元禄忠臣藏(前篇・後篇) [DVD]

監督 : 溝口健二 
出演 : 河原崎長十郎  中村翫右衛門  市川右太衛門 
  • 松竹ホームビデオ
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感想 : 5
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4988105050709

感想・レビュー・書評

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  • Astoriaでの溝口映画祭、日曜なのに一本はもったいない…と思ったら前後編で240分超とわかり即納得。以前木下惠介監督作品「香華」を鑑賞した際に本来休憩をはさむ長編でありながらその休憩を端折った形で上映されたことがあり、その記憶からも体調をあらかじめ整えてスクリーンに臨む。

    育った家は年末に忠臣蔵を観る家風ではなく、きちんとみたことはもしかすると一度もなかったのかもしれない。それがいきなり本作となることが功を奏するのか否かは本作以降も忠臣蔵を観続けて比較し続けていって初めて見えてくることなのであろう。ということで今回の評価は辛め。

    初心者ということも相まって手紙をせき切って朗読するシーンはあっけにとられてしまった。「えっ…」と思わず声を出しそうになりその後の絶句の間は映画館には適していた。

    ほとんどの俳優が前進座所属ということであまり自分の脳内俳優データベースに該当する人はあまりいなかった。大石内蔵助を演じる四代目河原崎長十郎についてはもしや…と気になって調べてみるとドンピシャ!その息子には「神々の深き欲望」でお見かけした河原崎長一郎、「儀式」でお見かけした河原崎建三が。(次男氏はまだこれから…)

    中盤、どうにも加東大介なキャストが気になり、後編の演者一覧にもやっぱりなかったため一層気になっていたのであるが、そのオチが彼が加東大介と名乗る以前の「市川莚司」としてクレジットされていたためであったことがのちに判明。喉に刺さっていた小骨が取れる瞬間。

    そしてなんといってもここ一番での高峰三枝子の登場。「戸田家の兄妹」でお見かけした際には自分の中では桑野通子に持って行かれた感が強かったものの、今回の登場のタイミングとその状況が抜群、本作でのあの役どころは彼女しかない!と思わされた次第。

    さて、次はどのバージョンに挑むか!?

  • 0244

  • 討ち入り場面がないことを、新藤氏は「溝口監督が、本当の切りあいになってしまうというようなことを議論していた」といわれてましたが、とてもフィクションを作り出す映画の監督とは思われない。
    実際、松の廊下は破格の予算で作り、その虚構の頂点を極めて知るのに・・・・・。
    もしもCGが可能だったら、溝口氏はそのリアリズム追求のために、喜んで討ち入り場面を撮ったかもしれない。

  • 今回、続けて前後編を見て、まず感じたのは前編と後編のつなぎ方が見事だと思った。
    物語はご存知「忠臣蔵」を真山青果の原作を元に描かれ、前編は「殿中の喧嘩場」から始まり「判官の切腹」そして山科に引き込んだ大石の下にお家再興の嘆願が叶わなくなったと知らせが届くところで前編が終わる。そのラストで妻が大石に離縁を告げ、それは大石の決起の足を引っ張りたくない故だと伝わり哀情を誘い、物語を良く知る観客たちに対して後編への興味付けはしっかりほどこされる。
    そして後編は前編のラストの少し前から、単純に前編のストーリーをなぞるのではなく、前編で描かれなかった家臣の一人のサイドストーリーから物語が始まる。家臣の一人が単独で吉良を暗殺しようと動くが、お家再興の結論の出る前に動くのは大石の本意ではないと言われ思いとどまる。そして前編最後の知らせが届くシーン。この後編では前編で描かれた妻の離縁の芝居はない。これは後編の物語にとって必要でないばかりか描くことで観客の意識に残ることを嫌ってのことであろう。
    こうして物語は何の違和感がないばかりか、後編だけでも、しっかり「つかみ」を施し、無駄なリフレインの無い1本の作品としてきちんと独立し進行していく。
    ・・・・うまいなぁ。

    本作品は、1941年12月8日の真珠湾攻撃を挟んで、前編(2時間)が12月1日、後編(2時間)が翌年42年2月11日に公開された。
    忠臣蔵だから年末に公開するのは普通であり、意図的なものではないと言える。しかしこの作品はその制作費を軍が出している以上、戦争と全く関係ないと決め付けることは出来ない。
    そこで本作品における特徴でもある肝心の「切腹シーン」と「討ち入り」のシーンがないことに関しての推察。
    軍は「切腹シーン」はともかく「討ち入り」さえも裏芝居になっていることに「何故、討ち入りシーンがないのか」と聞いたという。その問いに監督は「実際に人を殺してもいいんですか?それができるのですか」と答えたと言う。
    小生が軍部の人間であれば、城明け渡しのシーンで、城外で切腹する武士は撮れたじゃないかと突っ込みたくなる言い訳だ(笑)
    それまでも軍部のオーダーであろうと思われるシーンがあちこちに散見される。前編では大石たちは京にいる天皇に向かって土下座をするし、後編では大石たちの蟄居から切腹までの死への道程を平常心をもって粛々と後編の作品の半分も裂いて描かれる。まぁ、軍のリクエストをいくつか聞いてあげれば好き勝手できると活動屋たちは考えたのでしょう。それで好きにやらせてくれるならお安いご用とばかりに。
    勿論。当時における忠臣蔵の認知度は今よりもはるかに高く、今更「討ち入り」なんて描きたくないと単純に考えたのかも知れないが、監督は軍に対して、討ち入りそのものを描き、物語を完全な美談として作り上げる事を拒否したせめてもの抵抗であったと小生は考えたい。

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