NATIONAL GEOGRAPHIC (ナショナル ジオグラフィック) 日本版 2014年 10月号 [雑誌]

制作 : ナショナル ジオグラフィック 
  • 日経ナショナルジオグラフィック社
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感想・レビュー・書評

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  • 恐竜の記事も面白かったけど、
    一番興味深かったのは、チェルノブイリ見学ツアーの記事。

    原発事故で人が住めない土地になり、静かに朽ちていく村。
    人の気配のない廃墟には、何とも言えぬ魅力がありますが、
    (不謹慎な言い方かもしれませんが…)
    当人たちにとってはそれどころではないだろうな。
    今なお高い放射線量を考えると、心が痛みます。
    福島の問題がある日本も、決して他人事ではない。

    カリフォルニアの干ばつのニュースは夏ごろからよく聞いていた。
    でもまさかここまで酷かったとは…と驚きました。
    そういえば今年は、全然米国のグレープフルーツが店頭に置いていなかった。
    雪不足がこんなにも農業に影響してくるのですね。。。

  • 10月号から定期購読開始しました。どの写真も圧倒的なスケールで現地にいるかのような迫力があります。

    恐竜の復元、アメリカ西部での干ばつどの記事もとても興味深く読みました。
    中でもやはりチェルノブイリの記事は心が痛みました。

    1986年に起きた原発事故から今もなお廃墟と化している病院、学校、遊園地。今では別の意味で観光地だそうだ。日本からも訪れる人が少なくないとか。
    ウクライナ政府が作成した計画によると2065年までに原子炉は跡形もなくなるという。
    とてつもない年月だ。日本も福島の原発事故は他人事では済まされないと思いました。

  • シリーズ 90億人の食 次世代の緑の革命

    未来の食料危機の回避策は、最先端の遺伝子工学を取り入れた品種改良なのか、生態系に配慮した有機農法なのか。食料増産に必要な「次の一手」を探る。

    文=ティム・フォルジャー/写真=クレイグ・カトラー

     畑のキャッサバに、ある異変が起きていた。
    「もしかして、水が多過ぎたのでしょうか」
     高さ2メートルほどの低木から弱々しく垂れ下がった葉を触って、農家の男性がそうつぶやいた。葉は黄色く枯れている。
    「それとも、日差しが強過ぎたのでしょうか」

     タンザニア最大の都市ダルエスサラームから北に約60キロ。インド洋沿岸の小さな町バガモヨ近郊の畑で、その男性ラマダニ・ジュマはキャッサバを育てている。3月の雨の朝、幼い息子2人を連れて畑に出ると、ダルエスサラームのミコチェニ農業研究所から派遣された28歳の農業技術者デオグラティウス・マークと話し合った。問題は日差しでも雨でもないと、マークは説明した。原因は、肉眼では見えない小さな殺し屋、ウイルスだ。

     ウイルスは2種類あり、コナジラミという小さな害虫に媒介される。一つは葉を枯らすウイルス。もう一つは、食用にするイモを腐らせるキャッサバ褐条病のウイルスだ。収穫期まで感染に気づかないことが多く、壊滅的な被害をもたらす。ジュマがイモを掘り出して、くわで割ると、白い身の一部が茶色く腐っていた。

     収穫を1カ月繰り上げないと、被害が広がり、市場に出す分はおろか、家族で食べる分も確保できなくなる。キャッサバはどれくらい重要な作物ですかとジュマに尋ねてみると、こんな答えが返ってきた。「キャッサバがすべてだ」
    「私たちみたいな農家を助ける手立てはありますか?」

     タンザニアでは自給自足の小規模農家が労働人口の大半を占める。アフリカ全体では、家族経営の小規模農家が作物生産の9割を担い、キャッサバを主食とする人口は2億5000万人を超える。キャッサバはやせた土地でも育ち、熱波や干ばつにも耐える。コナジラミの病虫害さえなければ、21世紀のアフリカにとって最適な作物だ。しかし地球温暖化でコナジラミの生息域は広がり、ジュマの畑を襲ったウイルスはすでに東アフリカ全域に蔓延している。

     ジュマの隣人のシジャ・カゲムベにも話を聞いた。同様の被害に遭っている彼は、マークの説明を黙って聞いたあと、こう尋ねた。「私たちみたいな農家を助ける手立てはありますか?」
     この問いに答えることが、今世紀で最大の課題の一つになるだろう。

     20世紀後半、品種改良を軸とした「緑の革命」は小麦やコメの大幅な増産をもたらし、その当時に予見されていた食料危機を回避した。
     気候変動の影響で、途上国の小規模農家とその作物の消費者が大打撃を受けるおそれがある21世紀の今こそ、もう一度、新たな緑の革命を起こす必要がある。

    ※この続きは、ナショナル ジオグラフィック2014年10月号でどうぞ。
    編集者から

     異なる品種同士を交配し、苗を育て、有望な株を選ぶ作業をひたすら繰り返す、というのが品種改良に対する私のイメージでしたが、今はそれだけではないようですね。育種期間を短縮するために、苗のDNAを解析し、目的の遺伝子をもつ個体だけを選抜する方法もあることを、この特集で知りました。とはいえ、それが可能なのは、先人たちが長年蓄積してきた膨大な知識があるからこそ。本誌60~61ページのグラフィックがそれを物語っています。幾多の育種家たちの苦労を思いながら、今日もご飯をいただくことにします。
     来月号のシリーズ「90億人の食」は、豪華2本立て。「肉を食べること」と「食品廃棄物」について考えます。どうぞご期待ください。(編集T.F)

    白亜紀の王者スピノサウルス

    白亜紀の水辺に君臨した、巨大な肉食恐竜スピノサウルス。若き古生物学者の奮闘で新たな化石が見つかり、この恐竜をめぐる謎が解き明かされつつある。

    文=トム・ミューラー/写真=マイク・ヘットワー

     20世紀初頭の古生物学者で、ドイツ南部バイエルンの貴族エルンスト・シュトローマーの一行は、エジプト領内のサハラ砂漠へ何度か長い遠征を行った。

     そこでシュトローマーは恐竜、ワニ、カメ、魚など、およそ45の分類群にわたる化石を発見した。
     なかでも注目すべきは新種の恐竜だった。長さ1メートルの顎と円錐形の歯をもつ、巨大な肉食恐竜だ。背には高さ1.7メートルほどの大きな帆のようなものが、背骨から上方に長く伸びていた。シュトローマーはその生物を、スピノサウルスと名づけた。
    スピノサウルスは何を食べていたのか

     シュトローマーにとってスピノサウルスは生涯の謎だった。2体の部分骨格を見つけた彼は、この奇妙な生物を理解しようと何十年も苦闘した。脊椎から上へ長く伸びた骨は、バイソンの肩にあるような「こぶ」を支えていたと当初は考えたが、後にはカメレオンなどの背にみられるような、帆に似た突起の一部ではないかと推測するようになった。スピノサウルスの顎は、捕食恐竜にしては幅が狭い。また獣脚類の肉食恐竜の歯はほとんどが縁にギザギザの並ぶナイフ状だったのに対し、スピノサウルスはワニに似た、ギザギザのない円錐状の歯をしていた。この動物は「高度に特殊化」していたとシュトローマーは結論づけたが、それ以上は踏み込みようがなかった。

     スピノサウルスなど北アフリカ産の化石をめぐっては、「シュトローマーの謎」とも呼ばれるさらに大きなミステリーも存在する。古今を問わず、ほとんどの生態系では、草食動物は肉食動物よりもはるかに数が多い。ところが北アフリカの化石記録では、東はシュトローマーの発掘したエジプトから、西はモロッコのケムケム層に至るまで、正反対の状況にあるのだ。

     北アフリカには3種の巨大な肉食恐竜がいた。全長12メートルの機敏なバハリアサウルス、「アフリカのTレックス」ともいうべき全長12メートルのカルカロドントサウルス、そしておそらく最大のスピノサウルス。シュトローマーは、獲物となる大型の草食恐竜もいたはずだと考えた。だがその化石はあまり見つかっていない。この矛盾に対し、堆積の過程で異なる時代の化石が混ざってしまったとする説や、化石ハンターが高値のつく大型肉食恐竜を好んで探すせいだといった諸説が唱えられてきた。

     2008年、若手古生物学者のニザール・イブラヒムは思いがけない偶然から、スピノサウルスの新たな標本をモロッコで入手し、その後、苦労の末に正確な発見地もつきとめた。彼ならシュトローマーの謎に、より納得のいく答えを出せるはずだ。

    ※この続きは、ナショナル ジオグラフィック2014年10月号でどうぞ。
    編集者から

     Tレックスをもしのぐ巨体を誇ったという、肉食恐竜スピノサウルス。背中になぜか大きな帆をもつルックスは、かなり強烈なインパクトがあります。でもその姿以上に魅力を感じたのは、スピノサウルスをめぐるいくつもの物語でした。
     モロッコで手に入れた化石の意外な正体に気づいた古生物学者が、おぼろげな記憶を頼りに異国の街や発掘現場で化石ハンターを探し回る…まるで映画のような展開ではありませんか。100年前にエジプトで化石を見つけたシュトローマーの逸話は有名ですが、現代の「化石探偵」たちの仕事も、負けず劣らず夢とロマンに満ちています。
     骨の化石やさまざまな手がかりをつなぎ合わせ、パズルのように生態や食性を解き明かしていく過程にもわくわくしました。その成果は付録のポスターに、迫力満点のイラストで再現されていますので、ぜひご覧ください。(編集H.I)

    カフカスの山に抱かれて伝統守るグルジアの村

    カフカス山脈の高地で守り継がれるグルジアの伝統。石塔がそびえる村々には、中世から変わらぬ風景が広がり、人々は昔ながらの暮らしを続けている。

    文=ブルック・ラーマー/写真=アーロン・ヒューイ

     ヨーロッパとアジアのはざまに位置するグルジアは、アラブやモンゴル、ペルシャやオスマンなどの強大な帝国の進軍で、幾度も国土を荒らされた。
     だがカフカス山脈の谷あいに隠れるように延びるスバン人の土地は、19世紀半ばにロシア人が統治するまで征服されたことはなかった。その隔絶された環境が、民族の独自性と歴史的な価値をつくり上げた。
    世界遺産にもなったグルジア文化財の宝庫

     低地に住むグルジア人は危険が迫るたびに、聖像や宝石、写本などを、この高地の教会や塔に運んで保管した。その結果、スバネティ地方は古くから伝わるグルジア文化財の宝庫となった。スバン人は文化財保護の役目を重く受け止め、盗みを働く者は追放したり、呪いをかけたりした。

     要塞のような山奥の地で人々が守り抜いたものはまだある。低地に比べて長い歴史を誇る、自身の文化だ。紀元前1世紀頃までには、スバン人は勇猛な戦士として知れわたり、古代ローマ時代の地理学者ストラボンの文献にも登場する。キリスト教が伝来した紀元6世紀頃にはすでに、スバン文化は深く根づいていた。彼らは独自の言語や音楽、騎士道、そして詳細な慣習法をもっていた。

     スバネティ地方でも特に標高が高く隔絶された上スバネティには今なお、歌や弔い、祝祭の伝統を守り、とりわけ一族の名誉を重んじる人々が暮らしている。
    「スバネティは生きた民俗博物館です」と、ノルウェー人研究者のリチャード・ベルクは話す。彼は、書き言葉がほとんどないスバン語の保存に取り組んでいる。「中世ヨーロッパの慣習や儀式が実際に行われているのは、ここしかありません」

     そんな中世の世界が現代社会と出合ったらどうなるだろう。25年ほど前から、スバン人は数千人規模で低地へ移住している。貧困や対立、自然災害、そして犯罪集団から逃れるためだ。
     スバン人集落で最も高地にあるウシュグリ地区は1996年に世界遺産に登録されたものの、そこに続く唯一の道で犯罪が多発していたため、外から訪れる者はほとんどいなかった。だが、2004年に治安部隊が犯罪集団を撲滅し、今ではこの中世の山岳地帯を観光の目玉にする計画が進んでいる。

    ※この続きは、ナショナル ジオグラフィック2014年10月号でどうぞ。
    編集者から

     かつてロシアに征服され、ソビエト連邦の構成国となった国々には、実にさまざまな歴史があり、誇り高き民族が暮らしているのだと、この特集の舞台となったグルジアもまた教えてくれます。ウクライナ情勢が厳しくなっている今日この頃、こうした背景を知ることの大切さが、一層強く感じられます。ぜひご一読を。(編集H.O)

    雪不足が招く米国西部の干ばつ

    慢性的な水不足に悩まされる米国西部。重要な水源である山地の雪が減少しているのだ。広大な農地と都市を支える水を確保する方法はあるのか?

    文=ミシェル・ナイハウス/写真=ピーター・エシック

     今年の日本列島は豪雨に見舞われたが、米国西部は慢性的な水不足に悩まされている。重要な水源である山地の雪が減少する傾向にあるのだ。
    雪解け水に支えられてきたカリフォルニアの農業

     米国カリフォルニア州に広がるセントラル・バレーには農業に適した条件がそろっていた。肥沃な土壌と温暖な気候に恵まれ、コメやアスパラガス、ザクロ、オレンジなど300種類以上の作物がよく育った。アーモンドやオリーブ、クルミに至っては、米国内の生産量のほぼすべてを占める。

     このセントラル・バレーで農業をするには、とにかくお金がかかる。農地に水を引き込む灌漑設備が必要だし、不作で収入のない年にも備えなくてはならない。水利権をめぐる裁判や政治的な争いも日常茶飯事だ。農家の人たちはそうした争いで大金を得たり失ったりしながら、数百ヘクタールの土地を耕し、毎年作物を収穫して結構な売り上げを手にしてきた。

     だが今後は、そうした運任せなやり方はもう通用しないだろう。
     米国西部の水の供給源は、実は冬の雪だ。太平洋から吹き寄せる寒波が山脈に大量の雪を降らせ、山に積もった雪塊が西部地域の貯水塔となる。

     春の雪解け水を活用するため、川に何百ものダムが建設されてきた。そのためコロラド川の水がカリフォルニア湾に流れ込むことはほとんどなく、かつて緑豊かだったデルタ地帯も、今は泥地が広がるばかりだ。サケをはじめとする魚も姿を消しつつある。ヨセミテ渓谷に匹敵するほど美しいといわれたヘッチ・ヘッチー渓谷は、サンフランシスコへ水を供給するため、1923年にダムの底に沈んだ。
    気候変動と向き合う

     気候変動によって米国の南西部では降水量が減り、北西部では増えるといわれているが、セントラル・バレーに関しては明確な予測がない。だが問題は、どれほどの雪が降り、雪塊がどれだけ長く山にとどまるかだ。豪雪の年もたまにあるとはいえ、西部の雪塊はここ何十年か減少傾向にあり、しかもその勢いは加速するとみられている。

    「暖冬が増えることで山の積雪量が減り、春の雪解けの時期も早まっています」と、オレゴン州気候変動研究所のフィリップ・モート所長は話す。
     雪塊の縮小と早すぎる雪解けは、干ばつが長引き、深刻さを増すことを意味する。水を確保するために、何かできることはあるのだろうか。

    ※この続きは、ナショナル ジオグラフィック2014年10月号でどうぞ。
    編集者から

     ミネラルウォーター「クリスタルガイザー」を、みなさんも一度は飲んだことがあるのでは? その源泉は、まさに今回取り上げた米国西部のシャスタ山にあります。西部の農家の人々が農業用水を確保している川の一つ、サクラメント川にも、シャスタ山の雪解け水が流れ込んでいます。数あるミネラルウォーターのなかでも、私が今一番飲みやすいと感じているのがクリスタルガイザーなのですが、米国西部の状況を知った後では、感謝の気持ちを抱かずには飲めません……。(編集M.N)

    原発事故の現場を訪ねる チェルノブイリ見学ツアー

    チェルノブイリ原子力発電所の事故から28年。人が住まなくなり、朽ち果てた立入禁止区域が今、観光客に公開されている。

    文=ジョージ・ジョンソン/写真=ゲアード・ルドウィッグ

     1986年4月26日、世界最悪の事故を起こしたチェルノブイリ原子力発電所。2011年、その周辺地域を訪ねる見学ツアーが公に始まった。よりによって福島の原発事故が起きたこの時期に重なってしまったが、私はこのツアーに興味をもち、申し込んだ。約5万人の住民が去っていったプリピャチの街や周辺の集落の現状を見てみたいと思ったのだ。

     人の心の奥底には、惨劇が起きた場所を見てみたいという欲求が潜んでいる。火山の噴火にのまれたポンペイ、南北戦争の激戦地アンティータム、強制収容所のアウシュビッツ。いずれも今は不気味な静寂に包まれている。そして21世紀に入った今、私たち人間は原発事故の爪跡に恐れを抱きながらも引きつけられている。

     ツアーに参加した人々の動機はさまざまだ。私が最も興味をそそられたのは、モスクワから参加したアナという若い女性だった。チェルノブイリを訪れるのは3度目で、年内に予定された5日間のツアーにもすでに申し込んだという。「放置され、朽ち果てていく場所に魅力を感じるんです」とアナは言う。
    無人の立入禁止区域は動植物の楽園

     バスの車中では、ガイドが2日間のツアー中の注意事項をもう一度繰り返した。高濃度の放射性物質を含むキノコ類には触らないこと。戸外で物を食べたりタバコを吸ったりして、放射線を発する物質を体内に取り込まないこと。

     ウクライナ共和国の首都キエフから100キロほど離れたチェルノブイリ原発周辺の立入禁止区域には、外界から遮断された大自然が広がっていた。事故から28年の間に、ほとんど人の住まなくなった一帯には、バイソンやイノシシ、ヘラジカ、オオカミ、ビーバー、ハヤブサなどの野生動物がすみついている。ゴーストタウンと化したプリピャチでは、人の住まなくなったソ連時代の集合住宅の屋上にタカが巣を作っていた。

    ※この続きは、ナショナル ジオグラフィック2014年10月号でどうぞ。
    編集者から

    「チェルノブイリ見学ツアー」をネットで検索すると、案内するWebページがいくつかヒットします。旅行会社によって期間や料金に幅があるようですが、あるツアーでは約10万円でチェルノブイリのほか、周辺の町や村を回ります。1日のツアーとしては破格の料金ですが、内容を考えれば行きたい人にとっては出せない金額ではないでしょう。福島を身近にもつ私たちからすると複雑な思いもかき立てられますが、この地域が人類史に残る、巨大なモニュメントとして記憶されていくことは間違いありません。今、悲劇の現場がどうなっているのか。誌面を通じて少しでも感じていただければと思います。(編集N.O)

  • 1964年に東京オリンピックが行われた頃は、畳にカーペットを敷いて、洋風団地が憧れだったそうだ。いい時代だったのかな。

  • 95年4月創刊 毎月複数のテーマに沿って特集を組み、写真とデータで分かりやすく紹介している。関連図書も多数あるので、より深く知りたいときには便利だと思う。

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