ゲンロン0 観光客の哲学

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著者 : 東浩紀
  • 株式会社ゲンロン (2017年4月8日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (326ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784907188207

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ゲンロン0 観光客の哲学の感想・レビュー・書評

  • 不思議な本である。そして同時に傑作である。

    本書のテーマは重い。極めて重い。今の世界が直面する困難の構造を析出し、それを突破する主体を構想する。それが本書の目的である。ところが、その重すぎるテーマを前にして本書の叙述スタイルはなんだかとっても妙だ。文章はわかりやす過ぎるほどに明快であり、哲学書・思想書にありがちな晦渋さとは無縁。随分くだけた表現もあり、場違いなほど俗っぽい物言いに思わず吹き出してしまうこともしばしばだった(とはいえ、これは東の話術=トークにおいてはおなじみのものだが)。もともと著者・東は複雑なものをシンプルに整理して提示する達人だが、本書ではその技術がいよいよ究められつつあるように感じられる。

    全体の構成も面白い。本書は二部構成で、第1部ではまず今の世界のありようを描き、それに抵抗する主体として観光客=郵便的マルチチュードなる概念が提示される。この新しい主体のアイデンティティの在り処を探るのが第2部となる。詳細については実際に読んでもらえればいいのだが、東は上記のストーリーを描き出すために多様なモチーフを呼び出している。観光学や政治哲学を参照して記述する第3章あたりまではいいとして、第4章以降はネットワーク理論に情報社会論(サイバースペース論)にドストエフスキー論と怒涛の展開である。さらに第1章のあとに挿入される付論では東の過去の仕事であるオタク論および福島第一原発観光地化計画についても言及され、本書との接続が図られている。このような混淆性により、本書を読むことそれ自体が一種の知的観光となっている。まさに構成の妙と言えよう。

    以上のような独特の叙述スタイルは、課せられたテーマの深刻さにもかかわらず、本書をさわやかで風通しのよいものとしている。この「まじめ」と「ふまじめ」の同居こそ、本書の不思議な印象の正体だろう。

    内容については下手な要約をするより実際に読んでもらうのが一番だと思う。大変刺激的な議論である。第2・3章の近現代政治哲学の鮮やかすぎる整理は大変勉強になった。第4章で試みられる社会思想とネットワーク理論の接続は驚くべきアイデアであり、今後賛否両論を呼ぶことになるだろう。第6章は東の初期の仕事であるサイバースペース論のアップデート。第7章(最終章)のドストエフスキー論は感動的ですらある。

    ついでに言うと、本書は「東浩紀による東浩紀入門」としても読むことができる。前述した「多様なテーマ」とは、つまりは東が過去に取り組んできた仕事の集積であり、それを「観光客」というパースペクティブから再構成し、そこに新しいアイデアを加えてできたのが本書ということになるだろう。これまで東浩紀の最初の一冊は『動物化するポストモダン』か『弱いつながり』あたりだったのかもしれないが、これからは間違いなく本書となるはずだ。入門したところから一気に最前線まで連れていってくれるのだから贅沢なものである。

  • 何これ最悪。何が言いたいのかさっぱり分からない。

  • SNSや観光、テロ、二次創作など現代に溢れている内容に哲学的な視点で書かれているところが斬新で、本書の魅力だと思う。哲学初心者の私にもとても分かりやすい内容で、その辺の難しそうな哲学本より、スラスラと内容が頭に入っていきやすかった。この本をきっかけに、哲学について勉強しようと思った。

  • 2017年の、いや、テン年代のメルクマールとなるのは間違いなく「中動態の世界」と本書であろう。

    誤配せよ

  • 力のある文章とその説得力に、文章量を気にせず読むことができた。

    また、内容も明解で理解しやすい。

  • 今我々が生きているこの時代を様々な立場の人が論じていますが、哲学者は今の時代をどのように捉えているのか、昔から興味深かったのですが、本書は東氏なりの一つの現代社会に対する一つの解釈とその方向性を出してくれたのかなと思います。

  • 「観光客」という共同体や民族を越境する者(越境者)が、また人間の「観光客」的な在り方がこの先の世界を動かす(ひいては世界平和を実現する)?
    そんな刺激的な問いを哲学的なアプローチで描いている本著。

    盛りだくさんすぎて正直1回読んだだけでは私には処理しきれない・・!
    でも面白いと感じる部分がたくさんあった。
    著者はそのような読み方を望まないだろうけど、哲学(とその歴史)に興味を持つとっかかりとして手に取るのも面白いかも。

    しかし高校の歴史や道徳、大学の文化論で登場した哲学者や文学者の名前がたくさん出てくる。
    当時は興味を引かれなかったけど、思想を引用されるとみんな面白いことを考えてたんだなあと思える。カントなんて『永遠平和のために』どうすべきか真面目に考えてたんだなあって。すごいよな。
    個人的にハンナ・アーレントの『人間の条件』は読んでみたくなった。

    あと国(国民国家)を人間になぞらえて、そのうち政治=上半身、経済=下半身と例える表現とかはうまいし面白い。現代は愛(政治的な信頼関係)を持たぬまま肉体関係(経済の依存関係)を深めてしまった者(国)たちの時代らしい。

    ドストエフスキーは『地下室の手記』と『カラマーゾフの兄弟』を読んだけど、この第7章で描かれてる研究者たちや批評家のような読み方にはまったくもって至れなかったのでまた読み直してみたいな。今なら違う読み方ができそう。

  • 偽善で空想的だったリベラルはもはや存在しないが、政治と経済、国民国家と帝国、ナショナリズムとグローバリズム、コミュニタリアニズムとリバタリアニズム、この対立のどこかに身を置く、のではなく、「第4の道」を見出すための本。
    その道は、連帯しないのが連帯、と言うただデモするだけの否定神学的なマルチチュードではなく、書名にもあるように何らかの「繋ぎ換え=誤配」を産み出しうる『郵便的マルチチュード』である観光客だ、と言う話。
    そしてこの「観光客」も単なる観光客という意味だけではなく、同じく郵便的マルチチュードと考えることが出来る「家族」も含まれるもの。
    本書の最後がドストエフスキーを通して家族を捉え治す、と言うのがソルジェニーツィン試論に帰ってきているのが、注釈でも書いてあるように自覚的な原点回帰のようで、東さんはもう筆を折ってしまうんだろうかと少し不安になりかける。けどゲンロンはまだまだ続いていくようで、ちゃんと追っていかないと。

    政治思想にはコミットしていないしそもそも文系科目的な知識や知見は初等教育の時代においてきてしまっているような人間に対しても粘り強く、重要な概念は何度も反復して、言い換え、思考を誘導するように丁寧に連れて行ってくれているようで、読みやすい。
    とはいえ「難しい」話をしているのでこちらもちゃんと整理していかないといけないのだけれど。

    実は存在論的 郵便的はまだ読めていないのだけれど、これまでの主著は大体読んできたので、それらとこの本が示す「第4の道」である「観光客=家族」へ至る道が朧気に記憶の底から甦ってきて色んなことに合点がいったり考えが展開したりして、面白かった。非常に。

    最近の比較的ライトと言える仕事だった弱いつながりやセカイからもっと近くに、特に後者のあの最後の展開の部分がピタッと嵌まった感じで、凄く気持ちいい。
    いや、気持ちいいとか満足した、と言うことじゃなく、この本で辿ってきた議論は何度も書かれているように荒削りで未完成ではあるわけで、それを自分のことに引き寄せて、それを実践して行かんとな、とは強く思っている。
    ちょうど家族を作ろうかとしているところでもあり、この本を家庭の座右において、ずっと考えていかなきゃ。

    東さんが6年(もうか!)くらい前に冗談めかして言っていた、「世界は二つある」の思想がぎゅーっとつまっている気がする。

    などだらだらと垂れ流したので、2週目へ。

  • (01)
    冒頭で、えらく古い易経において、「観光」の語が「国」という語とセットになった一文に発現したらしきことに触れつつ、すぐさま見切られ、西欧のツーリズムの方へと心移りがなされている。本書の全体の視野の広がりからすれば、ささいな見切りであるともいえるが、果たして「観」や「光」という漢の字が、本書で語られるテーマにまるかぶりする意味はなかったのだろうか。
    ところどころで触れられているが、近代ツーリズム(*02)における「観」ること、視覚の優位は何を意味していたのだろうか、アーリの「観光のまなざし」の主構成はこの視覚の問題が根幹に据えられている。
    また、「光」は、風光と熟され、その風光は風景とほぼ同義であることから、「景」の提喩ないし換喩(*03)としても考えられる。風景や風光はなぜ近代によって観光され、発見されなければならなかったのか、といった問題系から本書を起こすことも、あるいは可能であったように思う。

    (02)
    ルソーから、あるいはスピノザから始まる西欧の近代に始まり、現代までの主要な思想(*04)を、観光客が観光するような視線で、ざっくりとレビューし、著者の90年代から00年代までの著作や近著も含めセルフレビューし、プレビューとして一画面(インターフェイスかスクリーンか)に収めてしまう力には舌を巻いた。また、観光客から家族へという無茶ぶりともいえる接続ないし横断をやってのける力にも、歓声がどこからかあがるかもしれない。力を感じる評論である。

    (03)
    ふまじめ、ふわふわ、痛さ、憐みといった現代語のチョイスは適切であり、本書の立論では欠かせないキーとなるワードとしてもってきており、言論や人文の復権への意志と、粋な心意気が感じ取れる。
    また、平易な言葉で書き表し、図と図式的なことばで喝破することは哲学の王道(エクリチュール!)でもあり、哲学への自負を感じる。

    (04)
    思想的な座標、二項、二層性は示されたとして、政治的なトピック、社会的なアクシデント、経済的なトレンドについてはどのように構え、応対しているであろか。
    右派左派、民主主義、共和制、権力と生権力のいろいろ、テロリストほど極端に走っていないとしても移民と難民と市民たちの移動と不動のあれこれ、資本と労働(*05)とネットワーク(*06)のアゲサゲといった現代の相もふんだんに盛り込まれていて、現代をパースとして見通すのにも便利である。世相が観光の対象となりうるのであれば、世相のガイドブックとして参照されうる、行き届いた本でもある。カテゴライズが効いていて参照性が高いのかもしれない。いずれにせよ、大いに誤配や誤伝の可能性に開かれている。

    (05)
    貧困や過剰な労働に立ち向かっているだろうか、観光は所詮、ブルジョアらの慰みではないだろうかという本書への批判をどこかで目にした。現代の観光の経済活動をみたときに、著者のいう観光のフラット化というステージまでは未だ躍り出ておらず、古典的であり近代的でもある格差や階級差のほうが観光より普遍的な題目であるという反論もあるかもしれない。
    中盤のマルチチュードの戦略としての観光を説くあたり、社会や経済の底辺まで浚え、救われるようにも思えた。観光には救済もありそうでもある。所得の外にはじかれた/はじかれつつある人びとにも本書は届くところがあるのではないだろうか。

    (06)
    ネットワーク理論の紹介は、例えば私の様に、知らない人は知らないので利がある。そうしたスモールワールド(*07)の現代知から「つなぎかえ」がなされ、スケールフリーに飛躍するように、また振り出しに戻るかのように、100年前に話は飛ぶ。終盤は、ドストエフスキー分析がなされ、フロイトのウンハイムリヒや父殺しといった19世紀末のミステリーに落とし... 続きを読む

  • 可愛い世界を愛でよう

  • わかりやすさがすごい。
    ラカンの解説ではじめていっている意味がわかった文に出会った。
    論理が明確。

  • 政治に他者に関わることなく引きこもって自らの欲求を追求して暮らすことが可能な動物の時代。神も国家もアイデンティティの拠り所として機能せず、グローバルリズムを否定するためにテロリストでさえふわふわした浅薄な理由で(動画を見て)生まれる。テクノロジーとグローバル化により均質になっていく世界で、数々の哲学者の論説をひもときながら人はどうあるべきか模索する。

    本来は世界市民となるはずだった現代人はリベラリズムに疲れはて、リバタリアニズムとコミュニタリアニズムに分裂している。グローバリズム(経済的利益、肉体関係)はナショナリズム(政治、恋愛関係)を取り残したまま歪な秩序として浸透したのだ。SNSやLGBT運動に見られるネットと愛さえあればどうにかなるというマルティテュードも実効性が薄い。
    シンギュラリティは空想社会主義にすぎず、仮想現実世界では匿名性がフェイクニュースやヘイトなど悪い意味で現実を侵食していく。

    筆者は観光客=二次創作だと主張する。観光とはまさに産業社会によりうみ出された産物、大衆消費行動だ。しかし観光は単なる娯楽であると同時に誤配を生み、偶然性によって人の視野を広げ社会を繋げ直す。そして観光客は訪れる場所を観光地に変える。観光客は無力ではない。

    国という概念が機能しなくなったテロリズムの問題は文学の範疇にあると筆者はとく。ドフトエフスキーの地下室人の手記、カラマーゾフの兄弟、悪霊について取り上げている。強制されると反発するためだけに反発するのが人の性。人はライプニッツ的理想の世界に殉じようとするが、現実の不条理に耐えられなくて絶望してテロリストとなり、さらにどちらの態度からも離れた無関心なニヒリストとなる。ニヒリストを克服するには、不能な父(観光客)となるしかないという。そして解決は次の世代に託し、そしてまたテロリストが生まれていく…。終わりなき円環の中に人は生きていくと筆者はしめくくる。

  • 哲学=まじめというこれまでのイメージを覆そうという野心作。そのために欠かせないスパイスが「偶然性」。
    ドストエフスキー論がいちばんスリリングだった。
    重い主題については軽く語るのがいいと書くミラン・クンデラともつながった。
    九鬼周造の「偶然性の哲学」とも。
    ジャック・デリダの「散種」についてもいずれ読んでみなければいけない。

  • 『ゲンロン0』を半分ほど読み終えたのですが、これほど知的高揚感が駆り立てられたのは久しぶりの感覚。明らかに東さんのこれまでの著作よりも平易な文体かつ、圧倒的な論理の明快さ。中高生でも読めるはず。没落しかけていた人文知に光明みえた。

    <メモ>
    思考・思索・思想を揺さぶれ!
    思考を深め、思想を案出するとは何か

    学部卒論

    数学の言葉、社会科学の言葉、文学の言葉により、説得を試みる。やはりスーパースター。

    まとめp204

  •  ゲンロンカフェ主催の東浩紀の書きおろし哲学書。

     丁寧に書かれていて、哲学書として格段に読みやすい。もちろんだからといってよく分かるわけではないが、考えることを後押ししてくれる。東浩紀の思想を読む本ではあるが、そこに様々な哲学者の思想が絡んできて、広く哲学の勉強にもなる。
     観光とはその地の人でも完全な無関係でもないその間の存在のことか。グローバリズムとナショナリズムなど、様々なことの間について書かれている。個別の具体的なニュースとはあまり絡めて書かれていないが、広く現在の世界を読み解く鍵があるように感じた。
     ここ数年の東浩紀が色々な場所で話したことや書いたこととがこの本によってつながっていくように思えた。やはり本というのは大事。

     濃厚な哲学読書体験。
     こういう本こそムーブメントを起こしてヒットしてほしい。

  • 2017年4月9日に紹介されました!

  • 確かに過去のどのゲンロンよりも読みやすい(カラマーゾフの兄弟は再読しないといけないけど)。観光客という響き、家族という言葉に対して扱う内容は深い。2017年の、いま、この環境において、いかに他者と関わることができるのか、世界とどうつながることができるのか、社会をつくることができるのか。それが「観光客」で、そして「家族」であるというのがたどり着いたところ。誤配された家族的類似性。これから第二部の内容をどう深めていくのかが、文字通り親である東浩紀と東チルドレンの宿題。

  • 2017.4.1-2017.4.9
    お勧め。
    読後に思つたことをブログに書きました。(全4回)
    https://blogs.yahoo.co.jp/yoshiharajya/55759883.html

  • あずまんのゲンロン0最高だった。なぜリベラルは崩壊しつつあるのか。ナショナリズム(国家・政治・人間)とグローバリズム(帝国・経済・動物)という二層構造の時代を生きる我々に、新たな視座を与えてくれる観光客の原理を指し示す希望の書。

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ゲンロン0 観光客の哲学の作品紹介

否定神学的マルチチュードから郵便的マルチチュードへ――。ナショナリズムが猛威を振るい、グローバリズムが世界を覆う時代、新しい政治思想の足がかりはどこにあるのか。ルソー、ローティ、ネグリ、ドストエフスキー、ネットワーク理論を自在に横断し、ヘーゲルのパラダイムを乗り越える。著者20年の集大成、東思想の新展開を告げる渾身の書き下ろし新著。

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