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- / ISBN・EAN: 4988103631283
感想・レビュー・書評
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★~余命3カ月、生存率5%かぁ・・・どうする?~★
この確率じゃぁ、あたしも延命治療しないな。
職場で倒れたくないので辞める、友人、知人にも言わない、いや言えない。
多分、毎日呑んだくれながら身辺整理、断捨離に励むんだろうなぁ~
お墓に入りたくないので、どうすればいいのかネットで調べまくる。
青木ヶ原は怖くてひとりじゃ行けないし、海も山も苦手だし、
どうすればいいんだぁ・・・やっぱ入院かなぁ?
勝手にしろ!って言われそう・・・。
この作品、主人公ロマン役のメルヴィル・プポーいいですねぇ~
静かなる苦悩の様子がグッと伝わりました。
そしてぇ!!
あたしのトラウマ「マドモアゼル」のジャンヌ・モローが、
ロマンのおばあちゃん役で、どうだぁ!というさすがな演技をされてます。
1928年生まれでこの作品が2005年だから・・・え~と・・・計算中、
とにかく凄い存在感でしたぁ。
ラスト、ポカーンと口を開けて観終わりました。
終わってもしばらくそのままでいて下さい。
波の音が悲しい余韻を・・・放心状態になりました。
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原題は、le temps qui reste(time to leave)。
邦題の方が的確にイメージ捉えてるかとは思う。「ほうむる」と書いて「おくる」と読む。
余命三ヶ月との宣告を受けた「ぼく」の軌跡。
よくある「死を見つめる」映画の中に埋没しないのは、たぶん、この映画において「おくる」のは他人ではなくて「自分」だから。
遣り残したことすべてをかなえて死んでいくわけでもない。
親にも兄弟にも恋人にも自分の余命については伝えずにいるから、彼らの間では未来への希望に満ちた展開になったりするけど、その未来に僕はいない。
何かを残して逝きたいと思って、同性愛者なりの形で新しい命を生み出すけど、その命を見守ることは、できない。
「何かを残そう」「これでさよならだ」と思ってやったこと、それらの結果得た温かさには、それでも悲壮感が消えなかった。
だけど、
ふとした場所で、過去の自分を見つけることができた時、凄く穏やかな目をします。
過去の自分のまなざしを受けて、「いってきます」と言えることが、自分をおくるということなんだろうか。
これからも生きる人たちは勿論大事だったろうけど、「そこに確かに生きた自分」自身におくられること。それが穏やかな死へとつながったように、私には見えた。
世界は自分を中心に回っているわけではないけど、ここが私の世界であることに変わりはない。そう思う最近、しっくりくる映画でした。
「余命尽きるまで精一杯生きる」類の、感動ドラマラインではないです。ドラマ性を極力排除して、被写体にシンクロしやすいようにしてある気がしました。
全体通して、静かで穏やか。フランス映画っぽい端々の飾りつけも抑制気味。そして役者が凄く良い。
死を宣告された瞬間から、見知らぬ土地を歩く旅のような、緊張感と浮遊感をまとう主人公。
生命の磨り減り方が、身体やまぶたの動きにまで出てきます。
オゾン作品の中では、息が詰まるほどに生に執着してて、その執着が宙を舞う様が奥歯に痛くて
最後はただただ、美しかった。 -
涙が止まらん。
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星1000個くらいつけたい。
なんの前情報もなしに、作品紹介とパッケージの雰囲気でこれ面白そうと手に取るフランス映画が高確率でフランソワ・オゾン監督なのですが、こちらもオゾン監督作品。そしてオゾン監督作品で刺さらなかった作品がない。
末期ガンで余命半年から一年を宣告されたゲイのカメラマンが、自分の人生にどう決着をつけるか、というテーマ。
見始めた当初は彼がゲイであるということに理由はあるのかなと思いましたが(ファッションカメラマンという華やかな職業は、ガンというこれからの人生との対比なんだろうなと思ってました)、中盤で、なるほどそうきたか!と。さすがです。
人生の終わりを見据えたからこそ関わる人間たちとのやり取りが、チープなファミリードラマにも感動お涙頂戴系ヒューマンドラマにもなっていないところが、すごくフランスらしいなと悶絶する思いです。
祖母(ジャンヌ・モロー!)に会いにいったときの会話、
「どうして私には話すの」
「似た者同士だからさ」
「……」
「もうすぐ死ぬ」
とか、帰り際写真を撮りたいといった瞬間にポーズを取るジャンヌ・モローとか、眠れないと祖母の寝室に訪ねたときの会話とか、ちょっとした瞬間がびっくりするほどリアルで、映画なのに演者が演技をしていることを忘れる瞬間があって、そういうのもオゾン監督作品が好きな理由だろうなと。
そしてエンディング。圧巻でした。
なにも説明されてなくて、モノローグもなにもなくて、すべては観客の解釈次第と言わんばかりの、でも淡々とエンドロールが流れる中、海の波の音が耳に入ってくる数分間。
次の日、目が腫れてしまうほど泣きました。
誰かと観たい映画ではなくて、一人でじっくりと観て、内省したり内側に向かって対話したくなる映画です。 -
死に直面した時、
一体何を悔み、求め、
諦めて受け入れるのか。
確かに己が失われていくことは、
他者との関係性が終わっていくということと、
自らを終えていくということの、
両者が絡み合いながら、
しかし最期はひとりだということ。
庭に咲き誇りながら、
一輪が神々しく咲く、
バラの花のように。 -
とにかく映像がきれい。余命わずかだからこそ輝きをます世界をみせてもらってるような映画。小さなデジタルカメラで愛おしい人たちを撮る主人公の姿がせつない。
で、これは何も特別なことじゃなくて、誰にでもあてはまることかも。 -
死に触れた時、何を想い行動するのか。
綺麗な映画。 -
フランソワ・オゾンの映画は
100%フランスって感じで苦手・・
でも、これは結構よかったかな。
やっぱり、ところどころよくわからないとこもあるんだけど。
最初は家族や恋人を突き放し
孤独になって、わかってくれるのはおばあちゃんだけで
恋しくなって、お姉さんや恋人と会って
すごーく人間味あふれる行動だと思った。
傷つけたくなし、自分がガンだということを切り出せない。
だから突き放すけど、でもやっぱりひとりはつらいもん。
だから、彼はゲイだったけど、依頼に応じて精子を提供して子供を、自分の分身を残したいと思ったのは、当然だと思う。死を前にしたら、そうなると思う。
そしてラストは美しすぎる。
ほんとに印象的。
安らかだけど、やっぱり死は悲しい。
彼が残した写真を見たかったな。
邦画だったら絶対見せて、涙を誘ってたよなぁ。 -
フランソワ・オゾン監督。
2005年公開のフランス映画。
まず、「僕を葬る」という邦題のセンスが抜群ですよね。
タイトル通り、「死」をテーマに「生」を表現した映画です。
写真家の主人公は、ある日、突然余命3ヶ月を宣告される。
お涙頂戴の映画ではなく、主人公が「死」と向き合い、
絶望を感じながらも徐々に現実を受け入れ、
無理をするわけではなく、
悲観的になるわけでもなく、
やり残したことをしていく。
大きなことではなく、
身近なひとに会い、時間を過ごしていく。
人は「死」と直面した時に、
ここまで奇麗にいることができるのかな。
言葉の表現は少なく
シーンと表情で物語を綴っていく。
とても静かで深い、
そしてラストシーンは本当に素敵で、
映像に魅入らされてしまう映画です。
とても深くて味のある映画だったと思います。 -
フランソワ・オゾンが死をテーマに撮った作品。
生まれること。
生きていくこと。
死に向かうこと。
この3過程を、きちんとうまく絡ませながら丁寧に描いていた。
ひとつひとつの出来事に対して主人公が感じることを、
ひとつひとつおざなりにせず描写しているので、
見ている者を主人公の感情の中に引き込む力がある。
不器用な主人公に対して、すごく奇麗な感情表現が印象的。