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- / ISBN・EAN: 4988104034632
感想・レビュー・書評
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麗江に旅行に行った際、何度となく「ここで高倉健さんの単騎千里を走るを撮影した」という場所があって興味を持った。
巨匠チャン・イーモウと高倉健という豪華な共演で、
雲南の美しい景色や人々の生活の様子が存分に味わえる。
長年打ち解けることの出来ず、突然肝臓癌で倒れた息子の願いを叶えるために中国雲南へと旅だった父親。
息子の気持ちとは違っていても、そうする事が親の愛というか、そうせざるをえないのが親の愛だなぁ、と。
自分も、親が好意でやってくれる事が「なんだか違う」と思うんだけど、その気持ちが愛情なんだろうなぁ、と心が一杯になって涙が出てきた。
健さんのこれぞ「不器用」という表情や演技が、この映画の魅力を引きあげてると思う。
うまいなぁ。
最近全然別の、漫画サイトでの昔の名作などの感想を見て思うのは
直接的な人が増えてきてしまってそれはそれで分かりやすくていいのだけれど
こういう、表に出せないからこその機微が分からなくなる人が増えていくのかなぁ、と。
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不器用ここに極まれり
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この映画の見どころは、ラストシーンの親同士の言葉のやりとりだと思う。
「撮影して、健一(息子)さんにみせてあげてほしい」
健さんは息子が死んだことを知りながら、そのことには触れず「わかりました」
息子を思う父親の気持ちは、複雑で温かい。 -
追悼鑑賞。
健さん出演映画の鑑賞歴はまだ大したことない。お恥ずかしいことには
「幸福の黄色いハンカチ」(1977) を今年になって鑑賞したような体たらくだ。今となれば半年ほど前に「あなたへ」(2012) を機内鑑賞させてもらったのがそのきっかけだったように思える。あれは自分にとっての警鐘だったのかもしれない。
そういや先日みた「黒い雨」や「書を捨てよ町へ出よう」なんかでも彼の名前をお見かけしたことがあったような記憶がある。当時の監督たちはそのカットの必要性を感じて敢えてそこで彼の名をはさんだわけであり、その理由といったものをこれからも彼の出演作を観続けることによって探し続けていくことになるのかもしれない。現状では今さら博徒ものを観る動機は湧いてこないが、出演作一覧を眺めているとずいぶんと長い間放置されていたその他の作品がいくつもあることに気づく。
一本一本、触れていきましょうか。 -
地味だけど良い話だったと思います。
余命わずかな息子のかわり、中国で息子が果たせなかった仕事をしようとする父親。だがそれが思い違いであったことわかったとき、「息子のための旅」が「自分のため旅」に変わっていくのです。
チャン・イーモウの熱烈なラブコールを受け、単身中国に渡ったという健さん。寡黙で不器用なはずの健さんが、デジカメを器用に使いこなし、周りの人を無理やり巻き込みながら、旅を続けていく。この意外性が良いです。中国の田舎の風景にも心が洗われました。 -
2017.11.23
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2014年11月に他界した健さん。遺作となった2012年「あたなへ」。 その前の主演映画がとても気になっていました。2005年『単騎、千里を走る』
その前の作品が2001年『ホタル』でした。俳優高倉健。その役にのめり込む為に、その役を抜け切る為に2.3年の年月が必要だといわれた。年齢的な事もあるかもしれない。晩年の健さんは神格化されてもいた。『単騎、千里を走る』から『あたなへ』の7年はあまりにも時か立ちすぎた。
この映画が非常に気になった。
中国ロケ 中国の監督さんも撮った。健さんの健さんそのものを感じる映画でした。この映画の中で健さんに関わる人は皆優しい。
映画の内容よりも俳優高倉健の魅力が伝わりました。 -
最初の30分くらいは観ていて興味が湧かなく、駄作か?とも思ったが、刑務所で李が「子供に会いたい」といいだしたくらいから、ドラマが回りだして、面白くなった。
10代、20代くらいで観ていたら、学校の道徳の授業ででてくる物語のように受け止めたのではないかと思うが、立派な中年としてみると、肯定したくなる気分がちりばめてあり、観て良かったなと思う。チャンイーモウの策略にまんまとはまっているなと、自分の年齢を感じる。
テーマは父と子の絆であり、本来愛する者同士が、気持ちのすれ違いでコミュニケーションがうまくいかないことである。
主役の高倉健は、イメージ通り、不器用な初老の男である。
自分の感情や気持ちをストレートに表現することができず、息子との気持ちのすれ違いから関係が断絶している。
がんに侵された息子と会いに行くが、拒絶され、息子の仕事である、中国の仮面劇の撮影を代わりに行くという行動を起こす。
コミュニケーションに対する障害(たとえば日本人と中国人で言葉がお互いにわからない、通訳が通訳として機能しない、通訳の途中で微妙に意味が変わる。日本とは携帯電話で主に連絡している、山の中で携帯が使えなくなる。など)が常にちりばめられており、コミュニケーションとは常に不完全で、お互いのことを理解しあえない関係にあることが示される。
その中で主人公高田(高倉健)が真心をこめて行動することの力を表現している。
高田(高倉健)はその場その場の状況に刹那的にエモーショナルに対応をしていく、考えるより動け!的な行動をとるのだが、最初は観ていて、優先順位が違うのでは?と違和感を感じる。(仕事だったら、完全に現場をかき回す人だろう)
だが、そこを我慢して観つづけると、それぞれの場面で、大切なことであり、この主人公は大切なことに武骨に、観客にも説得力のないくらい表現できないなか、大事なことを真摯に考え、進めていってしまう人であるというところに人間的な魅力があるということにだんだんと気づかされる。
高倉健のパブリックキャラクタで成り立っており、健様が演ずることで、かっこよくなってしまうため、なんとなく高倉健のファンが気持ちよくなるための映画になっている。(映画としては、大きな狙いだろうが)
個人的にはもう少し地味な不器用そうなおじさん(蛭子能収の少しまとも&マイルドにした感じな人か、中本工事みたいな存在感の希薄なふつうの人)でやってもらうと味があってよいのではとも思った。ただ、物語の芯がなくなり、映画として成立しなくなってしまうかもしれないが。
演出がベタベタ(たとえば、最後シーンが、ドラマチックな海を目の前に高倉健の後ろ姿。だったり、音楽が、いわゆる西洋人などが感じるオリエンタルな中国や日本の伝統的な音楽風なもので、なおかつかなりシーンの感情を高めるような意図が色濃いものだったり、子供の無垢な表情的なものもステレオタイプ的)なところが多いが、ストーリー自体がご都合主義的な部分も多く、ある意味童話や絵本のようなレベルに抽象化できるような物語なので、このようなフィクションっぽい演出の方が良いのかもしれない。
(ダンサー・イン・ザ・ダークのように昼ドラのようなベタなストーリーをあえて、手持ちカメラのリアリティと超フィクションのミュージカルをミックスして撮り、テーマの深化を図るという方法もあるが。) -
長年疎遠となっていた息子の余命が僅かと知った主人公が、息子の願望を叶えようと単身中国に渡り、困難な旅の中で中国の人々と心を通わせていく姿を綴る。