突然炎のごとく〔フランソワ・トリュフォー監督傑作選9〕 [DVD]

監督 : フランソワ・トリュフォー 
出演 : ジャンヌ・モロー  オスカー・ウェルナー  アンリ・セール 
  • 日本ヘラルド映画(PCH)
3.64
  • (14)
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本棚登録 : 138
感想 : 24
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4988132706389

感想・レビュー・書評

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  • 没後30年ということなので、彼の代表作の一つを観てみました。こどもの頃に読んだ漫画『巨人の星』にこの映画が引用されていて、いつか観てみたいなあと思っていてたのですが、やっと鑑賞できました。

    1961年フランス映画。監督はフランソワ・トリュフォーで脚本も携わっています。原題は『ジュールとジム』で、特典映像の監督インタビューによると、評論家だった時分に古本屋で本書を掘り出し、その後、原作者のアンリ=ピエール・ロシェと連絡を取り合うようになって映画化を目指したとのことです。
    主演は自由気ままな女性像を熱演したジャンヌ・モローです。そのジャンヌ・モロー役のカトリーヌを追い求めた男性ジュールとジム役は、オスカー・ウェルナーとアンリ・セールです。オスカー・ウェルナーはどこかで見た顔だなあと思っていたら、『刑事コロンボ ビデオテープの証言』の犯人役だった人ですね。あと、ジュールの恋人ジルベルト役のヴァンナ・ウルビーノは美人でした。(笑)

    オーストリア人のジュールとフランス人のジムは相棒であった。そして出会ったのがカトリーヌ。ジムにはすでにジルベルトという恋人がいて、カトリーヌはジュールの方と付き合うようになる。そして、婚約。ところが、第一次世界大戦が勃発しジュールとジムは徴兵され互いを敵国として戦うことに。そして、終戦。ジムはジュールとカトリーヌのいるオーストリアの山小屋に向かうのであったが・・・。

    相変わらず女性を美しく撮るトリュフォー監督です。ジャンヌ・モローの多様な表情や仕草を魅力いっぱいに取り込んでいますね。無表情だとおばさん顔なジャンヌ・モローですが(笑)、これでもかと彼女の魅力を爆発させています。あの楽しげに歌っている姿も良いですね~。このところ笑わないジャンヌ・モローの映画ばかり観ていましたが(笑)、実は大きく笑う表情が素敵な女優さんだったんですねー。(笑)
    本作の主題ですが、やはり当時の潮流である女性解放や自由恋愛、フリーセックスを真正面から描いたものといえるでしょうね。ジュールという夫とは別に、自由気儘に愛を語り、セックスするカトリーヌ。そして、相手にはあのジムも。ジルベルトがいながら真面目にカトリーヌを愛そうとするジムに、自由奔放でありながら常にジュールを気に掛けるカトリーヌ、そして複雑な想いを抱き続けるジュール。この3人の揺れる想いをトリュフォー監督は様々な映画技法を駆使しながら、ともすれば暗くなりがちなこの関係を逆にドライでスマートっぽく描いていたのが印象的でした。一見、素人映画のように感じる演出もそんなわけでわざとなんでしょうね。(笑)なぜかカトリーヌに吸い寄せられる男どもなんですが、このジャンヌ・モローなら納得ですね。ラストは救いがなさそうで、実は大いに救われた形となっていて、「自由」に対する皮肉な結末なのもとても印象的でした。
    この作品へは様々なオマージュが捧げられているようで、もっと早く観れば良かったな。

  • 90点。61年のF・トリュフォー作品。ジャンヌ・モロー演じるカトリーヌの奔放さに性や愛の自由を見るのではなく、むしろ愛の不自由さを前提にするからこそカトリーヌの奔放で開放的なキャラクターがあるのだと感じた。
    Wikipediaによると女性映画としてフェミっぽい人たちにウケた。みたいなことが書いてあったが、暗黙の前提から自由になるというような政治的文脈で解釈するよりは、むしろ前提を受け入れつつ不自由さの暗黙の前提を明らかにしようという再帰的なアプローチなんだと考えた方がしっくりくる。
    何が言いたいかって、美人は何やっても赦されるってことです。

  • 流石ヌーベルヴァーグ。
    刹那的で小洒落てて美しい。
    モノクロっていいよね。

  • (1961年作品)

  • ジュール役のオスカー・ウェルナーがデニス・ホッパーにそっくりで驚きというか、この人の出てるやつもっと観たいなと(華氏451は未視聴)。

    カトリーヌは魅力的だが、こういう女性像に憧れて悲惨なことになってしまった人は多そう。

    ゴダールが影響受けて気狂いピエロを作ったみたいな記述がwikiにあったが、気狂いピエロより はなればなれに を思い出したな。

    トリュフォー29歳か。

  • 三角関係!

  • トリュフォーの映画は、以前彼の作品が好きな友達に
    BOXを借りてドワネル君シリーズ(?)を観たことがあるくらいです
    なんつうかカルチャーショックみたいな感じだったのを覚えています
    でてくる人たちが当然のようにセルフィッシュなことに...

    この映画が観たかったのは
    いわゆるジャケ借りってやつです

    モノトーンの写真にオレンジのロゴがかわいいなと思っていて
    ずっと前から気になっていたからです

    観てみて、感じたのは
    ドワネル君シリーズの時のようなショックな感じと
    それから、文学者の男子たちが思慮深いのか浅はかなのかどっちでもあるような気がして不思議だったのと
    それからお国柄なのか時代性なのか
    彼らが現代日本の同世代に比べると大人だなあと思ったところかな

    とんとんと話が進んでいくスピード感と
    ナレーションとが馴染みが無い感じなので慣れないけど逆に新鮮だったな

    ジャンヌモローが王女であって
    それを男二人が王女として受け入れたのさ
    って自覚していて面白かった
    途中でオチは見えてしまったけど

    不思議な三角関係だけれど
    割り切っているというか、受け入れているところが何だか新しいなあ

    約半世紀前の映画だけども
    カトリーヌが男装したのも
    故にファムファタールな感じも

    うん
    かっこいいのかも

    映像の切りかわりの感じとかが好き

    あと、『アメリ』のあの虫のキスシーンが観れた!!




    (1961/JULES ET JIM)

  • 邦題の意味不明。
    ちょうど第一次大戦の頃だから、100年近く前の話ということになる。
    ちっとも古くないというのが不思議。

    二人の男と一人の女の純粋な愛の物語。男は女が好き。でも女が愛せる男は一度に独りきり。
    その穴を埋めるかのように、彼女の愛は長続きせず、次々と相手を取り替えていく。
    彼女が通り過ぎていく一瞬、男は誰よりも幸福になる。彼女が行ってしまった後、身悶えするほどの苦しみが訪れる。
    ファム・ファタール、カトリーヌに魅入られた男ジュール。一度は彼女に溺れながらも、脱出することができた男ジム。

    確かにこれはジャンヌ・モローあっての映画。でもB.B.でも行けたかも知れんと思ってしまう。
    谷崎のナオミみたいな感じ。可愛い女である。
    この手の女がいたら、もちろん惚れてしまうのは間違いない。思いつめたその気持から逃れるためには相当の歳月ときっかけが必要だ。
    その間ずっと上がったり下がったりが繰り返されるのである。ああ、面倒くさい。
    そんな映画である。
    トリュフォー監督だし、ヌーヴェルヴァーグだし、あまり深く考えずに、語られるがまま受け入れて、彼らの葛藤の物語を楽しむが吉。原題もそうなっているし。

    でもそれは男目線での話であって、本当に可哀想なのはカトリーヌ自身なのである。自ら主導権を握れなくなった時、彼女の心は逃げ場所がなくなり、渦を巻いて壊れていく。
    あの状況で彼女の心を救う方法はあったのだろうか。
    分からない。
    そう考えると救いの無い結末で、男と女の「愛」に対する肌感覚の違いを描きたかったのかも知れんと思ってしまう。

  • 淀川長治曰く、「トリュフォーの絹糸さながらの恋の糸の美しさと、その糸のあやうさを映画詩を歌うように描きました。秋の雨のごとき映画でトリュフォーの名作です」。本当にその通り。

    秋雨なので、嫌いな人は嫌いかも。3人がもつれる恋は、やはりジャンヌモローの美しさと相まって、トリュフォーが美女を撮ることの快感が画面から伝わる。

    流れるようなトリュフォーのナレーションがすごい。

    【ストーリー】
     オーストリアの青年ジュール(オスカー・ヴェルナー)はフランス青年のジム(アンリ・セール)と知り合い、友達になった。2人とも詩や小説を書いている文学青年だった。
     2人はある時、幻燈を見て、アドリア海の島にある美術公園の女の顔に魅了された。それからしばらくして、2人はカトリーヌ(ジャンヌ・モロー)という女と知り合い、胸をときめかせた。
     彼女は島の彫像の女と瓜ふたつだったからだ。ジュールは彼女との結婚を熱望して求婚し、2人はパリの同じアパートに住んだ。 ジムは出版社と契約ができて作家生活の第1歩をふみ出しだ。
     3人で芝居見物に行った帰り、ジュールが芝居の議論に熱中すると、カトリーヌは突然セーヌ河に飛び込んだりして2人を慌てさせた。
     やがて第一次世界大戦が始まり、ジュールとジムはそれぞれの祖国の軍人として戦線へ行ったが、ともに生きて祖国へ帰った。
     歳月は流れる。ライン河上流の田舎に住む山小屋にジムは招待された。
     その頃、ジュールとカトリーヌの間には6つになる娘もいたが、2人の間は冷えきっていた。ジュールはジムに彼女と結婚してくれと頼むのだったが、自分も側に置いてもらうという条件だった。3人の奇妙な共同生活が始まった。
     カトリーヌには、ほかにも男がいた。ジムは瞬間しか人を愛せない彼女に絶望し、パリへ帰って昔の愛人とヨリを戻した。
     数ヶ月後、カトリーヌは自分の運転する車にジムを乗せて疾走させ、壊れた橋から転落して行った。ジュールは2つの棺を火葬場に運ばせた。これでカトリーヌは永遠にジュールのものとなった。
     アンリ・ピエール・ロシェの小説『ジュールとジム』を、ジャン・グリュオーと「ピアニストを撃て」のフランソワ・トリュフォーが脚色、演出した愛の形態を描いた。
     撮影は「女と男のいる舗道」のラウール・クタール、音楽はジョルジュ・ドルリューが担当した。製作はマルセル・ベルベール。出演者は「勝利者」のジャンヌ・モロー、他にオスカー・ヴェルナー、アンリ・セール、マリー・デュボア、ヴァンナ・ユルビノ等。

  • 今まで見たトリュフォーの作品の中で一番映像がキマってた。

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著者プロフィール

フランソワ・トリュフォー(François Truffaut)
1932年、パリに生まれる。1984年、ガンのため死去。映画評論家を経て映画監督に。映画作品に『大人は判ってくれない』『突然炎のごとく』『恋のエチュード』『終電車』『隣の女』『日曜日が待ち遠しい!』など。著作に『映画術 ヒッチコック/トリュフォー』『子供たちの時間』『ある映画の物語』など。

「2020年 『文庫 ある映画の物語』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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