- Amazon.co.jp ・本 (228ページ)
- / ISBN・EAN: 9784907986421
作品紹介・あらすじ
1939年のナチスとソ連による相次ぐポーランド侵攻。このときソ連の強制収容所に連行されたポーランド人画家のジョゼフ・チャプスキ(1896 - 1993)は、零下40度の極寒と厳しい監視のもと、プルースト『失われた時を求めて』の連続講義を開始する。その2年後にチャプスキは解放されるが、同房のほとんどが行方不明となり、「カティンの森」事件の犠牲になるという歴史的事実の過程にあって、『失われた時を求めて』はどのように想起され、語られたのか? 現存するノートをもとに再現された魂の文学論にして、この長篇小説の未読者にも最適なガイドブック。
* 「カティンの森」事件……第二次世界大戦中にソ連の内務人民委員部によって2 万人以上に及ぶポーランド軍将校、官吏、聖職者らが虐殺された事件。アンジェイ・ワイダ監督による映画『カティンの森』(2007)でも知られる。
感想・レビュー・書評
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2023年2月
「収容所で一冊だけ許されるとすれば、どの本を持っていきますか」
ソ連収容所で零下45度に達する寒さの中での労働の後に行われた、チャプスキのプルーストについての講義の記録である。
満足に本のない収容所で、自分の記憶のみを頼りに語ったため、文学批評というよりも自分の思い出語りだとチャプスキは言う。
この本は、収容所を生き抜いた人の歴史的なノンフィクション要素あり、生きるのに必要なものは何かという哲学的な問いであり、もちろん『失われた時を求めて』という作品の解説である。
文学を楽しむ心は極限状況で人を生かすことができるのか、という感嘆。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
訳者解説の冒頭に「この問いが無人島よりも胸騒ぎを起こすとすれば、それは無人島に本を持って流れ着くという非現実的な設定に対して、何らかの理いる由で収容所送りになることは、一生のうちに決してあり得ない、とまでは言いきれないからかもしれない。」とあるが、よもやこのようなことで”収容所”送りにされようとは思わなかった。
だが、幸いにしていまの私たちは、このポーランド人将校らとは違い、どんな本でも読むことができる。
この本はなぜわれわれが本を読むのか、人間を人間たらしめるものはなにか、ということを問いかけているのかもしれない。 -
ソ連の強制収容所のなかで行われたプルーストの講義録。資料も本もないなか、記憶と書物への愛情と、知への渇望のみを土台として行われた講義。そのシチュエーションだけでも胸をつかまれるのだけど、わたしのようにプルーストを読んだことのない者にとってもわかりやすい、格好の入門書になっているところもすごい。あいだのページに、講義録がカラー写真で挿入されていて、そこから伝わってくる熱にも胸を打たれた。
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ソ連の強制収容所の中でポーランドの軍将校が、苛酷な肉体労働に耐えるために「連続講義」をしていた。その連続講義の中の、プルーストについての講義をいくつかの残存していたノートと共に復元したもの。
フランス社交界についての本など、過酷な収容所では何の意味をも持ちえない、ということはない。逆にそれこそが生きる糧となったのだ。最近よく”文系”軽視的な言説を見るが、事実はそうではない、ということ。逆に”人間として生きる”ためにそうしたものこそが重要だということ。 -
収容所でテキストなしに記憶だけでこれだけの講義をしたことに驚いた.またプルーストへの傾倒ぶりのわかる「失われた時を求めて」の解釈に目を見張る思いだ.
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収容所でなぜプルーストが語られたのか。文学の意義を考えてしまう。内容はともあれ、プルーストの時代背景の説明は参考になる。
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レビューはこちらに書きました。
https://www.yoiyoru.org/entry/2019/06/17/000000 -
文学
ノンフィクション -
「夜と霧」(VEフランクル)や「ラーゲリから来た遺書」(辺見じゅん)のように、極限状況に置かれてなお尊厳や崇高さを失わずに生き抜いた人間がいることを教えてくれる一冊。その核心である、著者が収容所で行ったプルースト「失われた時を求めて」の講義録は私自身浅学にしてほとんど理解できなかった。残念!