- Amazon.co.jp ・本 (234ページ)
- / ISBN・EAN: 9784904507636
作品紹介・あらすじ
生命と自我のしくみを解き明かし、ブッダが教える、怒りを克服する人生論!
私たちは「もう怒りたくない」と思っても、怒ってしまいます。
自分の意思ではどうにもならないものが、怒りです。
仏教では嫉妬、物惜しみ、後悔、軽視など、
十種類の感情も、怒りの姿を変えたものだといいます。
前作『怒らないこと』から、さらに心の深層に分け入り、
生きることの矛盾に真正面から答えを出します。
生命の根源にあるもの、それは怒り——
初期仏教長老が、ブッダの教える怒りの終焉をお話しします。
感想・レビュー・書評
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アンガーマネジメントには結構チャレンジしています。
多分もう3冊くらいは必要かなあ笑
この本は仏教てきな視点から怒りを鎮める方法が書かれています。
そのなかでも気に入った学びをピックアップします。
・性行為は目も耳も鼻も舌も触覚も、刺激を受けて五感がいっぺんに楽しいから人はやめない。おまけに「子孫をつくりたいから」なんて嘘までつく。
・「怒りでやることは、なんでも失敗する」。
怒りの結果は、かならず悪い。かならず不幸になる。
・相手も自分と同じように自我に凝り固まっている人だから、
その人が自分に対してなにを言うのか、聞くほうで管理するのはほぼ不可能。
それなのに「どうしてそんなことを言うんですか」とか、「失礼ではないか」と言って、怒るのは完全に無駄。
【怒らないこと:慈しみで生きる】
「人間の本性」は怒り。
原点回帰したら「怒り」に戻るだけ。
本性は人の噂ばなしや欠点が知りたくてたまらない。
そこに戻るわけにはいかない。
そうではなくて「私は慈しみで生きますよ」ということを人生論にしちゃえばいい。 慈しみが人生論になったら、怒りはどんどん弱くなって、ついには消える。
本性はたたきつぶしてしまえ。そして立派な人間になろう。
「慈しみ」を自分のモットーにすれば、不幸は消え、簡単に幸福になる。
考え方が体系的で有無を言わさない感じでよかったです。
アンガーマネジメントはぜったいに体得スべきです。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「怒り」についての追加説明。
怒りを持たずに生きていくことはできないということ。
それでも怒らない生き方を目指していくべきだということ。
10種類の怒りを知り、早く怒りに気付き、落ち着くこと。
などなど。
用語の説明が不足気味ではないかと思いました。また、「慈しみ」に関する部分が短すぎたのが残念でした。
怒らずに生きていくことはできないことを承知の上で、それでも頑張って怒らずに生きていきましょう、という内容の本でした。
ぼちぼちがんばります。。。 -
仏教法話という括りで接してみるとなかなか持って深い。怒りが消えることはないとして、そこを突き詰めて、煮詰めていき、その過程でCoolさを取り戻すようなコト、それそれでメンタルコントロールとして、世に別の書き方がされていそうですが、仏教法話では基本なんですね。結局の所の自我と向き合う。欲とは、平易な言葉でその心理が書かれていて、少しずつ読むだけでも、少々ココロに平穏が訪れる感じ。
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怒りの種類を多数書いてあるのは、わかりやすい。
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ざっと流し読み。
・怒りを観察し、「一旦停止」する。
・怒りをなくそうとはしないこと。
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・なにかをやろうとするときには、欲でするのも、怒りでするのもだめなのです。必要なのは、喜びを感じることです。喜びこそが「生きることは苦」という現実を緩和してくれます。
>勉強はできれば怠けたいけど、やらなくてはいけない。だから奮い立たせる。ライバルをつくってその人を「軽視」して「俺の方がすごい」と思ったりします。このやり方では、結局うまくはいきません。「ライバルに勝ちたい」だけで「勉強したい」という気持ちは無いから…。~
アルボムッレ・スマナサーラ長老は、私たちの心が「怒ること」によって蝕まれることの恐ろしさを繰り返し突き付けてきます。長老の眼には、それだけ私たちの築き上げた社会が、自分だけが幸せになりたいという、怒りのエネルギー突き動かされているように見えるのでしょう。
人には、「誰かの役に立っている」という実感が必要です。小さなことでも、「私はけっこう役に立っているんだ」と思えれば、楽に生きられます。なにかしらできることはありますから、それをしっかりとやればいいのです。~
長老は、仰います。「生きることは苦」です。そして「それでも苦は嫌だ」というのが生きるシステムです。しかしながら、一切のものごとは無常で、けっして一瞬たりとも同じではありません。「それなら、しがみついたって価値がないだろう」と諦めて、無執着の心が生まれるのです。それを仏教は「覚り」と呼びます。と -
★Freedom from anger 2;
I have read another book by Ven. Alubomulle Sumanasara, a Buddhist monk schooled in the Theravada tradition.
以前よんだ 『怒らないことの』 続編 -
「無常」、「無我」、「慈しみ」がキーワード。
「仏教を論理的に考える」という点に興味を持って1も2も読んでみたけど、いろいろと矛盾を感じた。後半なんて仏教の世界が大前提がないと成り立たないことがたくさんあった。
著者が言う通り「人間は不完全で、人生は苦しい」ということがわかった。「自我なんてない」「怒りは悪」だとしても、私は考えたり感じたり表現することを絶対にやめたくないな、と思った。 -
1作目より、仏教に関連づけて書かれているため、少しわかりづらかった。
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2014年1月2日読了。
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怒りを拡大再生産しないこと。まずは。
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1は参考になったが、2は言うほど参考にならなかった印象、というか2はやたら否定が目立っていたような。子孫を残すことも怒りの対象になる、ということも書いており、結局怒らないこととは人類滅亡につながるのかな、と思った。
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実践して、少しでも正しい姿勢で生きたい。
前作よりも、より踏み込んだ怒りとその周辺に対するアプローチです。
世間がいかに狂っているのか、多くの人が気付けばいいのにと思います。 -
とにかく,怒る感情はよくない.嫉妬,ケチなどすべて怒りが様相を転じたもの.仏の教えに拠れば,生きることは苦痛(四苦八苦)であるから,怒る感情は必然的に生じる.あれこれと思いを巡らせ火を高ぶらせる,またこれを抑えるのではなくて,観じることによってやりすごす.そして,相手も怒りを伴って生きているのだなと,慈愛の気持ちで思いやるよう努めて生きましょう.
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スマナサーラは実にやさしい言葉で仏法の深淵を巧みに説く。私は30年近く仏教を学んできたが、怒りの起源が無常にあるという指摘は初耳だ。驚くべき卓見である。
http://sessendo.blogspot.jp/2014/02/211.html -
あれも怒り、これも怒り。
注意していること。
やりすごすこと。