数学の贈り物

著者 :
  • ミシマ社
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感想 : 39
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  • Amazon.co.jp ・本 (160ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784909394194

作品紹介・あらすじ

いま(present)、この儚さとこの豊かさ。
独立研究者として、子の親として、一人の人間として 
ひとつの生命体が渾身で放った、清冽なる19篇。著者初の随筆集。

目の前の何気ない事物を、あることもないこともできた偶然として発見するとき、人は驚きとともに「ありがたい」と感じる。「いま(present)」が、あるがままで「贈り物(present)」だと実感するのは、このような瞬間である。――本書より

『数学する身体』(新潮社、第15回小林秀雄賞受賞)の著者による待望の2冊目がここに誕生――。

感想・レビュー・書評

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  • お腹をこわして他のものが食べられないときの、おかゆのような本だった。正直なところ難しくて全部を理解できたとは言えないけれど、読み進めるうちに、漠然とした不安には名前がつき、理詰めで窮していた思考はふわふわになった。
    トークイベントも参加してみたい。

  • 内容は文学的で哲学的なのでおよそ現代の数学とは程遠い。
    ただ、この空気感というか、感性がとても心地よい。

  • 数学的な考え方は話のきっかけとして少ししか紹介されないけど、静かで哲学的な思索は根源的で、やはりそれは純粋な数学的思考と切り離せないんだろう。
    無垢なこころを思い起こさせる素敵なエッセイ。

  • はじめておとづれる異国への旅の機内で読了.

    旅行や仕事で海外をおとづれると,いかにふだんの自分の生活が日本の東京のある業界で仕事をしている40代うんうんというコンテキストとそれをとりまく情報社会に絡め取られているかを実感として感じるわけですが,森田さんは京都の人気のない土地での普段の生活の中で,数学を通して,そんなコンテキストを異化して「現在」を直視してる.

    読んでいて「生の感覚」がピシピシと伝わってくる.

  • 想像をはるかに超えて、「数学」だけの贈り物ではなかった。ただ、とてもいいエッセイ集。

    一つひとつのエッセイで取り上げられる題材は、とりとめもなく、一瞬、捉えどころが分からず、一貫性がない。
    生まれてすぐに2度の手術を受けることになった息子の話。
    けがを理由に辞めてしまったバスケをしている自分を、昨日の夢に見た話。
    風鈴を眺める話。
    ボーア戦争の有刺鉄線の話。
    息子と公園で遊び、お風呂で数を数えた話。
    ただ、一つひとつの出来事を切り取っていく語りには、数学に本気で取り組んだことあるからこそ感じるのであろう、筆者ならではの視点と着眼点がある。

    そんな中でも、個人的に一番面白かったのは、分かりやすく数学、に関するエッセイだった。
    「−1に−1をかける」とはどういうことか? という問いに対して、「ひとたび記号運用の規則を身につけたなら、意味がわからなくても行為(計算)できる」という。
    そして、数学とは「当初は日常の「意味」を表現するために導入された道具だったが、ひとたび記号として自立してしまえば、今度は記号世界の秩序にしたがって、自律的に展開していく」(p57)もので、「要するに、(−1)×(−1)=1でなければならないというのは記号の側からの要求であって、そこにあらかじめ予定された「意味」などないのだ」と言い切る。

    元々は、何か現実的な意味があって、人は計算することを始めた。けれども、計算のルールが決まると、現実的な意味とは、全く関係のない「何か」が生まれてくる。今度は逆に、これの「意味」は何なのだろう、と考え始める。
    こうしたルールだけが自律していくところに、思いもしなかった新しい「意味」の発見がある、というの発想が面白かった。自分が何をしているのか? この行為がいったい何であるのか? それを一度、括弧に入れて遊んでみる。それが、何であったのかは、後で考えればいい。

    数学という世界の考え方、物事の見方を身につけた人に、みんなにも見えているはずの世界がどう見えるのか。それを体感してほしい。

  • 言葉の使い方や、心の動きへの向き合い方が、非常に緻密で感銘を受けました。対象を冷静に愛情深く観察する眼差しが素晴らしく、誠意ある生き方と感じました。

  • 数学はほぼ関係ないです。数学者のエッセイです。

  • 研究者として、子の親として、一人の人間として。森田さんの随筆集。「いま(present)」はあるがままで「贈り物(present)」。数学の世界は自分には難しいが、それでも日常にある数学の世界観や静謐さ、美しさに惹かれる。

  • 美文で深くて哲学的。独立研究者という肩書もすごい。大学などに所属していない研究者だということのようだ。数学者でありながら、というか、数学者ならではの、かもしれない、日本語についての深い洞察が印象に残った。
    数学の「意味が分からなくなった」ことをもって「挫折」と決めつけるべきではなく、数学は「意味がわからなく」なってからがおもしろい、と読んで、もしかしたら私は数学の大切なところを知らずに年をとってしまったかも…と思えました。

  • 森田さんの言葉が好きすぎる。
    私の中にある大切なものを言語化してくれている感じ。
    私はフッと心に響いたところがあれば付箋をはりながら読んで、読み終わったらそれを書き起こすという読書方法をとってるけど、
    森田さんの本は付箋だらけになってる(笑)
    特に今回は、「意味と行為の関係」についての話が刺さったな。
    他の本も読んでいきたい。

    ・「現在」という贈り物は、いつも自分の目の前にあるー僕はただこの感動を、言葉でつかまえようとしてきたのである。
    ・知や技術に「便利」はあっても、そこから根元的な喜びを汲み出すことはできない。喜びは、原初的な不思議の方からこそ、湧き出してくるものなのではないだろうか。難解な証明を暗唱したときよりも、素朴な発見を自力で成し遂げたときのほうが、はるかに喜びは深い。
    ・行為に先立つ意味がないというのは、日常においては常識である。赤児は「意味不明」の世界に生まれ落ち、ただひたすら全身でもがく。暗中模索の行為をくり返しながら、様々な忌みを獲得していく。
    ・すべての意味はそれと関わる行為の中から浮かび上がっていく。
    ・大人になると、意味の世界は安定していく。安定した意味の世界は、平穏な代わりに退屈だ。
    ・The pure and simple truth is rarely pure and never simple.
    ・何かと何かがつながることは、どこかとどこかが切り離されること。
    ・言葉はもちろんコミュニケーションの道具だけれど、それ以前に自己を編む糸である。言葉を発することは、何かを伝えるだけでなく、世界を生み出すことだ。
    ・言葉を変えることは、beingを変える一つの強力な方法である。いつもと違う言葉を用いるだけで、性格や発想、目の前に広がる風景の見え方までもが変わっていく。
    ・英語と日本語の間を行き来してみて、はじめて見えてくることがある。僕はこういう往来をもっとしたいのだ。身軽に動くことと根を下ろすこと。その両立ができたら理想的である。
    ・遠く、難しい場所だけに価値があるのではない。すべての人が、いまいる場所で、大切なものをすでに与えられている。
    ・数には、人の心の向きをそろえる働きがある。「六日後に会おう」と約束すれば、まだ来ぬ時間に向かって心が揃う。数は世界を切り分け、その切り分け方に応じて、人の心の向きを揃えていくのだ。
    ・規範が高速で変容していくいま、大人しく規範を受容できる従順さよりも、規範を知恵としてみる視点と、偏見とみなす観点を、自在に切り替えることのできる柔軟さの方が求められる。
    ・「恐ろしい未来がくる!」と思考停止で叫ぶよりも、「何が起きているのかさっぱりだ」と困惑しながら、考え続けることの方が前向きだ。

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著者プロフィール

森田 真生(もりた・まさお):1985生。独立研究者。京都を拠点に研究・執筆の傍ら、ライブ活動を行っている。著書に『数学する身体』で小林秀雄賞受賞、『計算する生命』で第10回 河合隼雄学芸賞 受賞、ほかに『偶然の散歩』『僕たちはどう生きるのか』『数学の贈り物』『アリになった数学者』『数学する人生』などがある。

「2024年 『センス・オブ・ワンダー』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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