- Amazon.co.jp ・本 (271ページ)
- / ISBN・EAN: 9784905497165
作品紹介・あらすじ
気鋭の研究者が多角的に論じる。内奏、戦後巡幸、皇室外交、ミッチー・ブーム…皇族、宮内庁、マスメディア…私たちにとって天皇制とは何か。
感想・レビュー・書評
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所収論稿は以下の通り。
河西秀哉「象徴天皇制・天皇像研究のあゆみと課題」
後藤致人「昭和天皇の象徴天皇制認識」
瀬畑源「象徴天皇制における行幸」
冨永望「イギリスから見た戦後天皇制」
船橋正真「佐藤栄作内閣期の昭和天皇『皇室外交』」
河西秀哉「戦後皇族論」
楠谷遼「マスメディアにおける天皇・皇族写真」
森暢平「ミッチー・ブーム、その後」
「象徴天皇制」に関する研究論文集。現在の歴史学における戦後天皇制研究の到達点がわかる。宮内庁の組織実態や史料の現況などに関するコラム数編が付いている。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「はしがき」によれば「象徴天皇制をめぐる動向が現代においても再び活発になった」ため、「今こそ、戦後日本社会にとって象徴天皇制とは何であったのかを問う必要があるのではないだろうか」という問題意識から、その「手がかり」となることを期待して編まれた一書。
個々の事例は非常に興味深いものがあって、たとえば第5章「戦後皇族論―象徴天皇の補完者としての弟宮」(河西秀哉)では、終戦直後から天皇の「民主化」と、天皇制の維持という2側面から積極的に行動していた3人の弟宮の様子が描かれている。僕には現代の皇族が主要メディアのインタビューに出る印象がほとんどなかったため、終戦直後はこれほどメディアに出ていたのかと驚いた。
第6章「マスメディアにおける天皇・皇族写真」(楠谷遼)、第7章「ミッチー・ブーム、その後」(森暢平)も、印象的だった。天皇や皇太子に殺到するメディアの様相は、逆に現在の天皇・皇族報道がいかに抑制的かということをクリアにしているように感じた。「ミッチー・ブーム」も、現在の皇太子妃雅子をめぐる報道のありようを思い浮かべると、むしろ「ミッチー・ブーム」のほうが過度で過激だったんじゃないかと思われるほどである。
ただ、気になったことといえば、はしがきで「象徴天皇制とはいかなる制度であり、象徴天皇とはいかなる存在なのだろうか」という問題提起をしていながら、「いかなる制度」に関する掘り下げが弱いように思えたことである。制度といっても法制度のことではなく、社会を規定しているシステムという意味合いである。この点は松下圭一の「大衆天皇制」論の枠組を基本的に継承しているような印象だった。執筆者のなかでは冨永望のいう「議会主義的君主制」はそういう意味でシステム的な提起をしていたと思うのだがのだが、本書で冨永が記した第3章「イギリスから見た戦後天皇制」は、どちらかというと事例研究で、システム的な問題が深まったとは思えなかった。
とはいえ、天皇について歴史的にとらえる視点が弱い日本の社会状況のなかで、このような試みを世に問うという姿勢に、率直に敬服の念を抱いたことは記しておきたい。