高宮眞介 建築史意匠講義 ―西洋の建築家100人とその作品を巡る― (アーキシップ叢書01)
- Archiship Library&Cafe (2016年1月30日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784908615009
感想・レビュー・書評
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対比的なものだ。揺れ動く、振り戻る探究の繰り返しによって、概念は立ち上がってくる。考えることを折り重ねる、その多重が、曖昧でしかない認識を、あたかも原理に拠っているものだとして、創り出すことを動機付ける。
ただ、その探究が手に入れていくものは、世界にとって、形骸となって、置き換えられて、占められていく。
例えば、同じフットプリントから、部屋の名前だけを取り替えて、取り付けられる窓をリストから選択して、仕上げや造作を好きなようにコーディネートすることだって、建築になる。99%が映すまち並みは形骸的になって、産業的な意味としての住宅に出来上がって、異なる字義の建築として、町をつくり、都市をつくり、社会をつくり、人間をつくっている。
ぼくたちはそこで生きているんだ。そこにある社会で生きている。
どんなひとでもいる。どんな社会もできあがる。どんな建築にもなりうる。ぼくたちが簡単に設定することとは何一つ関係なく、すべては自由で無制限で、何の根拠もない。
建築は、アプローチであり、無制限の自由から、姿かたちを見い出すための方法であり、意味というものに意味を添付するための軌跡だ。何もないところに形をつくることではなく、何もないのではなくてあるものに創造性を付与するという当たり前を、手段にすることができるということだ。
ルネサンスだって、産業革命だって、モダニズムだって、それはそれぞれの一端だと映る。合理主義に、表現主義に、自律性に他律性、保守と革新と運動と、グローバリズムからリージョナリズム、そしてローカリズムへ。どれもこれもを一端だとして、そこからはじまることができる。
さまざまに映る様相を、どこまでも複眼的に、輻輳的に、多層的に、自身に織り込むことが、ひとにはできる。そうやって、建築はできていくし、文明が表れていくし、生きることは、画を描かれていく。
建築は何より、自分の世界を構築する、その設計方法を備えさせてくれるものだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示