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  • Amazon.co.jp ・本 (273ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784905425465

感想・レビュー・書評

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  • 編集協力者の星さんにご紹介いただいた本。
    言語と仏教とはまた難しいテーマだな、と思います。
    仏教もまた、インドから中国を経由して日本に伝わるまで、原典を翻訳されてきた宗教。
    広くあまねく衆生に伝わるまでに、本来の意味が変わってしまった部分も大きいことでしょう。

    仏教伝来時こそ、原典の言葉がわかる開祖に紹介されたものであれ、人々にとって受け入れやすいものになるまでに、かなり日本に合う形に変化したのだろうとは思っていました。

    この特集を読んで、またその思いが新たになりました。
    本来の仏教とは遠く離れた一つの極端はチベット仏教で、もう一つは日本仏教だとのこと。
    タイやスリランカといったほかの仏教伝来国とは性質が違っていることも、説明がつきます。

    日本は、江戸時代の幕府の方針で、一村一ヶ寺まで寺が普及し、檀家制度が整いましたが、それは本当の意味での仏教の普及ではなく、寺による戸籍管理という意味合いが大きく、結果として仏教の教えよりも、宗派ごとの縦割りの分別が広まり、対立を生んだという話になるほどと思いました。
    現代日本では、仏教は教えよりも行事やしきたりになっているわけも、納得できます。
    ほかの仏教国の人からするとかなり差を感じることでしょう。

    また、そもそも論として、覚りのプロセスは超言語的プロセスであり、覚っていない人に説明するのは大変難しいという、まさに言葉の壁があります。
    ただ、言葉を使わずしては、伝わらないこともあるという、なかなか矛盾に満ちた関係に、仏教従事者たちは悩まされてきたことが伺えます。

    よくキリスト教徒の「無人島に一冊本を持っていくとしたら、聖書にする」という言葉を聞いたりしますが、それは聖書やコーランが、どちらもポケット版六法全書くらいの大きさに印刷可能であるからだとのこと。
    仏教の経典は百科事典並みに分量が多く、無人島に持っていくとしたら、本棚まるごとになると聞いて、その差に驚きました。

    東洋の仏教的考えは、無意識の世界に支えられていますが、そもそも我々は、無意識的考えができているところを、西洋的な考えをするようになったため、内側ではなく外側から仏教を見ることになり、理解しづらくなったのだ、という意見には、なるほどと思いました。
    キリスト教やユダヤ教よりもずっと言語から離れたところにある仏教の教え。
    それをわかった上で向き合うと、難解に思えた教義も、案外すんなり受け入れられるような気がします。

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著者プロフィール

橋爪大三郎(はしづめ・だいさぶろう):1948年生まれ。社会学者。大学院大学至善館教授。東京大学大学院社会学部究科博士課程単位取得退学。1989-2013年、東京工業大学で勤務。著書に『はじめての構造主義』(講談社現代新書)、『教養としての聖書』(光文社新書)、『死の講義』(ダイヤモンド社)、『中国 vs アメリカ』(河出新書)、『人間にとって教養とはなにか』(SB新書)、『世界がわかる宗教社会学入門』(ちくま文庫)など、共著に『ふしぎなキリスト教』『おどろきの中国』『おどろきのウクライナ』(以上、講談社現代新書)、『中国共産党帝国とウイグル』(集英社新書)などがある。

「2023年 『核戦争、どうする日本?』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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