリー事件―メディカル・コントロールと新・優生思想の時代

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著者 : 児玉真美
  • 生活書院 (2011年10月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784903690810

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アシュリー事件―メディカル・コントロールと新・優生思想の時代の感想・レビュー・書評

  • アシュリー事件を通して、介護の問題に触れている。
    社会が受容できないことを家族、や愛で誤魔化そうとする風潮に警鐘を鳴らす。

  • この事件は日本ではあまり報道されなかったようだ。私もまったく知らな
    かった。2004年にアメリカのシアトルこども病院である手術が行われた。

    重い障害を背負って生まれた女の子アシュリーに施されたのは子宮と
    乳房芽の摘出、そしてエストロゲンの大量投与による成長抑制。

    子宮摘出は成長したアシュリーが生理の不快さと生理痛を感じなくて
    いいように。乳房芽の摘出は車いすのストラップ着用に際に邪魔になる
    のと、介護者がアシュリーを女性として意識しなくていいように。

    そして、エストロゲンによる成長抑制は彼女の介護をする両親とふたりの
    祖母の負担にならぬように。

    ぞっとした。のちに「アシュリー療法」と呼ばれるこの処置が、彼女の両親
    から出された強い要望だったことにだ。ソフトウェア企業の重役である
    父親は、医師たちの前でパワーポイントを使い、この処置がアシュリーの
    生活をいかに快適にされるかをプレゼンまでしている。

    著者もこの点を指摘しているのだが、医学の素人である父親の主張に
    何故、医師たちは他の方法を模索することなくその提案を受け入れて
    しまったのか。

    実際、アシュリーは生活のすべてに介護が必要になる。だからと言って
    本人が望んだこと(まず、意思の確認が出来ないだろうが)でもない処置
    が認めらるのだろうか。

    「介護する家族の身にもなってみろ」なんて感情論で語ってはいけない
    問題なのだと思う。障害を背負っている人には介護者の負担軽減の
    為であれば何をしてもいいか?そうじゃないだろう。

    アシュリーの両親と担当した医師の間には処置に対する認識の違いは
    あるのだが、担当医が発する言葉のはしばしに「どうせ障害者なんだか
    ら」との発想が見え隠れしているのが怖い。

    突き詰めて行ったなら「重い障害を持っている者は殺してもいい」になら
    ないか?実際、「この子は生まれた時に死んでいた方が幸せだった」と
    言ってしまう母親もいるんだが。

    「尊厳」ってなんだろう。生きとし生けるもの、すべてに尊厳はあると思う。
    だが、このアシュリーのようなケースが世界的に認められてしまうなら
    一定の条件下で医療は暴走しやしないか。

    本書執筆時点でアメリカ国内ではアシュリーと同様の処置をされた障害者
    が12人もいるというのも衝撃だった。

    事件の経過と賛否両論、医師たちの論文の瑕疵をつき、いくつかの医療
    事件を例に取って解説された良書なのだが、著者がアシュリーと同じような
    症状を持ったお子さんの母親である為か時々、感情がむき出しになって
    いるのが気になった。

  • 【目次】
    はじめに

    第1部 アシュリー・Xのケース
     1 アシュリー事件とは
      “アシュリー療法”論争
      今なお続く論争
      P・シンガー「犬や猫にだって尊厳認めない」
     2 アシュリーに何が行われたのか
      事実関係の確認
      子宮・乳房芽と盲腸の摘出
      エストロゲン大量投与による身長抑制
      「成長抑制」と“アシュリー療法”
     3 “アシュリー療法”の理由と目的
      主治医論文は「在宅介護のため」
      親のブログは「本人のQOLのため」
      身長抑制の理由と目的
      子宮と乳房芽摘出の理由と目的
      基本は「用がない」それから「グロテスク」
     4 アシュリーとはどのような子どもなのか
      論文が描くアシュリー
      親のブログが描くアシュリー
      「重症障害児」というステレオタイプ
      ディグマのステレオタイプ
      ステレオタイプの背後にあるもの
     5 経緯と、それが意味するもの
      2004年初頭から夏
      異例の厚遇
      隠ぺいと偽装
      隠ぺいと偽装が意味するもの

    第2部 アシュリー事件 議論と展開
     6 議論
      効果はあるのか?
      「科学とテクノで簡単解決」文化
      優生思想の歴史とセーフガード
      医療化よりもサービスと支援
     7 WPAS調査報告書
      医療決定における障害者の権利
      病院との合意事項
      WPASの不可解
      未解明の費用 
     8 K.E.J.事件とケイティ・ソープ事件
      1)K.E.J.事件
      2)ケイティ・ソープ事件【英国】
     9 法と倫理の検討
      ある倫理学者の論文
      豪・法律事務所の見解
      アリシア・クウェレットの論文
      エイミー・タンらの論文
      「どうせ」が共有されていく「すべり坂」

    第3部 アシュリー事件が意味するもの
     10 その後の展開
      ディクマがカルヴィン大学で講演
      父親のブログ1周年アップデイト・CNNインタビュー
      ピーター・シンガーが再びアシュリー・ケースに言及
      子ども病院の成長抑制シンポジウムとワーキング・グループ
      ディクマとフォストらが成長抑制に関する論文
      ディクマとフォストが論文でアシュリー・ケースへの批判に反論
      親のブログ3周年アップデイト──既に12人に実施
      インターネットで続く“怪現象”
      ディクマ著、小児科学会の栄養と水分停止ガイドライン
      アンジェラ事件(オーストラリア)
      メリーランド大学法学部で障害者に関する医療と倫理を巡るカンファレンス
      成長抑制ワーキング・グループの「妥協点」論文、HCR
      別の存在だと「考えるべきではない」という防波堤
     11 アシュリー事件の周辺 
      ゴンザレス事件とテキサスの“無益な治療”法
      ノーマン・フォストの“無益な治療”論
      シャイボ事件(米 2005)
      ゴラブチャック事件(カナダ 2009)
      リヴェラ事件(米 2008)
      ナヴァロ事件
      ケイリー事件
      フォスト、シンガーらの「死亡者提供ルール」撤廃提案
      臓器提供安楽死の提案 
      「死の自己決定権」議論
     12 アシュリー事件を考える
      記事から“消えた”2行
      親が一番の敵
      親たちの声なきSOS
      ダブル・バインド
      対立の構図を越えるために
      メディカル・コントロールと新・優生思想の世界へ

    あとがき

  • 政治色が濃い。読みたかった、あるいは勝手に想像していた身体論とはだいぶ違ったけど、面白かった。

  • 医療介入とは何を目的にしているのか―倫理というコトバ(またはその手続き)ではすまされない、何かもっと深刻で根深い問題が潜んでいるように思える。倫理というコトバさえ、医療行使を前提としているのではないか、とさえ疑いたくなる。もう少しよく考えてみたい。

  • 障碍を持った子供に対して、両親の希望によって大規模な医療介入が行われた。それをめぐって様々な論争や研究が起こる中で、その当事者である両親は自らの正当性を主張、さらに他の障碍児にも自らが子供に対して行った治療法が適用されるべきと主張する。子供の尊厳の不在やテクノロジー・医療への信仰、そして悪しき決断主義を背景に様々な倫理が置き去りにされていくという様は読んでいて戦慄とさせられる。医療と社会、子育てのあり方を考える上では避けて通れない本だと言える。

  • 河北新報の連載が本になった『生きている 「植物状態」を超えて』を読み、その後にこの『アシュリー事件』を読み、そこへiPS細胞のノーベル賞があって、あたまがぐるぐるしていた。

    技術バンザイ路線でほんまに大丈夫なんかと思ったり、「再生」医療と脳死臓器移植はそんなに遠くない気がしたり、そしてまた、もし母が生きてたら喜んだんやろうかと思ったり。

    アシュリー事件とは、「日本で言うところの重症心身障害児に対して、子宮と乳房芽を外科手術で摘出し、身長の伸びを抑えるためのホルモン大量療法が行われた」というものだった。この"療法"を受けたのは、6歳の女児。その両親が、娘のQOLを高めるためにと希望しておこなわれた。つまり「生理痛がなくて、発達しきった大きな乳房からくる不快がなくて、常に横になっているのによりふさわしく、移動もさせてもらいやすい、小さくて軽い体の方が、アシュリーは肉体的にはるかに快適でしょう」(p.42)と。

    著者の児玉さんは、このニュースを最初に聞いたとき、強烈な違和感があったという。インターネット上ではすでに論争は激化していて、肯定する声が思いのほか多く、しかし児玉さんには「これをOKだと主張する人たちの言うことが、いくら読んでみても、私にはどうしても分からな」(p.8)かった。

    6歳の子どもの体から健康な臓器を摘出するなど、許されないのではないかと児玉さんは思う。なぜOKなのか?
    ▼愛情からやったことだからOKなのか─。
     親が決めたことだからOKなのか─。
     未成年だから親が決めてOKなのか─。
     重症障害児だから、OKなのか─。
     知的障害があるから、OKなのか─。
     全介助だから、OKなのか─。
     これらは、しかし、それぞれ一つずつ単独ではOKとする十分な根拠にはならないはずだ。それなのに、こうした条件がいくつも集まったら、なんとなくOKになってしまうことの不思議─。(p.8)

    そして、児玉さんはアシュリー事件を調べはじめる。2007年の初めだった。

    アシュリー療法の論争は、2007年秋に英国へ飛び火する。「15歳の重症児、ケイティ・ソープの母親アリソンが、娘の子宮と盲腸の摘出を希望したこと」が報じられた。その議論の内容や経過を調べた児玉さんが最も衝撃を受けたのは、「「重症障害児の身体に、健康上の理由もなく、過激な医療処置で手を加える」という考えに、もはや人々がさほどの衝撃を受けないこと」(pp.138-139)だった。

    最相葉月が、初めてクローン羊・ドリーを知ったときの違和感がしだいに薄れていくことに不安を感じたと書いていたことに、これは通じる気がする。いったん使われた技術や療法は、最初こそ衝撃を与えても、しだいに慣れて、抵抗感を薄れさせていくのだ。「慣れたことによって、その考えが正当なものに近づいたわけでは決してないはずなのだけれど」(p.139)と児玉さんは書いている。

    そうした慣れの中で、児玉さんにはずっと「どうせ」という声が聞こえていた。論争の中で多くの人が様々な言葉で語っていたことは、つまるところ「どうせ」だったのではないか、「どうせ障害児だから」ということだったのではないかと。そして、この「どうせ」が恐ろしいほどに早く感染し、社会に共有されていってしまうことを、児玉さんは強く憂える。

    ▼人が誰かを「どうせ障害児だから」「どうせ黒人だから」「貧乏人のくせに」「女のくせに」と見下し、その卑しい欲求を言動として無反省に解き放ってしまう時、その人は人としての自分の品性をかなぐり捨て、ゲスになっているのだ、と思う。…(略)…もっと恐ろしい"すべり坂"は、そんなふうに社会の多くの人が…「どうせ」を共有していくことによって、社会の価値意... 続きを読む

  •  議論が尽きない問題です。ただ、アシュリーの件に関して言うと、なぜ父親がこの事をブログで積極的に公表していったのかが私には分かりません。世間の注目を浴びたっかのでしょうか。でも、家族構成以外は一切非公開とありました。
     「一家は、シアトル在住で、両親はともに大学教育を受けた専門職。父親はコンピューターのソフトウエア会社の重役である。」
     父親が「倫理委員会の冒頭、パワーポイントを使ってプレゼンを行った」
    とありました。これって暗にマイクロソフトを指しているのでしょうかね。もし仮にマイクロソフトの重役なのであれば、アシュリーに対して元のままでも十分ケアーできる収入があるのではないか、と考えてしまいます。
     いずれにしても作者は、よく調べてるな、と感心しました。

  • アシュリーという重度の障害児の親が、家でずっと面倒を見れるようにと子供が埋めないように手術したり胸が大きくならないような(効果あるのかよくわからない)手術したり身長の伸びを抑えるホルモンを注射したりしていたというケースin米国。人の生殖機能を奪うような医療介入は当該州では裁判所の認可が必要だが、親が病院を説得し倫理委員会を通し(!)実行してしまった。違法なんだけどね。

    アシュリー事件は尊厳の問題、という主張に対して、余りに重度な障害児であれば尊厳の問題ではないという主張までなされたり、同様の障害児を持つ家族が同様の手術を望んだり。。。

    尊厳死・死の自己決定権の議論と、無益な治療・医療費・臓器移植の議論との関連

    家族の世話・介護を美徳として押し付けておきながらいざ痛ましい事件が起きるとなぜ一人で抱え込んでしまったのかと攻める社会の風潮

    障害児を抱える家族では、障害をきっかけに別の問題が顕在化する

    長く深い悲しみ・苦しみと、その抑圧が、そこから解放されたいという攻撃的な議論につながる

  • 2階書架 : W050/KOD : 3410153505

  • 親(と医師)が障害児の肉体改造(介護しやすいように成長を抑制)をした事件について。
    自らも障害児の親である著者が考え抜いた倫理の考察。

    初めてこのニュースを見たとき、「わからない」と思った。
    体も人生もみんなその子のもので、それを勝手にいじくるなんて。
    でも死ぬまで介護が必要なら、介護しやすいほうがいいんじゃないか。
    大変すぎて愛せなくなるよりいいんじゃないか。
    親だけじゃなくて、親が死んだ後にも、介護しやすいほうがいい介護を受けられるんじゃないか。
    洗いやすいように髪を刈るのとどう違うの?
    割礼や纏足とどう違うの?
    どう考えていいかわからない。

    この本を読み始めてわかった。
    どう考えていいかわからないのは知らないからだ。
    私はこの事件を何も知らない。知らないし考えてない。
    答が見つからない以前の問題だ。
    知らないままイメージだけでどうこう言うのは恐ろしいことだ。

    「三歳レベルの知能」と「三歳の精神」はイコールではない。
    三歳レベルの知能の人が二十歳になれば、それは二十歳の体を持った三歳児ではなく、三歳レベルの知能を持った二十歳の人なのだ。
    そんな当たり前のことさえも、こうやって書いてもらったものを読むまでわかってなかった自分に衝撃を受けた。
    考えてみれば本当に当たり前のことだというのに。


    関連
    『髪日和』http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4876998396いらない髪を大事に切る
    『ブレンダと呼ばれた少年』http://booklog.jp/users/nijiirokatatumuri/archives/1/4895859371イデオロギーの領域で「医療」に体を変えられた子供
    『名声』http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4384055455スイスの安楽死ツアー
    『在日朝鮮人ってどんなひと?』http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4582835554する方向でだけ語られる「自由」

  • アシュリーという名の子どもがいる。彼女は身体が成長しても、精神面は生後3ヶ月のまま成長できない、という障害を持って生まれてきた。だからアシュリーをピロー・エンジェルと呼ぶ人もいる。枕と友だちで、赤ん坊の無垢な心を持ち続けるから、と。

    アシュリーの両親はある決断をした。アシュリーの子宮と卵管を摘出して、乳房が大きくならないようにするための手術をしたのだ。

    昔、ハンセン病患者に対して社会が犯した過ちを、自分の子どもに対してする人がいるなんて、信じられない。愛情からした決断だから許されるのか?こんなのは人権侵害だ。私が障害を持つ人のことをぜんぜん知らないからそう思うだけ?健康な身体にメスを入れて内臓を取り出すのは暴力だよ。

    同じ様なことをくり返さないためには地域社会の協力が必要とか、そういうレベルの話じゃない。アシュリーの手術に関わった人達には、彼女を「人間」として見る視点が欠けている。

    意思疎通もままならない障害を持つ人の権利を守るにはどうしたらいいのか。自分の血縁者にそういう人がいなければ、誰だって自分のことに手一杯で、そんなことまで考えていられない。障害を持つ人が暮らしやすい社会は、そうでない人にとっても暮らしやすいのは分かっている。でも、そのためにどうしたらいいの?

    脳で思っていること、考えていることを画面に映しだせる機械を開発しているチームがあるってTVで見たことがある。未來にそれが実用化して、直接意志を伝えられない人の助けになってくれたら。くれたら……なんだろう?

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アシュリー事件―メディカル・コントロールと新・優生思想の時代の作品紹介

2004年、アメリカの6歳になる重症重複障害の女の子に、両親の希望である医療介入が行われた-。1ホルモン大量投与で最終身長を制限する、2子宮摘出で生理と生理痛を取り除く、3初期乳房芽の摘出で乳房の生育を制限する-。「重症障害のある人は、その他の人と同じ尊厳には値しない」…新たな優生思想がじわじわと拡がるこの時代を象徴するものとしての「アシュリー・Xのケース」。これは私たちには関係のない海の向こうの事件では決してない。そして何より、アシュリー事件は、まだ終わっていない-。

アシュリー事件―メディカル・コントロールと新・優生思想の時代はこんな本です

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