1989年。ガンダムシリーズ初の非富野映像作品にして、初のOVA。
各26分×全6話。OP・ED除けば本編は23分×6話=138分=2時間半くらいか。映画一本強でこれだけ感動できて、個人的には大満足。
というか今までガンダム見てきてよかったな、としみじみ。
★★★★★+★。
基本的には1年戦争の設定に沿おうと努力している。
(その後富野御大からガンダム壊せと命じられて公式破壊作となったのが1994ー1995の「機動武闘伝Gガンダム」で、これを直に受けた不幸な世代としては、もっと早くポケ戦を見たかった……と恨み言。)
もちろん1988「逆襲のシャア」直後で敢えて1979ファーストに退化する必要はないので、絵的には丁寧・豪華。
やや町並みやモブやは省エネだが、美樹本顔は美麗だし、作劇が丁寧(無人地域とはいえ斜面のザクが見過ごされたのだけは変だけど)。
絵的にも話的にも荒れまくりだった1986-1987「ZZ」を見た直後なので、作り手の丁寧さと真摯さがわかる。
なんでも監督の高山文彦(2001「WXIII 機動警察パトレイバー」)は、「でかいブリキの箱の中に入ってパンチふるって何が楽しいんだろう」と思っていたらしいが、それが人のドラマを作るのに奏功している。
脚本を1987「王立宇宙軍 オネアミスの翼」監督の山賀博之、デザインワークスを「パトレイバー」の出渕裕が務めたのも、すっごく新鮮。
いわゆる新世代の作り手たちにオープンソースの作品として手渡された、幸福な作品だと感じた。
と総論的なことを書いたあとで個人的な思いを。
まずは視点人物にアル(アルフレッド・イズルハ)という少年を据えているのが、素晴らしい。
多少聡明で、多少勇敢な、つまりは普通の子。
11歳らしいが、確かに自分もこうだったな、と記憶の蓋が開いた。
ちょっと気恥ずかしいが、従兄が持っていた十手(!)に憧れたり、誰かからもらった機関銃の銃弾(を加工したキーホルダー)を大事にしていたり(今思えば普通に売っていたんだろうけれど、夢の広がり方や凄まじかった)、ワッペンやバッジを誇りに感じたり、グリップ部分をシールで加工した程よい木の枝を剣に見立ててあちこち(主に木に)攻撃を仕掛けたり、ひょっとしたら本当に「ドラゴンボール」のかめはめ波や「幽☆遊☆白書」霊丸が撃てるのではないかと夢見たり、傘でアバンストラッシュの練習をしたり、それらの多くを友達と一緒に熱中していたな、と。
また自分が手にしたモノで夢が拡がったのは間違いないが、同時に、そのしょぼさ・つまらなさもはっきり感じていたので、いつかこの延長上に、本当の何か、が待っているような気がしていた。
まだ見ぬいつか・ここではないどこかに唐突に連れて行ってもらえるのではないかと、お母さんの料理とテレビゲームとベッドと学校の間を行き来しながら、夢想していた。
アルの姿を見ることで約30年もタイムスリップできて、それだけで最高の体験だった。
11歳にとっての、バーニィ19歳(バーナード・ワイズマン)、クリス21歳(クリスチーナ・マッケンジー)、サイクロプス隊の面々(44歳、48歳、28歳)の見え方もリアルだった。
稚気を残すお兄さんお姉さんとはあんな感じに見えていたし、想像も及ばないオッサンらの分からなさってああいうふうに見えていたし、
さらにいえばオッサンにとって二十歳前後ってあんな感じだったし、逆に二十歳前後にとって仕事をこなすオッサンらってあんな無骨さだったし、オッサンらが少年をあしらったり無下にしたくなかったりする感じも、わかる。
要は登場人物全員が好ましい。
富野作品ならニュータイプ→ピキーン→なんだこのプレッシャーは→戦っているのは誰それ、と判るが、本作ではバーニィもクリスも相手がわからないまま……それを知ったのは唯一アルで、アルはしかしクリスに嘘をつく……少年は嘘(挫折)を知って大人になる……このテーゼがしかし富野が「海のトリトン」で手塚治虫を越えようとして用意したテーゼと一致している、というあたり、さすが。
本編ラストには作り手が明らかに涙を誘おうとするシーンがあり、確かに目論見通り涙腺がおかしくなってしまうのだが。
個人的には1話でアルが友達とワイワイやっていた場面ですでに、前述した郷愁で胸が詰まりそうになっていたし(最終話のオーラスのシーンも、哀しさと嬉しさ?安心感?とで胸塞がれる。自分にしかわからない悲しみに打ちひしがれているのに、「泣くなよ。今度はもっとすごい戦争が起きて、
本物の弾丸を集められるぜ」と的外れな慰めをされることの、無念さと日常感と)、
別記しておきたいのは、アイキャッチの画像(とSE)。さらにED。
アイキャッチ新鮮なSE・文字演出とともに示されるのは、兵士の鉄帽・尻ポケットから食み出たロケット模型・十徳ナイフ・銃のマガジン……。
平和な国の平和な世に生まれ育ったからこそ無邪気に遊んだアレコレのモノを、一年戦争の比較的平和だったコロニーで共通して持っていた子がいるんだなあ、と感慨。
またEDでは静止画で(1~5話はモノクロ、6話はカラーで)戦中の子供たちの笑顔が提示されるが、……このEDは他に類を見ない的確さで、平和な世の戦争イメージ享受と、過酷な世で子供が巻き込まれつつ楽しみを見出そうとする逞しさと、を両立していると思う……詳しくないが戦場カメラマンってこういう写真を撮りたいんじゃないか……ザクの手の上でスカートの裾を持ってお道化ている少女、彼女はいつか・どこかの自分だったかもしれない……こうの史代・片渕素直「この世界の片隅に」に匹敵する、素晴らしいED映像だと思う。
こんなのガンダムじゃないって?
いいえ、これは堂々とした映画です。
追記。
EDテーマの椎名恵「遠い記憶」の歌詞で、
「空をまじりあう 海にたたずんで」という壮大さは別として、
「嘘をついた夜には 眠れずに怖かった どんな喧嘩をしても 次の日には忘れていた」
という一節には、記憶の蓋がパカーッと開いた気がする。
またその後に続く、
「空が青いこと それが嬉しくて
いつか人を裏買い 生きる寂しさ知る事も 気がつかずに全てを信じてた頃
愛する人にだけ いつの日か教えたかった 心に抱きしめてた 幼い夢を」
って、時間を前後に行きつ戻りつしながら、幼くて無垢な人がいずれ汚れてしまう可能性に身を曝したり、かつての無垢な精神を思い返す今から過去に思念を飛ばしたりする、時間の伸び縮みが思われる、凄い歌詞だな。
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各話あらすじ
第1話 戦場までは何マイル?
宇宙世紀0079年12月9日。一年戦争の趨勢を決する戦いが宇宙で行われている最中、地球連邦軍北極基地は、ジオン公国軍特殊任務班・サイクロプス隊の奇襲を受けていた。
サイクロプス隊の狙いは、打ち上げ準備が進むシャトルの積み荷だった。圧倒的な力で守備隊を蹴散らしたサイクロプス隊だったが、任務遂行を目前にして、目的の積み荷はシャトルと共に宇宙へと上がっていくのだった。
第2話 茶色の瞳に映るもの
街外れの森林公園に不時着したザクを追って来たアルを出迎えたのは、そのコックピットから現れたパイロットが構えるピストルの銃口だった。しかしアルはその威嚇に驚かず、憧れていたモビルスーツと軍人の存在に夢中となる。
パイロットの名は、バーナード・ワイズマン伍長。通称バーニィと呼ばれる彼は、ピストルを見せる代わりにアルの持つカメラのデータを見せるように言う。
第3話 虹の果てには?
サイド6に潜入したサイクロプス隊のトラックにバーニィの姿を見つけたアルは、交通事故を装って警察を動かし、彼らの行き先である工場に辿り着く。
バーニィと再会し、サイクロプス隊の仲間に入れて欲しいとせがむアルを受け入れてくれたのは、隊長であるシュタイナーだった。シュタイナーはアルを仲間として認めることで、サイド6に運び込まれたコンテナの情報を集めようと考えていた。
第4話 河を渡って木立を抜けて
潜入作戦を水泡にしかねない行動をアルにとらせたバーニィは厳重な注意を受けるが、アルに対する優しい思いを変えることはなかった。
作戦決行が近づく中、シュタイナーは旧知の仲であるチャーリーと接触し、サイクロプス隊はガンダムの所在を確かめるための囮であると聞かされる。それでもシュタイナーは作戦の中止を選択せず、潜入作戦の実行の日を迎えようとしていた。
第5話 嘘だといってよ、バーニィ
コロニーが戦場と化した翌日、ケンプファーを退けたクリスのもとに刑事が訪れていた。戦いの被害者数はクリスの心に大きくのしかかる。
一方、バーニィはサイクロプス隊の作戦失敗にあたり、ジオン軍の次の一手がコロニーごとガンダムを破壊するものであるという情報を得る。その作戦のタイムリミットは3日後に迫るクリスマスだった。
第6話 ポケットの中の戦争(最終話)
クリスマスまで残り2日、アルとバーニィはガンダムと戦うための準備を始めていた。墜落したザクの修理を行いながらケンプファーの戦闘用に持ち込まれた武器を回収し、クリスマス用のバルーンを盗み出す。
最後の戦いの準備をしながら、和やかな空気の中で、アルとバーニィは信頼し合う本当の仲間として心を通わせていく。しかし、そんな平和な時間は瞬く間に過ぎていった。