- Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
- / ISBN・EAN: 9784906790203
感想・レビュー・書評
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ちょうど、謎に思っていたことの解答を得た気がした。2016.7神奈川相模原「やまゆり園」障害者殺傷事件で、植松の動機が、「意思疎通のできない重度の障害者は不幸かつ社会に不要な存在であるため、重度障害者を安楽死させれば世界平和につながる」ということだった。
効率主義社会ならば、その通り。私も反論できない。自分も社会に役立たなくなればすぐにいなくなりたい。安楽死したい。しかし、そういう社会は滅ぶ。誰も見捨てない集団しか永続しないから。ーということがストンと腑に落ちた。
①権力者が威張って、弱者をいたぶるのが不愉快な原因、弱者を助けるヒーローが頼もしく思える理由。
②ペイフォワード。すでに先人から、共同体から贈り物を受け取っており、それを共同体のためにお返ししなければいけない。
「ルールとの折り合いをつける」
集団が生き延びていく上で有用なら、生き延びていく力を減殺し阻害するファクターを回避するためなら、ルールはどんな変化をしても構わない。
ルールとは、その社会集団が生き延びるために作られたものである。
集団構成員である限り誰も見捨てない。どうやって集団全体の生命力を高めるか。これがルールの真実。
弱肉強食ルールが適用された集団は、集団として存続できない。なぜなら強弱は相対的概念だから。比較として強弱がある。だから強者だけで形成された集団は存在しない。弱いものが強いものに喰われて当然であるというルールでやっていれば集団構成員はどんどん減っていって最後はゼロになる。
国家。誰かが、「この線からこっちはうちだから入ってくるな」と言い出したせいで成立した。福沢諭吉は「立国は私なり、公に非ざるなり」「痩せ我慢の説」国境線を引いてこっちからこっちは日本、隣国とこの土地はどっちのものだとガミガミいう、隣国の奴らは飢え死にしても知るか、誰かを担ぎ上げて君主だと仰ぎ、命も財産も惜しくないと上せ上がるーそんな必然性がどこにある?国民国家などただの幻想だ。
プロデューサーが現場でする仕事は何か?
橋本治 「床のゴミを拾うことだよ」「みんなが来る前にオフィスを掃除してみんなが帰った後にお茶碗を洗っておく」ような雪かき仕事。それができる人間しか場を主宰することはできない。
人間が労働するのは、人間の消費する量が自然からの贈与分を超えたから。
労働の本質は自然の恵みを人為によって制御すること。生産ではなく制御。生産コストより管理コストを優先する。農作業に従事して価値あるものを作り出している労働者より、彼らを監視したり鞭で叩いたりする人間の方がいい服を着て、いいものを食べている。管理は督戦隊。味方の兵士が退却してくると、戻って戦え、戦わない奴は殺すという係。
極道が肩でかぜを切って歩けるのは腕力に自信があるからではない。誰にやられても組織的な報復がなされることは確実だから。自分が傷つけられると、他のメンバー全員が傷つけられた気分になる。
当為と願望の助動詞をつけて話すのが子ども、可能の助動詞をつけて話すのが大人。
自分にできることを他人の同意や承認を得て決定する。これができることを求めている場においてしか意味を持たない。ニーズがあって、他者の、期待を私が満たす。
やらねばならぬこと、したいことは、個人的なことがら。
教育を受けることを「買い物」だと思って学校に来る。学ぶとこんな利益があるよという利益誘導。費用対効果、最小の学習努力で、教育を受けた場合の報償を手に入れられるかを考え始める。単位を取れるためのミニマムを聞いてくる。何点取ると単位もらえますか?何回休めますか?教えなければならないのは、自己利益を増大する方法ではなく、共同体を生き延びさせる方法。
なぜ勉強するのか?勉強していい学校に入って高い年収と社会的威信を手に入れてゴージャスな消費生活をするためーではない。
成熟とは「役割」。どんな集団も固有の文化を持ち、ぶつかると激しい葛藤が生じる。一方が他方を殲滅できない場合は、どこかで折り合いをつける。仲裁できる人が大人。仲裁する立場に立たされることが成熟。
「愛国心」は必ず国民の統合に失敗する。自分と同じ考え方感じ方を、集団の統合軸として採用したから。それは原理的には自分1人しかいない。だから、私とは考え方も感じ方も違う人間達とも共同的に生きることができる、他者を受容できる能力が基盤が必要。愛するというのは、理解と共感の上ではなく、理解も共感もできないものに対する寛容。「ゆるい連帯」
領土問題の解決方法は二つしかない。一つは戦争。もう一つは、両方とも不満な五分五分の痛み分けを受け入れること。これは、両国の統治者が共に政権基盤が安定して高い国民的人気に支えられているという条件が必要。
2004年国境紛争痛み分け。ロシアと中国は、プーチンと胡錦濤。
72年日中共同声明、周恩来、78年鄧小平、外交的譲歩ができた統治者だった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
メルマガ連載の単行本化。
著者曰く、今回は質問に応える形で書かれた文章で、いつもより親身に、わかりやすく書かれている。
非常識な人ほど謝らない(理屈を言う)や、教育とは「おせっかい」と「忍耐力」である、とか、ホンマに経験則としてその通りやと思う。
文化人類学からの「贈与」に関して。
人は、「何かを贈らねばならない」という与える側から始まるのではなく、「贈られている」側から始まると。そして、何を贈られているのかをわかるかどうかが大切である。ユーミンの歌を引用し、「目に見えるすべてのことはメッセージ」であると。
わかりやすい。
国民国家はあくまでも造りものであり、そこに引き寄せられたり、市民がどうなろうが国益優先で排外主義になってしまいがちな現代において、「国を愛するということ」や、困難な中でも成熟していくことでしか、まずそれが問題であることすらわからんのちゃうかと。
それが共同体や、この国で生きる上で、成熟した人がどんどん減っている中だからこそ、身につけていかなければならないことなのでは。
「大人になる」・「成熟した」とは、数値化できないし、後で振り返った時にわかるもの。
「終わりよければ全て良し」の「終わり」のスパンを1人の寿命ぐらいに短く考えず、脈々と続く共同体の時間の中で考えていこう。
未熟で集団的に退化ばかりしてしまう僕たちの社会が成熟していくことは難しいが、身近なところから「考える」ということをしていくしかなさそう。
自然な身体を大切にしながら。 -
メールマガジン「夜間飛行」に連載された、人生に纏わる相談事への回答を纏めたもの。ややニヒルで斬新な視点で著者の人生哲学が語られている。軽快な文章で、随所にテイクノートしたくなる卓見が散りばめられている。例えば、
・「責任取れよな」という言葉は、「おまえには永遠に責任を取ることができない」という呪いの言葉
・「こんなことを続けていたら、いつか大変なことが起きるぞ」という屈託は、技術者たちの危険感知能力を弱める。
・労働の本質は自然の恵みを人為によって制御すること、「生産」ではなく「制御」が本質。
・市民的成熟とは、「自分が贈与されたもの」、それゆえ「反対給付の義務を負っているもの」についてどこまで長いリストを作ることができるか、それによって考量されるもの。
・贈与されても反対給付義務を感じない人は、人類学的な定義に従えば、「人間ではない」。
・貨幣は自分を媒介にして何をしたがっているのか? この問いをまっすぐに受け止める人が「貨幣と縁がある人」
・集団があと100年、200年生き延びるために今ここで何をすべきか。それが「わかる」能力を身に付けてもらうのが教育の本義であり、それ以外のことはすべて副次的なことにすぎない。
・外交交渉で「強く出る」のは力のない政治家のほう。外交的譲歩ができるというのは、政権基盤が安定している統治者だけ。
内田氏の本は初めて。佐伯啓思氏と共通するテイストを感じたが、どうだろうか。 -
たまには頭を使いながら読む本を、と思い手にした。文体が、公開講義で話すような砕けたものなので読み進めやすい。著者は若い方なのかな?と思ったら、書かれた時点で60代だったので意外。分類的には哲学書だと思うが、肩肘張らずに読める。しっかり考えながら読むと、面白いのだが仕事疲れのせいか眠くなる…。後半は、自分なりに理解・納得出来たと感じられなくても読み進めた。何気に合点のいっていなかった様々に対して、成程、こう考えれば・表現すれば腑に落ちるのか!と思える点、多々有り。同意出来ない点なども有るが、出来れば時を置いて読み返した方が良さそうな書物だと感じた。
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これは良書!中学校の道徳の時間に1つずつ読んだらいいんだ。内田樹さんは本当に芯があるから、その芯を伝わる言葉で丁寧に語る。芯が曖昧な人は「それっぽく」聞こえるために格好つけた言葉に頼る。
たぶん、「信じるに値するもの」はそれを身銭を切って信じてみせる個人の宣誓と信託によってはじめて「信じるに値するもの」になる、
これなんて名文!
全部に納得しなくていい。「こういう考え方」を丸っと知れる事。それがいい! -
ずっと自分が漠然と描く『大人』にいつまでも追いつけないし、そもそもそんなものはないのかもしれない。
『泥鰌鍋紳士』のエピソードのところはとても印象的だった。