- Amazon.co.jp ・本 (456ページ)
- / ISBN・EAN: 9784906708550
感想・レビュー・書評
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藤田氏の現代芸術,地域アートに対する警鐘,あるいは問題定義は,こうやって言葉にされてみるととてもよく腑に落ちる.いいとか悪いとかは別にして,やはりこういうことを明確に可視化することも必要だと思う.
ただ,この本のブルーの印刷インク.紙,フォントあらゆるものが奇をてらったせいで,非常に読みにくいものとなった.この本がもっと違う形で出たら,さらに多くの人が読んだに違いないと,残念である.普通の本なら.⭐️4.詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
思弁的実在論(人類が誕生する前から、また人類が滅亡した後も、「世界」は実在する)がすごい速さでアートの世界でも広がっている85
アートと政治。美学と政治はイコール。「虚構の二つの形式」176
「出来る範囲のコミュニケーション」は悪(もっと言えばファシズム)だ。「出来る範囲」から外に出ていかないのが日本の地域アートの問題。「出来る範囲」を越えると「敵対性」が生じる。それで殺人が起きないのは(範囲を越えたのがアートだから)「良き政治」が宿るから。179
アートは今、特権的な才能によって制作され、一部の者たちに所有され正当化されてきたかつてと異なり、そうしたかつてのアート概念を根底から解放する方向に移行している250藤井光
アートを誘致すれば地域が活性化する、これはアジアに膨張していった近代思想と似ている。戦前は「天皇」という装置で人を動員した。現在は「アート」で動員している263藤井
著者が対談の中で「地域アートに批評性が足りないんじゃなくて、批評家が力量不足(前時代的なロマン主義や、権力への批判性がアートの必須条件であると思っていること)なんじゃない?」と言われてしまう290藤井
公共事業の大規模なアートイベントなどが増えて、その中でアーティストは自分たちを取り巻く政治性を自覚している。そこではアーティストは、代替可能な認知労働者という弱い立場である。表現の独立性を保証する制度も無いのだ、検閲や自主規制の論理がとおる。今出来るのは!その置かれた立場を確認し合うこと295藤井