- Amazon.co.jp ・本 (226ページ)
- / ISBN・EAN: 9784904816011
作品紹介・あらすじ
尾崎一雄、尾崎士郎、上林暁、野呂邦暢、三島由紀夫…。文学者たちに愛された、東京大森の古本屋「山王書房」と、その店主。幻の名著、32年ぶりの復刊。
感想・レビュー・書評
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肉体的コミュニケーション
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とても大切にしたくなる本。
それはきっと、関口さんご自身が、人間であることを存分に味わい、大切にされてきたからだろうな。 「好色の戒め」「父の思い出で」「某月某日」が個人的に特に好きでした。 -
本はやっぱりいいんだ。
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夏葉社の本はいいなと、読むたびに思う。
人の誠とか日常のなにげないもろもろが描かれていて、
「私はこう生きていきたい」と思える見本のようなものがそこにあると思える。
この本に出合ったのは、馬込文士村のことを調べていたことから。YOUTUBEを見ていると尾崎士郎記念館でこの本を示して話す男性がいた。著者のご子息の直人氏である。そしてその本こそが夏葉社のHPで時折り目にしていた本だった。
大田区山王にあった古書店「山王書房」の店主の随筆。尾崎士郎氏にかわいがられ、たくさんの文士たちと交流した様子が描かれている。
大きな事件が起きるわけでもないその様子は、昔、こんなふうに日本人は暮らしていたんだろうな、本っていうのはこういうふうに読まれ、必要とされてきたのだなと思うだけで胸が熱くなる。
そしてこの本のたたずまい、布張りの上製本は、図書館で借りた私にも美しさを届けてくれた。
こんなにも美しく、イメージ通りに復刻してくださった島田潤一郎氏に感謝。
そしてこの本の覚えを記そうとここに来てみたら、思った以上の方たちが感想を残しておられたことにも驚いた。
p43
上林暁先生訪問記
上林暁先生の家を訪問し、「ちちははの記」に署名をお願いしたときの様子が書かれている。
・「これでいいですか」と先生は筆をおかれた。きちんとした正しい字で「本を愛する人に悪人はない」と記してあった。
瞬間私は、こりゃあ悪人にはなれないぞと思った。
私は先生にお別れして帰る途すがら、ほんとうの文学者に合ったという感動で胸が一杯になり、難解も何回も署名に見入った。
p66
お話二つ その一つ
古本市で仕入れた本を車をひろって積み込み、家に帰る途中に運転手さんと話したときのこと。その運転手さんは人の好さそうな体つきのがっちりした若者だった。運転手さんは太宰治も上林暁や尾崎一雄も松本清張、源氏鶏太、吉川英治も知らなかったが宮本武蔵は知っていた。その彼がつくづく東京がいやになったので田舎へ帰るとはなしてくれた。
・私は話を聞いているうちに、若者の無知を軽蔑するどころか、すがすがしい気持ちになり、立派だと思った。
若者よ、君は本を苦手だと言い、本を読まないことをはじていたね。そんなこと、少しもはじる事はないんだ。君の心は、この濁った東京に住んで、少しも汚れなかったではないか。都会には、本を読んでも精神の腐ったのが、ウヨウヨしている。
p156
スワンの娘
古書店を始めたばかりのころ、浦和の友人から本を買い付けた。雪が降り、荷物も重く、ひと休みしたいと有楽町のスワンという喫茶店でコーヒーを頼む。雪がひどくなったので本を預かってほしいとレジの娘に言い、翌日取りにくることにする。翌日本を取りに行った著者は、娘に「この中から好きな本をあげる」と言うと、娘が選んだのは川端康成の『雪国』だった。
それからその喫茶店に行くたびにケーキがでてくるようになる。そのお礼にと著者は映画に誘う。『ローマの休日』だ。ところが、その日、娘はギリギリに約束の場所へやってきて、郷里の鳥取が大火に遭い自分の家が焼けてしまって今から帰ると言う。著者は東京駅まで送る。
その娘を思い出したのは、それから何年も経って山陰を旅したときのことだった。
・誰かが大山だと叫んだ。
ああ、あれが山陰の名山大山かと思った。
それは故郷の山でなくてさえ、襟を正すような感銘を覚えた山だった。
ふと、長い間忘れていた一人の娘のことがよみがえって来た。ほかならぬスワンの娘のことだった。
初めのうちは、遠い記憶の中で霧ように流れていたものが、だんだんと形を整えて来ると、いま見る大山の前に、娘の姿は雪女のように現れて来た。
大山の話をよくしてくれたのは、スワンの娘だった。
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息継ぐ間もない世相の中に生きていると、何か特別のきっかけがない限り、記憶は永久に鳥取の砂丘に埋もれ、白兎海岸の波間に沈んでしまうかも知れない。
大山や鳥取の街は、眠っていたスワンの娘の記憶を呼び起こしてくれた。
それは私の人生に無用なものかもしれない。が無用の物の中にこそ、言い知れぬ味わいがひそんでいるものだと思う。
通り過ぎようとしているこの故郷の鳥取の街のどこかに、スワンの娘はそのまま住みついたのか、そうだとしても今は尋ねるすべもない。
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すばらしい。私の中の何かと共鳴して涙が出る。
p204
昔日の客
作家 野呂邦暢の若き日のできごと。
野呂氏が山王書房の近くに住んでいて、よく山王書房に本を買いにきていた。事情で郷里に帰ることになった野呂氏が欲しがっていた「ブルデルの彫刻集」という1500円の値札の付いた本を、著者は千円に負けて売る。
そんなできごとを忘れていたが、昭和49年、野呂氏は芥川賞を受賞し、その授賞式に著者を招待する。そして著者の娘の嫁入り道具の運び出しを手伝ったりする。
・話の途中で野呂さんは、何かお土産をと思ったけれど、僕は小説家になったから、僕の小説をまず関口さんに贈りたいと言って、作品集「海辺の広い庭」を下さった。
その本の見返しには、達筆な墨書きで次のように書いてあった。
「昔日の客より感謝をもって」野呂邦暢
p222
復刊に際して
著者のご子息の直人氏が中学生の頃、お父さんがお客さんと夢中になって話していた。
・「古本屋というのは、確かに古本という物の売買を生業としているんですが、私は常々こう思っているんです。古本屋という職業は、一冊の本に込められた作家、詩人の魂を扱う仕事なんだって。ですから私が敬愛する作家の本達は、たとえ何年も売れなかろうが、棚にいつまでも置いておきたいと思うんですよ」 -
本屋を通り過ぎていった人たちと、本の記録。
著者は本が好き、人が好き、話が好き、という人だったのだろう。まるで自分もその本屋にいたことがあるのでは、と思わせるような自然な語りがとてもいい。 -
昔の古本屋店主のエッセイ。昔の(今も)古本屋さんは、心から本が好きなことが伝わってくる1冊。本っていいなぁ…。
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Jwaveのジョン・カビラさんの番組でこの本を出版した出版社と社長さんのエピソードを取り上げていて、この本と又吉さんとの縁についてのお話がとても心に残った。
今は図書館に予約しているが、読む前からぜひ手に入れたいと思っている。
というか、近くに本屋さんがほしい。 -
本が好きな人の話ってなんでこんなに楽しいんだろう。
「某月某日」に登場する井上さんの話が心に残った。 -
書と書物、作家の織りなす世界観や人柄への愛情、思い入れを強く感じ、読みながら、自然と微笑んでしまう。
著者は朗らかな方だったのかなと、勝手に想像しながら、お酒が入った後の唄歌いや踊りを想像する。
古本を介した人との巡り合わせ、記憶の連なりが温かく、満ち足りた心持ちになる書物であった。