千と千尋の神隠し (通常版) [DVD]

監督 : 宮崎駿 
  • ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4959241980366

感想・レビュー・書評

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  • ・たしか浪人当時、母と伯母と劇場に行った。劇場でジブリを見るのは初めてだったはず。満員に近く、一番前の端っこの席で首が痛くなりながら。隣に座った幼児が、親が豚になるシーンでワンワン泣いていた。
    ・当時はエキゾチシズム、オリエンタリズム、異国趣味、異国情緒で売っていく戦法に嫌悪を感じていたから(川端や三島よりも安部公房だ)、本作への苦手意識は強かった、という記憶がある。
    ・要はあまり楽しめなかった。その後テレビでも一度見たんだか見なかったんだか。
    ・今回駿を順番に見ていく過程で、タイミングばっちり、「一生に一度は映画館でジブリを」キャンペーンに乗っかって、「もののけ姫」に続けて劇場で鑑賞できた。

    ・導入部のホラー展開はあまり記憶になし、千尋が壊れた階段を駆け下りるときに両手を中途半端に上げている動きや、壁にビターン! あたりははっきり覚えていたり、ハクが千尋を連れて走るときに戸をスパーン! と魔法で開け閉めするところははっきりと、というふうに、記憶はまだらだった。
    ・おそらく一度しか見ていない映画の、どこをどんなふうに憶えている/いない、というのは不思議だな。
    ・「もののけ姫」ではそれだけで泣けた音楽、本作はあまり覚えていなかったし、今回鑑賞後もそこまで。(という点で、体験として極上だったのは「もののけ姫」かなー)
    ・とにかく、絵! 場所! 細かなイメージてんこもり!

    ・先に感想の結論めいたことを言ってしまえば、少女が働いて成長して帰っていく、という説教臭いテーマやメッセージは、どうでもよかろう。表面的なことだ。
    ・場所の設定や建物の意匠がまずあって、その中でこのキャラあのキャラがどったんばったんするのが愉しい。これに尽きる。イメージの宝庫、イメージの奔流。夢の装置。
    ・油屋に入る以前の、テーマパークの残骸が、夕方から夜にかけて賑わっていくところ、「眼」「めめ」……あ! つげ義春だ! と嬉しくなる。もともと「ねじ式」も複数の素材のコラージュだが。
    ・湯屋も複数のモデルがあるようだが、大学生になって愛媛松山道後温泉に行ったり、社会人になってからは武雄温泉や嬉野温泉や杖立温泉街にも行ったので、その記憶との照らし合わせのおかげで、より実感できた。
    ・「擬洋風」の俗悪さは駿も狙ったところで、それが東西関係が日本と欧米ひいてはジブリとディズニーの関係である、とかいう深層の動機も面白い>岡田斗司夫解説。(このアジアン・ゴシックは、台湾や「クーロンズ・ゲート」も連想してしまうなあ。)
    ・オオトリさま可愛い! あと建物への「映り込み」の素敵さ・嬉しさ。床に、人の肌の白さが映り込んだり。→いずれ「風立ちぬ」のプロペラの質感へと。

    ・ところで岡田斗司夫いわく、ハクは実は川の神ニギハヤミコハクヌシではなく、★なのだ、という。
    ・その根拠を、川で溺れかけた瞬間の映像(の奇妙さ)や、「自分の中でいつか『銀河鉄道の夜』をやらなきゃいけないと思い続けてきた」「今回でそれに答えられたと思う」「テーマは、自分が生きているとき、それは誰かが自分を生かしてくれたのだ、という事実があるということ」というインタビューに求めている。
    ・えーでもこれってジブリに付きまとう都市伝説のひとつに過ぎないじゃん。
    ・岡田いわく「俺ジブリ」でいいとのこと。
    ・実は鑑賞前にそれを聞いてから見に行ったので、すでにしてその読みに毒された状態だったわけだが、私は岡田説を支持したい。
    ・なぜなら駿はインタビューで、テーマやメッセージなんてのは標語であって大したことない、と言っている。
    ・岡田いわく駿は言葉ではなく絵の人だ、と。言語化できる労働神話、成長神話、エコロジー、などはテーマとしては表面。絵そのものに「個人的な深層テーマ」を隠して描いているのだ。
    ・絵コンテ集は買ったことがないが、そして絵コンテ集を読めば深層テーマの解答が書かれていそうについ錯覚してしまうが、さにあらず。
    ・間違いなく駿は、絵コンテ集は出版されるから本当のことは書かないようにしよう、と抑制している。もちろん映画で発せられる言葉も、同じ。
    ・製作スタッフや声優にも、本当の意図は秘されたまま、作られているのだ。
    ・村上春樹の諸作のように。
    ・だから水に差し込まれた手を「子供の手」と書く。決して「★の手」とは書かない。
    ・というと深読みだよ~と陰謀論っぽーい~と言われるかもしれないが。
    ・「もののけ姫」をきっかけに、駿の創作姿勢は、イメージの奔流で視聴者を惑わし、説教臭い啓蒙主義をブラフにして、周囲や視聴者を惑わしたり愉しませたりすることで、個人的な創作意欲を、見えないように気取られないように操作しているのではないか。

    ・「千晶の映画にしようか」というのが、「煙突描きのリン」という企画がうまくいかなかったときの駿の思い付きらしい。
    ・日本テレビプロデューサー奥田誠治の娘をはじめとする少女たちを、信州の別荘に呼んで遊んでいる、10歳前後の彼女たち=ガールフレンドのための映画なんです、とのこと。
    ・このガールフレンドという言い方、別荘に云々という言い方が醸し出す、そこはかとない気持ち悪さを、当時から感じていた。
    ・この発言、現在のコンプライアンスだかSNS的観点だかに照らせば、ギリギリ……いやアウトだろう。ジブリブランドに守られているからギリギリセーフと見做せるだけで。
    ・しかし個人的には、数学者=論理学者=写真家のチャールズ・ラトウィッジ・ドッドソンが、1862年7月4日の川遊びを、永遠に黄金の記憶として定着するために、ルイス・キャロルとして「不思議の国のアリス」を書いたこと、を思い出し、その連想だけで涙が出そうになるのだ。
    ・なんでも奥田千晶がセーラームーンの運動靴を川に流してしまい、それをみんなが慌てて取りに行った、という出来事があったらしい。
    ・そこに宮沢賢治「銀河鉄道の夜」のカムパネルラの自己犠牲が重なって……ルイス・キャロル「不思議の国のアリス」の幸福感が重なって……しかし映画「ドリーム・チャイルド」にも描かれた、少女の期間限定性……成長という毒、諦念……数年後や十数年後にはナボコフ「ロリータ」のごとき地獄下り。
    ・エンドロールで一枚絵が移り変わっていくが、そのラストもラスト、川に流れていった靴、の絵に「おしまい」と。
    ・「あの子」にだけわかる符号だ。もちろん今となっては種明かしされるが、製作当時の駿の顔は、ほとんどルイス・キャロルの伏せた眼、さらには「ドリーム・チャイルド」のイアン・ホルムと同じ幸せで悲し気な眼をしていたに違いない……。

    ・と、つい今回も自分語りと思い入れたっぷりに書き連ねてしまったが、見返す自分への備忘録にしたい。
    ・さらに連想することとしては。
    ・「銀河鉄道の夜」は新潮文庫のカバーイラスト、ますむらひろし原作・杉井ギサブローのアニメの影響で、つい石炭汽車を連想してしまうが、実は電気機関車(あるいはアルコールラムプ)なのだ。「石炭袋」=「よるの孔」(ブラックホール)という言葉に引っ張られた結果かもしれない。
    ・……ということを「ブラタモリ」でやっていて、そのモデルとなった軽便鉄道「馬面(うまづら)」の小ささ・細さに驚愕したのが、数年前。本作の水上電車の「小ささ」や、思わせぶりにホームに立つ少女の黒い影やが、以上のことを思い出させて、一番涙ぐんだ場面。千尋がカオナシを連れて電車に乗っている、このイメージだけでうるっとしてしまう。
    ・状況に流されることの多い(仕方なし)千尋が自ら選んだのは、いずれ父母を助けたいということ、直近としては怪我をして苦しむハクを助けることと、その過程でついてくるカオナシに「おいで」と声をかけること、くらいだ。ここ、原作ナウシカと神聖皇弟ミラルパの関係を連想する。100年前の徳の高さや超能力の強さ、その後の絶望、死への恐怖、ナウシカに付き従った結果「青き清浄の地」で成仏する、というような「鮮烈な生」には及ばない、卑小さゆえの貪欲と全能感がストーカー的行為に至る、という人物設定だが、その行く末が似ている。逆にいえばナウシカほど極端な包容力がなくとも、千尋くらい地続きの少女でも、ナムリス的な絶望を御する可能性がある、という。
    ・手足がガリガリ。鬼頭莫宏並みの細さは、これまでの駿にはなかったことではないか。そんな子がおにぎりをがっついたり、でっかい団子をモグリ、ハムリするのだから、嬉しくなる。
    ・というか「食べる」というキーワードで本作を再鑑賞することもできるくらいだ。父母の貪欲=豚化、神々の貪欲、カオナシの捕食と取り込み、ニガダンゴ。千尋が手にする「道具」は唯一ニガダンゴくらいで、それを躊躇いなくハクやカオナシに食べさせる行為は、昔話のよう。
    ・今回の諸星大二郎味は「不安の立像」の影法師。
    ・町山智浩のモンドUSA 第11回目『千と千尋の神隠し』。
    ・「神隠し」を初めて知ったのは「ドラえもん のび太の日本誕生」だったなぁ……時空乱流の説明で。あれは本気で怖かったし、今でも怖い。
    ・「神隠し」を初めて知ったのは「ドラえもん のび太の日本誕生」だったなぁ……時空乱流の説明で。あれは本気で怖かったし、今でも怖い。あ、そういえば「夢幻三剣士」のラストの「学校の場所」が、「千と千尋」のラストを思い出させるな……。

    • りまのさん
      頭がくるくるしてきました、男の人の、ウラ読み感想ってかんじ。頭は良さそうだけど、 女の子に、 なんで、そ ゆ コト言うの! て、キレられそう...
      頭がくるくるしてきました、男の人の、ウラ読み感想ってかんじ。頭は良さそうだけど、 女の子に、 なんで、そ ゆ コト言うの! て、キレられそう。失敬。
      2020/08/17
  • 封切りは小学生だった下の娘と。
    2021年、孫娘が大好きって言うのでDVD購入。
    しかーし、コロナ禍で帰省見合わせ。
    盆休み 一人鑑賞 コロナ禍の夜

  • シンプルに好きです。
    もののけ姫は少し、難しい話ですが、これは10歳の女の子が主人公なのですんなりと…。

    ハクと、千尋が最後に手を取って画面に最後までハクの手が残っている場面が一番印象的。

    やっぱり、ジブリは奥深くていいですね(●^o^●)

  • 随所随所で熱くなるし、泣きます。メッセージ性の強い神作品。
    どんなにアニメやCGの技術が向上したとて最近のアニメ映画がこの作品(というか宮崎駿氏の作品)を超えることは難しいと思う。なぜなら作品に込められた魂と大切なメッセージの濃さと強さが比べ物にならないからだ。
    近年は、こういう芯のある作品を作れる人(特にアニメ映画監督)が他に殆ど居ないことが悲しいな。絵とか映像は綺麗なのに中身が薄いものばかりって感じで。
    とにかく、神!円盤も買いました。

  • 10歳の少女・千尋は、何事も自分からは行動を起こそうとしないひよわな現代っ子。引っ越しの途中、両親と一緒に神々が病気と傷を癒す為の温泉町へ迷い込んでしまった彼女は、町の掟を破り豚にされた両親と別れ、謎の美少年・ハクの手引きの下、湯婆婆という強欲な魔女が経営する湯屋で、千という名前で働くことになる。
    人生経験豊かなボイラー焚きの釜爺や先輩のリンに励まされながら、逆境の中、意外な適応力を発揮して働き始める千尋は、やがて怪我をしていた名のある川の主の傷を癒したり、他人とうまく交流出来ないカオナシの魂を解放へと導いていく。
    そんな中、湯婆婆の命令で彼女の双子の姉・銭婆から魔法の印鑑を盗んだハクが、銭婆の魔術によって瀕死の重傷を負わされた。
    ハクを助けたい一心の千尋は、危険を省みず銭婆の元へ印鑑を持って詫びに行くが、それは初めて千尋が他人の為に何かをすることだった。
    お陰で、ハクは命を取り留め、しかも彼が千尋が幼い頃に落ちた琥珀川の主であることも判明する。
    湯屋へ帰った千尋は湯婆婆に両親を返して貰い、無事、人間の世界へ戻って行く。
    八百万の神様をもてなす湯屋に迷い込んだ千尋が、豚にされた両親を元の姿に戻すために試練を乗り越えていく。
    宮崎駿さん版の不思議の国のアリス。
    最初は、受け身で引っ込み思案だった千尋が、湯屋の仕事やハクとの関わりなど様々な試練に仲間の力を借りて乗り越えていきながら、成長していくのが、励まされました。

  • 金曜ロードショーで放送されたので録画して家族で観ました。永久保存版ですな。何回観ても、意味がわからないところあるよね(私だけ?)今回だいぶ分かったけど、銭婆のところに行く列車が何なのか、途中で降りていく半透明の人たちは何かの暗示なんだろうけど、それがわからない。死者があの世へ行くということなのかなぁ。もしそうだとしたら、なぜその先に銭婆の家があるのだろう?
    カオナシの正体もはっきりとはしないまま。でもなんか、愛すべきキャラだな、あれ。
    最初の方だけど、煤(まっくろくろすけみたいなやつら)が、千尋に手伝ってもらおうと思って、潰れてみせるシーンも好き。一番好きなのは、ハクにおにぎりをもらって、大きな声で泣き、涙をぽろぽろこぼしながらおにぎりを食べるシーン。
    人は誰でも、ガマンしてガマンして、頑張って頑張って、誰かに優しい言葉をかけてもらって、大きな声で泣いたっていう経験が(子供のころには)あるんじゃないかな。大人になったら、あんなふうになかなか泣けないけど、心はそれくらいいっぱいいっぱいな時もある。なんか、胸がいっぱいになります。
    ジブリ作品はWOWOWで放送してくれないから、テレビであるときは要チェックですな。

  • 2002/

    父親と劇場で見ました。いつぞやのクリスマスプレゼントがこの絵本だった時もありました。あと兄弟でカオナシの真似をしてました。思えば色々と思い入れのある作品です。
    何度か見る機会があり、まぁジブリ作品のほぼ全てにおいて言えることなのですが大人になるにつれて見方が変わりますね。

    元ネタや世界観に関しては色んな論争があると聞きます。
    神様の温泉宿 とあるけれど、実は遊郭だというのは有名な説。
    それを踏まえて考察をすると、千がエレベーターで上へ行く時に図体の大きな神様が入ってくるシーンがあるんですけれど
    あれで途中、千の視界を遮る場面があるんですね。あれは遊郭の奉仕してる階乗で、それを隠したっていうらしいんです。なるほどなるほど。それとか、デザインや小道具などもそういう点を踏まえると面白い発見もありますね。

    まぁ、ジブリ作品は子どもの気持ちと大人の視点、二つの味を楽しめますからね。今回は子どもの気持ちで、フランクにレビューします。


    一番好きなのは、水上を千尋が歩くシーン
    すごく素敵だし綺麗だよなあ…。
    それと、足を投げ出しあんまんを頬張るところも。
    すごい奥行きのある綺麗な世界観ですよねー…。


    カオナシの正体は色んな考察が出来るけれど、それにしても子どもの頃は恐ろしかった。あの執着心とか、ビジュアル的にも不気味で。ゼニーバのところで小さな手でヘアゴム作るのは可愛かったなあ


    ハクのおにぎりが食べたいです。そういえばVHC時代は、ビデオ特典でハクのおにぎりプレゼントキャンペーンとかやってたよなあ。
    性格がコロコロ変わってもかっこよい!某囲碁漫画のライバルと似てるとか言ってはダメww


    世界観は初見の頃は謎でしたが、最近になって理解できるようになった。けど子供心ながらやっぱり「不思議の国」には憧れるもので、ワクワクしながら見ていたのを覚えています。


    余談
    最初の千尋の両親が豚の肉にがっつくところ
    めちゃくちゃ美味しそうなんだよなぁ!あのお肉
    ジブリ飯で一番食べたいのがあの肉ですね(笑)

  • ぶっちゃけ面白さが全然わからなかったので、
    ちゃんと見直したのはDVD化した時以来かもしれません。

    千尋の親が勘に触るところから始まる。
    言葉の冷たいニコリともしない、千尋の手を握ってもやらない母親。
    BMWに乗って休日はゴルフ三昧のような雰囲気の父親。
    あげくの果て、子供の前で汚らしく貪り食って醜いブタに変身。
    あれが千尋の親の本当の姿なのよー!きっとそうよー!
    この親は千尋に救われた事も知らない。やだ、なんて恥ずかしい人達。
    今まで顔無しって何?!と思っていたのだが、
    顔無しの行動が子供が親に訴えている姿に見えちゃいました。
    親の後ろをついて行って、顔色を見ながら親の喜ぶ事をしようとする。
    受け入れてもらえなくて暴れる。本心は寂しい。
    編み物を習ったりそんな銭婆の家庭的な温かさに嬉しそうな顔してる。
    坊も勘違い超過保護な湯婆から飛び出して成長しますね。
    銭婆がくれたみんなで紡いだ髪留めがいいですねぇ。
    親の力を借りないでも1人で頑張ったという証。
    これって子供より親が見るべき映画じゃね?とか思ったり。

    顔無しが千尋を追って水に飛び込む姿が、最高に萌えます。

  • 「金曜ロードショー」にて2度目の視聴。はじめて観たときは宮崎駿のイマジネーションと妄想に圧倒され、「なんで人様の妄想に付き合うなければいけないのか」と拒否感ばかりが先に立ちました。

    今回久々に見てようやくストーリーが少し呑み込めました。でも、「ろくに挨拶もできなかった少女が、友だちのかわりに謝ったりもできるくらいに成長しました」という単純な子どもの成長物語のはずななのに、どうも一筋縄でいかないところが憎らしい。日本人の神への信仰、大人の偽善や醜さ、労働の倫理観、風俗商売etc これらを全て主人公が学んでいくのです。見ごたえがあるという言い方もできますが、とにかく宮崎駿のイマジネーションの暴走に置いてけぼりを食った感は強いです。

  • 油屋の雰囲気がとにかく大好き!!
    レトロな雰囲気と活気に溢れた油屋の喧騒。
    何度見てもわくわくします[*Ü*]

    「生きている不思議 死んでいく不思議
    花も風も街も みんなおなじ」

    独りよがりじゃなく、自分本位、自己中心じゃなく
    人間に偏るでなく、広い目と広いココロを手に入れられたら
    何度も繰り返してきた人間の過ちに気づくことができるのに
    人間の記憶と意志は薄弱で。

    一人の人間としてちゃんと1つ1つ反省しながら
    どんな時も希望を持って明るく前に向かっていかなきゃっ
    といつも思わせてくれる大好きな作品です[*Ü*]

    銭婆のオウチ大好きだなぁ♡

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著者プロフィール

アニメーション映画監督。1941年東京都生まれ。学習院大学政治経済学部卒業後、東映動画(現・東映アニメーション)入社。「ルパン三世 カリオストロの城」(1979)で劇場作品を初監督。1984年には「風の谷のナウシカ」を発表。1985年にスタジオジブリの設立に参加。「天空の城ラピュタ」(1986)、「となりのトトロ」(1988)、「魔女の宅急便」(1989)、「紅の豚」(1992)、「もののけ姫」(1997)、「千と千尋の神隠し」(2001)、「ハウルの動く城」(2004)、「崖の上のポニョ」(2008)、「風立ちぬ」(2013)を監督。現在は新作長編「君たちはどう生きるか」を制作中。著書に『シュナの旅』『出発点』『虫眼とアニ眼』(養老孟司氏との対談集)(以上、徳間書店)、『折り返し点』『トトロの住む家増補改訂版』『本へのとびら』(以上、岩波書店)『半藤一利と宮崎駿の腰ぬけ愛国談義』(文春ジブリ文庫)などがある。

「2021年 『小説 となりのトトロ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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