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- / ISBN・EAN: 4959241980762
感想・レビュー・書評
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金曜ロードショーの録画です(^^)。
何回か中途半端に観ているので観るたびに発見があります。
「ハウルの動く城」には気になるところが沢山あります。
案山子がお伴になっていて、「オズの魔法使い」っぽいところ。荒れ地で最初にソフィーがハウルの動く城を見つけた時の粗大ゴミで膨れ上がったような形の城の姿。ハウルがなぜはじめからソフィーを愛してくれたのかという
疑問。ソフィーはどうして“おばあちゃん”になった“荒れ地の魔女”にあんなに優しかったのかということ。もちろん、ソフィーがおばあちゃんになったり若返ったりすることやハウルがカラスのように醜い魔法使いになったり、掃除の出来ない王子のようになったりすることや扉を開けるたびに景色が変わるハウルの城のことなど、不思議なことは沢山あり、その暗示することを考えるのは楽しいのです。が、意味が分からなくても第一次世界大戦前頃(?)のドイツあたりの戦争の影が濃くなり始めている中にも戦前の文化の香りが漂う街の雰囲気やサウンドトラックを楽しんだり、所々色が残る灰色の街と“荒れ地”という場所設定がロマンチックであったり、ハウルがカルシファーの火で焼くベーコンエッグが忘れられないくらい美味しそうだったりと楽しみ方は色々あります。
勿論、魔法使いに操られて戦闘機の発する武器のようになっていく人間の魂への警告もあると思います。
「ハウルの動く城」を観ているとファンタジーとか魔法とかは、“嘘”では無いんだ、世界には現在と過去と未来の時空の交わる所、幻想と夢と現実の交わるところがあって、今自分達が“現実”だと思っていることは、たまたま自分たちに見えている世界なのだと思えてきます。
近代小説におとぎ話のエッセンスをギュッと詰め込んだような、大人にも面白いアニメ映画だと思います。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
<ストーリー> (Amazonより)
町を離れ荒れ地に向かう一人の少女。名前はソフィー年は18才。だが、その姿形はまるで90才の老婆だった。長女として亡き父の残した帽子屋を一人で切り盛りしてきたソフィー。だがそれは、決して彼女の望んだ生き方ではなかった。
ある日出征兵士でにぎわう町中でソフィーは兵隊にからまれる。その窮地に助けをさしのべたのは通りすがりの美青年。青年は不思議な力でそのまま空へと舞い上がり、ソフィーを束の間の空中散歩にいざなうのであった。夢のような出来事に心奪われるソフィー。しかしその夜、ソフィーは、店を訪れた荒地の魔女に呪いをかけられ、90才のおばあちゃんに姿を変えられてしまう。このままではいられない!意を決して荷物をまとめて荒れ地を目指すソフィー。夕暮れに迫る荒れ地を歩いていると、その向こうから、目の前に奇怪な形をした「ハウルの動く城」が姿を現したのであった……。
原作本を読み始めていたので 同じタイミングで映画も久しぶりに見返してみました。
何度見てもカルシファーとマルクルがとても可愛いです。
木村くんのハウルもイメージととてもマッチしている吹き替えだなぁと再確認♪ -
魔法と科学が混在する世界のとある国。愛国主義が全盛を誇り、いよいよ戦争が目前に迫っていた。
父の遺した帽子店を切り盛りする18歳の少女ソフィーは、ある日町で美貌の青年と出会う。
彼こそは人々が怖れる悪名高い魔法使いハウルだったのだが、ソフィーは彼の優しさに心奪われる。
だがその夜、彼女は荒地の魔女に呪いをかけられ90歳の老婆にされてしまうのだった。
本当のことが言えずに家を出たソフィーは、人里離れた荒地をさまよい、やがてハウルが暮らす動く大きな城に潜り込み、住み込みの家政婦として働き始めるのだった…。
ソフィーは父親から譲り受けた帽子屋を長女だからという義務感で続け、自分の容姿にも自信のない受け身な女の子、そんな彼女がハウルに恋をして守ろうと一心不乱に行動するうちに自分の中に秘めた芯の強さを発揮して成長していく物語と、ハウルとソフィーのストレートなラブストーリーとしてもソフィーを中心に疑似家族的な絆で結ばれていくホームドラマとしても魔法バトルも、見応えのある傑作アニメです。キムタク、倍賞千惠子、美輪明宏、神木隆之介などの演技も、はまっていて見事だし、ユーモアたっぷりな傑作アニメです。 -
公開当時に映画館で観てから19年?ぶりに鑑賞。
大好きだったからこそ、今観たら覆ってしまうかもと怖かったけど、やっぱりとても良かった。
勇気がもらえる素敵な作品だと思う。
ソフィーの外見がコロコロ変わるの、自信が無い時に老人になっているから、気持ちが外見に現れていたんだなあ。前回の映画館では、話を追いかけるのに夢中で、細かいことには気付かず観てた。
ゲスト声優問題、時々言われているのを見るけど、声優はプロの声優がやるべきで、俳優に頼むのはちょっと、、派。俳優でも上手ならいいと思うけど、知名度とか話題性だと、なんだかなあ。
特に、ソフィーの若い頃の声に違和感がある。英語版のように2人使ってもいいと思うし、プロのお仕事で演じ分けでもいいと思う。
ハウルの声は、抑揚があまりない硬い感じの声がハウルに合っていたと思う。
マルクルは神木隆之介さんだと今回知った。神木さんは他の声優作品でも上手だと思っていたけど、今回も素敵だった。役柄もマルクルかわいいな。
久しぶりに観ても感動が覆らなかったので、Blu-rayを買いたい気持ち。英語吹き替え日本語字幕で観てみたいな。 -
映像が綺麗すぎて、それだけでもう星五つ。
コンピュータグラフィックスが随所に用いられているのだけれど
あくまでも「表現効果」の範囲で補助的に利用するスタンスに敢えて留まっている。
最近、むやみやたらとCGを使いまくり、もはや実写に近くなってしまっているようなアニメ作品も多い中で
アニメーションのアビリティ、すなわち「二次元で絵が動くこと」だからこそ出来る表現を大切にしているんだな、と感じ取ることが出来た。
実際に本作の後に発表された『崖の上のポニョ』ではCGを用いずにオール手描きで作品世界を描ききっているが、おそらくこういった効果を狙ってのことだろう。
あらすじはわかりやすくて、エンターテイメント性にも富んでいた。子供から大人まで楽しめると思う。
その代わりに随所に伏線や細かいメッセージが込められていたように思う。
何度も見返したら面白そう。
それにしても、登場するキャラクターが皆あまりにも愛らしくて、思わずニヤニヤしてしまった。
公開当初は声優に芸能人を起用している事で注目され、賛否両論のようだったけれど
キムタクとか神木くんとか、普通に魅力的だった。
それにしても、スタジオジブリが繰り出してくるメイ(トトロの)とかポニョ的な幼児は、卑怯なくらい可愛すぎてやばいと思う。 -
本屋で原作を見かけて、10年ぶりくらいに原作を読んだら、ジブリ映画も見たくなったので鑑賞。
最初に原作を見てから映画を見たときは、随分時間が空いたので、特に何の差異もわからず、ただただ「キムタクのハウルってイメージと違ったら怖いじゃん…」からの「キムタク、イケメンじゃん…」ってなった記憶しかない。
原作の記憶ありで映画を見ると、ハウルの動く城はかなり綺麗にまとめてある一方で、ソフィは原作より可憐になってたくましさが少し減ってる。ハウルは女々しさが随分減って精神的イケメン度が上がってる。これはキムタクの力…?あと、原作で語られていたソフィがなぜ一人で帽子屋にいたのか、っていう部分は大幅にカットされていて、お母さんはまるで薄情な人間にも見えかねないって点が気になった。もちろん、原作の彼女は脅されてなんかないし、むしろもっと少女しい女性だから、何ていうか、映画の彼女はたくましい。
個人的に随分印象が違う点は、戦争という部分にフォーカスが当たっている点。宮崎駿らしい仕上がりというか。戦争を語るハウルはイケメンだったなあ… -
予告編を見て、なんだかダメっぽいなあと思たのですが、宮崎監督の映画だから見ないわけにはいかないので、期待せずに行ってきました。
もう一月以上前のことですが。
過剰な期待をしてなかったのが功を奏して、うん、見て良かった。そう思いました。
「千と千尋の神隠し」の域にはむろん達していませんが(あれは滅多なこと到達できるレベルではない)、「魔女の宅急便」や「天空のラピュタ」、そして「紅の豚」よりもデキは良い。
ということは当然そこらへんに転がっているたいていの映画よりも優れた作品ということになるので、見て損はないわけです。
ヨーロッパ系はイマイチだなんて前に言いましたけど、「魔女の宅急便」にしろ「天空のラピュタ」、「紅の豚」にしろ、どれもが水準以上の作品であることは間違いなくて、実は最近知ったんですけど、宮崎作品の中ではこれらの作品が一番だという人もいるんですね。それぞれに熱烈なファンがいるわけです。
私だったら「魔女の宅急便」では、プロペラ付き自転車で海岸沿いの坂道を下って飛翔するシーンだとか、森の中の絵描きの女の子が忘れられないし、「紅の豚」は一度しか見たことはありませんが、オジサンのダンディズムを一生懸命えがいているところが泣かせるので、また見てみたいと思います(なぜか「天空の城ラピュタ」は苦手。かったるい)。
ただこれらの作品は、「風の谷のナウシカ」「隣のトトロ」「千と千尋の神隠し」という傑作群には及ばない。
むろん、そうはいっても、モーツアルトやベートーヴェンの曲だってどれもが最高傑作というわけではなくて、それ以外にもいい曲はたくさんしるし、それぞれが高さと魅力を備えていて、多くのファンの心を掴んでいます。宮崎監督の作品もまあそういうことなんでしょうね。
「パウルの動く城」はその中でもよくできた作品だと思います。
これまでのヨーロッパを舞台とした作品の中では、もっとも優れているといってもいいかもしれません。
以下感想を箇条書きで。
とりとめのない内容ですが。
・主人公ソフィーの家の色調
荒れ地の魔女が訪ねてきて彼女に魔法をかけますが、この時ソフィーがいた居間、ここの家具の赤っぽくて艶がある色調は、欧米の絵本なんかによくある色調ですよね。
「千と千尋の神隠し」の湯婆婆(ユバーバ)の家でも少し感じたけれども、この場面ははっきりそれを意識しているようです。
ヨーロッパの観客を意識したのかな。
こういう色使いをしているアニメは初めて見ましたが、ハッとするような鮮やかさでした。
・魔法使いハウルの扱い
予告編では、気の弱い魔法使いといってましたが、そんなことはないよなあ。
一箇所そういうシーンがあったけど、そこだけとらえてよくもあんなキャプションをつけたものだ。それが映画全体のイメージを狂わせてると思う。ハウルは、かなり危険で強大な存在。
ただ、夜中に戦場を飛び回って、いったいなにをしているんだろうと思いました(単なる好奇心?状況把握?)。
・色っぽいシーン
宮崎映画は性的なニュアンスはほとんどないのが普通で、そういう意味では実に健康的な映画ですが、最初の方で、ソフィーにとっては思いがけずハウルの腕や顔が接近したシーン、このときのハウルはドキッとするほどセクシーですね。というか、そういうふうにソフィーが感じているということを観客に分からせるシーン。
宮崎映画ではめずらしい色っぽいシーンです。
・ソフィーの年齢
誰でも気がつくでしょうけど、ソフィーはだんだん若返っていきますね。
もちろん彼女のハウルに対する愛情の深さが、荒れ地の魔女による魔法を打ち破ろうとしていることを示しているんでしょう。これはアニメだからできる荒技で、実写版だったらとうてい不可能な表現方法。
それがうまくいっているかどうかといえば、正直あまり印象に残っていないのは、監督がこの手法を、映画を構成するひとつの要素としてしか扱ってないからでしょう。
それはそれでいいんですが、これに似た手法をとった作品して、大島弓子の「夏の夜の漠」が思い出されますね。
こちらは登場人物を精神年齢で描き分けた作品で、その手法がもたらすラストシーンの効果は絶大なものがあって、実に切ない名品です(角川書店 ASUKA COMICS 「つるばら つるばら」に収録)。
・サリマンの位置
この人はいったい何者なんでしょう。魔法使いサリーのお母さんみたいで上品そうなオバサンだけど。
いい人のようでも悪い人のようでもある。
よくわからない。不思議な位置にいます。
・傑作群との違い
この作品がよくできているにしても、先の3つの傑作との違いは歴然としています。
それはなぜだろうと考えているんですが、ヨーロッパ系の作品は、監督が単純に、こんなものを作りたい、そうしたら自分も楽しいし、見る人も喜ぶだろうなあと思って作った作品。
「千と千尋の神隠し」以下の作品は、もちろん動機はおなじなんでしょうか、もうすこしほかの何かが加わっていて、つまりなにか伝えたいことがあって、それを表現しようするうちに作品が深化しているように思います。
ここらへんのことはまだうまく言葉にできてません。ただそれぞれの区分は自分の中でははっきりとあります(「もののけ姫」 がイマイチなのは、伝えたいことが途中で分裂してしまって、つじつまがあわなくなっていることによる)
そこらあたりの事情は、もう一度映画をみながら、ゆっくりと考えてみたいと思います。 -
何気に好きなんです。
最初に観た時は、よく分からんな〜ってくらいの感想でしたが、観れば観るほど好きになる。
ジブリ映画の描く高低差の表現にいつも感嘆します。震えるわぁ〜。
ジブリ映画ハマると、都市伝説や裏話まで検索して調べちゃうんですが、ハウルももちろんやりました。
ああ、そういう設定があるのかー!と知って尚面白いです。そしたらやっぱり、原作読みたいってなりました。
キムタクは適役だと思います。女の子の憧れの王子様的な、現実味がないほどの完璧な王子様、それはキムタクにしか演じられないと思います。そういうの憧れない私ですら、ハウルにはときめいちゃいますねー。
金髪の気怠そうなハウルも、ピシッと揃えられたオカッパハウルの、何を考えてるのか読めない瞳も、黒髪のとっぽい兄ちゃん的なハウルもどれもたまらーん。キムタクの声でよりそれが完全なものになっている気がします。
カルシファー可愛い。神木くんの声もいい。可愛い。
もう全てが、いい。
自分思ってた以上に好きでした。