生きるって人とつながることだ!

著者 :
  • 素朴社
4.10
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本棚登録 : 96
感想 : 16
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784903773131

作品紹介・あらすじ

溢れるユーモアと途切れることのない好奇心で、いま東大教授に。運命を使命に変えた男の軌跡。

感想・レビュー・書評

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  • 生井さんの本、光成さん(妻)の本、福島令子さん(母)の本と読んできて、福島さんご本人の本にたどりつく。先に『盲ろう者とノーマライゼーション』を借りてきて半分くらいまで読んでいたのだが、論文ちっくな文章が多くてちょっとカタイこともあり、あとから届いた『生きるって人とつながることだ!』を先に読み終えてしまった。そのあと、最初の本である『渡辺荘の宇宙人―指点字で交信する日々』もヨソの図書館から相貸で届いた。

    『生きるって人とつながることだ!』は、盲ろう者となった福島さんが、19歳からおっさんになるまでに体験したさまざまなことをその時々に書いた記録集。『盲ろう者とノーマライゼーション』や『渡辺荘の宇宙人―指点字で交信する日々』と重なる部分もあるが、時系列を意識して編集されていて、かつ前著よりさらにおっさんになった福島さんの体験が加えられているところが違う。

    「生きることは人とつながることであり、つながりを持とうとする営み自体に生きる手応えがある」(p.7)という、体験にもとづいた福島さんの実感がタイトルにはこめられている。

    福島さんは両目とも摘出して義眼を入れている。あるとき目の中(目を入れている穴の中)に炎症を起こして、眼科に「一ヶ月くらい義眼をはずしてみたら?」と言われて、その通りにしていると、「もとの穴に目が入らなくなってしまった」という話に、こういう体験はなかなか分からないし知る機会がないよなあと思った。

    言われてみればピアスの穴のようなものなのだろうが(こっちの穴は体験者も多そう)、「義眼は体にとって異物なので、長くはずしておくと目の中の肉が盛り上がってきてしまう」(p.123)ということなのだ。悪友たちには「心配するな、春になったらめが出るだろう」とノンキなことを言われたが、本人としては大慌てで、「義眼が入らなくなった人の小さな目の穴を大きくする」という治療を看板にしている」という奇妙な医者を紹介してもらって、穴を大きくしてもらい、再び義眼を入れられるようになった、という話。ここが、私にはおもしろかったし、こないだ亡くなった多田富雄の『免疫の意味論』なんかをまた読みたくもなるのだった。

    それと、やはり「指点字」というコミュニケーションの通路のこと、盲ろう者にとってのコミュニケーションのことを福島さんがテレビに例えているところに、なるほどなあと思った。

    ▼…盲ろう者が他者と触れ合って言葉を交わしている状態が、"心のテレビ"にスイッチが入っている状態であり、コミュニケーションが断絶すれば、それはすなわち、"コンセント"が抜けてしまったことになる。そうなると、盲ろう者の"心のブラウン管"には何も映らず、何も聞こえないわけである。

     指点字の発見によって、私はコミュニケーションの確保という"第一の壁"を破った。しかし、手段は使わなければ意味をなさず、使われるためには努力が必要だ。盲ろう者が他者とともに生きていくには、周囲の人間との温かい信頼関係と相互理解を作り上げていくという、"第二の壁"を乗り越えることが不可欠である。それには、周囲の理解と同時に、盲ろう者からの働きかけも大切だろう。

     盲ろう者の心のテレビは、よく、コンセントが抜ける。盲ろう者の心の舟は、簡単に舟底に穴が開く。しかも、そうした"異常事態"は周囲からはわかりにくく、つい見過ごしてしまう。そうであれば、異常に一番敏感な盲ろう者本人が、クレームを出すしかない。
     「コンセント抜いたらあかんがな。テレビが映らんやないか(手を放したら、周りの人の言葉がわからんやないか)」、「おい、舟が沈みよるがな。早よ、助けてくれ(おい、みんな何をしてるんや、周りのことがさっぱりわからん。ワシだけ取り残されとるがな)」。…(p.51)

    こういうクレームをつけるのは盲ろう者の側にも勇気がいるし、「あとで」と言われたりしたらシュンとなってしまうこともある、そこで「いいや、ワシかて、周りのことが知りたい」とがんばるかどうかで、人生は変わってくるのやと福島さんは書いている。

  • なんか合わなかった。
    途中で読むの挫折してしまった・・・

  • 914.6
    ユーモアも交えたエッセイ

  • 幼少時から研究者までのエッセイがまとめられていて、盲ろうという世界を知る入口となる本。

    指点字が誕生した経緯も載っています。光成さんとの往復書簡?も興味深いです。

    次は「盲ろう者として生きて」を読みたい!

  • 【読書その66】3歳で右目を、9歳で左目を失明、18歳で失聴して全盲ろう。その後、盲ろう者で初めて大学進学者となり、研究者の道を進み、現在、東京大学先端科学技術研究センターバリアフリー分野教授である福島智氏の著書。著者の19歳以降のエッセイをまとめた本であり、本当に心を揺さぶられ、何度も涙ぐみながら読んだ。
    著者は、「人間が一人ひとり異なる性質や条件をまとまって生きている。しかも本質的にばらばらであり、孤独な存在。それでも、皆どうにかして互いに離れ離れにならないよう、いつも必死で誰かの手を探し求めている。」という。
    こうした個人をつなぐのは、心に響くコミュニケーション。著者の場合、それは指を使った「指点字」。
    18歳で全盲ろうになり、人生で絶望を感じ、自分の状況に立ち向かってきた著者の言葉は本当に重い。最後に著者が体験をもとにたどりついた実感。本質的な指摘である。
    「生きることは人をつながること、つながりを持とうとする営み自体に生きる手応えがある。」

  • 盲ろうである福島さん。下品(!)でユーモアを散りばめながら、人間にとってコミュニケーションが根源的なことであることを伝えてくれる。最初は聖人のような福島像をもっていたが、読み進めるうちに人間・福島智を感じた。

    お母さんが考案した指点字(さ と し わ か る か)の場面では、図らずも涙があふれ出てしまった。ヘレン・ケラーとサリヴァンの「WATER」に匹敵する名場面だ。

    「健常者」と「障害者」の共生だけではなく、「障害者」と「障害者」の共生というくだりにも唸らされた。

    おいしい食事には「コミュニケーションの楽しさが最高のスパイス」。

  •  <a href="http://yamano4455.jugem.jp/?day=20100305" target="_blank">以前ここでも取り上げた</a>、東京大学教授福島智氏の著書。福島先生は、耳も目も不自由な盲聾(もうろう)者。

     指点字なるものも私は、福島先生とお会いして初めて知ったし、その指点字でもってコミュニケーションをとっている現場を目の前で見たのももちろん初めて。

     「通訳者」が自分の両手を、盲聾者の両手に添える。私が話す内容を、「通訳者」はすばやく、それこそ熟練のキーパンチャー(なんて言葉は死語か、キーボードを叩く人)のように、福島先生の手の上で「打つ」。ほとんど同時通訳のように、私の話の内容が、福島先生の理解するところとなる。

     福島先生は、少々甲高い声で、私の話しかけに応えてくれる。

     おそらくは、そこにふすまか障子があって、それ越しに私と福島先生との会話を聞いている人は、私が盲聾者と話しているなんてことは思いもしなかったであろう。

     さて、私に福島先生をご紹介いただいた方から、先生が私に本を寄贈したいということで贈っていただいた本が、この「生きるって人とつながることだ!」である。

     先生がこれまでいくつもの所に書いてきたエッセイをまとめたもの。

     感想を一言で言えば、「この先生、ホントに明るい人だ」

     エッセイの中でもあるが、この人、一人住まいのときに、アパートの2階から一人でゴミ捨て場までゴミを捨てに行く。一人で、旅館の大浴場に行く。プールに行く。

     次のように書いておられる。

     「そのとき(大浴場)は、洗い場まで白い杖をついていった。そしてどこかのオヤジの尻らしきものを二三人つついたあげく、無事に蛇口のあいているところを見つけ出し、湯船にもゆっくりつかることができた」

     裸のオヤジたちはさぞかし驚いたことだろう。

     「それ(大浴場でのこと)を思えば、プールの更衣室ぐらいはどうということはない。あちこち杖で探っているうちに、脱衣カゴやシャワールームを発見し、その後、壁伝いに歩いて行くと、いつの間にかプールサイドに出た」

     水着のオヤジたちはさぞかし驚いたことだろう。 

     エッセイでも何度か書かれているが、福島先生は、「健常者→全盲者→盲聾者」という段階を経験されている。だからこそ、それぞれの立場でも思いが理解できる。

     「障害の有無は人生の豊かさとは独立した要因だ。「障害者と健常者がともに生きる社会」を目指すことは、同時に、「健常者同士」「障害者同士」がともに生きているのか、という問いかけを内に含んでいる」

     「健常者」である私たちは、なんとなく分かるような気はするが、なんとなくしか分からない、理解できない。

     以下、次のように続く。

     「「地元の盲人会の人が私を馬鹿にしてね」と悲しい手紙をくれた盲聾女性がいた。”ともに生きる”豊かな人生とは何かを考えていきたい」

     さて、色々と考えさせられる本だが、改めて、なるほどと教えられたこと。

     「指点字はそれ自体では意味を持たない。指点字を使って話したり、通訳したりしてくれる「他者」があって、初めて「命」を吹き込まれるのである。その意味で、私は常に「他者」によって生かされてきた。そしてそのことを「理念」としてではなく、「身体」で感じることができた」

     次に続く。

     「本来、人が「他者によって生かされている」ことは誰にも共通していることであり、そのような人間の「もろさ」や「弱さ」の自覚が、他者への共感や優しさにつながると思う」

     私たちは、そのことを「理念」としてしか感じられないが、「身体」で感じている方たちから、このように教えてもらうことによって、再認識していくのである。もちろん、そのこと自体は「理念」の範疇を出ないものかもしれないが、その段階こそが大切なのではないだろうか。

     長くなった。最後はもう少し楽しい話を。

     福島先生はSF小説が大好きだという。その中でも小松左京の作品の大ファンだという。点字になっている小松左京の作品は全て読んでいるそうな。

     小松左京にお会いした時に、次にように述べられている。

     「目が見えず、耳が聞こえないっていう盲聾の状態自体が、いわば”SF的世界”ですからね。(中略)どんな状況におかれてもSFのように、きっと何か新しい可能性が見つかるはずだ」

     そうかぁ、盲聾状態は、SF的世界と同じか・・・。

     「小松先生の作品には、人類の文明や社会のあり方を問い直すというテーマと同時に、圧倒的な逆境に立ち向かう人間の姿の素晴らしさ、そして人の人生や幸福というものの意味を考えさせられるモチーフがあると感じました」

     小松左京、こんなふうに自分の作品を読んでくれいている人がいる、しかも、盲聾者で・・・。作者冥利に尽きる。

  • 全盲ろうの東大教授・福島智さんのエッセー。

    お母さんの指点字の本も、奥様の書かれた本も読んでる。

    目も見えない、音も聴こえないのは静かな夜の中にいるようなものだろう。絶望を乗り越え、人とふれあい語り合う福島教授の姿には
    敬服・・という言葉しか思いつかない。

  •  著者を知ったのは、NHKの「爆笑問題のニッポンの教養」という番組であった。世界で初めて全盲ろうで東大教授になったということで、以外にもおしゃべりは面白いし、障がい者ということを感じさせないあの明るさは、どこからきてるのか?
    読み進めていくと、へたをすると健常者も負けてしまうぐらいに好奇心旺盛でその一端が、このエッセイを読んでわかった!

  • 9歳で全盲になり、18歳で耳もまったく聞こえなくなった福島智先生は、
    「指点字」という方法で人とコミュニケーションをとります。
    指点字は、点字で使う6つの点を、人差指、中指、薬指の左右6本の指に置き換え、
    その指にタッチして文字を表現するもので、福島先生のお母さんが考案しました。

    福島智先生をはじめて知ったのは、NHKのTV番組「爆笑問題の爆問学問」でした。
    バリアフリーの研究をする福島研究室を訪れた爆笑問題。
    最初の挨拶で、太田光氏が
    「はじめまして。私は木村拓哉です」
    そう言ってボケました。
    指点字通訳をしてくれる女性が、太田氏の言葉を伝えると、福島先生が、
    「えーっ? あんたが木村拓哉ちゅうことはないやろ」
    と、苦笑いしました。

    見えない。聞こえない。福島先生は一度として木村拓哉をリアルに認知したことはありません。
    でも、彼の中に、「木村拓哉とは、日本有数のオトコマエであり、カリスマであり、女性にもてもてである」
    という情報がきちんと整理されているのにちがいありません。
    思うに、太田光氏と握手した感触、身体から発せられる匂い、伝わる空気感など、
    視覚聴覚以外の情報が、すべて、太田氏が木村拓哉ではないことを物語っていたのでしょう。
    木村拓哉情報は、点字印刷物からは手に入りにくいと思うので、福島先生は指点字通訳の女性たちから得ているのでしょう。
    学問とまったく関係ない情報を貪欲に収集するバイタリティに驚きました。

    見えないのか、聞こえないのか、どちらか片方だけなら、人は人とコミュニケーションすることはできます。
    でも、二つの障害を同時に持つと、自分から他者に働きかけることができなくなってしまうのです。
    相手が自分に関心を持って、働きかけてくれることを待つしかない。
    全盲ろうとなって間もない高校生のときの記憶を、福島先生はこんなふうに書いています。

     私はこの“世界”にいるけれど、本当は存在していない。
     周囲から私がここにいるように見えても、本当は私の実体はここにはないのだ。
     私自身が空間のすべてを覆い尽くしてしまうような、狭くて暗い“別の次元の世界”に吸い込まれているのだ。

    健常の私には想像もつかない孤独な世界です。
    そんなとき、誰かが指に触れてくれる。
    指点字で話しかけてくれる。

     私の内部が、ぱっと明るくなった。私の世界に、“窓”が開いたのだ。窓の向こうに、この現実世界が広がっていた。

    人とつながる瞬間です。
    全盲ろうの世界、想像できないけど想像してみようと思いました。

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著者プロフィール

1962年生まれ。専門は障害学、バリアフリー論。9歳で失明、18歳で失聴し、全盲ろうとなる。東京都立大学(現・首都大学東京)大学院人文科学研究科教育学専攻博士課程単位取得。現在、東京大学先端科学技術研究センター教授。博士(学術)。
社会福祉法人全国盲ろう者協会理事、NPO東京盲ろう者友の会顧問、世界盲ろう者連盟アジア地域代表。主な著書に『盲ろう者とノーマライゼーション』(明石書店、1997年)、『生きるって人とつながることだ!』(素朴社、2010年)がある。

「2011年 『盲ろう者として生きて』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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