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- / ISBN・EAN: 4982509390751
感想・レビュー・書評
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その時イデは発動した。
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◆ネタバレがありますのでご注意ください
以前から見たいと思っていたが、駅前のビデオ屋にあるのを発見。TVシリーズを借りようかと思ったがずいぶん長いので映画版にしたところ、ストーリーはしょりまくり。キッチンとの恋のエピソードなんてホンの数分だった。
悲惨な戦いと死。最後のほうは「宇宙戦艦ヤマト愛の戦士たち」のようでもある。
テーマが「2001年宇宙の旅」と近い。大いなる精神体が新しい知識生命体を作り出そうとするとするあたり。それは「進化」のひとつのカタチでもある。またスターチャイルドが人々を導き新しい惑星の生命の源になっていくところなんかも近いものを感じる。
肉体の死を迎えたラストでは敵味方のエゴがなくなりわかりあえている。カララの父親が殺した味方の男の残留思念(?)も生前と違い深い理解を示す。肉体から離れ精神としての存在になると相手を許し解りあえる。善の知識体となれるということなのか? 肉体=エゴ?
どちらも「地球」。ロゴ・ダウをはさんで地球とバッフ・クランは一直線。バッフ・クランは種を守るために戦う。ソロシップは地球=故郷である母星から見放され、個が生き延びるために戦う。
バッフ・クラン星はふたつに割け、地球人も滅亡する。ソロシップのメンバーもほとんど死んでしまう。コスモの「なぜ戦い続けるのか?」の問い。お互いに守るべきものがなくなってしまったのに。それはバッフ・クランが攻めてくるから。なぜ攻めるのか? それは自分たちにとって脅威であるイデの力を相手が握っているから。
イデ=子供の純粋な防衛本能に感応する、争いを知らない無垢な存在のためのゆりかご。肉体があり死を恐れるから相手を傷つけてでも自分を守ろうとする=エゴ。パイパールウはそれがない。
第六文明人は肉体=限りある生命=死を超越した存在。イデの力とは彼らが残した、純粋な防衛本能に感応するチカラ? なぜイデはふたつの種を戦いへと導いていったのか? エゴにとらわれる種を解放するため? 「イデー」とは「知性」という意味だっただろうか? -
明るく、洗練されていないエヴァンゲリオン
人間同士の融和の話かと思ったら、今の世代の融和は死ななきゃ無理、次の世代に託しましょ、だから皆殺しー、っていう単純な結論に落ちてしまって非常にガキ臭かった。
見所としては、軍人としてカッコいいキャラが出てくるところぐらいかな。 -
「機動戦士ガンダム」の 富野由悠季の伝説のアニメが映画化。
ロボットアニメでありながら大きくその枠を逸脱しているこの作品。イデというのが神の様な存在であり、純粋無垢な赤子を生かし、エゴにまみれたそれ以外の全てを滅ぼしてしまう方向へと動いていく。
テレビアニメは最後は光に包まれて中途半端に終わるのだが、映画ではきっちり両陣営が全滅して、魂になって救済される(?)ところまで描かれている。しかし、この映画版の展開って蛇足なんじゃないか。光って終わって後は視聴者に任せるという方がよかったのではないかと思う。「コスモスに君と」はいい曲だったしね。
テーマとしては完結するが、ストーリーとしては何だか完結した感がない。この放り出し感はエヴァなどの作品に引き継がれることになる。テーマをしっかりとストーリーに組み込むことが大事なのに、こういった作品はそれを放棄している様に思え、いただけない。
ホームランなりそこないのファールみたいな映画。 -
映画館で観た記憶があるけど、こんなにダークな内容だったとは。
最後がエロかったという記憶しかない。
今観てもキャラデザインと作画が素晴らしい。 -
ロボットアニメというよりは、人間よりも人間臭い群像劇。
私の中で(おたくの)全ての原点と頂点かもしれないアニメーション。
ガンダムの方が著名な監督ですが、この作品は早すぎた傑作と語るにふさわしい気がします
エヴァンゲリオンの監督もこの作品を参考にしたと仰ったというのもうなづけます
エゴや保身ばかりの大人たちを抹消するために惑星ひとつ壊してしまうイデオンの鬼畜ぶりもすごいですが、子供は純粋であるからとメシアとして崇め守られ、逆に思春期を迎えた主人公たちはもう子供とされないのか、大人と同様イデオンに見放されたのか、そういった葛藤、苦悩が生生しくて。
「俺達はまだ十分に生きちゃいないんだ」、「じゃあなぜ私達は生まれてきたの?」など、
生と死について鮮烈に描写がなされています。
老若男女とわず首がふっとんだりするので、地上波ではもう放送されないそうです。
また物語のスケールにふさわしく音楽と作画も観念的で崇高です。 -
無残に、無様に皆が死んでいく。