死刑のある国ニッポン

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  • Amazon.co.jp ・本 (420ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784906605576

作品紹介・あらすじ

裁判員制度が始まった-あなたは人を、死刑にできるか。真っ向から対立する存置派・藤井誠二と廃止派・森達也が、煩悶のなかで真摯に言葉をぶつけ合った緊迫の対話。

感想・レビュー・書評

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  • 死刑制度存置派の藤井誠二氏と廃止派の森達也による対談。
    いつもなら森氏は迷いながら結論を探すのに、死刑制度に関しては「死刑」を書いたときから廃止という意見を突き通している。

    私個人は「死刑」を読んで以来、やや廃止派に傾いていたけれど、藤井さんの意見を読んで、いっそう揺れてしまった。
    でも、やっぱり森さんのいう性善説みたいなものを信じたいとは心のどこかで思っている。

    どちらかの意見を必ずしも選ぶ必要はないけれど、日本という国で生きていく以上、死刑制度については誰もが一度は考えるべきテーマだと強く感じた。

  •  真っ向から対立する2人の400ページにわたる対論。机上の議論でなく、死刑囚や犯罪被害者への豊富な取材経験もふまえ、いろんな角度で論じている。死刑の是非について、突き詰めて考える材料をふんだんに与えてくれる一冊。

     私は以前から、死刑は廃止すべきだと思っていたが、この本を読んで、その考えはさらに強まった。ただ、正反対の考えに至る人もいるだろうと思う。

     以下、覚え書き。

     死刑制度が犯罪抑止に役立っていないことは、データから明らか/2007年の殺人事件認知件数は戦後最低であり、治安は悪化していない/冤罪によって犠牲になるコストは最低限にすべき。命は戻らない/死刑囚1人あたりの年間経費は500万円弱で、100人なら5億円。決して高すぎないし、お金に換算する問題ではない/「殺すなかれ、殺させるなかれ」(ブッダ)。過去に起きた殺人の命は戻せないが、これからの死刑は止められる/被害者の応報感情だけが死刑の根拠なら、遺族が死刑を望まない場合や天涯孤独で遺族がいない被告の場合はどうなる。唯一の応報刑である死刑は、罪刑法定主義の放棄である。絶対に赦されない罪はあるのか。その罪への対価として死刑はふさわしいのか。

  • 最近、ハマって読んでいる森達也の対談。興味深く読んだ。

    僕個人は、死刑制度について現在コメントできるものはない。難しい問題だと思う。

    藤井誠二との対談たる本書はしかし、森氏の主張の展開としては他の本に比べるともうひとつだなあ、という感想を持つ。

    森氏の最大のよさは、対象テーマと自身の魂をぶつけての逡巡状態にある。そして、既成の価値観に簡単に与しない。オウムでも、部落でも、メディアでも、超能力者でも、森氏は揺れ続ける。

    本書における森氏はしかし、完全に決断しており、その決意はまったく揺るがない。そしてそれを宣言している。

    対談の場合、相手の意見を聞き、自説を曲げるある程度の覚悟がなければ、そこには対話はない。雄弁があるだけだ。互いに主張をぶつけあうだけだ。藤井氏は死刑制度廃止論から存置に転向し、今なお逡巡しながら森氏と対峙している。一方、森氏は「自説のほうが正しい」という確固たる確信があり、藤井氏の言葉には耳を傾けるけれども、俺の見解は変わりっこないよという姿勢は首尾一貫している。

    らしくない。

    これでは森氏の最大の武器である情感の揺れがスポイルされてしまう。彼が激しく主張すればするほど、らしくないなあ、と嘆息してしまう。

    そうはいっても、意見が対立する二人の対談という極めて難しい構図で最後までしっかり読ませるのはさすがだ。死刑存続と廃止のどちらがよりよいのか、決着は本書ではついていないし、藤井氏の論がより正しい、と僕が思っているわけでもない。そういう意味での瑕疵ではない。

    あとさきになったが、この後「死刑」を読むことにする。

  • 森達也「死刑」を読んで衝撃を受け、100パーセントではないながら、死刑廃止に気持ちが傾いていた私ですが、今回の対談では、また、大きく気持ちが揺れてしまいました。

    森さんと藤井さんは、旧知の間柄。根っこのところはかなり共通したものをお持ちのお二人なのに、藤井さんは死刑存置、森さんは廃止、と違う立場を取られています。
    藤井さんが、なぜ死刑を存続しなければいけないか、と説くと、うん、そうだよね、と思い、それに対して森さんが、でもね、と言われると、うん、それもそうだ・・と。
    とにかく、非常に私の気持ちが揺れてしまって、休み、休み、自分の気持ちとお二人の論点をすり合わせながら読み進みましたので、かなり時間かかってしまいました。

    ただ、似た根っこをお持ち、と思った反面、微妙にスタンスが違うんだなぁ、とも。
    藤井さんは、被害者遺族に寄り添う形で、ある意味、支援者というか、活動家の色合いが強く感じられるのに、森さんはあくまでジャーナリスト、大事な題材ではあるけれど死刑廃止運動家としての日々ではない、と感じたところ。
    また、今回、初めて思ったのですが、森さんが「理系的に」話を分析・整理して、本質だけを見ようとしているところに驚きました。

    藤井さんの話には頷けるところが多く、でも、森さんの視点から考察すると、「青い」と思えてしまうんですよ・・。

    今、なぜ死刑が廃止できないのでしょうか、という藤井さんの問いに、森さんは多数派につくという日本人の国民性メディアによって煽られるフェイクな危機管理意識、多くの人が死刑を概念的にしか知らないことと、三つの要因を挙げられています。
    これはそれぞれ知っていたはずのことなのに、改めて、ストンと頭の中に入ってきました・・・。

    森さんも藤井さんも、お互いを論破しようとは思っておられなかったように思います。
    議論の余地のある問題である、もっとみんなで考えよう、少なくともタブー視して目を背けているのはやめようじゃないか、という二人のお気持ちを感じ取れたのが収穫かな、というのが、ようやく読み終わった私の感想です。

  • ディベートとしては全く成立していない。
    死刑廃止派である森氏は、対談中、「死刑は、誰のためにある、どのような意義がある制度なのか」と二度質問しているが、存置派である藤井氏は二度ともこの質問に回答できていない。
    森氏の死刑廃止論の根幹は、「死刑に続けるべき理由がないのであれば、やめた方がいい」というところなので、ここに反駁できない時点で、最早お互いの論の根幹についての議論はできないということになる。

    藤井氏は「被害者遺族の心情のため」というニュアンスのことを述べているけど、被害者遺族の心情が1枚岩でないのは、被害者遺族の取材を長年続けてきた藤井氏も断言するところ。
    これに対して森氏は、「死刑制度は被害者遺族の感情に配慮していると考えられるが、その感情が一枚岩ではなく、死刑への立場は曖昧であることがわかったのであれば、藤井さんが取るべき立場は死刑存置ではなく、死刑の(一時)停止ではないか」と問われている。
    死刑の意義がわからない・怪しいのであれば、(暫定的にでも)取るべき立場は「停止」「廃止」または「保留」であるべきで、「とりあえず存続」というのは飛躍しすぎでしょう、ということ。
    これは完全に藤井氏の主張を論破している。この反論として、「死刑は被害者遺族のためだけにあるわけではない」みたいなことをゴニョゴニョ言っているが、じゃあそれについて対談中ちゃんと話し合ってよ、と思う。

    私は森氏と同様に、「死刑をする合理的な理由があるなら、世界中に反対されてもやり続けるべきだと思うが、その理由が全く思いつかない」という意見なのだが、この立場で読むと、何とも得るところのない本だった。400ページもあるのに、これだけ?という感じ。
    結局、冤罪だの被害者遺族支援のあり方だの、死刑の有無に直接関係のないところばかり盛り上がっているのだが、藤井氏の方が死刑の意義をちゃんと説明できていないので、間接的なところしか話せないのだと思う。
    そして、間接的なところでは、お二人の意見は別に対立していない・・・。

  • 論点がたくさん網羅されておりわかりやすい。答えの出ない問題だなと思わせられます。

  • 死刑に犯罪抑止効果がないことを前提に、情緒のレベルで死刑存置派の藤井と死刑廃止派の森が語り合う。「殺人犯の命を国家が保障するのは倫理的に耐え難い」とする藤井に対して、森は「『処刑しない』ことと『保障する』ことは違う」と反論する。国家が「生かす」ことを問題視する存置派と国家が「殺す」ことを問題視する廃止派という対立点を見定められただけでも読んだ価値があったと思う。

  • 真面目な二人が死刑制度の是非について真面目に議論した本。ノルウェーの例は衝撃的。教育現場にいると、確かに「この子は悪いことをしたけど、この行為をするまでのバックグラウンドは愛情不足だからなあ」ってことがよくある、というかほとんど。しかし、それを制度化し国民が納得しているのはすごい。もっと調べてみたくなった。

  • 少し古い本だが、現在の日本の死刑制度について深く言及されているし、廃止派(森さん)と存置派(藤井さん)がガチンコ議論しているので偏り無い意見を知ることが出来る。
    どちらも死刑という命を扱う難しい問題に対して、考え尽くして出している結論だからこそ、ブレずに主張を突き通している。

    僕らはもっと日本の死刑問題に対して、知るべきだし自分の頭で考えるべき。
    僕がそうであったように、この本を読んでスタートするのでも全然遅くないと思う。

  • 私は存置派だったが、森さん話のほうが、論理性があり、藤井さんは情緒性が強く、
    死刑廃止に気持ちが動いたが、迷うばかりだ。

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著者プロフィール

森 達也(もり・たつや)
1956年、広島県呉市生まれ。映画監督、作家。テレビ番組制作会社を経て独立。98年、オウム真理教を描いたドキュメンタリー映画『A』を公開。2001年、続編『A2』が山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。佐村河内守のゴーストライター問題を追った16年の映画『FAKE』、東京新聞の記者・望月衣塑子を密着取材した19年の映画『i-新聞記者ドキュメント-』が話題に。10年に刊行した『A3』で講談社ノンフィクション賞。著書に、『放送禁止歌』(光文社知恵の森文庫)、『「A」マスコミが報道しなかったオウムの素顔』『職業欄はエスパー』(角川文庫)、『A2』(現代書館)、『ご臨終メディア』(集英社)、『死刑』(朝日出版社)、『東京スタンピード』(毎日新聞社)、『マジョガリガリ』(エフエム東京)、『神さまってなに?』(河出書房新社)、『虐殺のスイッチ』(出版芸術社)、『フェイクニュースがあふれる世界に生きる君たちへ』(ミツイパブリッシング)、『U 相模原に現れた世界の憂鬱な断面』(講談社現代新書)、『千代田区一番一号のラビリンス』(現代書館)、『増補版 悪役レスラーは笑う』(岩波現代文庫)など多数。

「2023年 『あの公園のベンチには、なぜ仕切りがあるのか?』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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