手放す生き方(タイの森の僧侶に学ぶ「気づき」の瞑想実践)

制作 : ジャック・コーンフィールド  ポール・ブレイター 
  • サンガ
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感想 : 4
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  • Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784904507711

感想・レビュー・書評

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  • 気になるタイトルの本です。
    表紙カバーの折り返しには、アルボムッレ・スマナサーラ長老の推薦文が載っています。
    アーチャン・チャー氏はタイのテーラワーダ仏教の代表的僧侶で、森の中にある彼のワット・パー・ポン僧院では、多くの弟子が瞑想修行に勤しんでいるそうです。

    原書は、弟子であるジャック・コーンフィールドとポール・ブレイターが編集した、チャー氏の英文法話集『A Still Forest Pool - The Insight Meditation of Achaan Chah』。
    テーラワーダ仏教の入門書として欧米人に愛読される本だとのことです。

    よくわからない難しい専門用語が登場して(困ったな)と思いましたが、巻末には詳細な用語解説がありました。
    そこを読むだけでも、仏教についての知識が増すようです。

    本文とチャー氏の法話の場面とでは、字体が変えられており、気持ちの切り替えができて読みやすく感じました。

    氏が実践する、瞑想修行の実践法が語られ、本を読むことよりも、自分の心を観察し、気づきを行うことが一番大切だと、繰り返し述べられています。
    習うより慣れよ、ということでしょう。
    目指すことは非常にシンプルですが、そこに到達する道の険しさ。
    人として心にとめどなく浮かんでくる、自我や欲を一切手放すということは、どれほどまでに大変なことでしょう。

    とにかく経典よりも「全てを手放す」実践が大切、と説く氏。
    これほどモノにあふれ、過剰なほどの情報に取り巻かれている私たちにとって、全ての執着を棄てることへのストレスは相当のものだと思いますが、逆にそのストレスから自由になるために、必要なのが無の状況だというのも、頭では理解できます。

    資本主義社会に組みして生きていく以上、私たちは修行者のように徹底はできませんが、それでも心持ちを変えるだけで、心の動揺は抑えられることでしょう。
    「久遠は無常である」という言葉が胸に響きました。

    氏が仏教という規定された枠にも一切こだわっていないということは、以下の言葉に如実に表れていると思いました。

    「わしらが本当に教えているのは、どのように苦しみから解放され、どのように他者を愛し、賢明になり、慈悲で満たされたものになるかについてじゃ。このことについて語られた教えは、どこの国のどの言語で語られていようと、ダルマなんじゃよ。じゃから、それをキリスト教と呼んだって構わないんじゃ。そうしたほうが、彼らにとって受け入れやすいじゃろう」

    これまで、どんな宗教家から、そんな言葉を聞いたことがなく、本当に、一切の執着がない方なんだと驚きました。

    「西洋の人はたいていせっかちだ」という氏の言葉や、西洋人は、比丘のコスプレで現れたり、正座できない者がいたりする、などという記述から、西洋人の読者を意識している本だということが伺えます。
    弟子である編集者が西洋人であるため、西洋人を対象にしたコメントが多いのでしょう。

    タイと同じ仏教国民である私たちは、、仏教に関する基礎知識や共通認識を、慣習とともに大まかなりとも持っていますが、まったく文化背景や宗教の異なる西洋の人にとっては、仏教は神秘のヴェールに包まれた謎の教義なのでしょう。
    森の中の瞑想修行。西洋人にとって森といったら、ソローの『森の生活』が連想されるのではないでしょうか。

    異なる宗教のもとで育ってきた人たちは、私たち日本人よりも、超えるべき壁は高く、捨てるべき念が多いように思います。
    そういった、修行の道がより険しそうな人々をも弟子に受け入れる氏の懐の広さ。
    ある意味、比較文化的な考察でもあるため、私たちが読むと、逆に彼らが仏教に帰依していくことの困難さがわかりました。

    質疑応答のページも多く割かれており、全ての問いに、氏はわかりやすく、例えを用いて答えています。
    とても穏やかで前向きな姿勢が伝わってきます。

    性欲を抑えることについての、なかなか直接的な問いがあったのが珍しく、これもまた西洋的な疑問だなと思いました。
    氏の答えは「性欲、つまり容姿への愛着が極端ということなら、正反対のものを心の中に持つべき。身体を死体と見做して腐敗のプロセスを観察したり、臓器の各部を思い浮かべて身体の不浄さを心に描くと解放される」でした。
    予想だにしないアドバイスには、さすが幾多もの修行を妨げる誘惑や邪心を退け、うち勝った賢者ならではの迫力が感じられました。

    アーチャン・チャー氏は、日本語wikipediaには載っていませんが、英文版にはあります。
    Youtubeにも、氏が「Life is very confusing.」としながら、瞑想について語る動画が載っていました。
    厳格さというよりも暖かさ、穏やかさの感じられる方という印象を受けました。

    ものごとに執着しない心は、強さと揺るがない安定を生み出します。
    多少なりとも、その境地に近づいていきたいものです。

  • なんとなく飄々としたお人柄がにじみ出ていて、親しみが持てる。が、物凄い影響を受けた。スマナサーラ長老の本以外でこれほど影響を受けた本ははじめてかもしれない。

著者プロフィール

1918年、タイ東北部イサーン地方ウボンラーチャターニー近郊に生まれる。20世紀のタイにおけるテーラワーダ仏教を代表する僧侶の一人。9歳で沙弥出家。20歳で比丘出家をする。1946年、父の死をきっかけとして、仏法の真髄を求めるための遊行の旅に出る。数年の遍歴遊行の後、アーチャン・マンに師事。瞑想実践に打ち込む。1954年、生地近郊の森に自らの僧院であるワット・パー・ポンを設立。簡素な寺院として始まったワット・パー・ポンはタイ有数の森林僧院となる。1992年、逝去 。

「2013年 『無常の教え』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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