ハウルの動く城 [DVD]

監督 : 宮崎駿 
  • ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント (2012年3月10日発売)
3.71
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本棚登録 : 5460
感想 : 822
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4959241980762

感想・レビュー・書評

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  • 金曜ロードショーの録画です(^^)。
    何回か中途半端に観ているので観るたびに発見があります。
    「ハウルの動く城」には気になるところが沢山あります。
    案山子がお伴になっていて、「オズの魔法使い」っぽいところ。荒れ地で最初にソフィーがハウルの動く城を見つけた時の粗大ゴミで膨れ上がったような形の城の姿。ハウルがなぜはじめからソフィーを愛してくれたのかという
    疑問。ソフィーはどうして“おばあちゃん”になった“荒れ地の魔女”にあんなに優しかったのかということ。もちろん、ソフィーがおばあちゃんになったり若返ったりすることやハウルがカラスのように醜い魔法使いになったり、掃除の出来ない王子のようになったりすることや扉を開けるたびに景色が変わるハウルの城のことなど、不思議なことは沢山あり、その暗示することを考えるのは楽しいのです。が、意味が分からなくても第一次世界大戦前頃(?)のドイツあたりの戦争の影が濃くなり始めている中にも戦前の文化の香りが漂う街の雰囲気やサウンドトラックを楽しんだり、所々色が残る灰色の街と“荒れ地”という場所設定がロマンチックであったり、ハウルがカルシファーの火で焼くベーコンエッグが忘れられないくらい美味しそうだったりと楽しみ方は色々あります。
    勿論、魔法使いに操られて戦闘機の発する武器のようになっていく人間の魂への警告もあると思います。
    「ハウルの動く城」を観ているとファンタジーとか魔法とかは、“嘘”では無いんだ、世界には現在と過去と未来の時空の交わる所、幻想と夢と現実の交わるところがあって、今自分達が“現実”だと思っていることは、たまたま自分たちに見えている世界なのだと思えてきます。
    近代小説におとぎ話のエッセンスをギュッと詰め込んだような、大人にも面白いアニメ映画だと思います。

  • <ストーリー> (Amazonより)
    町を離れ荒れ地に向かう一人の少女。名前はソフィー年は18才。だが、その姿形はまるで90才の老婆だった。長女として亡き父の残した帽子屋を一人で切り盛りしてきたソフィー。だがそれは、決して彼女の望んだ生き方ではなかった。
    ある日出征兵士でにぎわう町中でソフィーは兵隊にからまれる。その窮地に助けをさしのべたのは通りすがりの美青年。青年は不思議な力でそのまま空へと舞い上がり、ソフィーを束の間の空中散歩にいざなうのであった。夢のような出来事に心奪われるソフィー。しかしその夜、ソフィーは、店を訪れた荒地の魔女に呪いをかけられ、90才のおばあちゃんに姿を変えられてしまう。このままではいられない!意を決して荷物をまとめて荒れ地を目指すソフィー。夕暮れに迫る荒れ地を歩いていると、その向こうから、目の前に奇怪な形をした「ハウルの動く城」が姿を現したのであった……。






    原作本を読み始めていたので 同じタイミングで映画も久しぶりに見返してみました。
    何度見てもカルシファーとマルクルがとても可愛いです。
    木村くんのハウルもイメージととてもマッチしている吹き替えだなぁと再確認♪

  • 魔法と科学が混在する世界のとある国。愛国主義が全盛を誇り、いよいよ戦争が目前に迫っていた。
    父の遺した帽子店を切り盛りする18歳の少女ソフィーは、ある日町で美貌の青年と出会う。
    彼こそは人々が怖れる悪名高い魔法使いハウルだったのだが、ソフィーは彼の優しさに心奪われる。
    だがその夜、彼女は荒地の魔女に呪いをかけられ90歳の老婆にされてしまうのだった。
    本当のことが言えずに家を出たソフィーは、人里離れた荒地をさまよい、やがてハウルが暮らす動く大きな城に潜り込み、住み込みの家政婦として働き始めるのだった…。
    ソフィーは父親から譲り受けた帽子屋を長女だからという義務感で続け、自分の容姿にも自信のない受け身な女の子、そんな彼女がハウルに恋をして守ろうと一心不乱に行動するうちに自分の中に秘めた芯の強さを発揮して成長していく物語と、ハウルとソフィーのストレートなラブストーリーとしてもソフィーを中心に疑似家族的な絆で結ばれていくホームドラマとしても魔法バトルも、見応えのある傑作アニメです。キムタク、倍賞千惠子、美輪明宏、神木隆之介などの演技も、はまっていて見事だし、ユーモアたっぷりな傑作アニメです。

  • 製作記によれば、だいたい興行で稼げる夏に公開できなかった。駿としては初めての公開延期だったんだとか。
    11月20日に公開され、夏ほど稼げるかと危ぶまれたが、かなりいい部類だったんだとか。
    そう。大学2年生の私は、友人Iと、Iが狙うMさんと、そして私が恋慕するXさんと、いわゆるダブルデートで劇場に行ったのだ。
    男、女、男、女、と並び、私はポップコーンをXさんに差し出しながら鑑賞。
    その夜はIの部屋で鍋を囲んだ。(だから冬!)
    翌日Xさんからは避けられた……という。嗚呼くだらない回想記。
    回想記ついでに。
    初めて女性と行った映画は、複数デートというか男3女1で行った「名探偵コナン」のどれか。
    「ハウル」を経て、3度目女性と、そして初めてマンツーマンで行ったのは「電車男」だった。
    今でこそデートムービーという文化を軽蔑しているが、十数年前はそうではなかったのだ、と記憶の蓋が開いたので、垂れ流してみた。

    いまこうして駿総浚いをして思うに、いわゆるまとまった駿印は「紅の豚」まで。
    「もののけ姫」以降、ジブリ・ブランドがあるから愚民は見に行って、よくわからんけどよかったねーという茫漠とした感想を抱くファミリーやカップルを連発。
    駿のいわゆる「子供のため」という大義名分は、いわば滑っている。
    その中に「ハウル」も位置し、「よくわからんけど面白かったねー(でもすっきりしないねー)」という感想を、大学生の私も抱いていた。
    いまもそう。だが、当時ほど恋愛に頭ン中イカれていない今だからこそ、いろいろ見えた気はする。

    ・何よりも城の清新さ! 絵と動きの力。これファンタジーだけでなくスチームパンクの系譜なのだ。「千と千尋」で湯屋「油屋」を温泉ではなくボイラー式にしたのと同じく、やはり金属と蒸気の系譜。
    ・なんでも当初のタイトルは、宮崎考案「ハウルの蠢(うご)く城」なのだとか。「もののけ姫」→「アシタカせっき」と同じく、毎回読み替えてみよう。というか、「ハウルの動く城」→「ハウルの蠢(うごめ)く城」と読み替えてみたい。「ナウシカ」の王蟲の動きの延長上・技術的進歩にあると、思うために。
    ・老婆ふたりが階段を昇る、という場面は初鑑賞時から印象深い。ハイライト。今回見てみて、たとえば「ラピュタ」で親方がドーラ息子と腹を殴り合うほどのコミカルな演技や音楽がないにも係わらず、どこかしらコミカルというか愛すべきシーンとしてとらえていたと気づいた。むしろ抑制された演出に、自ら乗りに行く視聴者のリテラシー?
    ・中盤以降、疑似家族、老人介護、というサブテーマが浮かんでくる。
    ・と同時に、思った以上に恋愛を描くんだな! と鼻息を荒くしてしまった。ソフィーの年齢が行きつ戻りつするときに、こちらもソワソワして、応援したりまだるっこしく思ったり、ハウルがその呪いに気づいているということに気づいていないソフィー、に、やきもきしたり。
    ・ジブリヒロイン総選挙を開催したら、ひょっとしたら選外になるかもしれない。それだけポスターやビジュアルイメージが強い。が、本作鑑賞後の熱気のままに書いてしまうと、ソフィー最っ高に健気で懸命なヒロインだ。本来は18歳だが、呪いにより90歳に変えられて、しかし精神の在り方はそもそも90歳だったので呪われた外見が似つかわしく思えるが、無意識下では18歳が蠢いている、ハウルに憧れるだけではなく、守りに向かう!と決めたのは18歳本来の少女の健気さであり、かつ母親っぽい……ナウシカっぽい……ソフィーが義母によっては与えられなかったしなやかな包容力……それも、私の中でお眠りなさい式ではない、ストーリーの展開上はヤケクソにも見える、熱さ。
    ・恋で読解力の鈍っていた当時の私へ書いて送るなら、以下のこと。カルシファーはただのマスコットではないぞ! 一見クールを装うハウルの裏表なのだ! マスコットはむしろ、マルクル、カブ、ヒン。ただしカブやヒンの存在が、本作の軸をわかりづらいものにしている、というか、めくらましのギミックになっている、というか。思えばカブが人間に戻って、私は隣国の王子なんです云々、には唖然としたものだ。ご都合主義という言葉を知ったばかりだったから、その言葉で断罪してしまっていたが、駿はそう底の浅い話は作らない(?ポニョは?)。前景化しない、隣の魔法王国、VS、科学技術が本流だが魔法にも頼っている王国、の対立、その中でハウルやサルマンや荒れ地の魔女がや奔走している、という舞台を、強く意識せよ!
    ・くらいかなあ。今回見直してみて、「いい印象はあるけどよくわからない」から「わかってきたら相当いい」へと変化した。

    追記
    ・舞台となる場所の豊富さよ。ドアの回転式スイッチによる、4×2。室内と外側。窓の存在も大きい。
    ・豊富さといえば、キャラクターも、城も、ことごとく変身する。ここまでメタモルフォーゼ、行ったり来たりを繰り返す作品は、なかなかないのでは。だいたいアニメって服装も固定しがちなくらいだし。リッチ。
    ・今回の諸星大二郎。荒れ地の魔女が輿から覗くとき……「栞と紙魚子」のクトルーちゃんのお母さん。

  • ハウルの動く城 2004

    『ハウルの動く城』(ハウルのうごくしろ)は、スタジオジブリ制作の日本の長編アニメーション映画。監督は宮崎駿。
    日比谷スカラ座を筆頭に東宝系で2004年11月20日に公開された。

    イギリスの作家ダイアナ・ウィン・ジョーンズのファンタジー小説『魔法使いハウルと火の悪魔』(原題:Howl's Moving Castle)を原作とし、呪いで老婆にされた少女ソフィーと魔法使いハウルの奇妙な共同生活が、宮崎監督により「戦火の恋」を柱として脚色され描かれている。
    物語前半は比較的原作に準じているが、後半は原作には無かった戦争が付け加えられるなど全く違った展開になっている。原作者のジョーンズは「ハウルの性格を変えないように」とだけ注文をつけ、映画の感想を「とても素晴らしかった」「宮崎は私が執筆したときと同じ精神で映画を作った」と語っている。
    スタジオジブリの宮崎駿監督の長編映画としては『魔女の宅急便』以来、15年振りとなる他者原作の作品となった。また、ヒロイン役を演じた声優が主題歌の歌唱を兼任したのは『紅の豚』でヒロインの1人であるジーナ役を担当した加藤登紀子以来である。

    あらすじ
    帽子屋の少女ソフィーは、兵隊にからまれていた所を魔法使いのハウルに助けられる。しかしハウルも、彼をつけ狙う"荒地の魔女"に追われているところだった。その後ハウルと別れたソフィーはその夜、魔女の呪いで90歳の老婆に姿を変えられてしまう。帽子屋に居られなくなり、街を出たソフィーは、荒地で不思議なカカシの"カブ"を助け、彼が連れてきたハウルの動く城に出会う。

    城の暖炉には火の悪魔カルシファーがいた。彼はハウルとの契約に縛られてこき使われており、自らの魔力で城を動かしていた。彼はソフィーに、ハウルとの契約の謎を解いて、自由にしてほしいと頼んでくる。その後、ソフィーは城の掃除婦になるとハウルに言って、そのまま城に住むことになる。

    隣国との戦争が始まると、王に仕える魔法使いのマダム・サリマンがハウルに国への協力を求めてくる。サリマンはハウルの昔の師匠で、悪魔と取引をしたハウルが彼女の元を去ったことを嘆いていた。彼女はハウルが協力するならば悪魔と手を切る方法を教え、協力しないならば魔力を奪うという。悪魔と取引していた荒地の魔女も、サリマンに魔力を奪われてしまう。ハウルとともにサリマンと面会したソフィーはサリマンの前でハウルを弁護したが、サリマンは国に協力しないハウルを襲い、その後も彼を狙い続ける。ハウルはサリマンから隠れるため、それまで住んでいた城からソフィーの帽子屋へ魔法で引越しをする。魔力を奪われて普通の老婆に戻ってしまった荒地の魔女も家族に加わることになる。

    しかし町は空襲を受け、ハウルはソフィーを守るためと言い、戦いに行ってしまう。ソフィーは、彼が戦うのは町に彼女達がいるからだと考え、帽子屋を出て荒地の城に戻り、それからハウルを助けに行こうとする。その時、荒地の魔女が、彼女が欲しがっていたハウルの心臓をカルシファーが持っていたことに気づく。彼女はカルシファーに手を触れて火達磨となり、ソフィーは思わず2人に水を掛けてしまう。するとカルシファーの魔力に支えられていた城は途端に崩壊し、ソフィーはその残骸と共に谷底へ落ちる。谷底でソフィーは、ドアの残骸の先が別の世界とつながっていることに気づき、その世界で子供時代のハウルを見つける。ハウルが流星を飲み込み、胸から火に包まれた心臓を取り出すのを見たソフィーは、彼に「きっと行くから未来で待ってて」と叫びながら元の世界に帰る。この時、いつの間にか彼女の姿は老婆から少女に戻っていた。

    元の世界では、悪魔のような姿に変わり果てたハウルが、精気を失った顔で待っていた。ハウルが自分をずっと待ってくれていたのだと、ソフィーは気づく。ソフィーが荒地の魔女からハウルの心臓を受け取って彼の胸に戻すと、流星に戻ったカルシファーは自由になって飛び去り、ハウルも精気を取り戻す。カルシファーの魔力に支えられていた城の残骸が崩れ、乗っていたソフィー達は谷へ落ちそうになるが、一緒にいたカカシのカブが身を投げ出して防ぐ。ソフィーがカブに感謝のキスをすると、カブは人間の姿に変わる。彼の正体は呪いを掛けられていた隣国の王子で、国に戻って戦争を終らせるという。その様子を魔法で見ていたサリマンは、このバカげた戦争を終らせようとつぶやく。自由になったカルシファーも、みんなといたいと言って帰ってきた。新しくなった城でソフィーとハウルはキスをする。そしてハウルの動く城は、皆を乗せて青空を飛んでいくのだった。

    製作

    本作のロケハンが行われたフランスのコルマール
    宮崎駿には徳間書店の児童書の新刊が毎月送られており、その一冊として送られてきた原作に宮崎が興味を持ったことから企画が始まる。2000年、監督には東映アニメーション所属(当時)の細田守が決まり、脚本・吉田玲子、作画監督・近藤勝也をはじめとする制作チームが結成された。当初は当時「バロン」と仮称されていた『猫の恩返し』との同時上映が考えられていた。細田を監督に指名したのは、細田作品を観てその才能に惚れ込んだ宮崎駿だと言われている。2001年4月にはシナリオ決定稿が完成し、同年12月13日に東宝は、本作を2003年春に公開すると発表した。

    しかし2002年春頃、企画は頓挫し、『猫の恩返し』を担当していた高橋望と入れ違いに交代するも上手くいかず、結果、細田以下スタッフは解散した。ジブリ側は、制作中止に至った経緯について言葉を濁しているが、細田側からはジブリとの間に制作に関するトラブル(詳細は細田守の項目を参照)があったことが断片的に語られている[要出典]。2002年10月1日、監督を宮崎駿に代えて製作は再スタートする。細田本人は、この交代劇にショックを受け呆然とし落ち込んでいたが後々「当時の僕は若かったからではないか」と振り返っている。ジブリには「ハウルの動く城、細田バージョン」が存在するのではと噂されていたが、ABCラジオ「アシッド映画館」の取材においてインタビュアーから「細田守版、ハウルの動く城が観てみたい」との質問を受けた細田は大笑し「まぁまぁ」と質問を制して話題を切り上げた。

    2002年12月13日、東宝は「04年夏に宮崎の新作『ハウルの動く城』公開」と発表した。2003年2月1日に作画イン、完成予定は2004年春とされた。しかし2004年1月7日、東宝は宮崎の絵コンテの未完成や上映時間の増加などを理由として公開延期を発表した。制作遅延による公開延期は、宮崎にとってはこれが初であった。2004年6月末までに社内作業は完了し、同年7月30日、東宝は公開を11月20日に決定したと発表した。当初のタイトルは、宮崎考案の「ハウルの蠢(うご)く城」だったが、鈴木敏夫に強引に却下されている。上映スクリーンでは「イノセンス」の事を踏まえて鈴木敏夫は生嶋洋治(ワーナー・マイカル・シネマズ専務取締役)と話し合ってうまく確保した。

    2004年2月、宣伝活動で「シールを集めてマグカッププレゼント」キャンペーンがローソンで実施された。『イノセンス・ハウルの動く城マグカッププレゼント』の景品にはそれぞれの映画に登場する犬がプリントされていたが、『ハウルの動く城』のマグカップのヒンは、イメージボード集で確認できる初期の姿の容姿のままだった。もう片方の『イノセンス』にも、ジブリは製作協力の形で参加している。
    なお、演劇ユニット・TEAM NACSのメンバー全員(森崎博之・安田顕・戸次重幸・大泉洋・音尾琢真)が出演している。起用理由は、ジブリの社内に大ファンのスタッフがいたため

    公開2日目で観客動員数110万人、興行収入14億8000万円と、日本映画としては当時の歴代最高のオープニングとなり、2005年5月1日までに観客1500万人を動員。興行収入196億円、2004年と2005年の興行成績第1位を記録し、『千と千尋の神隠し』に次ぐジブリ史上第2位の記録を樹立した。日本国内におけるDVDとVHSを合わせたビデオグラム出荷本数は、2007年5月時点で270万本。

    その年の第61回ヴェネツィア国際映画祭においてオゼッラ賞、翌年にはニューヨーク映画批評家協会最優秀アニメーション賞を受賞。更にアニメーションのアカデミー賞と言われる第33回アニー賞の長編映画部門作品賞にノミネートされたことに続き、『千と千尋の神隠し』以来となる第78回アカデミー賞にもノミネートされる等、海外においても高く評価された。2008年の英エンパイア誌では、史上最高の映画500本の中に選出されている。また2011年の英誌Total Film(英語版)の「史上最高のアニメ映画50本」で46位にランクしている。
    2006年7月21日の初TV放映時には32.9%(ビデオリサーチ、関東地区調べ)という高い視聴率を記録している

    キャッチコピー
    「ふたりが暮らした。」(糸井重里)
    「この城が動く。」
    「生きる楽しさ。」
    「愛する歓び。」
    「ヒロインは、90歳の少女。」
    「恋人は、弱虫の魔法使い。」

    主題歌
    「世界の約束」
    歌 - 倍賞千恵子 / 作詞 - 谷川俊太郎 / 作曲 - 木村弓 / 編曲 - 久石譲

    2006年以降、『金曜ロードショー』(同局系列)にて、不定期でテレビ放送が実施されている。

    テレビ放送の視聴率
    回数 放送日時 視聴率 備考
    1 2006年7月21日 32.9%
    2 2008年10月3日 18.7%
    3 2010年7月16日 19.0%
    4 2013年1月4日  11.8%
    5 2015年10月2日 15.5%
    6 2018年8月10日 14.5%
    7 2021年4月2日  14.0%
    8 2023年1月6日

    以上のようにWikipediaで紹介されるジブリ映画作品。
    やはり何度も見てしまう。不思議な事である。
    千と千尋の神隠し(2001)の後の作品で、当時期待値も高く公開された事を覚えている。
    TV放送されると大抵見てしまう。
    NetflixかAmazonPrimeVideoにはまだない作品だ。
    なんか電子書籍化に反対する作家的立場なのかなジブリは。
    ジブリ映画は良い意味での中毒性がある。古典になる資格のある映画作品なのだ。
    ハウルの動く城の良い点はやはり家族が増え、ハッピーエンドで終わる所であろう。
    サリマンの使う魔法(なんか人型の歩いているやつ)は設定上、「ほっといて ほっといて 僕に触るな 死にたいのに 死にたいのに」という呪文(歌詞)らしい。
    (宮崎駿のイメージボードより)

    スターウォーズ同様に説明されきれない実に細かい所まで設定し考え抜かれている。
    神は細部に宿るということなのだろう。映画作りも。

    2023/01/08(日)記述

  • 公開当時に映画館で観てから19年?ぶりに鑑賞。
    大好きだったからこそ、今観たら覆ってしまうかもと怖かったけど、やっぱりとても良かった。
    勇気がもらえる素敵な作品だと思う。

    ソフィーの外見がコロコロ変わるの、自信が無い時に老人になっているから、気持ちが外見に現れていたんだなあ。前回の映画館では、話を追いかけるのに夢中で、細かいことには気付かず観てた。

    ゲスト声優問題、時々言われているのを見るけど、声優はプロの声優がやるべきで、俳優に頼むのはちょっと、、派。俳優でも上手ならいいと思うけど、知名度とか話題性だと、なんだかなあ。
    特に、ソフィーの若い頃の声に違和感がある。英語版のように2人使ってもいいと思うし、プロのお仕事で演じ分けでもいいと思う。
    ハウルの声は、抑揚があまりない硬い感じの声がハウルに合っていたと思う。
    マルクルは神木隆之介さんだと今回知った。神木さんは他の声優作品でも上手だと思っていたけど、今回も素敵だった。役柄もマルクルかわいいな。

    久しぶりに観ても感動が覆らなかったので、Blu-rayを買いたい気持ち。英語吹き替え日本語字幕で観てみたいな。

  • 映像が綺麗すぎて、それだけでもう星五つ。

    コンピュータグラフィックスが随所に用いられているのだけれど
    あくまでも「表現効果」の範囲で補助的に利用するスタンスに敢えて留まっている。
    最近、むやみやたらとCGを使いまくり、もはや実写に近くなってしまっているようなアニメ作品も多い中で
    アニメーションのアビリティ、すなわち「二次元で絵が動くこと」だからこそ出来る表現を大切にしているんだな、と感じ取ることが出来た。
    実際に本作の後に発表された『崖の上のポニョ』ではCGを用いずにオール手描きで作品世界を描ききっているが、おそらくこういった効果を狙ってのことだろう。


    あらすじはわかりやすくて、エンターテイメント性にも富んでいた。子供から大人まで楽しめると思う。
    その代わりに随所に伏線や細かいメッセージが込められていたように思う。
    何度も見返したら面白そう。

    それにしても、登場するキャラクターが皆あまりにも愛らしくて、思わずニヤニヤしてしまった。
    公開当初は声優に芸能人を起用している事で注目され、賛否両論のようだったけれど
    キムタクとか神木くんとか、普通に魅力的だった。

    それにしても、スタジオジブリが繰り出してくるメイ(トトロの)とかポニョ的な幼児は、卑怯なくらい可愛すぎてやばいと思う。

  • 本屋で原作を見かけて、10年ぶりくらいに原作を読んだら、ジブリ映画も見たくなったので鑑賞。
    最初に原作を見てから映画を見たときは、随分時間が空いたので、特に何の差異もわからず、ただただ「キムタクのハウルってイメージと違ったら怖いじゃん…」からの「キムタク、イケメンじゃん…」ってなった記憶しかない。
    原作の記憶ありで映画を見ると、ハウルの動く城はかなり綺麗にまとめてある一方で、ソフィは原作より可憐になってたくましさが少し減ってる。ハウルは女々しさが随分減って精神的イケメン度が上がってる。これはキムタクの力…?あと、原作で語られていたソフィがなぜ一人で帽子屋にいたのか、っていう部分は大幅にカットされていて、お母さんはまるで薄情な人間にも見えかねないって点が気になった。もちろん、原作の彼女は脅されてなんかないし、むしろもっと少女しい女性だから、何ていうか、映画の彼女はたくましい。
    個人的に随分印象が違う点は、戦争という部分にフォーカスが当たっている点。宮崎駿らしい仕上がりというか。戦争を語るハウルはイケメンだったなあ…

  • 予告編を見て、なんだかダメっぽいなあと思たのですが、宮崎監督の映画だから見ないわけにはいかないので、期待せずに行ってきました。
    もう一月以上前のことですが。

    過剰な期待をしてなかったのが功を奏して、うん、見て良かった。そう思いました。
    「千と千尋の神隠し」の域にはむろん達していませんが(あれは滅多なこと到達できるレベルではない)、「魔女の宅急便」や「天空のラピュタ」、そして「紅の豚」よりもデキは良い。
    ということは当然そこらへんに転がっているたいていの映画よりも優れた作品ということになるので、見て損はないわけです。

    ヨーロッパ系はイマイチだなんて前に言いましたけど、「魔女の宅急便」にしろ「天空のラピュタ」、「紅の豚」にしろ、どれもが水準以上の作品であることは間違いなくて、実は最近知ったんですけど、宮崎作品の中ではこれらの作品が一番だという人もいるんですね。それぞれに熱烈なファンがいるわけです。

    私だったら「魔女の宅急便」では、プロペラ付き自転車で海岸沿いの坂道を下って飛翔するシーンだとか、森の中の絵描きの女の子が忘れられないし、「紅の豚」は一度しか見たことはありませんが、オジサンのダンディズムを一生懸命えがいているところが泣かせるので、また見てみたいと思います(なぜか「天空の城ラピュタ」は苦手。かったるい)。

    ただこれらの作品は、「風の谷のナウシカ」「隣のトトロ」「千と千尋の神隠し」という傑作群には及ばない。
    むろん、そうはいっても、モーツアルトやベートーヴェンの曲だってどれもが最高傑作というわけではなくて、それ以外にもいい曲はたくさんしるし、それぞれが高さと魅力を備えていて、多くのファンの心を掴んでいます。宮崎監督の作品もまあそういうことなんでしょうね。

    「パウルの動く城」はその中でもよくできた作品だと思います。
    これまでのヨーロッパを舞台とした作品の中では、もっとも優れているといってもいいかもしれません。

    以下感想を箇条書きで。
    とりとめのない内容ですが。

    ・主人公ソフィーの家の色調
    荒れ地の魔女が訪ねてきて彼女に魔法をかけますが、この時ソフィーがいた居間、ここの家具の赤っぽくて艶がある色調は、欧米の絵本なんかによくある色調ですよね。
    「千と千尋の神隠し」の湯婆婆(ユバーバ)の家でも少し感じたけれども、この場面ははっきりそれを意識しているようです。
    ヨーロッパの観客を意識したのかな。
    こういう色使いをしているアニメは初めて見ましたが、ハッとするような鮮やかさでした。

    ・魔法使いハウルの扱い
    予告編では、気の弱い魔法使いといってましたが、そんなことはないよなあ。
    一箇所そういうシーンがあったけど、そこだけとらえてよくもあんなキャプションをつけたものだ。それが映画全体のイメージを狂わせてると思う。ハウルは、かなり危険で強大な存在。
    ただ、夜中に戦場を飛び回って、いったいなにをしているんだろうと思いました(単なる好奇心?状況把握?)。

    ・色っぽいシーン
    宮崎映画は性的なニュアンスはほとんどないのが普通で、そういう意味では実に健康的な映画ですが、最初の方で、ソフィーにとっては思いがけずハウルの腕や顔が接近したシーン、このときのハウルはドキッとするほどセクシーですね。というか、そういうふうにソフィーが感じているということを観客に分からせるシーン。
    宮崎映画ではめずらしい色っぽいシーンです。

    ・ソフィーの年齢
    誰でも気がつくでしょうけど、ソフィーはだんだん若返っていきますね。
    もちろん彼女のハウルに対する愛情の深さが、荒れ地の魔女による魔法を打ち破ろうとしていることを示しているんでしょう。これはアニメだからできる荒技で、実写版だったらとうてい不可能な表現方法。
    それがうまくいっているかどうかといえば、正直あまり印象に残っていないのは、監督がこの手法を、映画を構成するひとつの要素としてしか扱ってないからでしょう。
    それはそれでいいんですが、これに似た手法をとった作品して、大島弓子の「夏の夜の漠」が思い出されますね。
    こちらは登場人物を精神年齢で描き分けた作品で、その手法がもたらすラストシーンの効果は絶大なものがあって、実に切ない名品です(角川書店 ASUKA COMICS 「つるばら つるばら」に収録)。

    ・サリマンの位置
    この人はいったい何者なんでしょう。魔法使いサリーのお母さんみたいで上品そうなオバサンだけど。
    いい人のようでも悪い人のようでもある。
    よくわからない。不思議な位置にいます。

    ・傑作群との違い
    この作品がよくできているにしても、先の3つの傑作との違いは歴然としています。
    それはなぜだろうと考えているんですが、ヨーロッパ系の作品は、監督が単純に、こんなものを作りたい、そうしたら自分も楽しいし、見る人も喜ぶだろうなあと思って作った作品。

    「千と千尋の神隠し」以下の作品は、もちろん動機はおなじなんでしょうか、もうすこしほかの何かが加わっていて、つまりなにか伝えたいことがあって、それを表現しようするうちに作品が深化しているように思います。

    ここらへんのことはまだうまく言葉にできてません。ただそれぞれの区分は自分の中でははっきりとあります(「もののけ姫」 がイマイチなのは、伝えたいことが途中で分裂してしまって、つじつまがあわなくなっていることによる)

    そこらあたりの事情は、もう一度映画をみながら、ゆっくりと考えてみたいと思います。

  • 何気に好きなんです。

    最初に観た時は、よく分からんな〜ってくらいの感想でしたが、観れば観るほど好きになる。

    ジブリ映画の描く高低差の表現にいつも感嘆します。震えるわぁ〜。

    ジブリ映画ハマると、都市伝説や裏話まで検索して調べちゃうんですが、ハウルももちろんやりました。
    ああ、そういう設定があるのかー!と知って尚面白いです。そしたらやっぱり、原作読みたいってなりました。

    キムタクは適役だと思います。女の子の憧れの王子様的な、現実味がないほどの完璧な王子様、それはキムタクにしか演じられないと思います。そういうの憧れない私ですら、ハウルにはときめいちゃいますねー。
    金髪の気怠そうなハウルも、ピシッと揃えられたオカッパハウルの、何を考えてるのか読めない瞳も、黒髪のとっぽい兄ちゃん的なハウルもどれもたまらーん。キムタクの声でよりそれが完全なものになっている気がします。
    カルシファー可愛い。神木くんの声もいい。可愛い。
    もう全てが、いい。
    自分思ってた以上に好きでした。

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著者プロフィール

アニメーション映画監督。1941年東京都生まれ。学習院大学政治経済学部卒業後、東映動画(現・東映アニメーション)入社。「ルパン三世 カリオストロの城」(1979)で劇場作品を初監督。1984年には「風の谷のナウシカ」を発表。1985年にスタジオジブリの設立に参加。「天空の城ラピュタ」(1986)、「となりのトトロ」(1988)、「魔女の宅急便」(1989)、「紅の豚」(1992)、「もののけ姫」(1997)、「千と千尋の神隠し」(2001)、「ハウルの動く城」(2004)、「崖の上のポニョ」(2008)、「風立ちぬ」(2013)を監督。現在は新作長編「君たちはどう生きるか」を制作中。著書に『シュナの旅』『出発点』『虫眼とアニ眼』(養老孟司氏との対談集)(以上、徳間書店)、『折り返し点』『トトロの住む家増補改訂版』『本へのとびら』(以上、岩波書店)『半藤一利と宮崎駿の腰ぬけ愛国談義』(文春ジブリ文庫)などがある。

「2021年 『小説 となりのトトロ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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