道 [DVD]

監督 : フェデリコ・フェリーニ 
出演 : ジュリエッタ・マシーナ  アンソニー・クイン  リチャード・ベースハート  アルド・シルヴァーナ 
  • アイ・ヴィ・シー
3.90
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  • (3)
本棚登録 : 650
感想 : 128
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4933672226095

感想・レビュー・書評

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  • 映画メモ。

    ここのところ古い映画をいくつか見ているけれど、キャラクターが現代の映画よりも一つの方向性に突き詰められているなあ、と感じることが多い。
    この『道』もそう。
    ザンパノはひたすら粗暴、ジェルソミーナは献身的、綱渡り芸人はうっすら恐怖を覚えるほど捕われず自由。
    ザンパノが自らの罪深さに気がついた時、たぶん彼の人生の中で最もジェルソミーナを必要としているんだけど、既に彼女は彼自身の振る舞いによって亡くなっているのが、ただただ悲しい。

    • りまのさん
      snowdome1126さん

      おはようございます。はじめまして!フォロー頂き、ありがとうございます。
      「道」という映画、悲しく、切ない映画...
      snowdome1126さん

      おはようございます。はじめまして!フォロー頂き、ありがとうございます。
      「道」という映画、悲しく、切ない映画でした。私は若い頃、「道」の、ジュリエッタ・マシーナに似ている、とある人に言われ、複雑な思いをした事があります。
      、、、それでは、今日も暑くなりそうです。熱中症に、気を付けて、良い一日を、お過ごしくださいね (*^^*)
      2021/08/04
    • snowdome1126さん
      >りまのさん

      こちらこそ、はじめまして!
      コメントいただけて嬉しいです。
      「道」、心に残る映画ですよね。
      ジュリエッタ・マシーナ...
      >りまのさん

      こちらこそ、はじめまして!
      コメントいただけて嬉しいです。
      「道」、心に残る映画ですよね。
      ジュリエッタ・マシーナは、目の表情がとても魅力的な女優さんだなあ、と感じます。
      本当に、暑いですね〜(笑)。
      おたがい、体に気をつけて過ごしましょう^^
      2021/08/04
  • 内容(「キネマ旬報社」データベースより)
    大道芸人が白痴の女を奴隷として買った。男の粗暴な振る舞いにも逆らわず、彼女は一緒に旅回りを続けるが、やがて捨てられる。ある日男は、彼女の口ずさんでいた歌を耳にする…。人間性を蘇らせるまでを描いたフェリーニの名作。



    1954年製作・公開のイタリア映画。
    お互いに孤独な者同士だと 一瞬気が付いたかに思えた場面があったと思ったんだけどなぁ...
    大切な人なのだと亡くしてから気づく...人間の哀れさがとても伝わってくる。
    大切な人の存在の大きさに気づき 海辺で泣き続けているザンパノのラストシーンがホント哀れです。

    • yhyby940さん
      小学生の頃、NHK教育で観ました。年老いたザンパノの号泣が、62歳になった私には切実にわかるような気がします。演出ではもちろんないですが、モ...
      小学生の頃、NHK教育で観ました。年老いたザンパノの号泣が、62歳になった私には切実にわかるような気がします。演出ではもちろんないですが、モノクロの映像がより哀愁を帯びているように思えます。
      2021/11/03
    • hiroさん
      yhyby940さん、コメント有難うございます。
      歳とともにわかる事って多いですよね。考え方も変わっていきますし...
      ホント、モノクロがザ...
      yhyby940さん、コメント有難うございます。
      歳とともにわかる事って多いですよね。考え方も変わっていきますし...
      ホント、モノクロがザンパノの哀れさを引き立たせていると思います。
      2021/11/04
    • yhyby940さん
      コメントありがとうございます。ジュリエッタマシーナのジェルソミーナの無邪気さ無垢なところが余計に哀れを誘います。テーマソングも良かったですね...
      コメントありがとうございます。ジュリエッタマシーナのジェルソミーナの無邪気さ無垢なところが余計に哀れを誘います。テーマソングも良かったですね。また、観たくなりました。
      2021/11/04
  • 監督フェデリコ・フェリーニ
    主演俳優アンソニー・ホプキンス
    主演女優ジュリエッタ・マシーナ
    主題曲ニーノ・ロータ
    https://youtu.be/9wGqevjzxMQ

    名作映画紹介などで粗筋は知ってしまっているし、フィギュアスケートで曲も知っているけれど、観たのは初めてです。

    フィギュアスケートだとこうなります。
    https://www.youtube.com/watch?v=X6AnaTmyarg

    以下映画ラストまでネタバレしています。
    ***
    海辺の貧しい村に住むジェルソミーナは、旅周り芸人のザンパノに助手兼下働きとして買い取られる。ジェルソミーナの家は貧しく父は死に子沢山。かつては姉のローザがザンパノに売られたが、彼女が死んだので身代わりになったのだ。
    もう大人の年齢だが、知能に障害があるジェルソミーナは、家族の役に立つし、芸も教えてもらえるならと喜んで旅に出る。
    たがザンパノはジェルソミーナを乱暴に扱う。ついに逃げ出そうとするジェルソミーナは、辿り着いた町の祭で、陽気な綱渡り芸人と出会う。
    だがジェルソミーナはザンパノに連れ戻され、暴力を受けることになる。
    ザンパノとジェルソミーナはサーカス団に合流する。そこには町で会った綱渡り芸人がいた。彼の陽気さは、享楽的でその綱渡り芸と同じように危なっかしく、"キ印"の呼び名を持っていた。彼は常に一人で、自分はいつか落ちて死んで誰からも忘れられるのだという。
    芸人同士の知り合いであるザンパノを見るとつい必要以上にからかいたくなってしまうが、その行き過ぎた挑発は、ザンパノを更に暴力的にさせ、ついに二人共警察に捕まってしまう。
    一人残されたジェルソミーナはサーカス団員たちから、あんな男から離れて一緒に来るように誘われるがどうしてよいかが分からなかった。
    一人夜を過ごすジェルソミーナの元に、先に留置所を出た綱渡り芸人が訪れる。
     私は何の役にも立たない。なぜ生まれてきたのか。サーカス団に誘われたけれど、一緒に行ったって自分が何の役にも立たないということは変わらない。
    そういうジェルソミーナに、綱渡り芸人は言う。 
     道の石ころだって役に立つ。自分でそうとは分からなくても。この世に必要ないものなんてあるものか。
    綱渡り芸人はジェルソミーナにトランペットのメロディーを残して去る。
    ザンパノを待つことにしたジェルソミーナだが、留置所から出たザンパノは相変わらず粗暴だった。どうせ一緒にいるならあなたと結婚してもいいわ、というジェルソミーナの言葉にも心を動かさず、親切にしてくれた修道院では盗みを働き、ジェルソミーナを傷つける。
    そして旅の最中にたまたまあの綱渡り芸人と鉢合わせる。怒り心頭のザンパノは綱渡り芸人を酷く殴りつけ、ついには殺してしまう。
    その様を見たジェルソミーナは精神は壊れる。
    助手としても女中としても役に立たなくなり、うわ言を繰り返すジェルソミーナをザンパノはついに置き去りにして去って行く。

    数年後、相変わらず旅周りの怪力芸を続けるザンパノは、海辺の町に立ち寄る。
    彼の耳に入るメロディー。それは、かつて綱渡り芸人がジェルソミーナに教えた曲だった。
    ザンパノはその曲を口ずさむ女に声をかける。
    曲の由来を聞かれた女は答える。
     この曲は、4.5年前にここにいた女の人がトランペットで吹いていました。彼女は海辺を流離い、ここに連れて来たけれど、何も話さずに死んでしまいました。彼女の身元はついに分かりませんでした。
    その夜ザンパノはひどく酒に酔い暴力的になった。
    海辺で流離うザンパノは、倒れ込んで嗚咽を漏らす。
    それはザンパノが初めて見せた人の情だった。

    • nejidonさん
      淳水堂さん、こんばんは(^^♪
      この映画を観れるなんて、お若いんですね。
      私はとてもとても辛くて正視できません。。
      フェリーニは一番...
      淳水堂さん、こんばんは(^^♪
      この映画を観れるなんて、お若いんですね。
      私はとてもとても辛くて正視できません。。
      フェリーニは一番のお気に入りだったそうですが。
      日本公開は1957年5月25日雨の日曜日、日比谷スカラ座は満席で、
      立見客もたくさんあったそうですよ。
      一般200円、学生150円。でも今よりはずううっと高価格なんですって!

      綱渡りの男イル・マットに教わってジェルソミーナが吹いていたラッパの曲も
      ずいぶん流行ったようで。
      まだまだ貧しかった当時の人々の心に染み入るものがあったのかもしれません。
      ところでザンパノがジェルソミーナを買いとる1万リラは、当時の
      為替レートでは5千円にも満たないのだそうで。いやぁ、切ない話です。
      つまらないことを長々と書いてすみません。
      一生懸命見た頃を思い出して書きこみました。
      今年もどうぞよろしくお願いします☆☆☆
      2020/01/05
    • 淳水堂さん
      nejidonさんコメントありがとうございます!!

      いやいや、私ももう戦争もの、収容所ものは読めません…
      これは私の「死ぬまでに観な...
      nejidonさんコメントありがとうございます!!

      いやいや、私ももう戦争もの、収容所ものは読めません…
      これは私の「死ぬまでに観なければリスト」に載せてる映画なので、テレビ放送されてたので観ておきました。

      一万リラはそんなに安かったんですね。
      それで大喜びしていたジェルソミーナの家族…
      ジェルソミーナの出会った人たちは、ザンパノ以外は彼女に優しいんですよね。それでも留まったジェルソミーナ。
      これで2時間弱ですから、凝縮されていますよね。

      去年のブクログ見直して、登録数が少なかったので(観たけど登録しなかったものもあるけど)、
      今年はガンガン読んだり観たりしていきたいです。
      今年もよろしくお願いします!
      2020/01/06
    • しずくさん
      「いいね」をありがとうございました!
      私もブクログには載せていませんが、前から書いているブログに「道」のレビューを書いています。思いがけず...
      「いいね」をありがとうございました!
      私もブクログには載せていませんが、前から書いているブログに「道」のレビューを書いています。思いがけず名作に触れ、私なりの感想でした。
      お暇な時に読んで戴ければ幸いです。URLは
      http://amegasuki3.blog.fc2.com/blog-entry-263.html 
      2020/01/17
  • 一見ものすごく素朴だけど、実はかなり緻密に計算され尽くした構成で、人間の様々な面が描かれており、最後はやるせないと同時に、ある面では救われた複雑な気持ちで見終えた作品です。

    粗野で乱暴な大道芸人の男・ザンパノは、ジェルソミーナという、今でいう知的障害があると思われる女性を、はした金で彼女の貧しい母から買い取り、妻代りとして仕事の手伝いをさせながら、イタリア全土を旅します。

    罵られ、時に身体的な暴力まで振るわれながらも、結局はザンパノから逃れられないジェルソミーナ。
    彼女は、ザンパノと共に入ったサーカス団に属する綱渡りの男、通称イル・マッドから、誰だって役に立つことがあると慰められ、ラッパの吹き方を教わります。
    しかしそれは、ザンパノの怒りを買い、事態はより一層過酷な展開へと進んでいきます。そして…。

    互いに孤独なザンパノとジェルソミーナの、お互いを必要としているはずなのに、理解や労わりには至れなかった、共依存的なこじれた関係。
    二人をかき回し、結果的には自身の人生も、二人の人生も壊してしまったイル・マッド。
    誰かに必要とされ、役に立ちたくて、つらくても必死に踏ん張っていたジェルソミーナ。
    とあるきっかけから精神を病んでしまったジェルソミーナを、一人置き去りにしたザンパノの身勝手な残酷さと、なけなしの優しさの矛盾。そして、後年襲われる激しい後悔と悲しみ。

    報われない、とてもつらい結末なのですが、ザンパノの最後の姿には、ジェルソミーナが求めて止まなかった彼女の存在意義が確かにあったことがわかり、胸が痛くなる作品でした。

    ニーノ・ロータ作曲の哀愁ある音楽が、また印象的です。

    矛盾しているようで同居する人間の様々な感情と悲劇が1時間半の中に詰まった作品で、見て損はない作品でした。

    • しずくさん

      hotaruさんのレビューを読んで、2016年に『道』を観たのを思い出しました。
      良い映画でしたね!
      こちらにレビューを残していまし...

      hotaruさんのレビューを読んで、2016年に『道』を観たのを思い出しました。
      良い映画でしたね!
      こちらにレビューを残していましたのでお暇な時にどうぞ。

      http://amegasuki3.blog.fc2.com/blog-entry-263.html

      2018/07/10
  • 『洋子さんの本棚』で、小川洋子さん、平松洋子さんがこの作品に対する思いを語っているのを読んだのがきっかけです。それまでは、タイトルや音楽は耳にしたことがあったし、あらすじもなんとなく知ってるんだけど、作品自体は観てなかった。名作によくあることです。

    後半からラストにかけて、なんだかどうしようもなくもの哀しい、やるせないような気持ちになった。けれども、決して重苦しいいやな後味ではなく、それはきっと純粋さを象徴するようなジェルソミーナの存在のおかげだと思う。

    乱暴で身勝手な男ザンパノに、1万リラというはした金で買われた女ジェルソミーナ。貧しい家族が少しでも楽になればと、ザンパノについてゆく。そして大道芸をしながら旅を続けるけれど…。
    くされ縁、というのか、共依存、というのか、どうにも幸せではない関係。
    ザンパノはどこまでもザンパノのままで、「愛」に自覚的になれない馬鹿な男。欲望のままに利己的な行動を重ね、ジェルソミーナを傷つける。
    ジェルソミーナもどこまでもジェルソミーナのままで、自尊心というものを知らない哀しい女。ザンパノに身をまかせたきり、自分を守ることができない。
    二人の間には「会話」というものが決定的に欠けている。

    そこへ第三の人物、綱渡り芸人が登場する。彼とジェルソミーナの会話のシーンが、私のいちばん好きなシーン。というかこの綱渡り芸人の男がすごく好き。どこか浮世離れした不思議な存在で、天からの「救い」のような感じがする。(演し物の時の彼のコスチュームには天使の羽根が付いている)
    どうしてザンパノから逃げないのか? そう尋ねられてジェルソミーナは考える。この綱渡り芸人との会話の中で、ジェルソミーナは愛について少しづつ自覚的になってゆく。
    「ザンパノ、少しはあたしを愛してくれているの?」
    虚しいかな、そう語りかけるジェルソミーナの言葉はザンパノには響かない。それどころか、ザンパノの愚行はエスカレートするばかり。それでもザンパノから離れられないジェルソミーナ。
    「私がいなかったらあんたはひとりぼっちなのよ。」
    それがジェルソミーナがようやく見つけた自分の存在理由だから。ジェルソミーナが自分の存在を肯定するためには、どうしてもザンパノの存在が必要なのだった。

    ジェルソミーナの愛は、アガペの愛。
    一方、ザンパノはソドムとゴモラの住人。何の信念もなく、欲望剥き出しで、ある意味とっても人間臭いのかもしれない。
    結局二人は道を別つことになるのだけれど、数年後にジェルソミーナの足跡をザンパノが見つけるラストのシーンで、「音楽」が鍵になっているところがものすごくいい。ジェルソミーナがいつもトランペットで吹いていたあの曲(ニノ・ロタがまたいい仕事をしている!)を耳にして、ザンパノの中に眠っていた「ジェルソミーナ」が目を覚ます。彼の中で何かがざわざわと波を立て始める。ザンパノとジェルソミーナは、やはり「言語」以前の部分で結び付いていたんだな、と思った。
    そして最後のクライマックス。
    ジェルソミーナが自分にとってどんな存在だったのか、ザンパノがようやく気づくシーン。(しかし時すでに遅し!この馬鹿男め!)俺はひとりでも平気だ!とうそぶいていたのに、海を見ていたらもうどうしようもなくなって、ついに子供のように砂の上に崩れてしまう…。
    この海のシーンでは、自然と涙がぽろぽろとこぼれていました。

    ジェルソミーナはザンパノに出会わない方がよかったのかな? やっぱりそんなことを考えてしまう。
    ジェルソミーナは、彼に出会うまで生まれた街から一度も出たことがなく、弟や妹、家族の世話だけをして暮らしていた。だからザンパノがいなかったら、広い世界を見ることも、いろいろな人と出会うこともなかったかもしれない。そして「愛」というものを知ることも…。
    そう考えると、幸も不幸も、やはりザンパノが彼女にもたらしたものは大きいし、それによって彼女の人生は色鮮やかなものになった。

    もう一つ気になること。ジェルソミーナには自分の意思でザンパノのもとを離れるチャンスが二度あった。サーカスの仲間たちに誘われた時と、綱渡り芸人に誘われた時。どちらかと一緒に行っていたなら、一人前の旅芸人として自立することができたかもしれない。自分の存在理由を確認するための共依存的男女関係からは、すくなくとも解放されていたかもしれない。
    なんて、いろいろ考えさせられる素敵な作品でした。

  • 栄えある2021年初劇場鑑賞作品は本作。

    最後に劇場で鑑賞できたのはいつだったのだろうとカレンダーをさかのぼると昨年2月中頃のようす。実にまる14ヶ月かかったことになる。自身の劇場鑑賞優先主義に基づけばこれは由々しき事態であり、残り短い一生の中ではこうしたことは二度と起こってほしくないし起こしたくもない。

    本作は上質なイタリアンオペラを観せてもらったような気分にさせてくれる。自分にとっての「上質なイタリアンオペラ」の定義がなんなのかはとりあえずどこかに置いといて。

    鑑賞後、最寄り地下鉄駅のUptown側が週末メンテの影響で閉鎖されているであることは来訪時に気づいていたので、動揺することもなく北へ一駅歩くことにした。

    久々のWest Village界隈、程なく歩いて思いついたのは長年足繁く通わせていただいた居酒屋の跡地を訪ねること。その店はコロナ禍のあおりを受けて昨年末閉店となってしまった。幸か不幸かその場所には後続のテナントはまだ入っておらず、旧テナントのロゴもそのまま残っていた。その姿をスマホに収めてみたり。

    そういやフェリーニが気になったのはこの居酒屋のトイレに「甘い生活 La Dolce Vita」(1960) のポスターが飾ってあったのが発端だった。この作品が同じ界隈にあるIFC Centerで上映されていることを知って観に行ったのは何年前のことだったのだろう。二階の待合いスペースに上映中作品の貴重な関連ポスターを展示するのが恒例だったのだが、そのときには「道」という字が入った日本版フェリーニのポスターが貼ってあったこともほのかに覚えている。その映画を14ヶ月の病気療養期間を経て鑑賞する機会を得た…。そんなこんなに思いを馳せたのは帰ってこれを書き出してから。なんだろ、この巡り合わせは。行き先のわからぬ螺旋階段をのぼるような感覚。

    上映前の近日上映予告には「8 1/2」(1963) と「カビリアの夜 Le Notti di Cabiria」(1957) が含まれていた。今回の鑑賞を通して主演女優のジュリエッタ・マシーナが気になってしょうがなくなってしまった自分にとっては彼女主演の後述作品ははずせないとして、この螺旋のゆくさきを見極めるためには前述も欠かさずに観る必要がありそうだ。

    いままで気にもしなかった「主張するマスク」でも探してみたくなった。監督名とかが入ったやつでもカスタムオーダーして、それをつけて劇場に行ってみたいというささやかな望み。

    そんな土曜のよる。

  • 父に勧められて見た。
    だいぶ昔のものだけれど、自然に感情移入して見ることが出来た。

    ジェルソミーナは可愛い訳ではないけれど、愛嬌のある素朴な心の持ち主。
    ザンパノは乱暴者で不器用。全然いいところなんてない男に見えるけれど、映画の後半に入るとジェルソミーナを見るまなざしに少し優しさが見える。
    彼の行動は一部理解しがたいものがあったし、前の相棒との間に何があったのかも分からなかったけれど、ラストの浜辺で崩れ落ちるシーンは、自分を唯一想ってくれた人が決定的に失われてしまったということの悲しみが、痛いほどに伝わってきた。

  • 乱暴で自分勝手な旅芸人は女性との関わりの中で自己を開放できるのか?っていう話だった。
    この物語の後日談を描くとしたら、ザンパノの生き方や人格はどのように変容しているのだろうか。

  • 粗暴な旅芸人へ身売りされた白痴娘が、
    修道僧など様々な生き方を知ることで 
    自分の生きる道を見付ける。
    粗暴な旅芸人は 獣のように生きるために生きるが、
    白痴娘を失って初めて 人の心に苦しむ物語。

    淀川さん解説では 男のわがまま、女の忠実 が表現されていると仰っていた。

    人にはそれぞれ道がある。太い道、細い道、歩きやすい道、でこぼこ道。
    ときに他の道と交差する。同じ道を共に歩んだり、また別れたり。
    どこまで行っても 人は自分の道を歩む。だから道端の小石も愛おしい。

    「私は誰の役にも立たない。役立たず。」
    と泣く 白痴女ジェルソミーナを、綱渡り芸人のイルマットは励ました。
    「この世の中にあるものは 何かの役に立つんだ。
     こんな小石でも何かの役に立っている。俺なんかに聞いても判らんよ。
     神様はご存知だ。人間は生まれるときも死ぬときも判らないんだ。
     俺にはこの小石が何の役に立っているか判らん。何かの役に立つ。
     これが無益ならすべて無益だ。空の星だっておれは同じだと思う。
     お前だって 何かの役に立ってる。」

    ついに、ようやく観ました フェリーニの「道」を。
    でも残念ながら深い感動は得られませんでした。

    • りまのさん
      りまのです。こんばんは。ジェルソミーナ演じる、ジュリエッタ.マシーナに、似ていると、言われたことが、あります。
      りまのです。こんばんは。ジェルソミーナ演じる、ジュリエッタ.マシーナに、似ていると、言われたことが、あります。
      2020/09/11
    • kta0atkさん
      こんにちは。目がくりっとしていて、かわいらしいですよね。
      こんにちは。目がくりっとしていて、かわいらしいですよね。
      2020/09/12
    • りまのさん
      ありがとうございます。りまの。
      ありがとうございます。りまの。
      2020/09/12
  •  誰が天使を殺したの?「私。」と神が言った。

    人生という長い道で、人は己の存在意義を得ようともがき苦しむものである。
     貧しい家に生れた主人公のジェルソミーナは、粗野で横暴な旅芸人ザンパノに売られ、一緒に各地を転々としながら、妻としてザンパノを支えていく。
     献身的な愛情を捧げるジェルソミーナをザンパノは虐げ、一人の人間としての尊厳を奪い続ける。
    「私は美しくもなく、頭も悪く何の取り柄もない。私は何故生まれてきたの?これからどうやって生きていけば良いの?」
     自分の人生を肯定できず、絶望に打ちのめされるジェルソミーナを、仲間のサーカス芸人が慰める。
    「この石を見てごらん。この石だって何かの役割がある。この世にあるもので意味のないものは何一つない。」
     彼の言葉に一筋の希望を抱き、ジェルソミーナはザンパノに寄り添って生きていく決意をするが・・・。
     愛を与え続けても最後まで報われず、ジェルソミーナは一人孤独のまま命を落とす。

     この映画はキリスト教色の強い映画だと言われているが、イエスの使徒達が自らの命をもって伝道していったように、ジェルソミーナもまた、自らの愛に殉死することにより、ザンパノを真の人間愛へと目覚めさせる。
     映画のラストシーンでザンパノがジェルソミーナの死を知って慟哭するシーンは胸を打つ。
     

     ジェルソミーナを演じたのは、この映画の監督フェデリコ・フェリーニの生涯の伴侶、ジュリエッタ・マシーナ。小柄で見た目は決して華やかではないが、そのチャーミングさと、高い演技力は他の追随を許さない。
     大柄でグラマスな美人女優が妍を競い合うイタリア映画界で、マシーナはジェルソミーナのような可憐な菫の花であり、見る者の心の中に一際強い輝きを残し続けるのである。

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