過去に触れる―歴史経験・写真・サスペンス

著者 :
  • 羽鳥書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (620ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784904702604

作品紹介・あらすじ

「過去に触れる」という「歴史経験」を探究するエッセイ集成。
とりわけ写真を通した過去との接触という出来事に着目して、小説家、詩人、思想家、建築家、美術史家、文学者、写真家たちの具体的な歴史経験から「過去に触れる」瞬間を描きだす。また、その経験を伝達する歴史叙述のあり方を「サスペンス」の原理のうちに見出し、本書の探究もまた、サスペンスの様相を呈したスリリングな展開をみせる。
「過去に触れる」旅の果てに見えてくる、歴史および写真における「希望」とは何か。

堀田善衛、宮沢賢治、橋川文三、松重美人、畠山直哉、牛腸茂雄、多木浩二、ヨーハン・ホイジンガ、アビ・ヴァ―ルブルク、ジルベール・クラヴェル、ダニエル・リべスキンド、W・G・ゼーバルト、ヴェルター・ベンヤミン、ロラン・バルト、G・ディディ=ユベルマン。

感想・レビュー・書評

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  • 写真をみることで情報や知識は身体的感覚をともなった「歴史経験」になるという。触れられる対象となった過去としての写真によって”今”を未来への予感に満ちて生きることができる。

  • 〇以下引用

    歴史経験は、情報や知識ではなく、何よりもまず身体を通じた感覚的経験

    東日本大震災ののち、自分にとって必要に思われたのは、現下の事態を「歴史」としてとらえること視点だった

    歴史的感興

    そのような拡散された日常の表層の背後に、時として、人間存在の不可解な影のよぎりをひきずる。その<かげり>は、言葉の襞にからまり、漠とした広がりの中空に堆積し、謎解きの解答保留のまま、この日常という不透明な渦の中で増殖し続ける

    ★★「ひたひた」と身に迫って、溺死させるように<触手>でまとわりついてくる「日常」の触覚的、皮膚感覚的な、圧倒的な<近さ>に対し、牛腸がここで写真によって日常的光景に与えているのは、絶対的な<遠さ>の感触であった。

    さらに上空から、宇宙から観るとどのように見えるのだろうかと話したことがある。

    ★牛腸の写真の「絶対的な遠さ」と呼んだものとは、撮影における距離それ自体ではなく、「日常」という「近さ」が写真においてこそ帯びる「どれほど遠くにで有れ、ある遠さが一回的に現われているもの」としての「アウラ」である

    ➡この「空間性」が、無時間とか永遠に関わりがあるように思うんだが。つまり牛腸は確かにその集団の中に居たけれど、別面では全く違うところに存在が依拠されていたのではないかという気がする。

    ★牛腸の写真に見出されるのは、「見慣れた街」の「日常」のアウラである。「身近さのなかの遥かな遠さ」というアウラの定義は、「もっとも身近なものがもっとも疎遠なものに感じられる」
    ➡詩。

    現実と幻想の彼方との距離の問題ー

    ★ある一人一人の人間が現世にどのように身の置き方をしているかということで、そのあらわになる世界の「像」もまた変わる

    「もうひとつの現実」

    ★明晰な意識ではなく、牛腸個人の無意識と、群衆の集団的無意識とが混じりあった熱中状態に没入したさなかに記録される都市の表情ーそこに牛腸は「日常性というとりとめもなくあいまいな世界の深み」につながる、「深遠な世界への迷宮の扉」を見てゐた

    眼に映るもの、耳に聞えるもの、すべて、そしてあらゆる生命が、記憶に値する、いとしいものに思われるような時間の感覚ーそれは、牛腸に少しでも近いまなざしでここに残された光景を見なければならないという、無意識の呼びかけに

    外傷性感覚や幼児感覚を励起

    写真家の主体が世界および歴史と「詩的」に交わってイメージがうまれることを準備する場

    その土地の歴史を、ヒストリカルフィールドの次元において経験


    五感に分離する以前の共感覚的な強度の次元では、過去と現在もいまだ未分化な原初状態にあり、過去との直接的な接触としての歴史経験はその状態への回帰ととらえられる。「過去に触れる」とは、何よりもまず、そうした強度の経験であって、それが雰囲気や情感、気配といったものとして、全身の身体感覚によって情動をともなって受容され、さらに複数の感覚が同時に励起された多感覚・共感覚状態をもたらす。すなわちそれは、歴史的想像力が緊張の域に達した時に偶発的に生じる、圧倒的な強度との遭遇であり、、

    過去へと向かう想像力に最高度の緊張が加わるのは、過去から未来への流れる時間の連続性が断ち切られる危機によってである。個人の精神的な危機にせよ、震災のような自然による危機にせよ、あるいは戦乱をはじめとする社会的な危機にせよ、日常生活の基盤そのものが瓦解して、昨日までの秩序が維持できなくなったとき、ひとは未来の不確かさに戦慄すると同時に、過去を生々しく身近に感じる

    任意の死者を任意の生者が任意に語ることなどできない。或る死者について語るためには、その死者から選ばれなければならない。すなわち、「選ばれる」というかたちで、その死者の歴史素と肉体的に出会う

    過去に触れるときに吹く風は、希望の約束を秘めている

  • 貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
    http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=9784904702604

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著者プロフィール

東京大学大学院総合文化研究科教授

「2022年 『イメージの記憶(イメージのかげ)』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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