A2 [DVD]

監督 : 森達也 
出演 : ドキュメンタリー映画 
制作 : 安岡卓冶 
  • マクザム
3.70
  • (21)
  • (17)
  • (36)
  • (1)
  • (2)
本棚登録 : 168
感想 : 30
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4932545983288

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • まず「A」を鑑賞し、その翌日に「A2」を観た。
    全体を通して、よくここまで教団内部に入り込めたものだなと関心した。
    「A」の感想は従来からあるオウムやカルトに対する印象と大して変わらなかった(単純に怖いとか、なぜこれほど優秀な人たちが洗脳されてしまうのか?など)が、「A2」を観てその感想が少しだけ変わった。

    オウムに立ち退きを求める地域住民がボランティアで監視小屋を作った。監視目的のはずだが、地域住民はオウム信者と和気藹々とした雰囲気で交流していた。地域柄なのか施設に住む信者の数が少なかったせいなのか、理由はわからない。
    ただ、この地域住民とオウム信者との交流は、近所のおじさん・おばさんと若者の交流にしか見えなかった。ひと昔前ならどこにでもあった光景だと思う。

    また、教団の幹部が河野義行さんのお宅に訪ねて行ったところも印象深かった。自分たちのしでかした事の大きさが、ここまできてもまだイマイチ理解できていないように見えた。

    地域住民との交流を見ても、河野さんのお宅に訪ねて行ったところを見ても、結局、良くも悪くも信者のほとんどは頭でっかちで世間知らずの子供なのだと思った。
    恐らく彼らのほとんどは教団の悪事にも手を染めていないと思われ、ただ純粋に教えを信じているだけだと思うと、麻原は本当に死ぬほど罪深いと思う。

  • ★★★
    またまたオウム。今回は事件から5年後、アレフを立ち上げ。荒井以外にも色々な信者に密着。
    事件起こすような奴らには見えないし普通の人。
    面白い、この年代のドキュメンタリーはAVにしても良いよね。バクシーシとか平野とか

  • 荒木浩を被写体とした出家信者達のドキュメンタリー作品 退去直前の足立区のオウム施設 破防法→団体規制法 地域住民のオウムへの排斥はいせき運動は急速に激化する 煩悶を停止した 受容への萌芽 顔色は土気色つちけいろ 「洗脳」の禍々しいシンボルとして、さんざんメディアから揶揄され続けてきたPSIが きょうおう饗応 茫洋とした表情に戻り 夥しい報道陣の数 メディアと僕等は鏡面構造にある 要するに自覚性が急速に脆弱化しつつある きゅうよ窮余の選択 踵を返し そしる謗る 凄惨な 世間に恭順な態度を見せていった先に何が待ち受けているのか見当もつかない 対岸の火事は眺めやすいのだ 速度や方向について、もっと自覚的になろう。足を停めるか方向を変えるかは、その後に考えればよい。だって僕はこの船で生まれて、この船が好きなのだから。 森達也
    長野県木曽福島 衰弱した信者 警察報道 塩水一気飲み 群馬県 足立区

  • <2016/09/05 第七藝術劇場にて>
    途中で見てるのがちょっとしんどくなったが、オウムも右翼も近隣住民もやってること同じじゃん…、と見えてくるところが監督の狙いだったか?と思えた。
    近隣住民が一番滑稽に見えるのよね。思考停止ね。
    右翼の言ってることの方がまともだったり。(でもまぁあの方たちの表現方法には全く共感できないですが。)
    オウム自体も(森さんも中で言っていたが)きっぱり解散したほうがいいと思うよねぇ。
    そもそもあの出家というか生活態度は、修行というには秩序がなく汚すぎる…。(--;)
    体のいい(都合のいい)家出の言い訳にしか過ぎないね。
    少なくも何百年も生き残ってる宗教団体を見習ったらどうなの?と言いたくなったね。

  • オウムからアルフへ
    群馬の住民と和解してテントの撤去を手伝い、修行の成果を見せるところが印象的 オウムの移転がきっかけで住民同士が仲良くなる、次第に理解する者、怒る者の矛先が本人達で明確でないところが浮き彫りになっていてよかった やりどころがない、責任、対応、怒りが浮遊している

  • これは傑作。
    弱さに甘え、溺れた信者達、自分達より立場のが弱いことをいいことに、信者に情を持つ、これまた弱い住民達、、
    人間の醜い弱さをこれでもかと突きつけてくれる。

  • 図書館で借りてきたDVD。

    一作目「A」よりよかった。しかし、何が「よかった」のかと言われると難しい。。

    一作目は公安という「国家権力」がすごく怖かった。しかし二作目は信者と住民の関係性について考えさせられたというか、監督がなぜこの映画の副題に「世界はもっと豊かだし人はもっと優しい」と付けようと思ったかがよく分かった。実際、一番心に残ったのは監視住民と出家信者の間に流れる「優しい」雰囲気だった。泣けた。

    特に信者が他のところに去る前に、親しくなった住民たちを前にして塩水を多量に飲んで吐き出すという彼らの「修行」の一つを「余興」みたいな形で見せるのだが、なんというのだろうか、その「修行」(余興?)を行なう、という行為に元監視住民と出家信者の間に根付いた絆みたいなものが見えたような気がして、だから泣けたのだと思う。

    ただ、その後の地域住民のヒステリックな反応は、正直怖いほどで、なぜ人はわかり合うためにお互いの顔と顔を突き合わせ、話そうとしないのか、誰か一人でも「話を聞いてみよう」という人はいなかったのだろうかと心が痛んだ。

    右翼との会話については、先に「A2」という本を読んでいたのでどういういきさつがあったかは分かったが、映画を見ただけでは正直何が起きたのか分からなかったかも知れないと思う。

    あと前作にも増して監督自身が相手の言いにくいところをズバッと言って答えを導き出す手法を使っているが、これはこれでいいかなと思う反面、これ以上この手法を使うと「またか」と思われるだろうなとは思う。

    ただ前作も今作も監督はオウム自身にかなり強い質問を投げかけている。それはわたしも知りたいところではあったし、逆にそれに対して明解な答えを持っていないか、言葉では表現することができないことなのかも知れない、と思った。

    そこが(当たり前のことだが)「べったり教団寄り」ではないことが分かるし、映画を見ずに批判だけした評論家などはこの作品について語るべきではないと思う。

    また、松本サリン事件の被害者である河野さんとの謝罪のときの教団の対応を見ると、どう言えばいいのだろう、一体あなたたちは何をしに来たのか、これまで何を考えてきたのか、と言いたくはなったが、でも本来現世と縁を切った出家信者がそれを考えるべきことなのか、と思ったりする。確かに河野さんはとても優しいし、そしてとても厳しい。謝罪に来た信者に対してここまで考えてくれる人はそういないだろう。そして彼らはその優しさに対して甘える一方で、自分たちのすべきことを真面目に考えてはいなかったようにも感じる。

    考えが二転三転するが、これだけの社会問題を起こした団体は、例え宗教団体で現世から縁を切って出家したといえども、だからといって修行だけに励んでいればいいということではないんだろうな。彼らが実際に事件を起こした信者ではないにしても「団体」として社会に対して何かアプローチしなければ教団はずっとこのままなのだろうか。

    しかし、今現在で考えると、結局どういうことがあったとしても、この問題は時間と共に風化していっているのは確かで(被害者や被害者家族にとっては違うだろうけど)、今、あの「オウム出て行けデモ」をした住民はどんなことを考えてるんだろう、と少し思わないわけでもないのだ。

    結局は誰がなぜこういう事件を起こしたか、全く謎のままで、このまま風化して終わってしまったのだ。今も「アレフ」には定期的に警察か公安かは知らないが教団の中に入って検査しているようだし、しかしマスコミはもうそんなことは報道しない。わずかに教団のウェブサイトでそのことを確認できるのみである。

    本当にこれでいいのだろうか?という気がしてならない。

  • 森達也監督による、オウム真理教を扱ったドキュメンタリー映画。「A」の続編。

    題材が題材だけに、深刻な面持ちで見なくてはいけないかと思いきや、かなり笑える映画である。それは馬鹿にした笑いではなくて、状況に反してあまりに微笑ましいのでつい笑ってしまうのだ。
    「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」これは、森監督が当初この映画のサブタイトルにつけようとした言葉だったらしいけど、まさにこれを実感する映画。

    オウムの退去運動をする地元住民が、監視のためにテントを張って彼らと接するうちに、すっかり仲良くなってしまう。こんな様子は、テレビや新聞では決して報道されないが、事実なのだ。
    信者の女性はキティちゃんが好きだったり、過激な右翼団体の人は話してみると気のいいおじさんだったりする。

    個人を知ろうとせず、話してみようとせずに、マスコミを鵜呑みにしてしまうことは恐ろしい間違いや誤解を生むのだということ。
    オウムがしたことは完全な間違いであり、憎むべき犯罪行為であり、決して許されないことに変わりはない。けれど、ただ排除しようとするのではなくて、消してしまえばおしまいだということでもなくて、もっと何か方法があるはずなんだと思う。

    だけど、理解するということはとても難しい。
    この映画で一番印象的だったのは、以前同じサークルに所属していたかつての友人同士の新聞記者と信者が語り合う場面。
    信者は「多くの人がマスコミに傷つけられているのに、そんな仕事に就いたということがどうしても理解できない」と言い、新聞記者の方は「親や地元を捨ててまで宗教に入るということが、俺にだって理解できない」と言う。

  • 第一作は未見、アーレフに改名後の動きを追ったドキュメントですが、監督は元TVマンで、オウムを「悪」として構成させる局側に反発し、フリーとして撮ったものだそうです。というのもあるのかマスコミへの批判を込めたシーンも多いですが。過激な立退き看板をバックに、反対運動を展開する住民との間に生まれるシンパシーというのは実に「映画的な」矛盾した共有感がある。印象が悪いほど、会ってみるといい人だったという、そんな話にするのは矮小化しすぎ?決めつけによる思考停止は、不要な衝突や社会の変質を生む…映像の根っこはそこにあるのかもしれない。

  • Aに続いて見ました。
    こちらは教団施設と地域住民の対立。
    そんな中どこの場所でも対立が当たり前だと思っていたのに、1箇所で対立はあったもののなかなか良好な関係を築いていて衝撃でした。
    そのなかでも信者がオウムを脱退すれば受け入れるよという件がとても印象的でした。

    神奈川県警と右翼の衝突が迫力ありありでした。なんでオウムを守るのかわからない。

    AとA2を見てやっぱりわからなく、不思議なのはそれでも教団に居続ける人がたくさんいること。

    そしてひとつのことをここまで信仰することのできるものがあるのが逆にすごい。

全30件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

森 達也(もり・たつや)
1956年、広島県呉市生まれ。映画監督、作家。テレビ番組制作会社を経て独立。98年、オウム真理教を描いたドキュメンタリー映画『A』を公開。2001年、続編『A2』が山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。佐村河内守のゴーストライター問題を追った16年の映画『FAKE』、東京新聞の記者・望月衣塑子を密着取材した19年の映画『i-新聞記者ドキュメント-』が話題に。10年に刊行した『A3』で講談社ノンフィクション賞。著書に、『放送禁止歌』(光文社知恵の森文庫)、『「A」マスコミが報道しなかったオウムの素顔』『職業欄はエスパー』(角川文庫)、『A2』(現代書館)、『ご臨終メディア』(集英社)、『死刑』(朝日出版社)、『東京スタンピード』(毎日新聞社)、『マジョガリガリ』(エフエム東京)、『神さまってなに?』(河出書房新社)、『虐殺のスイッチ』(出版芸術社)、『フェイクニュースがあふれる世界に生きる君たちへ』(ミツイパブリッシング)、『U 相模原に現れた世界の憂鬱な断面』(講談社現代新書)、『千代田区一番一号のラビリンス』(現代書館)、『増補版 悪役レスラーは笑う』(岩波現代文庫)など多数。

「2023年 『あの公園のベンチには、なぜ仕切りがあるのか?』 で使われていた紹介文から引用しています。」

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×