トニー滝谷 プレミアム・エディション [DVD]

監督 : 市川準 
出演 : イッセー尾形  宮沢りえ  西島秀俊  篠原孝文  四方堂亘  谷田川さほ  小山田サユリ 
  • ジェネオン エンタテインメント
3.85
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4988102122034

感想・レビュー・書評

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  • 2004年公開。


    まさに村上春樹の小説に流れる
    不可思議な「匂い」を閉じ込めた、
    詩的で静謐な
    セピア色の映像美。


    光と影の巧みな使い方。

    静と動のコントラストの妙。


    坂本龍一による
    水の中を漂うかのような浮遊感ある
    幻想的なピアノの調べ。


    俳優・西島秀俊による
    感情を削ぎ落としたナレーション。
    (いや、この人読む仕事も上手い!)


    いやはや
    今まで見落としていたのが悔やまれるくらい
    素晴らしい作品。




    幼い頃から孤独を好む性質だった
    イラストレーターのトニー滝谷。

    やがて服を着るために生まれてきた女性に心奪われ
    晴れて結婚するが、
    孤独でなくなったことによって
    次にいつか来る孤独を
    終始怖れるようになるトニー。


    すべてを完璧にこなす妻だったが、
    あまりにも多くの服を買いすぎる妻に
    いつしかトニーは
    一抹の不安を抱いていく…。



    トニー滝谷を演じた
    イッセー尾形は
    コメディアンとしての顔しか知らなかったので
    そのナチュラルな佇まいと
    語り口の上手さにビックリ。

    そして一人二役で
    買い物依存症を止められない妻の葛藤と
    孤独を抱えるアルバイト女性を演じた宮沢りえが

    村上春樹の小説の中から
    そのまんま出てきたかのような儚い美しさで、
    ため息が出るほど。
    (洋服の着こなしも必見)



    主人公トニーの
    拭っても拭いきれない孤独(喪失感)。

    自由であるがゆえの
    トニーの父親の孤独。

    服を買うことでしか埋められない
    妻が抱える孤独。


    そして妻が所有する大量の高価な服の前で
    突然涙する
    アルバイト女性の孤独。


    75分という短編の中に込められた
    それぞれの孤独が、
    ヒリヒリと胸を刺します。



    ものうさと甘さが
    胸から離れない不可思議な感情を
    フランソワーズ・サガンは
    「悲しみ」と呼んでいたけど、

    そんな悲しみや
    都会の中にある孤独感が
    夢見るように美しい映像を通して
    匂いたつような作品です。



    雨降る夜に
    一人でじっくり観るのにオススメです。
    (市川準監督らしい実験的な作風で
    小説の世界観そのままなので、村上春樹がダメな人にはちょっとツラいかな笑)

  • 藤子不二雄A「まんが道」に熱中→「トキワ荘の青春」の映画を鑑賞、
    とある私的理由で村上春樹映画を集中的に見ようと決意→本作、
    とたまたま市川準づいているが、そもそも「大阪物語」に貫かれた10代のころ注目すべきだったのだ。と反省。

    ・原作は、短編集としてざっと読んだつもりはあるのだが、なにぶん20年近く前。あまり憶えてなかったので、鑑賞後に再読?してみた。
    ・先日「村上Tー僕の愛したTシャツたち」という本が出た。たぶん都築響一「捨てられないTシャツ」の二番煎じだと思うが。「雑文集」でも言及されていたが、「TONY TAKITANI」とプリントされた1ドルのTシャツからこの原作は着想された、とのこと(のちに選挙運動のためのものだったと判明)。
    ・開幕。レースのような、タイトルロゴの文字デザインが素敵。
    ・坂本龍一の、ミニマルな・抒情的な・繰り返しが切なくなる、ピアノ曲が、よい。かなりよい。

    ・「春樹的味わい」たる「僕的」モノローグ……実写になると途端に「春樹的臭み」になるが、本作では大部分ナレーションを踏襲している。
    ・が、捻りあり。そもそも一人称が僕ではなく、三人称なので地の文はナレーションなのだが、
    ・西島秀俊のボソボソ声のナレーションから、イッセー尾形や宮沢りえの台詞へとシームレス?に繋がる。しかも相手の台詞を代弁したり、ナレーションを奪ったり、という面白さ。ナレーションとモノローグが融合していくというのか……。ナレーションやや過多なので劇映画の法則に逆らっているが、実験映像的潔さもある。

    ・また、ある場面が終わりそうなときにカメラは向かって右方向にスーッと横移動する。すると部屋が移り変わるように、あるいは次の写真が映し出されるように、次の場面へ。
    ・これ、メイキングを映画化した「晴れた家」を見ればまざまざと判るが、(以下wikipediaを引用)予算が少なくてスタジオの中にセットが組めず、横浜の広大な空き地にセットを組み立てて撮影された。セットは台の上に立てるだけで天井もなく、ガラス窓もない素抜けだったため、スタッフは騒音や風などに苦労したが、市川は「風が通り抜ける映画にしよう」と言ったという。(引用終わり)
    ・いわば丘の上にオープンセットが設営されたので、自然光を取り入れる、というていで、ドアやら窓やら天窓やら、夜景がもろに映ったり、したのだ。不思議に空が広いなーと思っていたが、そういう事情があったわけだ。
    ・クリーム色っぽい色調が印象深いが、カラーコーディネートも隅々まで行き届いている。このトーンが、全体のバランスと調和している。

    ・役者について。イッセー尾形は「太陽」で昭和天皇を演じていたのが印象的。
    ・本作では、まずデカダンな父親を演じることで現れ、(子役が少年期を演じたのを見届けるや)大学生当時のロンゲとして現れ、さすがにジジムサすぎ……と思うが、すぐに壮年になって一安心。
    ・とはいえ青年期はカットできなかったはずだ。春樹にとって学生運動は、直截な言及が避けられるぶん内攻した思いがあるからだ。
    ・それをこの映画では、学生運動の攻撃的デモの中を、決して逆行するわけではないがどこか屈折した表情で歩む方向を共にし、しかし歩みを交えることはないまま、個的世界へ這入り込む……大島渚「愛のコリーダ」(女ものを着物を羽織って、軍隊の行進に逆行して、安部定のもとへ歩む石田吉蔵)をそこはかとなく連想。

    ・宮沢りえも、二役。しかし、本当に二役でよかったのか……?
    ・イッセー尾形は、まあ、父と息子を演じていることは、明らかにわかる。が、ちゃんと見れば、妻事故死→アルバイトに応募してきた女は別人、という寸法は、まあわかる。
    ・が、ここまで似ていて、トニーが目を瞠って別の意義を感じないというのは……どうか。
    ・まあ、尾形の二役と宮沢の二役が並列しているのが意義あることだとはわかるが。
    ・とはいえ、宮沢りえのキュートさ爆裂。ここだけで映画の格は十分。
    ・声や、喋り方や、真顔で洗車していたがトニーに気づいたときのお道化た仕草とか笑顔とか。また足を切り取ったカットの連続や、ハイヒールの音や。
    ・服キチの、服でしか埋められぬ空虚を、あらかじめ抱えた存在として……。
    ・そして二代目……というか、アシスタントとして応募してきた久子の、オードリー・ヘプバーンみたいに短く切りそろえた前髪。視聴者萌えを的確に。くそう。
    ・ポスターの顔が素敵だが、内面は実は、「コイツ何言ってんだ……?」というポカン顔なのだ。これもまた、いい。

    ・つい宮沢りえのことばかり書き連ねてしまったが、それだけ宮沢りえの存在感がすごかったということだ。
    ・ラストは、原作とは異なる。久子帰宅直前、大家さんが「手袋あげようかー?」「どっちでもいいでーす。要らないくらいでーす」という、結構強烈な言葉を、いかにも軽げに放つ……原作にないここに、宮沢りえの魅力を見た。実はこの場面で電話がトゥルルと受信しているが、かけているのはトニー、履歴書を焼きかけて慌てて取り上げたのだ。そう原作を改変させるほどの、宮沢りえの存在感たるや。
    ・少し遡るが、父の中国の独房と、トニーのがらんとした衣装部屋を対比し、孤独とは独房のようなものだ……と西島に語らせるが、そんなナレーションの重さを、軽々ひっくり返す女優のコケティッシュというか……。

    ・ところで、孤独に満ち足りていたのに、愛を知ったせいで失ったときの孤独に怯える、という図は、リード・モラーノ監督「孤独なふりした世界で」(ピーター・ディンクレイジ、エル・ファニング)を連想。
    ・75分という尺が面白い。というか、商業映画に適しているかどうかはわからないが、作品としては適切なサイズ。

  • えがお泣き顔

    満たされた幸せな生活は恐怖である
    永遠には続かないから

    幸せも不幸せも自身の受け取り方で度合いが変わる
    他人の目はその他の自身の受け取った感情でしかないし
    一般的と言われてもよく分からない
    トニー自身もどっちが幸せで不幸せだったのか
    「やはり君はつまらない人だ」という奴がいる
    どちらも変わりないのかもしれない
    確かに温もりのある暖かい家庭もいい
    クソ真面目でクスリとも笑わない一家だって安定していれば「幸せ」と感じる人もいるだろう
    笑うことが「人」なのか
    真面目が「人」らしいのか
    多分その両方なのだと思う
    孤独にいたっては最初からひとりぼっちならまだ辛くはない
    彼のように経験してしまうと後の孤独は地獄だ
    温もりを忘れられなくなり求めるようになる
    機械ではなく思い悩む「人」になったのではなかろうか

  • 空気と音楽が素晴らしい。
    時々流れる風が、
    潮の香りを放っているような感覚に陥る。

    小説を読んでいるような、作品。

    何処までも春樹ワールドなのに、
    独立した作品として非常に良く出来ている。

    孤独の牢獄。



    実に久しぶりにアマプラで鑑賞。

    画像が荒く、古くなって、
    より味わい深くなっていた。
    そしてナレーションは西島秀俊だったのね。

    それにしても哀しみの表現として、
    あの空っぽな部屋が心に迫って、
    終わる頃には涙が止まらなかった。

  • 孤独な人生を歩んで来た男と、洋服を買わずにいられない強迫観念に囚われる女。そんな夫婦の姿を描いた村上春樹原作を映画化した作品。イッセー尾形と宮沢りえが二人の儚さを好演。西島秀俊によるナレーションで、どこか小説を読んでいるかのような錯覚に陥る。

  • 静かにしっとりと映像がたゆたう。
    ナレーションを時に登場人物が話すという試みがなされている。
    西島秀俊の語りがいい。
    イッセー尾形のインパクトはすごかった。あんなに暗い陰のある表情は見たことがない。お酒をグラスに注ぐシーンがさりげなく格好良くてなかなかどうして印象的。

    物語のエンドクレジット、人の根底から湧きあがってくるような坂本龍一のメロディーに心が全部持っていかれる。でも、残った感情に名前を付けられないでいる。付けられないのが本当なのかも知れない。

    (20121223)

  • ただただ単純に我慢ができなかった。

    村上春樹という人物の作品に抵抗があった当時の私。
    なんとなく彼の本との間には踏み込みずらい距離があった。
    そんな中での初、村上春樹作品、村上ワールド。
    「トニー滝谷」


    流れるような文章に胸に響く言葉の欠片
    目まぐるしいスピード。
    一人の男の人生がまるで自分の人生かのように、
    淡々と流れていく。
    孤独とは、死とは、人生とは、本能とは…。

    素晴らしいの一言に尽きる作品だった。

  • 村上春樹原作の映画化は多数あるけど、こらは原作の雰囲気にかなり近いんじゃないだろうか。
    出演者がイッセー尾形にしても宮沢りえにしても春樹ワールドに合ってるしナレーションの西島秀俊の声がまた合ってる。
    不思議なもの物語でドライブ・マイ・カーのように妻は突然死んじゃう(こっちは自分の不注意による交通事故)
    買い物依存症のように洋服を買いまくる妻、どこも高級服店で洋服を選んでる宮沢りえの足だけを映すカメラ。
    印象的なシーンだった。
    坂本龍一の音楽もよかった。
    この短編「レキシントンの幽霊」に収録されてるよう。
    もう一度読んでみたくなった。

    2004年 75分 WOWOW
    監督 : 市川準
    原作:村上春樹
    出演 : イッセー尾形 宮沢りえ 西島秀俊 篠原孝文 四方堂亘 谷田川さほ 小山田サユリ

    あなたをいまでも、愛しい。

  • Metrographでの追悼企画を通して本作に巡り会えたのははや数ヶ月前のこと。鑑賞後すぐに感想を残さずにサボっていたら、その夏のJapan Societyでの映画祭「JAPAN CUTS」において不意打ちを食らってしまった。それはどういった状況だったかというと…

    この映画祭で坂本龍一追悼作品として含まれていた作品、「Tokyo melody: un film sur Ryuichi Sakamoto」(1985) が上映された場でのこと。この作品はそもそもがフランスのTV番組用に撮られたもので、今回の上映は監督自身が所蔵していた16mmプリントを蔵出ししてもらう格好で実現した貴重な機会であったのだが、その上映前の席において隣席の人たちと坂本龍一について会話している際、右側に座るアジア系の若者が「僕は『トニー滝谷』を観て坂本龍一の世界に引き込まれたんです。」という発言にコンコン…と額を小突かれてしまった。

    世代的にYMOは生で体験しておらず、おそらく「戦場のメリークリスマス」でさえもまだ鑑賞していないのではないかと疑われる若きアメリカ育ちの青年がそう発言した瞬間、自分の中に「しまった…」という感覚が通り過ぎた感覚があった。ぼんやりイッセー尾形と宮沢りえの流れるような演技に流されてしまっていた自分は、その背後に流れるメロディーに対しての注意が足りなかったようで、やはり映画を観るときの右脳の開き具合が足りないのではないかと改めて痛感させられてしまったのだ。

    で、原作が村上春樹であったことはあとになって知ることに。ぜひこちらにも手を伸ばした上で、右脳をがばっと開き、かの青年が感じた感動に近いものを得られないかと再鑑賞に挑んでみたい。

  • 孤独だった人が孤独でなくなり、再び孤独になるとそれは以前の孤独よりももっと深いものになる。
    透明感のある世界観と色彩だけれど閉じてる。どこか薄暗くて、ここだけで完結している空気。
    生活しているけれど生活感が無いのが村上春樹っぽかったです。ボウルいっぱいのサラダをトニー滝谷が食べているところも。

    静かに進んでいくお話でした。
    宮沢りえさん儚い美しさだしイッセー尾形さんの自分の世界が確立されてるところも良かったです。
    西島秀俊さんの感情入れないナレーションも、坂本龍一さんのピアノもこの世界にぴったりでした。

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