定本 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (社会科学の冒険 2-4)
- 書籍工房早山 (2007年7月31日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
- / ISBN・EAN: 9784904701089
感想・レビュー・書評
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ナショナリズムについて書かれた本。ナショナリズムに関して考察したいのなら、この本は必ず読むべきと感じた。生まれてから漠然と慣れ親しんでいた日本人の共同体、国民性、愛国心というものに対して、初めて現象として認識し、疑念を抱くことができた。なぜ我々は会ったことのない他人について想像することができるのか。またこの我々という代名詞自体が共同体を想像しているという視点がとても印象深かった。
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こんな有名なのに今まで読んでませんでしたっていう本
評判どおりの完成度だがレトリックがエグいし世界史の前提知識なしで読むのは相当つらそう -
ナショナリズムの本質を歴史的・理論的に探究する論考として1983年ベネディクト・アンダーソンによって上梓された。1987年彼の教え子によって最初に日本語に翻訳され、2006年時点では30カ国27言語に訳され、ナショナリズム論の名著として社会科学系の研究者に広く読まれ、大学ゼミなどの課題書としても使われている。表題の書は1997年に一部加筆修正されて出版されたもの。
著者は第二次大戦後東南アジアの社会主義国間の紛争に直面し、マルクス主義理論にとっても「やっかいな変則であり続け、無視されることのほうが多かった」ナショナリズムの問題にフォーカスし、人類学・社会学・歴史学・政治学等々幅広い学識を駆使して分析・思考し独特の立論を試みたものである。著者はイングランドで生まれイートン校、ケンブリッジ大を経て渡米、コーネル大学でインドネシアなど東南アジア研究を長く続けた、その分野の権威である。生涯を学問研究にかけた筆者の文章は経験・知識や発想の豊さに満ちて読み手に緊張を強いる。生い立ちやキャリアがなせるイギリスの引喩や凝った文体で専門語や脚注も多く、読者向きの文章に慣れた身にはついていくのが大変であった。繰り返しなぞりながらも終章になると朧げに浮かび上がってくるナショナリズム像に何とも言えない達成感に満たされる。今まで無意識に使っていた「ナショナリズム」という言葉が恐ろしく新鮮な概念として再現され、従来の表面的な理解が次元の違う新しいものに変わっていく快感である。
読解不足と雑駁な浅慮を省みず、あえて纏めてみると以下のようか。
想像の共同体 Imaged community とは
近代の印刷技術、言語、教育によって形成される。
地図・人口調査・博物館・歌謡などで範囲が策定され、新聞などで同時性を確認し共同性が意識される。聖書の絶対性(宗教)・王権の絶対性(政治)・時間的宿命性(哲学)の旧社会が印刷・出版技術や資本主義の発達によって、人間は従来の制約(限界)を超えて「考える」ようになり、想像の共同性=ナショナリズムが発現する。 -
本書の目的は、ナショナリズムの実態と理論との乖離に対して、ナショナリズムの理論(どのような意味なのか?どのような歴史的背景があるか?)を提供することである。その背景には、中国とベトナム、カンボジアという社会主義体制の国同士の戦争がある。
本書では、国民という存在が人々の間でイメージされ、心に想像された共同体であるという。僕らは、大勢の日本人と会うことも聞くこともないが、心の中に日本人を想像することができる。 -
2013 11/6パワー・ブラウジング。Amazonで購入。
図書・図書館史の授業用に読んだ本。
以下、授業時のメモ。
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・従来・・・ラテン語(他にはアラビア語、中国語など)からなる「聖なる想像の共同体」 ・それが俗語等による国民国家的、想像の共同体になっていく要因・・・出版資本主義
・16世紀の出版・・・資本主義的企業
・「書籍商はなによりもまず生産物を売りさばいて利益をおさめようとし、そのため、この時代のできるだけ多くの人々の好みにあった著作を求めた」
・ラテン語を話せるのは二言語を使えるエリートだけ・・・その市場が飽和すれば、当然俗語出版に行く
・ラテン語の地位の変化・・・人文主義
・宗教改革・・・俗語出版を利用
・絶対君主による俗語の行政中央集権化手段への採用
・俗語はもともと多様・・・口語俗語レベルでは、ちょっと離れたところ同士では会話は理解できない/テレビができる前の津軽弁VS薩摩弁とか想像してもらえれば
・そんなごく小規模な範囲での出版じゃ儲からない・・・ある程度、共通している範囲内で組み立てなおした「出版語」にまとまっていく
・「多様なフランス口語、英口語、スペイン口語を話す者は、会話においては、おたがい理解するのが困難だったり、ときには不可能であったりするのだが、かれらは、印刷と紙によって相互了解できるようになった」(p.84)
・「この過程で、かれらは、かれらのこの特定の言語の場には、数十万、いや数百万もの人々がいること、そしてまた、これらの数十万、数百万の人々だけがこの場に所属するのだということをしだいに意識するようになっていった」(同)
・この「読書同胞」の存在・・・国民的なものと想像される共同体の胚である
・言語の固定・・・写本作成においては、意識的/無意識的に写字生は時代の状況にあわせて手を加えてしまう
・その結果、たとえば12世紀と15世紀ではフランス語は全然異なってしまっている/理解し難い
・印刷によって一度刷られたテキストは固定されるようになる/書き言葉の変化の速度は決定的に鈍化
・その結果・・・「古さ」のイメージが生まれる=「伝統的」的なイメージができる
・ブルジョアジー階級・・・「本質的に想像を基礎として連帯を達成した最初の階級」
・文字を読める+同じ文字を共有する他のブルジョアジーに、会ったことがないどころか存在すら知らなくても共鳴できる
⇔・それまでの婚姻や友情を基板とする貴族階級等とは異なる存在
・ただし言語によって範囲は規定される
・「人は誰とでも寝ることができるけれども、ある人々の言葉しか読むことはできない」(p.132)
・ネアンの引用:「ナショナリズムを唱導する新しい中産階級インテリゲンチアは、大衆を歴史に招じ入れなければならなかった。そしてその招待状はかれらの理解する言語で書かれねばならなかった。」(p.135)
・ある言語の話者がその言語による国家創設がふさわしいと考えるのであれば、その言語の話者はすべてその国家の範囲に入れることを認める必要があり、そうなると農奴制のようなものは捨てざるを得なくなる・・・人民主義的性格
・王朝国家/帝国(国内に複数の出版俗語話者が存在する国家)はどの出版俗語を選ぶかで苦慮することに・・・
・ある語を選べば過度に肩入れしたとみなされ他の言語話者に攻撃される/譲歩すると採用した言語の話者に攻撃される
・オーストリア・ハンガリー帝国/オスマン帝国
・p.157・・・日本の場合の事例紹介あり。後の回で使えるか?
・p.216・・・ナショナリズムというものが知られてから後には、出版俗語を異にする人々による国民国家も成立しえている。例えばスイス。ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語話者が入り乱れている
・これはかなり遅れてきた波
・最終層・・・Open Society Foundationが出てきている。授業とは別件であとで読み返す
・基本的に自分が書いてた筋とまあ大筋で相違ないことは確かなようである・・・王朝国家はそれで統一性を保とうとするし、それが倒れれば民主的に進められる、と
・音声メディアがない時代にはますます大事・・・文字を読めること/想像できること
・そのためには・・・教育が必要である
・公教育を補う存在としての公共図書館、国あるいは自治体が予算を支出し、人々の社会教育を担う機関としての図書館は、ゆえに近代以降の産物である