絶望という抵抗

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著者 : 辺見庸 佐高信
  • 金曜日 (2014年12月8日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784906605996

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絶望という抵抗の感想・レビュー・書評

  • 寂しくも辺見庸先生もお年か。かつてのように柔らかく、かっこよく判断思考行動するには、その余生がつきるまでの時間のなさに、よほど逼迫しているのであろうか。過激な、ファナティックな主張が随所にみられ、そこまで追いつめてはと感じた時、それはむしろ悲哀を感じてしまう。とにかく目につく者、物、事象を手当たり次第に罵倒し、総括を強要するさま、それはむしろ嘆息が漏れ出でてしまう。エネルギーや熱情を行動に転嫁しえないのが「老い」なのだと、ただそのことが読み進めるごと強く認識されるのみなのが辛い。もっと楽に生きて、笑って死んでもいいのではないか。

  • 今の日本の状態に不気味さを感じている私。
    この本のタイトルに惹きつけられて、読んだのだった。

    〈本から〉
    辺見 先ほどの中国の話にしても、戦争になれば負けるから話の糸口を見つけろと言っているわけではないのです。ぼくは徹底的な反戦主義者ですが、その立場から言っているのでもない。人間として根本のところでまず相手に、人間というものに興味を持てないのかということです。資本や権力ではなく、生身の人間にもっと関心を持てないのか。
    左高 せめて自分の浅はかな物差しで判断して相手に向き合うことはしてならない。そう言いたい。
    辺見 本当に「せめて」の願いです。
     (略)。。。

  • 絶望という抵抗とはなにか。希望と言う戦後的理念を掲げて抵抗するのではなく、絶望という個的で感性的な物を介した抵抗でなければならないということである。
    携帯電話もスマホモすべて貧困ビジネスである。最もお金のない人々から1円でも2円でも、どうやって搾り取るのかということを、ITを企画する者たちは考えている。
    はっきりページをめくるような形では戦争が来ない。ある日突然振ってくるわけではない。今じわじわと進んでいる、すでに来ているかもしれない。この実時間の感覚が大事である。
    対案を出すべきだという発想は、今あるリアルな現実を認めている、それが理性的であると言う発想がある。今ある現実肯定の中からなんとかしようと言う発想は、テレビの中で遊んでいるようなものだ。
    権力を撃つ側はよく反省するが、撃たれる側は反省しない。例えばあべに反省のハの字もないのに対して、撃つ側は反省してばかりだ。自分が風邪をひいて頭が痛いのも、政治のせいにすればいい。連中が自分のせいにした事はないんだから。何代にもわたって、我々は彼らに良い生活をさせてやっているいるから。
    学校では命の大切さを教えるのではなく、命の大切でなさを教えるべきだ。例えばパレスチナで2,000人以上が虐殺されて、手足がバラバラになっていることなど。そういう世界の現状を。実は命なんて大切ではなくなっている。それを教えなくてはいけない。

  • 20年近く追いかけている辺見庸さん。
    新刊が出れば必ず買うようにしています。
    本書は佐高信さんとの対談本。
    佐高さんは昔から苦手で躊躇しましたが、現下の政治状況を辺見さんはどう見ているのだろうかと気になって買いました。
    辺見さんは少なくとも10年以上も前から、ファシズムの到来を予見していた数少ない作家のひとりでした。
    私は毎度夢中で読み耽りながら、それでもなお辺見さんの見立てには全幅の信頼を置けませんでした。
    フィクションや仮構と見なしていた時期もあります。
    ただ、それは誤りだったかもしれません。
    本書を読んで、そう感じました。
    ファシズムはひとりのファシストが実践し、構築する政治体制のことではありません。
    むしろ民衆の情動と結託して生まれるところに、その本質があります。
    それを辺見さんから学びました。
    私は安倍首相が「根生いのファシスト」とは思いませんが、国民の間に蔓延する空気にファシズムの匂いを嗅ぎ取ります。
    これは最近の出来事です。
    先日の衆院選後、安倍首相にインタビューしたニュースキャスターが激しく切り込む場面があったそうです。
    私のFBのタイムラインには「マスゴミごときが首相に偉そうな口をきくな」といった批判の投稿が流れてきました。
    この種の言説はいまでは別段珍しくないのでスルーしそうになりましたが、よく考えれば一昔前なら想像もできなかった反応です。
    なんとなれば、権力監視、ウォッチドッグこそがマスコミの本義、本務というのは常識だったからです(いまでもそう信じていますが)。
    これは善し悪しの問題ではありません、そういうものなのです。
    ニュースキャスターが首相へのツッコミ不足を謗られることはあっても、「首相への批判はけしからん」などと非難される道理はありません。
    批判の主の投稿は、たとえば医者に向かって「医者ごときがなんで病気を治療すんだよ」と言いがかりをつけているのと同じようなものです。
    ただ、そのマスコミも明らかに変質してきたようです。
    本書で辺見さんはこう慨嘆しています。
    「かつて新聞は、弱いものへ味方することが我々の美徳なのだと、堂々と言ったものです。ところがいま、いたいけなるものへの支持がすり減っている」
    辺見さんはかつて共同通信の特派員として中国で取材し、中国共産党の機密文書をスクープして当局から国外追放処分を受けました。
    ですから、辺見さんの中国にからむ発言にはいつも注目してきました。
    中国といえば反射的に蔑視するのが当世風ですが、そんな薄っぺらなものではありません。
    「もちろんぼくにも中国への政権批判はあるし、反対せざるをえない。しかしながら私の中国体験から言うと、あの国は一週間で戦争の準備ができます。自分でスクープしておきながら、あの国が本当にベトナムに兵隊を送り込んだとき、ぼくの常識は木っ端微塵に吹き飛びました」
    こんな見方を提示してくれる識者がいま、どれだけいるでしょう。
    考える機会を与えてくれる良書です。

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絶望という抵抗の作品紹介

侵略の歴史の無化。軍事国家への爆走と迫りくる戦争。人間が侮辱される社会…。この絶望の深みをさぐって、二人の思索者が日本ファシズムの精神史を遡り、未来の破局を透視した。

絶望という抵抗はこんな本です

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