努力する人間になってはいけない―学校と仕事と社会の新人論

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  • ロゼッタストーン
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  • Amazon.co.jp ・本 (496ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784947767127

作品紹介・あらすじ

哲学者であり、教育者でもある芦田宏直先生が2001年以来書き続けてきたブログ記事や、専門学校校長時代の式辞、2010年の講演録などを大幅に加筆・修正してまとめたものです。「教育とはの産出・発見」という筆者は、若者に勉強や仕事の本質をわかりやすく説く一方で、個性重視の教育や、「キャリア教育」「コミュニケーション教育」に力を入れる教育の現状を鋭く批判します。さらに、読み進むにつれて内容は深みを増し、現代に蔓延する「機能主義」の問題点、独自の視点で見たツイッター論、ハイデガーの説を解釈した「新人論」まで、読む者を「知」の世界にいざないます。
仕事や勉強への心構えが変わる提言から、思わずホロリとするいい話、理解できそうでできない頭の中をひっかきまわされるような内容まで、何度も読み返したくなる、中身がぎっしり詰まった1冊です。

感想・レビュー・書評

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  • 面白かった。特に就活に関わる一連の文章や、息子さんについての文章、とても良かった。生徒さんにも一部読ませたい。学校教育についても、思考を刺激される。

  • 「芦田の毎日」というブログをベースに書かれた本なので、購入を検討されている方は、その「自己ベスト」に一度目を通して購入されては。わからない、賛同できない、部分もあれど、私の人生に多大に影響を与えている本です。タイトルにある、努力する人間になってはいけない、は、この人以外、言ってくれなかった至言と感じます。

  • <blockquote>背後に多数の顧客、多数の社員を有している会社は、ノウハウではなくて、あなたの根性(別名・コンピテンシー)を見ている。根性だけが、他人を動かすことができる。根性だけが未来を切り開くことができる。根性だけが世界を動かすことができる。。(P.113)</blockquote>

    土日のハイデガー、ドラッガー(の解説書、ヘタしたらWIKI)を読んで月曜の朝礼で得意げに喋る部課長が馬鹿なように、知識や思考を熟成させないですぐ意見を述べるのは愚かなことだ。そもそも「自分の」意見とおもえるのも、先人形成した文化の中で培われてきたものだ。テキストをよむことと「自分の」意見を持つことは、特に異なる作業ではないことを理解する必要がある。優れたテキストとは「自分の意見」の出番がないほどに先行的でない内面的な議論を反復してくれている。すべての文章が理解できる本などは殆どありえない。だから、「本を読める」人というのはむしろ読み飛ばすことが出来る人を言う。分かる箇所の点同士が、少しづつ線で結ばれていく。そうやってこじ開けるように読み進めるのが読書というものだ。

    努力するというのは考えないこと、行動しろ、やり方を変えろということ。

    楽天が採用するようなアジアの優秀な学生は学力こそ高いが「消費者偏差値が低い」という話が二回出てきて印象深い。学問とビジネスは違うものだし、学力は努力をしてきた実績を示すものであっても、考えてきた結果ではないということか。

  • 専門学校のトップという独特の視点から切り出される教育論が興味深かった。

    [more]<blockquote>P31 努力主義は自分のやり方を変えようとしないエゴイズムなのです。努力する人は謙虚なように見えてそうではない、むしろ自分に固執する偏狭な人なのです。

    P37 社内に対してであれ、マーケットに対してであれ<対立>(やある種の負い目や受動性)を担わないような提案は、決して大きな影響力を与える仕事にはならないということです。

    P39 どんなプロの人間でもいつも時間がないこととお金がないことの中で仕事をしています。六割七割の満足度で仕事を終えています。【中略】しかし外部評価は及第点を取れている。それがプロの実際の仕事のあり方です。結局六割七割でも外部に通用するような強力なパワーを有しているというのが、仕事をするということの実際だということです。【中略】能力とは60%の力で人々を満足させることのできることを言うのです。【中略】40%もの赤入れにも耐えて、そういった対立や否定をしっかりと担える人材になってください。

    P48 若者が勉強するというのは、お天気の変化に負けない意志と世界観を形成するためです。年を取ると「勉強する」ことが少なくなり最後は季節の変化すら耐えられなくなる。【中略】最近は少子化で若い人が減っている。天気予報を気にして我が身を振り返る人ばかりが増え、社会全体が保守的になっている。社内でも天気予報屋みたいな人がいっぱい増えてくるとその企業は滅びます。

    P62 社会人になるということは、使いたくないものにも自分のお金をかけるということと同じです。そういうものを自分で担えるようになることを「大人になる」といいます。

    P73 親に直接お金(小銭)を返すことに意味などないのです。小銭にうつつを抜かすと一生小銭しか動かせなくなります。そんなことにならないように、学費を気にかけるよりは気にかけた分勉強すればいいのです。

    P75 誰からも投資されていないし誰からも信用されていない、それがフリーター、ニートです。まるでメダカやアメーバのように自立しているだけなのです。【中略】学生を「顧客」とみなす学校は危うい学校です。「勉強しなさい」というのはまだ勝手に自分で考えてはいけませんということを意味しています。

    P83 学校で勉強しなかった人の特徴は
    1)人から教わることしか学ばない
    2)見たものしか信じない
    3)権威に盲従する
    どれもこれも、既に存在しているものしか信じないという点で共通しています。要するに新しいものを自ら生み出せないのです。その原因は学生時代に純粋な勉強、無垢な勉強をしなかったからです。

    P98 人は偶然出世し、偶然落伍する。それが社会観の究極の認識だ。つまり社会評価は、評価にはならない。【中略】何が没落の兆候であり何が新生の始まりであるのかを見極める力を持つことだ。このことは<現在>の自分の社会性とは何の関係もないことである。というのも<現在>とは没落と新生の交点だからだ。

    P102 マネージング、マネジメントとは、見たこともない、会ったこともない人を動かす能力のことを言います。遠いものに影響を与えることができるからこそ、大企業は大企業であるわけです。

    P116 他者に届くほどに十分な能力。それが<根性>

    P123 高等教育全般は、若い奴らの自尊心を破壊するところ(真の専門性の気高さを感じさせるところ)だと思っている。その経験がないと、街の話題に週刊誌程度にその都度言及するだけで何も勉強しない人間になってしまう。

    P135 教育者としての教員の仕事を評価する最も簡単な方法は、その教員がどんな方法を使って学生評価をしているのかということ。つまり学生のアウトプットを計るノウハウを持っているかどうかが決め手になる。教員とは<教える人>ではなくて<問う人>(問いの専門家)だということをわかっていない。

    P179 大企業のリーダーはほとんどの場合、遠い責任=偶然性を担える人でなければならない。彼は誰よりも<大人>でなければならない、リーダーとは部下を否定しない人のことを言います。<子供>はなぜあんなにも残虐なのか。それはまだ近いものにしか自分の責任を負えないからです。

    P225 いわゆる低偏差値の学生というのは、家庭、地域、クラスメートといった近親者との比較の中でしか、自分の位置を計ることができない子たちなわけです。子供たち、若者が大人になる契機の一つは、対面人間関係(いわゆる親密圏)を超えるときです。高偏差値の学生たちなら、全国区の受験勉強でそれを体験します。

    P240 (アジアの学歴エリートであっても)要するにスキルや学力はあるんだけれども、高度な仕事要求や商品の品質への要求がなぜ必要なのかが、彼らには本当のところ実感としてわからないという問題です。日本の若者の大半は、勉強していないけれども、消費者としての水準、サービス水準への要求はどこの国の若者にも負けない。

    P253 意見調整できない、本格的なカリキュラム改革に手を付けられない、かつ誰もが反対しないが誰もやる気のない教育目標が「コミュニケーション能力、課題発見/問題解決能力、分析力/IT力」

    P260 クルマの営業がクルマを売るためにどんなにクルマのことを知ることになっても、またその経験を何十年と重ねても、だからといって彼がクルマを作ったり整備することはできない。しかし彼がクルマを作ることができない、整備できないことはそれ自体彼の営業成績とは何の関係もない。「商品知識」というのは、専門的な勉強と関係なく身につく知識のことを言う。では専門的な知識とは何か。それは勉強をしないと身につかない知識のことを言う。

    P269 既に名のある評者は自分(のプレゼンス)を捨てなければ本来の新人を発掘できない。大概は子分を発見しているだけのことだからだ。新人=作品は見つからないからこそ新人であり、見つかった時には既に終わっている。

    P285 ひょっとしたら人間というのは単純な存在かもしれないという問題があって、それに反論しようと思ったら人間は複雑なのだということを証明しなければならない。

    P294 結局、過去の行状を平気で人前で晒すことのできる人、公言できる人は、自分の現在(過去にとっての将来)を自己肯定している人なわけです。過去の行状の自己言及は、今の自分の、形を変えた”自慢”に過ぎない。

    P309 差別は”長い時間”が関与しているのです。深刻な差別ほどそうです。

    P313 専門性の時間性(ストック度=信頼性)があるかどうかと言うこと。つまり入力と出力の間に差があることを<専門性>と言います。専門家というのは安易に発言したりはしません。

    P329 体系的に物が売れるのなら学者と経営者は同じでなければいけない。そんなことあるわけがない。マーケターとかプランナーが何やってるのかと言うと、社長の決断を後押ししているだけです。根拠のないところで行なわれるのが<決断>ですから、マーケターとかプランナーって占い師と同じなわけです。

    P367 人間の生死って生まれた時から確実なのは生きることより死ぬことなんだから、いつも選択し直され続けている。生きることの影が死ぬことなのではなくて、死ぬことの影が生きることな訳です。動物の死は朽ち果てる死に方ですけれども人間の死は死のうと思えば死ねたという現在を抱えながら存在している。

    P379 できない学生は、人間関係に過剰に引きずられ、動物のように必要と経験で生きている。だから使い捨て人材になる可能性も高くなる。必要や経験は別の必要や経験によっていつも代替され続けるからです。</blockquote>

  • うーん、なんだろう。私にはこの本の「像」は見えなかったようだ。
    聞く耳を持たないおじさんに延々と説教されている感。付き合いで宗教団体の集会に連れてかれた時のことを思い出した。特に、何かを褒めるときに別のものを落とす感じ。この手法をする人はどうも好きになれない。
    ツイッター微分論を読むべき、とどこかで見た気がしたのだが、哲学論に目が滑る。

  • 本書を読んでいる最中ずっと違和感があって、その理由を考えていたのだが、結局のところそれは「独善的になってはいけない」という内容のことを独善的な物腰で書くという著者のスタンスにあるのだと思い至った。ご本人にもそうした自覚はあるようだが、その点を差し引いても、個人的にはこういう書き手は得意ではない。

    ただ、好き嫌いを抜きにすれば、機能主義批判と、それと対になっている高等教育のあり方についての議論には、傾聴すべき指摘が含まれていると思う。

  • 内容はバラバラで本としてのまとまりは全くない。題名も内容を表していない。が、物理的な1冊の本にはなっている。たぶん著者はそれを意図してやったのだろうと思われる。(でなかったら過去ネタを本にしただけの単なるやっつけ仕事でしかない。)
    勤務する専門学校の入学式・卒業式の式辞の文字起こし。どっかの講演内容の文字起こし。ブログ記事。対談記事。果てにはツイッターでのつぶやきの羅列まで、公私にわたるありとあらゆる話体の形式が1冊の本として提示されている。こういう風に見せ付けられると、言葉と文体の関係性というか、人に何かを伝える事の表現形式と効果・影響について考えさせれる。
    言文一致ってたかだか100年ちょっとの歴史しかないはずだが、21世紀にはネットによる言葉のフロー化により新・言文一致というか、ある種の言文分離が起きているような気もする。400ページ以上の分厚い本が見た目に反して結構あっさりと読めてしまう事に功罪を感じた。

  • 前半のみ読了。後半は難しくて、、読み飛ばそうとした結果最後まで飛ばしました…。
    芦田校長も「本を読み飛ばせる人が本を読める人」って言ってたし…(こじ開けるように最後まで読めとも言ってたけど)。
    前半の卒業生に向けた訓示は秀逸。表題でもある「努力する人間になるな」や「単純な仕事の差異」など、中堅の自分にとっても初心に帰れる話で、さらに新人になる予定のこのタイミングで響くスピーチだった。
    今月末に、また読もう。

  • 教育系・哲学系の芦田さんの書。タイトルが衝撃的であるが、本質的には努力を一番の目的としてはいけないよ。といった方向性の話。
    「努力主義はエゴイズム」など。
    まえがきの「先生、先生」と言われ続けると大体がバカになるというのも面白い。今後の学校教育はどのようになっていくのだろうか?と考えさせられる
    日常の話の中から、筆者の考えや視点が散りばめられ、色々な気づきの契機となるようなネタが多い。
    印象に残った話としては、一流とはなにか、できるだけ大きな企業を目指しなさい、読書とはなにか、予備校営業が突然家にやってきた、なぜ人を殺してはいけないのか、学校教育の意味とはなにか、など。

  • 哲学に関しては正直よくわかりませんが、学校論に関してはまとも。

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著者プロフィール

1954 年京都府生まれ。早稲田大学大学院博士後期課程満期退学(哲学、現代思想専攻)。学校法人小山学園理事・東京工科専門学校(現東京工科自動車大学校)校長、東海大学教授を経て、現在、人間環境大学・副学長(岡崎学園理事)、河原学園・副学園長、辻調理師専門学校グループ顧問、上田安子服飾専門学校顧問。2000 年度労働省「IT化に対応した職業能力開発研究会」委員、2003 年度経済産業省「産業界から見た大学の人材育成評価に関する調査研究」委員、2004 ~ 2007 年度文部科学省「特色ある大学教育支援プログラム」審査部会委員、2008 年度文部科学省「質の高い大学教育推進プログラム」審査部会委員などを歴任。著作に『書物の時間― ヘーゲル・フッサール・ハイデガー』、翻訳(監訳)にJ . ‐ L . マリオン著『還元と贈与 ― フッサール・ハイデガー現象学論攷』などがある。東京都品川区北品川在住。
Twitter アカウント:@jai_an
Facebook、LinkedIn:芦田宏直
BLOG「芦田の毎日」:http://www.ashida.info/blog/

「2013年 『努力する人間になってはいけない』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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